究極の修験の道「大峯奥駈道(おくがけみち)」を歩く
平成28年5月31日〜6月5日
第1日目 (5月31日)晴れ
吉野〜高城山〜青根ヶ峰〜四寸岩山〜二蔵宿小屋
行動時間:11時20分〜18時10分 約6時間50分
カシミールソフトを利用したGPS・トラックログ図 吉野〜二蔵宿小屋
5月31日
高松から吉野へ
高松国分寺フットバスターミナルは駐車場無料なので大変便利、高松国分寺を始発04時55分に乗り大阪難波O-CAT(JR難波)
へ09時03分着いた。料金は3,900円。
ここから市営地下鉄御堂筋線を使って天王寺へ出るのだが田舎者にとって最も苦手な地下街移動だった。何とか地下鉄駅に辿り着
き240円で切符を買い天王寺行を何度も確認して乗り込む。
天王寺で下りて近鉄阿部野橋へ歩き私鉄の割にはバカでかい駅構内に入り吉野までの切符を970円で買う。なにせ四国で私鉄と
言えば琴電しか知らないが、ここではいくつもの路線が入り込んでおり駅員に吉野行のホームを聞く。もうすぐ特急があるのであ
ちらのホームで特急券を買って下さいと言う。
座席指定券を買えた。
間もなく到着した吉野行き特急列車に乗りホッとする。これでやっと吉野の登山口へ行けるのだ。11時00分吉野駅へ着いて行
動食を買おうと駅の売店やコンビニを探すがどこにも無い。 え〜? 吉野ってこんなに田舎やったっけ?
おにぎりやパンが欲しくて駅前の土産屋に入るが私の苦手な柿の葉寿司しか無いと言う。う〜〜んザックに用意したビスケットや
ミックスナッツでやり繰りするしかない。
近鉄特急(吉野駅プラットフォーム) 桜の季節が過ぎると閑散としている吉野駅
いよいよ大峯奥駈道へ
第1日目:吉野〜高城山〜青根ヶ峰〜四寸岩山〜二蔵宿小屋
行動時間:11時20分〜18時10分 約6時間50分
行動食の現地調達は諦めロープウェイ乗り場の右手にある細い坂道を上がる。途中で分岐を誤り吉野神宮への右手の道路へ進んで
しまい山道に入るとお墓に出たので引き返す。分岐に帰ると中千本・上千本の大きな道路標識があり真っすぐ進み赤い橋を渡る。
この「大橋」は南北朝時代に南朝(吉野朝の空堀に掛けられた戦略的な橋らしい。
11時50分「黒門」をくぐる。フランス人のカップルが自転車で登って来たので話をうると何と自転車はフランスから持って来
たと言う。来島海峡の自転車道を紹介して別れる。
ロープウェイの右手から山道へ入る 最初の分岐を間違って右に入ってしまい引き返す
朱く塗られた「大橋」を渡る (川は無い空橋だ) 黒門を入ると自転車に乗ったフランス人カップルがいた
吉野と言えば蔵王堂
直ぐに大きな鳥居があり後から写真を良く見ると「発心門」と言う別名「銅(かね)の鳥居」と呼ばれるものだった。
けると懐かしい蔵王堂の仁王門の階段を上がるが改修中で防護ネットで覆われていた。12時00分桜の時期を過ぎて人がまばら
な金峯山寺の蔵王堂に入り大峯奥駈道の無事を祈願する。
更に舗装道路を進むと色鮮やかな南東院の大日如来堂があり見学する。「大日如来」は空海が開祖の真言密教の最高仏である。修
験道で良く出てくる「不動明王」はこの大日如来の化身とも位置づけされている。
左手に「世界遺産・吉水神社」の看板があったのでちょっと道を外れて覗いてみるがここも改装中だった。吉水(よしみず)神社
は元々「吉水(きっすい)院」と言う修験道の僧房で役行者が開いたとされる。南北朝時代には後醍醐天皇がここを南朝政府の拠点
