究極の修験の道「大峯奥駈道(おくがけみち)」を歩く
平成28年5月31日〜6月5日


第4日目(6月3日)晴れ・曇り

深仙小屋〜大日岳〜太古の辻(南奥駈道)〜天狗山〜地蔵岳〜般若岳〜涅槃岳
証誠無漏岳〜阿須迦利岳〜倶利伽羅岳〜行仙岳〜行仙宿山小屋


行動時間:05時30分〜18時20分 約12時間50分

  
   カシミールソフトを使用したGPSトラックログ図  深仙小屋〜行仙小屋


同宿の金光さんにつられて04時過ぎに起きる。昨夜小屋に遅く着いたので西行が見た月を眺めるゆとりも無く、金光さんに迷惑
がかからない様に静かにしていた。昨日のお礼を述べてゆっくりと準備をする。小屋の外に出ると山際が朱く染まっている。釈迦
ヶ岳の山頂近くてビバークしなかった事を少し後悔していたが、小屋の前から眺める朝焼けも中々の物だった。



 昨日の釈迦ヶ岳で山に沈んだ太陽が、深仙宿で顔を出す

04時50分太陽が出ると天体ショーも終わり深仙宿のお堂「灌頂堂」を覗く。
「灌頂(かんじょう)」とは直訳的には水を頭の頂に注ぐという意味。元来インドで王の即位の時海の水を注ぐ儀式が行われてい
たらしい。それが仏教に取入れられ,密教では香水(こうずい)を位を授ける時に棒の先に付けて頭に軽く当てたらしい。徳島県
で弘法大師ゆかりの「灌頂の滝」という立派な滝へ行った事を思い出した。


奥の岩場から「香精水」と言われる水場があると言うので見に行く。岩の間に差し込まれたホースから僅かの水が染み出していた。
私は前日「鳥の水」で、金光さんは釈迦ヶ岳から少し西に外れた「かくし水」でそれぞれ補水していたのでここの水量が僅かでも
余裕で見ていた。
修験者にとって僅かな水でもとても貴重で有り難い存在であり、それは縦走登山者にとっても同じである。

  
  深仙宿に立つ灌頂堂                香精水が染み出す岩場へ向かう

  
 岩に差し込まれた管から流れ出る香水          深仙宿へ帰る


今日も金光さんとは時間差を作って先に見送り、私は05時30分深仙小屋に一礼してなだらかな尾根道に向かって出発した。空
が晴れ渡って緑の森を歩くのが気持ちいい。ところどころにシロヤシオの花と岩が出現する。特に満開に近いシロヤシオはまるで
桜の様に美しい。


  
シロヤシオと岩が太陽に照らされる尾根へ向かう           釈迦ヶ岳から引き続きここは岩が多い

出発して15分程で大日岳と思われる白い絶壁が左手に見える。出発前に金光さんから「直ぐに大日岳という岩山がありますから
寄り道してはどうですか?」と聞いていた。コル部に大日岳行場の注意書きが立っている。
「通行禁止 @鎖は設置されて以来メンテナンスされていません A岩がもろくなっています。以上により鎖場の通過をお勧めし
ません。巻道をお勧めします。それでも行きたい人はすべて自己責任にてお願いします。」 う〜〜ん びみょ〜な表現だ事。


取り敢えず標識の常識に従って巻き道を進んで05時55分大日岳の山頂に至る。そこからは昨夜ライトを照らして下山した釈迦ヶ
岳からの下り斜面が見える。四天岩という岩峰も今日は見る事が出来た。
一旦トラバース道で下山するがやっぱり先ほどの看板の表現が気になる。本当に生命の危険がある場合はあの様な曖昧な表現はし
ない筈だ。


   
 おっ? これが大日岳?                           うひょ〜〜  これって崩れかけの岩場じゃん !

