究極の修験の道「大峯奥駈道(おくがけみち)」を歩く
平成28年5月31日〜6月5日


第6日目(6月5日) 雨〜曇り  ゴールの熊野大社へ

玉置辻〜大森山〜五大尊岳〜大黒天神岳〜吹越山〜七越峰〜備ア橋〜熊野大社
行動時間:06時05分〜15時30分 約8時間25分


カシミールソフトを使ったGPSトラックログ図 玉置辻〜熊野大社


いよいよ大峯奥駈道も最終日を迎えた。今まで足のトラブルはあったものの天候に恵まれて順調に歩いて来た。ここに来て雨の
試練も又奥駈道の良い思い出になるだろう。奥駈道も玉置山を過ぎれば山らしいピークは大森山と五大尊岳位になる。しかし熊
野川が大峯奥駈道の両側から回り込む備崎までの距離は厳然として疲れた修験者や登山者の前に立ちはだかる。


例によって金光さんの朝は早い。05時半にはさっさとモンベルのテントを畳んで出発するのを「熊野大社で会いましょう」と
言って見送る。
昨夜「最後の一日は別々に一人ぼっちでしみじみ歩きましょう」と約束を交わしていた。

ファイントラックテント・カミノドームの欠点

独りぼっちになって雨の中をテントの撤収にかかる。先ずテント内で全ての荷物を防水袋に押し込んで雨がかからない木陰に置
く。フライをそのままの状態で本体と共に外しにかかる。所がファイントラック・カミノドームの欠点であるグロメット穴の小
ささが仇となってポールが外れない。雨で砂や土がグロメットの周りに付着してポールが金属穴に固着して抜けないのだ。

何度も指を使ったり息を吹きかけたりしてグロメットの穴から砂や土を除去し苦労の末にポールを外す。同じく木陰に運んでテ
ントを防水袋に押し込んでザックに押し込む。値段が高い分快適なテントであるが、雨の場合このテントは撤収時使用者に余分
なストレスを与える存在となる。恐らく相当な強風にもポールが外れない様に配慮されたのだろうが、この点は購入者が穴のサ
イズを選べる様にして欲しいものだ。


いざ 熊野へ

先にある「大森山」標高1,078mに上がった後は標高150m程の熊野大社付近まで下りになる。足の痛さにも慣れて翌日
の事も考えなくて良いのでスピードアップ出来そうだ。


06時10分傘を差して雨の中を出発する。車道分岐が心配だったが2分も歩くと右手に広い分け道があり標識に従って林道へ
入る。06時20分この道から更に右下に向かって細い道があり奥駈道標識に従って山道に入る。
雨に濡れた山道ではあるが良
く踏まれていて歩きやすい。06時38分第9靡「水呑金剛」の赤い分岐標識が右手を差すがそのまま奥駈道を進む。

07時08分「大平多山分岐」を通過するが雨とガスで薄暗いので撮った写真は全てボケていた。植林歩きが主体の奥駈道は道
が明確で迷う事もなかった。


  
  テン場に使用した道路脇の広場                   車道から右の未舗装林道に入る

  
 未舗装林道から右下へ奥駈道を入る 分岐標識が立っている  06時40分 水呑金剛(第9靡)への分岐を通過

  
07時10分大平多山分岐を通過                      歩きやすい道が続く 


大森山 北峰            1,078m
大森山 南峰 三等三角点「大水ノ森」1,045.18m

今まで大峯奥駈道は玉置山まで奈良県を歩いて来た。先ほど通過した大平多山分岐から大森山を経て切畑辻までは奈良県と和歌山
県の県境を歩き、切畑辻から南側の和歌山県に入る事になる。


07時45分「大森山」最高点1,078mに着き、山頂標識板と共に大峯奥駈道の石標がたっている。この石標は吉野から奥駈
道の要所に立てられており修験者や縦走者の道しるべとして大変役立ち感謝する存在である。不安な場所でこれが現れるとお地蔵
さんに出合った様に「ありがとうよ」と声が出る。