としたらしい。
は入らなかった。
銅(かね)の鳥居「発心門」をくぐる 蔵王堂の仁王門は改修中でネットが張られていた
12時00分 金峯山寺・蔵王堂で奥駈道の出発にあたりお参りをする。
南東院・大日如来堂 吉水神社も改装中だった
道の脇に伝統的な胃薬「ダラスケ丸」の店がありその先から上道と下道に分かれるので多くの寺院・宿坊を外から眺めながら上側へ
進む。舗装道路の右手に旧道があるので奥駈道にこだわりこれを進むが舗装道路の方が景色が良かった。
13時10分後醍醐天皇の子「護良(もりよし)親王」の顕彰碑「大塔宮仰徳碑」のある広場から蔵王堂を見下ろすがやはり桜に彩
られていない吉野山は緑一色の平凡な景色だった。
有名な胃薬 ダラスケ丸の出店 この大峯奥駈道の標石には大変お世話になった
やっぱ 桜の季節でないとねえ 大塔宮仰徳碑の広場より蔵王堂
吉野水分神社
13時20分吉野上千本にある「吉野水分(みくまり)神社」の立派な鳥居のある石段入り口に着く。ここは修験道場72靡にな
っている場所で道路前に最後の水場・自動販売機があった。読んで字の如く元々は水の神様を祀っていたが、「みくまり」が「み
こもり」と読みがなまり子守明神と呼ばれ子授けの神様になった様である。太閤秀吉が吉野で花見会を催した際この神社で祈願して
秀頼を授かったと言われ、現在の建物もこの秀頼によって再建されたものらしい。
棟連結された本殿がある。桜の季節にここに来て枝垂桜を見た記憶がある、
水分神社を過ぎるとコンクリート道は急に寂しい山道となる。「丈之橋跡」の石標がありここも下の赤い「大橋」と共に南朝時代
の空堀に掛けられた橋があったらしい。
人が誰もいないと思った杉林の山間を歩いていると上からオーストラリア人が下りてきて少し話をする。熊野古道を歩いているらし
くて私よりこの辺りの道に詳しくスマホの写真を見せて色々古道の話をしてくるので四国の遍路道の話題に切り替えてやり過ごす。
吉野水分(みくまり)神社 本殿は三棟連結している
吉野三大橋の一つ「丈之橋」跡 (ここは石碑のみ) 高城山分岐手前でオーストラリア人に会う
高城山と
公衆トイレの横から高城山への標識があるのでザックをデポして小高いピークへ向かう。14時00分山頂に着くと立派なコンクリ
ートの展望所があり吉野川とその向こうの山が見えている。多少つまらない印象の高城山を下りて進むと奥千本への分岐があり右手
に進むと西行庵があるが、ここは以前行った事があるのでスキップする。
14時20分大きな「修行門」と額が入った大きな鳥居があり坂道を上がって行く。ここは大峯山寺の修験者が修行に向かう為の門
である。
ってくる。
高城山は展望台みたいな場所だった 14時20分 奥駈道・第二の門「修行門」に入る
金峯神社
右手近くに修験者の休憩所があって左手には小さめの鳥居があり奥に古めいた神社が見える。ここが金峯(きんぷ)神社で他の神社
と比べてなんだか寂しそうな感じがする。吉野大峯の山々は黄金浄土伝説から金脈があるとされて金峯神社では地主神としての金山
毘古神を祀っているそうだ。かつては蔵王堂の奥宮とされていたらしい。
近くには有名な「義経隠れ堂」もある。追手に追われた義経と弁慶達がここの屋根を蹴破って逃れたという伝説がある。