  
 奥駈道から大日岳(行場)が別れる                   ビミョウな表現の岩場通禁止の注意書き

  
 先ずはトラバース道で上がる                      山頂から昨夜下山した釈迦ヶ岳を眺める 四天岩も見える


   05時55分 大日岳の山頂に着く

大日岳の岩行場

意を決して自己責任でこの岩場を上ってみる。岩はフリクションがあり鎖を使わなくても這い上がれた。こんな岩場は北アルプスに
行けばザラに存在するのだが、普段そんな場所を歩いていない修験者にとっては難所には違いない。どちらかと言えば下部のトラロ
ープの辺りに少し注意が必要だった。


   
確かにカニの甲羅の様な岩盤がへばりついている           大きな1枚岩に掛けられた鎖

  
 岩場は下部のロープ場の方がヤバそうだった            岩場の取付きを下から眺める


南奥駈道に入る

岩尾根を抜け06時35分「南奥駈道」の標識が立っている「太古の辻」に着く。33番靡(なびき)の二つ石(背比べ石)が
立っている。前半の目まぐるしくハラハラドキドキの北部側奥駈道から今度は目玉商品の少ないマイナーで静かなる南部の奥駈道
を歩くのだ。
「南奥駈道」と言う名称は近世以来奥駈道を歩く人がここから南は道が荒れているので左手(東側)の前鬼宿坊へ下って奥駈歩き
を終了していた。そこで修験者「林実利(じつかが)」をはじめ前田勇の奥駈葉衣会や玉岡憲明氏の率いる新宮山彦ぐるーぷ」に
よりこれ以南の奥駈道を整備した人たちが愛着を持って「南奥駈道」と呼んで、ここから先・熊野大社まで歩いてこそ真の「奥駈
道」ですよとのアピールを込めて名付けられたと聞く。

ここのい大きな標識があり目指す玉置山(29km16時間)、本宮・備崎45km24h)とある。う〜〜ん まだ先は長い!

振り返ると先ほど通過した大日岳が結構厳しそうな岩場を抱えてすっくりと立っている。釈迦ヶ岳は丁度大日岳と重なって全容は
見られない。



    06時35分 太古の辻を通過   左手(東側)に前鬼への道を別ける  ここからが便宜上「南奥駈道」とされる

  
  前鬼への分岐標識  「二つ石」(背比べ石)とある        持経宿まで5時間、平治小屋まで6時間、行仙小屋へは??

  
  南奥駈道のなだらかな尾根を進む                   大日岳を振り返る  丁度釈迦ヶ岳は重なって良く見えない

「蘇莫(そばくさ)岳」1,560m

デカい天狗のサイコロ岩を過ぎて峠部を乗り越すと06時50分そこに「蘇獏岳」の標識があったのでザックを下して道の無い尾根
を進もうとしたが、よく見るとその何でもない峠部が「蘇莫(そばくさ)岳」だった様だ。
蘇獏岳? 地図で確認すると「蘇莫岳」(読みは「そばくさだけ」)と記されている。役行者(又は聖徳太子)が笛を吹きながら
(大峯を)歩いているとその曲に感じて仙人(山神)がから舞ったという伝説があり、猿の面を付けたその雅楽の演舞者を「蘇莫者」
(そまくしゃ)或いは(そまくさ)と呼ばれている。そんな伝説の岩舞台が近くにある事から名付けらられており、読みも「そばく
さだけ」と言うらしい。
その何の変哲もないその峠を乗り越えて直ぐに「仙人舞台石」という標石があり近くに斜めに傾いた平らな岩とサイコロを積み上げ
た様な岩がある。それが蘇莫者→蘇莫岳のネーミングの由来みたいだ。

  
蘇獏岳の標識がある  恐らく蘇莫岳の間違いか?   蘇莫岳を過ぎると直ぐに仙人石舞台石の標識があった


明るい尾根の前方にピークが続いている。縦走路から外れて石楠花(しゃくなげ)岳への標識があったので左手のピークに向かい
07時10分山頂へ着く。所がこの山は穏やかな場所でシャクナゲなどの樹が全く無い。不思議な気持ちで尾根を下りて10分程で
縦走路のコルに復帰する。