更に10分程リョウブの様な細い灌木が生える広い尾根を歩くと三角点「大森山」に着く。三角点名は「大水ノ森」と言うヘンな
名前が付けられている。区切りが良い場所なのでここにも修験者の札が置かれていた。


奥駈道ルートは県境に入る大平多山分岐からここまで真西になるが、ここからは終点の熊野・備崎まで一気に南下する。

   
07時45分今日の標高最高点「大森山」(北峰)に着く           ここで地図を出して残りの行程をチェックする


 07時55分 大森山三角点(南峰)に着く  三角点名は「大水之森」  リョウブ等の灌木が生えた平凡なピークだ


ヒキガエルと遊ぶ

道にヒキガエルがいたので退屈しのぎに少し相手にして遊ぶ。木の幹に追いやりオーバーハングを上れるかツンツンとお尻をつつく
と見事クリアした。ガマガエルと呼ぶにピッタシの風貌である。ここから急な下りになりロープなども置かれている。今度は小さめ
のオレンジヒキガエルが現れたがどうもピントが合わない。


雑木林の下り坂になると今度は白ブチのニホンヒキガエルが「ワテもおるでよ〜」と出て来た。これとも少し手がって遊ぶが、ふと
こんな事をしてたら熊野大社に中々着かんぞと思い直して先を急ぐ。


  
 もっと上を目指せ〜 ツンツン もうこれ以上はご勘弁を〜    下り坂にはロープが置かれている

   
 赤いのは特にピントが合わない                    ブチのもいた  どれも愛嬌たっぷりだ


さらば 奈良県

08時35分「篠尾辻」と「切畑辻」が相次いで現れる。この山域の東西には同じ熊野川(新宮川)の支流が流れており、それ
ぞれの流域集落への峠道となっている訳だ。「篠尾」とは奥駈道の東側、熊野川支流・篠尾川沿いの集落「熊野川町・篠尾」で、
一方切畑は奥駈道の西側、熊野川沿いの集落「本宮町・切畑」となる。要するに両方の流れを辿ると南の熊野・備崎でグルリと回
って合体し新宮で熊野灘に流れ込んでいる。四国の吉野川も流域が広くて複雑だが、この熊野川(新宮川)も引けを取らない流域
を持つ。

ここから南に続く奥駈道の東側は和歌山県新宮市、西側は和歌山県田辺市と完全な和歌山県の山となる。


  
08時35分 篠尾辻 修験者の札が木に打ち付けられている    直ぐに西側への間道を別ける切畑辻を通過 

五大尊岳(南峰) 825m

さてここからは岩っぽい細尾根になり木の根っ子が尾根にくねって出ている。土壌が少なく下が岩なので仕方なく木の根は土を求
めて尾根を横切っているのだ。こんな場所が修験者に好まれるらしくて○○根本道場などの施設標識が現れる。


09時18分「五大尊岳」に着くと細尾根に不動明王の石像が台座の上に立ち、修験者札(碑伝)が収められている。横の解説板
には昭和50年に建立された先代の不動明王像が平成17年に紛失したので平成21年に新たに設置した旨の事が書かれている。

日本各地で仏像が盗難に遭う事件が多いがお不動さんだから自分で動いては行かないだろうなあ。

更に天然檜、赤松、石楠花、リョウブなどが生えた細尾根が続く。根っ子を踏むと滑りやすいので岩や土の部分を選んで歩く。す
ると09時40分尾根の端にある細い木に「五大尊山・南峰」の縦長い標識が無造作に掛けられている。地図を出して確認すると
どうもこの南峰が地図に記されている五大尊岳だった。


  
細尾根になると修験道場の標識が現れる              岩尾根の象徴 シャクナゲが出てくる

  
09時18分 岩の細尾根に不動明王像が置かれた「五大尊岳」 修験者が好みそうな地形だ


   
 赤松が生えた細尾根が続く               09時40分尾根が左に下る手前に「五大尊岳・南峰」の標識が樹に掛けられていた

ここから尾根が少し右手に曲がって下りて行く。そんな分岐に新宮山彦ぐるーぷの標識が立っている。大峯奥駈道全般を通じて地
元の自治体、山歩きグループ、修験道の信者さんによって山小屋や登山道の整備が行われている事に感謝する。