この辺りが上千本と奥千本の分岐地点となっている。前方に見える石畳と大きな杉の並木が古道の歴史を感じさせるムード満点の景
色だ。
金峯神社 大峯奥駈道へ入る前の神社となる 義経と弁慶が隠れたと言われているお堂
14時45分 いよいよここから人里を離れて大峯奥駈道へと入っていく
青根ヶ峰
14時50分石畳が切れて左手の掘れ込んだ「KOBO
TRAIL」(弘法大師の道)へと入って行く。休憩所を過ぎて山道を進むと15時
00分古い女人結界の石標が立っていた。
ので真っすぐブルドーザーで押した様な道を進む。右手が開けて吉野の山々を見ながら歩くと車道に出て、青根ヶ峰を回り込んでし
まった様だ。
どうも女人結界の石標から左の近畿自然歩道へ進むべきだった。細い尾根道を青根ヶ峰に引き返す。三角点のある山頂は狭くて見晴
らしの全くない小高いピークだった。三角点の上にはお賽銭が置かれている。そそくさと先ほどの分岐に引き返し車道を進む。
石畳を進んだ後、左手に弘法大師の道へ入る 最初は掘れ込んだ山道となる
直ぐに休憩所を通過 古い女人結界の標石 (ここから左の山道に入れば良かった)
一旦車道に出てしまい、山道を逆に上って15時10分 青根ヶ峰の三角点を踏む
また車道分岐へ引き返し未舗装車道を5分程進む 右手に「山上ヶ岳・四寸岩山」の標識があり山道に入る
5分程車道を進むと右手に「山上ヶ岳・四寸岩山」の標識があり植林の細尾根へと上がる。
やがて右手が伐採地の明るい細尾根に出る。鉄塔が近くにあるらしく電線が延びている。
荒れた谷間の様な旧道を下ると15時33分再び車道に出ると「黒滝村」のデカい標識が立てられている。5分程で広い三叉路に出
ると標識の右手が黒滝村、左が川上村・天川村と書かれているので少し迷う。標識の天辺には左・大峰山とあり、例のKOBO TRAILの
矢印が左に向かっているので左手の道路へ進む。
15時46分近畿自然歩道と書かれた支柱に「山上ヶ岳・四寸岩山」へ標識に従い左手の山道へ入る。この辺りの尾根は「助四郎尾」
と呼ばれていたようだが、今は植林の良く踏まれた尾根道が続きモノレールが現れたりする。
そこに山上ヶ岳・四寸岩山の標識があり急な傾斜を最初はモノレールに沿って上がっていく。やがて右手に自然林が出たりするが基
本的には植林地帯の尾根道である。
伐採地の尾根に出ると視界が開ける(電線が見える) 15時33分車道に出る
広い三叉路に出て左側の車道を進む (右は黒滝村へ) 15時46分左手の山道に入る(近畿自然歩道)
植林の中にモノレールが延びる 尾根にぶつかり標識に従って上がって行く
左:植林、右自然林の歩きやすい道 植林の上りになる Kobo Trail のテープが随所にある
四寸岩山
植林の中にミズナラの樹が出るといきなり右手が開けて伐採地の草地となり、そこに鹿防護ネットが敷設されている。白っぽい岩が
現れ右側のトラバース道が平らなピークへ到達すると17時10分「四寸岩山」の標識があった。この山は北側の守屋茶屋から取っ
たのか別名「守屋岳」と言われているらしい。又三角点名は、更に北側にある心見(試み)茶屋から来ているのか「心見ノ峠」となっ
ている。
ちなみに四寸岩山の謂れは山頂(近く)に二つの岩がありそれを抜ける幅が四寸しかない所から名付けられたらしいのだが、そんな
岩は見当たらなかった。(1寸(3.3cm) x 4寸 = 13.2cm