  
  前方にピークが並ぶ                          07時10分奥駈道を外れて石楠花岳へ寄る


天狗山  三等三角点「天狗岳」 1,537.16m

次のピークに向かうと直ぐに夥しい程の石楠花(シャクナゲ)が出現する。さっきの石楠花岳は?こちらの峰がシャクナゲ岳じゃん
かいさ。この群生地を抜けると穏やかな短い笹が生えた尾根道になり振り返ると釈迦ヶ岳が見え、方角を変えると紀伊半島の山々が
広がる。
07時57分右手に奥守岳へ下る標識があり、その穏やかなピークの奥に新宮山彦ぐるーぷの「天狗山」山頂標識が立って
いた。小高い奥の細長い広場に三角点があり、そこから先ほど見た釈迦ヶ岳と歩いて来た大日岳などが見渡せる事が出来た。


  
石楠花岳の次の尾根に進むとシャクナゲが出てくる          前方にはデコボコとピークが続く


   後ろを振り返ると釈迦ヶ岳〜孔雀岳、その手前に尖った大日岳(岩場は向こう側)、右手前が蘇莫岳だろう

  
  標識があり右手が奥守岳となっている                先の木に天狗山の標識が掛かっていた


    07時57分 天狗山の三角点を踏む  このピークは北側の見晴らしがよい


天狗山から分岐に帰り坂を下ると、なだらかな尾根道を進むと足元が草地となりバイケイソウが生えている。立木はカエデなどの広
葉樹が主体で明るく快適な尾根道である。
08時25分コーナーに第27靡「奥森山」の標識が立って修験者のお札が置かれている。
この修験者が置くお札は「碑伝」(ひでん)と呼ばれる物だ。
ここから少し下りになり進行方向に先ほどから台形の山が遠くに見えるがこれが玉置山だろうか?


  
  穏やかな尾根にはバイケイソウや笹が生えている         08時25分 奥守山 、標識がなければフツーの尾根だ


  前方奥に先ほどから台形の小高いピークが見える ひょっとして玉置山だろうか

  

山ツツジが緑の中に放つ鮮やかなオレンジ色を眺めながら前方に見える小さめの山(地蔵岳)を目指すと、コルに下り08時48分
嫁越峠」の標識を見る。その昔、大峯奥駈道全体が女人禁制であった頃、奥駈道を挟んで両側の村にそれぞれ嫁いで行くお嫁さん
はここを通る事が許されたお嫁サンバ道だった。右手(西側)に十津川村・花瀬への道があり悪路と記されている。西も東も山また
山の場所で西の十津川村と東の下北山村の間で嫁ぐ女性が男衆と一緒にこんな場所をどんな格好で越えて行ったのかい?


  
 前方に地蔵岳のピークを見ながらコルに下る              08時48分 嫁越峠を通過

09時12分平らな尾根に出て広い草地になっている。ここに「天狗の稽古場」と記された標識が立っている。一体天狗様はこんな
平和な所で何の稽古をしたと言うのだろう。


ブナ厘を過ぎると09時22分小さなコーナーピークに修験者の札が置かれた石積みの横に図根点の標石がある。ここに置かれた大
峯奥駈道の石標には「地蔵岳」と記されていた。昭文社の地図には別名「子守岳」と記されているのでここが第26靡だろう。


ここからなだらかな斜面を下りると草地が剥げてシカの生息する雰囲気がプンプンする。前から杖をついた登山者が近づくが、荷物が
比較的少ないので行仙宿から釈迦ヶ岳へ向かっているのだろう。


  
 天狗の稽古場ってもっと厳しい場所じゃないとねえ         09時12分 天狗の稽古場を通過

  
 第26靡地蔵岳(子守岳) 図根点があるピーク               少し下の斜面に地蔵岳の標識がある

  
   ずっと向こうに台形のピークが気になる              前方から登山者が現れた  この山域で人に会う事は稀だ


「般若岳」 1,328m 

カマツカと思しき白い花を付けた木々が頭の上にあり又ブナも結構尾根に並んで快適な景色だ。09時56分「般若(はんにゃ)岳
の標石があり標高が1,328mとあるので標高が相当下がって来た。大峯第25行所の立て札もあり大岩が行場の雰囲気を盛り上げ
ている。この標識がトラバース道にあったので上側のピークまで登ってみるが何ともない山頂部だった。標識に帰って奥駈道を進むと
その山を回った場所が大岩の崖であった。尾根道に復帰して歩いているとこの辺りにはホオノキが沢山あり、地面に葉っぱの影が映っ
ている。