又ロープが置かれた下り坂になり雑木林の中に岩なども出現する道を緩やかに標高を下げて行く。基本的には尾根筋に付けられた
道なのだが所々でトラバースもしている。この頃になると雨もほぼ止んできて傘を仕舞い足の痛さにも慣れて快適に歩く。所々に
「本宮」への標識があり励みになる。


10時40分「金剛多和の宿跡」の祠を通過するとここで金光さんが休憩中だったので「熊野大社で会いましょう」と言って先
に出る。一人きりで吉野を出発したのだから熊野大社も一人でゴールするのが私にとっても金光さんにとってもそれが奥駈道の良
い旅だと思ったのだ。この辺りは「六道ノ辻」とも呼ばれ西側の熊野川沿いにある田辺市本宮町切畑への分岐もある場所だ。


10時45分「水場まで3分」の標識があるが地図には載っていない貴重な水場だ。金剛多和の宿」辺りでビバークする場合、特
に利用価値がある。


  
新宮山彦ぐるーぷ等の標識が充実されており大変助かる     09時53分岩っぽい傾斜を下る


10時40分 「金剛多和」で金光さんと会い、ここで私が先行する

    
歩きやすい道が続く                             10時45分 右手に水場がある


大黒天神岳 二等三角点「上切原」573.85m

次第に植林地帯となり足元にはシダが生える里山風景となる。森の中に「大黒天神岳」という大層な名を付けられた標識がある。
足元を見ると立派な三角点が確認出来た。点名の「上切原」は西側、熊野川沿いの集落名から来ている。又、大峯75靡第5番で
は「大黒岳」となっている。


奥駈道は直ぐに左へ直角に曲がって下って行くが、右手の尾根筋に入らない様に紐で通せんぼをしている。尾根の左側をトラバー
ス気味にしっかりした道が付いている。


  
 植林と雑木が混在する 下草はシダになる             平坦な地形だが道ははっきりしている


11時00分「大黒天神岳」の三角点を踏む ここに標識と三角点がなければ単なる通りすがりの里山だ

  
直角に曲がる道、もし標識がなければ・・・・              尾根の左を巻いて下っていく

11時20分鉄塔に出ると前方に見える次の鉄塔に向かって電線が延び、谷間の民家が霧に霞んで見える。やっと里に近づいた
と思うとアセビの朱い若葉がやけに美しく見える。
熊野川沿いにある十津川第二発電所へ向かう鉄塔と電線に沿ってシダと雑木林
に付けられている電力会社の保線路は快適だ。


11時37分今度は尾根の右側に沿った道に変わると大きなシカ防護ネットが出現しそれに沿って歩く事になる。現代の奥駈道を
象徴する幻滅の風景ではあるが植林の幼木をシカから守る手段だから仕方がない。すると右手に熊野川の蛇行と河岸段丘に立つ集
落が霧の間から幻想的に現れる。道はカヤや雑木で狭くなって窮屈だ。


  
  11時20分 鉄塔に出る                        アセビの若葉が美しい 里が眼下に見える

  
2つ目の鉄塔に来ると更に里が近づく                  東側、新宮市熊野川町西敷屋・山手方面の集落

  
  細い植林帯となる                       11時40分植林の保護支柱を守るシカ防護ネット沿いが現在の奥駈道だ


  11時45分 今度は道の右側(西側)、蛇行する熊野川沿いの田辺市本宮町大居付近の集落が見える


11時47分、祠のある広い平地に着く。地図には「宝経塔」と記されているが現場には宝筐印塔(ほうきょういんとう)と看板
に書かれている。
宝筐印塔とはインドや中国が源流の仏塔で五輪塔などと共に日本でも鎌倉時代から密教の流行と共に石材で作ら
れ、お経を中に収めたらしい。