山頂標識の奥に落ち葉が敷き詰められた平らな場所にテントを張ろうかと悩む。でもシカの多い場所なので悩んだ挙句もう少し先に
進む事に決めて斜面を下りて行く。ブナが沢山生えている尾根を進むと17時20分「足摺宿」の建物があった。中を覗くと土間の
周りに狭い休憩棚があるが少し湿気ており陰気な気がしたのでここも宿泊を諦める。
が山上ヶ岳へ行こうとして雷鳴に脅かされて進む事が出来ず足を摺って悔しがったという言い伝えがあるらしい
ここから尾根には沢山の風化した石灰岩がお地蔵さんの様に突き出ている。4寸は12センチメートルだがここに突き出た岩は20
cmから1m程の高さがある。どうも足摺岩と呼ばれている様だ。
が延びてきて登山道に合流する。
広場に車が止めれられているのでここも登山口になっているのだろう。
伐採後の植林地にはシカ防護ネットが張られている 17時10分 四寸岩山の三角点を踏む
平らな山頂だったので奥の林の中にテントを張ろうかと思案するが、やはりもう少し進む事にして下山する
少し荒れ気味の尾根を下るとブナなども混在する植林地帯になる 17時20分 前方に小屋が見えた (足摺宿)
足摺宿の中は土間だったので通過 お地蔵さんの様な岩が沢山立っている
「二蔵宿(にぞうのしゅく)小屋」69靡
直ぐに百丁茶屋への標識がありそこから車道を右手に外れ足元には九十九丁石が立っている。植林の道を進むと18時10分百丁石
があり、大きめの小屋がその奥にあった。
吉野金峯山寺から山上ヶ岳・大峯山寺まで2百丁あり、ここがその中間の位置(百丁)になるらしい。(他の資料では奥千本の愛染
宿を起点としている記述があるが地図で距離を見てもそれでは距離が短すぎる)
「二蔵宿小屋」の看板が掛けられた小屋の中を覗くと登山者が一人居た。大阪から来られた金光さんと言う人で挨拶すると「一人で
心細かったので小屋で一緒にどうですか?」と小屋泊まりを誘ってくれた。
に運び入れ小屋泊まりに決める。
夕暮れが迫っていたので空のペットボトルを集めて左奥の水場への小道を下る。広葉樹の斜面を明確な道が続き時間的には10分程
だが結構長く感じた。
杉林を歩くと平坦な道出る 右手から延びる林道「吉野大峯線」に合流
17時53分林道から右手の山道へ入る 18時10分前方に小奇麗な小屋がある
入り口には百丁石が立っている 二蔵宿の入り口
一息ついてタオルを濡らして体を拭くと急に寒くなった。19時00分小屋に引き返すと金光さんは既に寝袋に体を入れてリラック
スしている。
みらしい。山の話が通じる人との会話は楽しい。
二蔵宿の中も快適そうだ 二蔵宿の水場 小屋から約10分トラバース道を谷筋へ下りる
翌朝04時に起きるという金光さんの邪魔をしない様に少し離れてライトで地図を見ながら翌日の行程をトレースしながら眠りにつく。
第2日目
二蔵宿小屋〜大天井ヶ岳〜山上ヶ岳(大峯山寺)〜大普賢岳〜七曜岳〜行者還岳〜行者還避難小屋 は ここ
第3日目
行者還避難小屋〜弥山〜八経ヶ岳〜明星ヶ岳〜五鈷峰〜仏生ヶ岳〜孔雀岳〜釈迦ヶ岳〜深仙小屋 は ここ
第4日目
深仙小屋〜大日岳〜地蔵岳〜般若岳〜涅槃岳〜証誠無漏岳〜阿須迦利岳〜倶利伽羅岳〜行仙岳〜行仙宿山小屋
第5日目
行仙宿山小屋〜傘捨山〜地蔵岳〜香精山〜玉置山(給水)〜駐車場食堂〜玉置辻 は ここ
第6日目
(6月5日) 玉置辻〜大森山〜五大尊岳〜大黒天神岳〜吹越山〜七越峰〜備ア橋〜熊野大 は ここ