  
 09時56分 般若岳の標石がある                   10時00分 山頂へ上がるが第25靡行場の雰囲気が無い

  
 山を回り込むと南側が修験者の好む崖だった            この辺りにはブナやホオノキが沢山ある

10時30分「滝川の辻」を通過、ここから右手(西側)の十津川村・滝川への古い道があるらしいが地図にはその破線も記されて
いない。
やがて尾根は背の高い木々に覆われた森となり、前方に涅槃岳のピークが見える。11時00分「乾光門(拝み返しの宿跡)
」と書かれた標識がブナの木に立てかけられており足元に修験者の納めた札が置かれている。この辺りはヒクタワと呼ばれて尾根の
鞍部になっている。

  
10時30分 滝川の辻を通過             更に11時00分 乾光門(拝み返しの宿跡)を通る


涅槃岳(ねはんだけ)  三等三角点「赤井谷」 1,376.21m


足元には珍しく黄色いタンポポの様な花が咲いており心が和む。平らな尾根道から少し上がると11時35分「涅槃(ねはん)岳」
と言うピークに着く。何だか六甲山の縦走路みたいに取るに足らない様なピークではあるが第24靡「涅槃岳」と言う名前が付くと
何となく有難みがありそうだ。



前方に見えたピークに向かって少し斜面を上ると11時35分「涅槃岳」に着いた

証誠無漏岳(しょうじょうむろうだけ)1,301m

涅槃岳を山を過ぎると大峯奥駈道で初めて見る細い樹木帯となり不思議な景色が暫く続くが、やがて広々とした尾根道に変わる。
12時12分尾根のターニングポイントに「太古の辻」と「持経の宿」の大きな振り分け標識があり、その支柱には証誠無漏岳
(新宮山彦ぐるーぷ)の標識がある。
真っすぐ南西に進むと八人山を経由して十津川村方面へ進んでしまう。ここには進路を間違わ
ない様にちゃんと「持経の宿」方面への標識が置かれている。


「証誠」(しょうじょう)とは阿弥陀如来があらゆる人々の極楽往生を「誠」(まこと)に「証」(あか)す存在である事を言うら
しいので、証誠無漏とは人々を漏れることなく極楽往生を保証するって様な意味なんだろうか? 何にしても標高や山容からして大
それた名前を付けられたものだ。

今回地図は国土地理院地図をカシミールソフトを使って東経北緯線を付けA4に印刷した道迷い緊急用と昭文社・山と高原地図50
「大峯山脈」をカラーコピーした物を持って来た。道がはっきりしているので国土地理院の地図はザックから出す事もなく山岳地図
で事足りている。 この昭文社の地図が丁度「証誠無漏岳」で切れるので裏側の地図に変更しなければならない。そんな意味でもこ
こ「証誠無漏岳」はターニングポイントとなる位置なの
だ。


さて、この証誠無漏岳のコーナーを曲がって下る縦走路になると道の両側に荒れた(葉っぱの無い)スズタケが並ぶ。丁度、シカの
増えた愛媛・高知の県境尾根と同じ景色になっている。、ガマズミの白い花がこの殺風景な風景の救いになっている。ホオノキの影
も地面を楽しく飾る。


  
 珍しく細い幹の樹林帯となる                       次のピークに向かってブナの尾根を上る


   12時12分 尾根のターニングポイントになるピーク「証誠無漏岳」に到着 ここで地図を南側部分に変える

  
新宮山彦ぐるーぷの山頂標識と分岐標識がある           証誠無漏岳から左へ下ると枯れたスズタケが並ぶ

  
荒れ気味の尾根にもガマズミらしき花が咲く               頭上には沢山のホオノキがある様だ

阿須迦利岳 1,251m

地図が吉野〜証誠無漏岳のページが終わり、今度は証誠無漏岳〜熊野大社に変えると気分が一新して地図にゴールが載っている。こ
こまで靴の調子が悪く足が痛くて辛い思いをしてきたが少し元気が出る。