直ぐに小井谷・山在線にある山在峠の道路に出る。ここにも大峯奥駈道の看板が立っているが相当汚れて見にくい。この道路を越
して向かいの植林帯へ奥駈道は続く。


 
 11時47分 祠のある広い場所に着いた              宝筐印塔 (宝経塔)

  
山在峠 奥駈道は小井谷・山在線の道路を横切る        植林地帯は道がわかり難いので標識が随所に置かれている


吹越山   325m

山在峠からは足元にシダなどが現れる平凡な植林地帯で奥駈道でなければ四国から来てわざわざ歩く場所では無い。どんどん歩い
て12時09分「吹越山」の標識を見送る。踏み跡や標識があるので植林帯の平らな地形でも迷う事は無かった。なだらかな傾斜
を下って歩く。


12時17分車道を石段を下りて横切る。奥駈道は道路向こうの細尾根へ上がって行くが、同じ方角に広めの道が十津川街道の下
向橋まで最短距離で続いている。背の高い植林は枝打ちされているので見通しが効き右手に熊野川の広い川筋と集落が見える。

相変わらずの植林道をどんどん歩いて行くと13時02分「吹越峠」に着いた。ここからも十津川街道の下向橋までの道を分ける
のだが舗装道路が近くを走るので今ではこの峠の意味も薄れてしまっている。ロマンを求める登山者はこの道路によって寸断され
た奥駈道に興ざめするが、地元の人達にとってはこの道路は現代の生活に必要な手段なのだから仕方が無い。

  
植林地帯の道筋は広いので分かり易い         12時09分 吹越山の標識を通過

  
  ゆるやかな傾斜を下る           又舗装道路を横切る 正面の未舗装道路は下向橋への道だろう

  
奥駈道は真ん中の山道を上がる            植林の間から熊野川の蛇行と集落が見える

  
 奥駈道は相変わらず歩きやすい            13時02分 吹越峠を通過



13時16分展望台に着き、そこから熊野川を見下ろすと熊野大社旧社地・大斎原(おおゆのはら)の大鳥居が見える。現在の
熊野大社を探すが上の方に学校の様な敷地は見えるが大水被害で旧社地から山際に移設された社殿はここから見えなかった。


刈り込まれたツツジが道端に並ぶ遊歩道を下りて行く。川向うに熊野大社付近が見えるともう心理的にはゴールした様な気持ちに
なるが、さてここからが6日間歩いて疲れた足には遠いガマンの歩きとなる。



13時16分 展望台より熊野大社旧社地と大斉原の大鳥居が見える 洪水で流されたのもうなづける場所だ

  
ツツジの刈り込まれた遊歩道を下る                   又道路に出る ここをしばらく下る 

七越峰 262m

未舗装道路に出ると遊具施設やトイレの広場があるのだが、この下手から又階段が整備された山道に入る。13時35分ピークに
は「七越の峰」の看板があり赤い鳥居の奥には修験道の祖・役行者像が鎮座し修験者のお札が掛かっている。


熊野本宮大社まで後3kmの標識を見て少しがっかりする。あ〜まだそんなに距離があるんだ。最後の仕上げはそうすんなりとは
行かないものだ。標識に従い植林のトラバース道を進む。すると又道は車道の横に出たかと思うと又山道へと入る。


14時00分車道に出たのでもうここからは車道沿いの道になるかと思って余ったペットボトルの水を全て使って頭を洗い身だし
なみを整える。
んがっ! 道は又もや山に入って植林の中に伸びていく。奥駈道に弄(もてあそ)ばれる様に山道を歩くと下り坂
に備崎の「経塚史跡」の看板があった。そのぐり石の横を抜けて急な下り坂を川に向かって一気に下ると14時40分熊野川の土
手に出た。


