究極の修験の道「大峯奥駈道(おくがけみち)」を歩く
平成28年5月31日~6月5日
第5日目(6月4日) 曇り~雨
行仙宿山小屋~笠捨山~地蔵岳~香精山~玉置山~駐車場食堂~玉置辻(テント場)
行動時間:05時00分~18時10分 約13時間10分(玉置神社付近にて1時間30分停滞を含む)
カシミールソフトを利用したGPSトラックログ図 行仙宿山小屋~玉置辻
例によって金光さんが04時に起床して朝ご飯を作っている。それにつられて私も起きて準備にかかるが、奥の段に寝ている神戸
の女性は微動だにしない。彼女も豪傑に違いない。あまり小屋の中でゴゾゴゾしたく無かったので今日は金光さんより少し早めに
外に出る。
05時少し前に小屋を出発すると「佐田の辻」の標識が立っている。この場所は東の下北山村・佐田地区へ道を分ける。奥駈道は
真っすぐ尾根筋を南の笠捨山へと向かう。
薄暗い行仙宿山小屋を出る 「佐田ノ辻」の標識が立っている (暗いのでボケまくり)
直ぐに鉄塔があり尾根は右から左へと回り込んで続くが前方のピークにはガスがかかっている。どうもここに来て天気は下り坂と
なった様だ。陽が昇る東側の天気は青空で気持ちが良い日の出を迎える。05時13分デカい杉の老木に祠があり修験者の札が置
かれて石碑には「大峰八大金剛童子」と刻まれている。この辺りは笠捨越と呼ばれるなだらかで広い尾根が続く。
大きな鉄塔が尾根に立っている 東の空に太陽が出る
05時13分 大峰八大金剛童子の祠を通過 なだらかで広い尾根が続く
笠捨山(仙ヶ岳) 二等三角点「笠捨山」1,352.68m
ブナややヒメシャラが生えるなだらかな広い尾根を上っていく。前方のピーク、笠捨山付近は先ほどよりも濃いガスに包まれてい
る。笠捨山・東峰から南西に伸びる茶臼山への尾根が見える。
一旦岩っぽい尾根を下って自然林を上り返すと笠捨山が右を差す尾根分岐標識に出合い、標識通りに右手に進むと06時45分少
し広い「笠捨山」の三角点に着いた。地図には東峰と西峰が記されているがよく分からないが後から調べるとここが西峰であった。
(反射板のある東峰は先ほどの分岐を左に進まなければならなかったが、その標識は見なかった) ここには笠捨山の山頂標識が3
つ程立てられているがどれも西峰である表示は無い。)
笠捨山の山名は近世に付けられたらしく、十津川村の言い伝えとして西行法師が余りの寂しさ(或いは登りの苦しさ)に笠を捨て
たとか言った話がある。江戸時代後半に編纂された「大和名所図会(え)」にはここが「千種岳」(ちぐさだけ)又の名を「仙ヶ岳」
とされ、はたまた「笠捨山」とも名づくと記されており、笠捨山の由来については「姥捨山に連れるをもって名とするとなり」と
述べられており西行法師の件は出てこない。
三角点のすぐ横にある天然杉に第18靡の修験者札(碑伝)が置かれている。コンクリートで固められた私設の祠があるが一体何
を書いているのか意味が良く分からない。
ヒメシャラとブナ林 笠捨山はガスで見えない
06時15分 尾根は一旦少し下る 笠捨山・東峰から南西に伸びる茶臼山への尾根
広い尾根を上って行く 尾根部に上がると笠捨山が右だと示す標識が立っていた
06時45分 笠捨て山の三角点山頂(西峰)に着く (三角点名も同じ) 奥に第18靡の碑伝が置かれている
笠捨山の三角点近くに置かれた修験者の碑伝(札) 玉置神社方面へと尾根を下る
奥駈道はこの笠捨山から方角を一旦西北西に向きを変える。石楠花が点在する植林っぽい杉林の尾根を下ると07時22分行場の
札が置かれており「葛川辻」(くずかわつじ)の標識が立っている。熊野川の支流葛川に沿って奥駈道の東側に葛川地区への道が
地図に記されている。ここには水場の標識があり右手の笠捨谷側に15分下った場所に水が補給出来るらしい。
葛川辻の石標と水場への分け道 沢山標識板があるが、ここは地蔵岳へ進めばいいのよね
槍ヶ岳と地蔵岳の岩尾根
葛川辻を過ぎると植林の尾根は又シャクナゲなどが茂る細尾根のトラバースになる。07時42分突然尾根が開けて鉄塔が現れた。鉄塔には「熊野幹線」と書かれているが電力会社の名前が見当たらない。この地域は関西電力だろう。
前方にやけに尖がっているピークがある。地図を見ると槍ヶ岳とある。う~~ん さもありなん。
荒れた尾根筋に進むと鎖場が現れる。ちょっとルートが不明で右手に迂回しようとするが、道は正面突破で尾根を乗り越えて又鎖を使ってコルへ下る。それからも暫く荒れた細尾根に鎖が付けられている道が続く。
08時15分シャクナゲとヒノキ尾根に金色メッキのお地蔵さんが座っており、横に「地蔵森」(「地蔵岳」)1,250mの標識がある。この尾根筋は標高の割に険しい岩の細尾根でシャクナゲや鎖場が又現れて崖の様な傾斜を下る。但し木の根っ子や岩の角など摑まる場所があるので気を付ければそんなに危険な事もない。
07時42分又鉄塔が現れる 鉄塔の左奥に尖ったピークが見える これが槍ヶ岳だろう
鎖やザイルが置かれた岩場が始まる 鎖場が続く
08時15分 地蔵岳に着く 金ピカの地蔵さんが安っぽいイメージだなあ