いきなり前方が細尾根になり鎖場が急な傾斜に掛けられている。ここは「トサカ尾」と呼ばれているらしい。そこを下るとシャクナ
ゲの岩尾根となる。
木の根とスズタケの道を前方に見えるピークに向かって進むと、そこに「阿須迦利(あすかり)岳」の標識が立
っていた。そこから薄暗い枯れたスズタケが両側に並ぶ針葉樹とブナの尾根を下る。


      
確かにコケッコーのトサカの様な形かな                     崖の鎖場を下る


13時05分 阿須迦利岳にとうちゃこ〜  森は緑に覆われているが道端の笹は葉っぱが無く枯れている

「持経ノ宿」 水場あり 新宮山彦ぐるーぷ管理


阿須迦利岳から20分程下ると坂の下に建物の屋根が見える。すると金光さんの熊鈴の音が聞こえて持経宿を出発している様だ。後
で聞くとここの水場が車道を左に400m下った場所にあり補水に便利なので水を給水してたとの事。(山道の400mは遠いが車
道の400mは歩きやすいので結構時間がかからない)


折角の大峯奥駈道をお互い一人でしみじみ歩きたいのでここで時間差休憩を取る。持経宿」は役行者が彼の得意とする孔雀王呪経を
ここに埋めたとされる場所である。小屋の中は暖炉などもあり広くて快適そうでおまけに階下にはトイレもありここは絶好の宿泊場だ。
(管理協力金2千円が必要)
水はまだ残っているので今日の目的地、行仙宿山小屋で給水する事にした。隣に持経宿不動堂があり少し
中を覗く。


  
薄暗い尾根を下る                               13時28分 コル部に建つ小屋に着く

  
 持経ノ宿の小屋は大変綺麗に整理されている     隣に立つ持経宿不動堂を覗いてみる


 持経宿 周辺案内図  水場の場所や道路の説明が書かれている 金光さんはここの水場で給水した様だ

13時40分小屋を出発し、未舗装林道(白谷池郷林道)を少し進んで三叉路を右手に入ると直ぐに標識があり山道(奥駈道)に入
る。右手が開けて十津川村の山々が見える。


鹿の食害による枯れたスズタケの道となり尾根筋に「持経千年檜」の巨木が立っていた。その横にはシカの防護金網で囲われた「荘
川桜」の苗木が植わっている。何でも岐阜県の荘川村がダムの底に沈むのでそこに有ったアズマヒガンの2世桜らしい。


先ほどの三叉路から左に伸びた林道を見ながら次第に高度を上げてブナ、ミズナラ、モミの樹や根っ子の尾根道となるが、両側は鹿
の食害に遭ったスズタケが並ぶ。ここには幹回り5m40cmのミズナラの巨木が特に目を引いた。
やがて岩ぽい尾根になり猿の仕
業かホオノキの花が枝ごと折られて沢山落ちている。


14時28分「両又分岐」標識が尾根のカーブに立っている。ここは東へ中又尾根が延びておりこの分岐になっているが、奥駈道の
こうした注意が必要な分岐にはちゃんと標識が施されている。


   
林道部から持経宿を振り返る 右の林道を進むと水場がある  林道を真っすぐに進む

   
  先で三叉路となり右側へ進む                      直ぐ左手に奥駈道の山道に入る

  
右手に十津川村方面の山々が開ける                  森の巨人たち100選 「持経千年檜」

  
  荘川桜が金網に囲まれていた                            ホオノキの残り花

  
この辺りにはミズナラの巨木が多い                    胴回り5m40cmのミズナラ

  
 ホオノキの枝が折られて無数に登山道に落ちている サルの仕業か?  14時28分 両又分岐 (中又尾根分岐)


平治の宿  新宮山彦ぐるーぷ管理

両又分岐を過ぎると見苦しい枯れたスズタケは消えてミネシャラ等も現れ足元が気持ち良くすっきりしてくる。すると14時45分
左手にこじんまりとした「平治の宿」があった。