  
遊具施設横の道路に世界遺産・大峯奥駈道の標識が立っている  最後のピーク「七越峰」へ向かう


13時30分 役行者像の置かれた「七越峰」に着く

  
 標識の目的地は本宮だ                         13時45分車道近くを通り又山道へ

  
14時00分 又車道に出た                        ちょっと余った水で顔を洗いみだしなみを整えようっと

  
あれ? 又山道に入るじゃん                       いよいよ最後の下り 備ア経塚群の看板が立つ

   
ぐり石が並ぶ最後の下りへ                        14時40分 やっと熊野川の土手に出る   

右手に見える熊野川(新宮川)は川幅がとても広くてこの辺りでは水が分散して浅瀬になっている。ここで金光さんが「熊野川を
渡渉するんですか?」と冗談半分に小屋で聞かれた事を思い出した。まあ渡れない事もないけど対岸で這い上がれる保証も無いし
やっぱ止めとこ・・・


大峯奥駈道の大きな看板が備崎橋(そなえざきばし)の袂に立っている。川向こうの道路国道168号線(十津川街道)には車が
沢山走っているが、この橋は静かに歩けた。14時55分十津川街道に出るが川沿いの右側に歩道が無い。ここは景色の良い熊野
川サイドを歩きながら大峯奥駈道最後のピーク七越山を眺める。


右手にあったガソリンスタンドの女主人に「この辺りに民宿は無いですか?」と聞くと「さあ・・・近くの温泉には沢山あります
けど・・・」と言う。天下の熊野大社近くに宿が無いって??
とにかくバス停で新宮への時刻表を確認しながら熊野大社へと向か
う。


  
この辺りの熊野川(新宮川)は川幅が広い              電車の鉄橋みたいな備崎橋

  
橋の袂に立つ大峯奥駈道の看板                     備崎橋を渡っていよいよ熊野本宮へ

  
  道路傍には世界遺産・大峯奥駈道の標識がある         14時55分十津川街道を歩く

  
 七越山から備崎橋は結構遠回りの迂回を強いられる      やっぱ 自動販売機は便利やで

  
熊野大社の旧社地 熊野古道・中辺路にもなっている       紀伊田辺行のバス時刻表をチェック 最終便は16時30分頃だ


私語橋という謂れのありそうなコンクリート橋を渡るとなんとなく華やいだ観光地の雰囲気となる。土産物屋は八咫烏(やたガ
ラス)にちなんだ物を多く並べている。

熊野大社の入り口近くの土産物売り場で「このあたりに民宿はありませんか?」と又聞くが「さあ・・前に観光案内所があるの
でそちらで聞いて下さい」とそっけない。大きなザックを抱えた登山者はあまり土産物を買わないと思っているのだろうか。
実際にそうだけど・・・おもてなしの精神は?・・・
バスターミナルの後ろ側にある綺麗な建物に入り民宿の事を聞くと女性の担当者が親切にパンフレットを提示して近くの温泉に
沢山の宿がある事を説明してくれ、そこにはここからバスで行かなければならないと言う。ここで私の勘違いが後でわかったの
だが、この川湯温泉や湯の峰温泉はわざわざバスで別の場所へ移動と言う訳ではなく、JR田辺行きのバス路線の途中にあるの
だった。


熊野大社付近でゆったりと散策をしたかったので「この付近に民宿はありませんか?」と聞くと3軒の電話番号と名前を教えてく
れる。しかし喫茶店の2階にある民宿は休日、
1軒は休業、残りの1軒は障害者用で無理だった。

ここでの宿は諦めて15時25分ゴールの熊野大社へと石段を上がる。やはりここは最後まで大峯奥駈道としてザックを背負って
上る。参道には日本人観光客は当然としてザックを背負った外国人も結構いた。世界遺産効果で熊野古道を歩く外国人も増えてい
る様だ。


お参りをして石段で大峯奥駈道の同志、金光さんを待つ。15時52分下から大きなザックを背負った金光さんの笑顔があり二人
で石段を上がりゴールする。最初の仁蔵宿宿で会って以来後になり先になりお互いを励まし合って歩いて来た様な気がする。亡き
友ペーコの影をそこに見えたのかも知れない。金光さん ペーコちゃん ありがとう