ここも小屋の中は整然と片付けられており新宮山彦ぐるーぷの方達によって管理されているらしく小屋使用料として2千円以上の提
供を求める張り紙があった。携帯電話の充電器なども(百円)あり小屋横にはストーブ用の薪が積まれている。
小屋の中にはポリタ
ンクに水が入っており採取年月日が記されていたが、緊急時以外はこんな水を沸かしてでも使う気がしない。


地図には白谷側(右手)に7分下った場所に水場があると記されていたが、水場の標識が見当たらなかったので通過する。位置的に
は持経ノ宿と行仙小屋の間にあり中途半端な場所にあるが、やはり水場の存在が昔から重要な場所を占めていたのだろう。


   
  ヒメシャラなどの立つ自然林となる                    14時45分 左手にこじんまりとした小屋がある

   
小屋の中は綺麗に整理されている 中に水が入ったポリタンクが置いてあった  それからもブナやヒメシャラの森が続く


転法輪岳(てんぽうりんだけ) 二等三角点「池峰」1,281.52m

細いブナやヒメシャラ、ヒノキなどが生えた尾根をなだらかに上ると15時18分「転法輪岳」の三角点と標識に出合う。三角点名
は「池峰」となっており、東側の下北山村・池峰地区から取られている。三角点の横には修験者による札が沢山置かれているが、こ
こは大峯75靡には入っていない。尾根はここから次のピーク倶利伽羅岳まで少し南西に方向を変える。


  
  ヒノキ、ブナ、ヒメシャラなどの尾根が続く                15時18分 転法輪岳の三角点を踏む


   何でもない尾根に立つ「転法輪岳」の標識と三角点 (点名は池峰)


倶利伽羅岳(くりからだけ) 1,252m

ヒメシャラの大木を過ぎると岩っぽい尾根になりそれを超えると左側が植林、右が自然林の比較的穏やかな道になる。すると又ブナ
やヒメシャラが立つ険阻な岩尾根に変わる。
16時00分いかにも汚い岩クレだらけのピークに倶利伽羅岳の標識が有り修験者のお
札がに置かれている。


ここから尾根は又南側に方向を変えるが、少し尾根をトラバースする箇所には間違いなく標識が設置されており進んではいけない場
所にはロープが張られたりして迷う事は無い。例の嫌なスズタケ残骸道を下ると自然林となり心が和む。細尾根になると左手に植林
が現れ右手の自然林にはしつこく枯れたスズタケが残る。


17時17分大峯75靡の第20行場「怒田の宿跡」を通過する。行仙岳までは後10分の標識がありホッとすると前方に金光さ
んの姿が見えて次の宿まで一緒に歩く。


  
初めて見たデカいヒメシャラの樹                      左が植林、右が自然林

   
15時45分 岩尾根となる                          やはり岩場になるとルート取りに気を遣う


  16時00分 荒れた岩クレのピークに「倶利伽羅岳」の山頂があった

  
進んではいけない尾根筋にはロープが張られて通せんぼ      デカい老天然杉は独特の深い襞がある

  
行仙岳らしきピークが前方に見える                   17時17分 怒田(ぬた)の宿跡を通過


「行仙岳」(ぎょうせんだけ)  三等三角点「大峰山」 1,227.29m

自然林の急登には木で土留めをし階段状になって、それを喘ぐと17時36分山頂部に着きそこに大きな電波塔が立っている。
ミズナラと思われる古木の根元に19番靡(なびき)の行者札が置かれて幹に「行仙岳」の表札がかかっている。金光さんの
到着を待って写真を撮り合い一緒に釈迦ヶ岳を見やる。

一期一会(いちごいちえ)の縁だが役行者のお引き合わせで出会った大峯奥駈道の同志は感慨深く長く続く来し尾根を眺める。

大峰奥駈道もここまで南に下がると熊野が近いので三角点名に「大峯山」と名付けられているのが嬉しい。

  
行仙岳の斜面には土止めの木で階段状に整備されている      行仙岳にはNTTの大きなアンテナが立っている


  17時35分 第19靡「行仙岳」 に到着  三等三角点「大峰山」が奥に埋設されている 


   金光さんと釈迦ヶ岳(中央奥の尖がりピーク)とそこから歩いて来た尾根を一緒に眺める時間と思いを共有する

電波が届くこの場所で連絡を取る金光さんを山頂に残して先に出発する。この山頂から行仙宿への標識が見当たらないので多少不安
だが鉄の手摺に沿って下るとその下側に石標があり尾根を下る。ヒメシャラや細いブナが並ぶ尾根を下っていると金光さんが後ろか
ら来たので本日のゴールまで一緒に歩く。


  
鉄パイプの手摺に沿って南側へ下る                   歩きやすい尾根道を下る


「行仙宿山小屋」 新宮山彦ぐるーぷ管理 小屋宿泊使用料2千円

斜面を下ると18時20分大きな建物が続く「行仙小屋」に着いた。入り口がどこかわからない程広い建物で南の端にある入り口
から小屋に入る。入り口には土間があり両側もストーブの奥も広い部屋が広がる。新宮山彦ぐるーぷが修験者の集団が泊まれる様
に大きな施設を作ったらしい。北側の勝手口を出た所にトイレもあり快適な無人山小屋として機能している。

今まで見て来た小屋にはほとんどストーブが設備されていたが、恐らくこれは修験者が雨に遭って体を温めたり衣服を乾かす目的
で作られたのだろう。

「て言うかぁ 私〜ぃ 基本〜 」女史がいた


立派で広い小屋の奥にちゃぶ台(?)で食事をしている神戸の女性がいた。「何故一人でここにおられるんですか?」「て言うかぁ
私〜ぃ 基本〜一人で奥駈道を全部歩いているんでぇ 今回で最後の部分になります」
「ほ〜 そうですか で・・他の山も歩かれ
てるんですか?」
「て言うかぁ 私〜ぃ 基本〜 日本百名山を目指しているんで・・・」

このやりとりが面白くて「それじゃ あなたの応用って何ですか?」って突っ込みを入れたくなった。

そろそろ水場に水汲みに行かなけらばならない・・・と水場の話をするとくだんの女性からこの小屋に常備されていた最後の一本
(1.5リッター程)を使って下さいと提供して頂いた。感謝〜〜  自分は深仙小屋の水場で補給出来るからって言ってくれた。
いや〜 この基本女史も基本的に良い方だった。 おかげでゆっくり夕食を食べる事が出来た。


  

この小屋にもソーラー電気設備があり電灯を点け日本百名山や山の話を3人でしばらくの団欒だ。例によって金光さんが早寝をす
るので電気を消してヘッドランプで今日一日の整理をする。 
この小屋は奥が一段演台のように高くなっておりくだんの女性はそ
の上段でお休みになっている。 
一人旅でもこんな出会いがあるものだと感慨深い気持ちになりながら眠りにつく。 



大峯奥駈道  プロローグ (まとめ)                                  は               ここ  

第1日目 (5月31日) 吉野〜高城山〜青根ヶ峰〜四寸岩山〜二蔵宿小屋     は                ここ   
 
第2日目 (6月1日) 二蔵宿小屋〜大天井ヶ岳〜五番関(女人結界門)〜山上ヶ岳(大峯山寺)
    〜大普賢岳〜七曜岳〜行者還岳〜行者還避難小屋
            は                  ここ   

第3日目 (6月2日) 行者還避難小屋〜弁天の森〜弥山〜八経ヶ岳〜明星ヶ岳〜五鈷峰〜仏生ヶ岳
    〜(補水)孔雀岳〜釈迦ヶ岳〜深仙小屋
                  は                  ここ  

第5日目  (6月4日) 行仙宿山小屋〜傘捨山〜地蔵岳〜香精山〜玉置山(給水)〜駐車場食堂
    〜玉置辻(テント場)
                                は                 ここ  

第6日目 (6月5日) 玉置辻〜大森山〜五大尊岳〜大黒天神岳〜吹越山〜七越峰〜備ア橋〜熊野大社 は ここ  





             目次に戻る           トップページに戻る