  
報われない宿探しの後、15時25分 熊野大社へ上がる      立派な参道を進む


  ご〜〜る ゴ〜〜ル ゴ〜〜〜〜ル !!  大峯奥駈道の最終門を入る

  
 境内は日曜日の午後遅くで人もまばらだった            外国人観光客やバックパッカーも多かった

  
修験者の恰好をした人が観光客のガイドをしていた         金光さんと合流してお互いゴール写真を撮り合う


宿泊は「川湯温泉」

さて、バスの最終便(16時50分頃)で田辺まで出てビジネスホテルに泊まる事にしてバスに乗る。するとバスは温泉街を抜け
てそこで下車する人もいる。運転手さんに「ここで降ります」と言って慌てて温泉街で下車する。


こは「川湯温泉」と呼ばれる所でバス停の横には公衆浴場があり外国人もゆかた姿で温泉に来ている。「小栗判官蘇生の地」と
いう看板がかかっていた。
先ほど熊野大社の観光案内所で貰ったパンフレットを出して一番安い民宿に電話する。食事も出来ると
言うので1km程離れた民宿「湯の里」まで歩き家族的な雰囲気で6日間の疲れを癒す。


  
結構有名な温泉らしい                          温泉公衆浴場もあった

  
小栗判官が湯治したと言うつぼ湯                   20分程歩いて民宿「湯の里」へ泊まる

  
いや〜〜〜 檜温泉でさっぱりしたど〜〜〜              夕食も残らず平らげた


エピローグ

川湯温泉・民宿ゆの里〜田辺JR駅〜和歌山〜天王寺〜難波JR〜フットバス

朝、散歩をしていると泊まった民宿の私設露天風呂があったので入る。その後朝食を民宿で済ませてバスに乗る。田辺までのバス
路線ルートは熊野古道・小辺路に沿って通るので熊野古道や世界遺産の看板が多い。


JR田辺駅で天王寺までの切符を買い特急座席指定席でゆったりと南紀の海を眺めながら車窓の人になる。う〜〜ん やっぱりバ
スや電車は便利だわ。天王寺からJRで難波まで何とか乗り継ぎ、上へ下へと大騒ぎしてフットバスに乗り込んだ時には「これで
帰れる〜」と安心感に包まれ高松に返りつく。


  
 民宿「湯の里」の露天風呂                        バスでJR田辺へ出る

  
JR田辺駅                                    特急で大阪天王寺まで出る

大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)、退職後に自分がこんな場所を歩く事になるとはこれっぽっちも思わなかったが、やはり普
段四国の山をキッチリあるいていた結果だと思う。


亡くなった山友を偲ぶ旅はここに無事終了した。



大峰奥駈道 プロローグ(まとめ)                                は                  ここ 


第1日目 (5月31日) 吉野〜高城山〜青根ヶ峰〜四寸岩山〜二蔵宿小屋     は                ここ   
 
第2日目 (6月1日) 二蔵宿小屋〜大天井ヶ岳〜五番関(女人結界門)〜山上ヶ岳(大峯山寺)
    〜大普賢岳〜七曜岳〜行者還岳〜行者還避難小屋
            は                  ここ   

第3日目 (6月2日) 行者還避難小屋〜弁天の森〜弥山〜八経ヶ岳〜明星ヶ岳〜五鈷峰〜仏生ヶ岳
    〜(補水)孔雀岳〜釈迦ヶ岳〜深仙小屋
                  は                  ここ  

第4日目 (6月3日) 深仙小屋〜大日岳〜太古の辻(南奥駈道)〜天狗山〜地蔵岳〜般若岳〜涅槃岳
    〜
証誠無漏岳〜阿須迦利岳〜倶利伽羅岳〜行仙岳〜行仙宿山小屋 は                  ここ  

第5日目  (6月4日) 行仙宿山小屋〜傘捨山〜地蔵岳〜香精山〜玉置山(給水)〜駐車場食堂
    〜玉置辻(テント場)
                                は                 ここ  





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