不動明王の石像を通過し15分ほど進むと08時52分「四阿之宿」(しあのしゅく)という標識を通過する。四阿とは漢語で
四方に萱や瓦が葺かれた建物の事で日本語では「あずまや」と読まれる事が多い。指標にもローマ字で [AZUMA NO SHUKU]と記さ
れていた。昔ここに東屋があったのだろう。
その10分後に「拝返し」という標識があり、熊野方面から順峯(じゅんぶ)で来た修験者が熊野方面をここで振り返り気合を
込めて拝んだ場所であるが今は杉林に覆われて何も見えない。ただこの辺りから尾根は再び南へと方向を変えるターニングポイ
ントである。09時15分ヒノキ林の細尾根に「檜之宿跡」があり植林帯を抜けて自然林になる。
ガスが尾根を覆って天気が崩れる予兆がある 崖部には鎖が置かれている
こんな岩場を下りたのね 08時30分 尾根に立つ道しるべ 左:玉置山
08時36分 不動明王の石像を見る 08時52分 第16靡「四阿之宿」(しあのしゅく、あずまやのしゅく)
第14靡「拝返し」の石標 09時15分 檜之宿跡を通過
香精山 三等三角点「三本杉」 1,121.89m
09時30分辺りが開けて又鉄塔に出る。この関西電力熊野線はこの辺りの尾根がクランク状に曲がっている為、行仙宿山小屋付近~地蔵岳手前~
香精山手前と三か所に鉄塔が尾
鉄塔を超えるとスズタケの細尾根となり09時40分第13靡・行場の札が置かた「香精山」1,121.9mを通過する。こ
こから道の両側には益々枯れたスズタケが出て次第に檜の植林帯となる。10時18分巨大な岩が道の横にある「貝吹之野」
(貝吹金剛)に着くが、ここは修験者が自分の存在を明らかにする為にほら貝を吹き鳴らした場所らしい。尚も植林帯は続く。
植林帯の中に続く道は整備されていて、貝吹之野を過ぎて暫く進むと10時22分「塔ノ谷峠」の標識に金剛童子の石標が立っ
ており色々と忙しい。熊野川の支流北山川→葛川→塔ノ谷が大峰山脈の東側を刻んでいるのだ。
植林の樹には白ペンキで「深瀬山」と書いてある。この辺りは地図上にはキャンプ適地とあるが枝打ちされた植林の中で地形的
にもそうは思えなかった。
その後も一部土留め板で階段状に整備された植林の道が続く。先ほどの深瀬山と同じ様に植林に西山と白ペンキで書かれている。
う~~ん これは山林の持ち主の名前かな? 退屈な植林尾根に赤松が残されている風景は四国の山と良く似ていた。
09時30分 3本目の最終鉄塔に出る 歩いて来た地蔵岳の尾根 右手の笠捨山はガスの中
09時40分 通りすがりの尾根、 第13靡 「香精山」(こうしょうさん)に着く 三角点名は「三本杉」
枯れたスズタケに囲まれた自然林を進む やがて植林地帯になる
10時18分 貝吹之野 (ここで修験者がほら貝を吹く場所) 10時22分 塔ノ谷峠を通過
植林の杉に深瀬山とペンキで書かれている 赤松の生えた細尾根にホッとする
如意宝珠岳 736m (第11番靡)
11時10分植林帯の中に「古屋の辻」と言う四差路交差点を通過。この辺りには西側も東側にも林道が走っており玉置神社の
登山口がある。標識には左:上葛川、右:21世紀の森・森林植物公園とあり、水場標識にも西側に15分程下った林道に「古
屋宿の水」があると記されていた。少し進むと大峯第12靡「古屋宿跡」の行場があり例の修験者札が置かれている。
11時30分「千眺之森」という行場の石標を通過するが展望は植林の為に全くない。さらに10分歩くと自然林が混在する植
林のピークに大峯第11靡「如意宝珠岳」(にょいじゅがだけ)の看板が木に掛けられている。標高は736mの平凡な尾根ピ
ークに立派な名前を付けられたものだ。
12時10分岩がぱっくり割れた大岩が道縁にあり「蜘蛛の口」と言う石標が立っておりここにも札が置かれている。元々ここ
は岩ノ口と言われていたのだが、長年の風化で蜘蛛みたいな形になったのだろうか
11時10分植林尾根のコル部にある「古屋の辻」を通過 11時18分 第12靡「古屋宿跡」の石碑を見る
11時30分 千眺之森の石標 11時40分 標高が736mの如意宝珠岳を通過
12時10分 オコゼが口を空けている様な蜘蛛の口 蜘蛛の口は東側に上葛川集落への道を分ける
靴の選択失敗で苦戦した奥駈道歩き
先ほど蜘蛛の口手前から後ろの方で熊除け鈴の音が聞こえるので金光さんを待って合流した。実は今回の縦走で出発前から大きな
失敗をしている。それは新しい靴を履いて来たと言う事だった。以前愛用していたモンベルのリール式ミドルカット登山靴が古く
なって全く同じ型式の靴を購入していたのだが、その新しい靴をいきなり履いてきたのだった。
しかし同じ型式の靴でも個体差があって2日目から左足の踝上部に靴のどこかが突き刺さり靴擦れを通り越して激痛を感じだした。
患部に靴擦れ用のテープを張ったりハンカチを丸めて挟めたり色々工夫をしたがダメだった。仕方なく昨日からは左足のかかと部
に靴下を2枚折って敷いて歩いていたのだった。
それで痛さは多少軽減したのだが、踵を高くした為今度は足先が詰まって下り坂では指先が痛くてまともに歩けなくなっていた。
玉置神社が近づくと車道と山道の繰り返し 奥駈道の悲しい現実
ひこばえの様な低木を持った植林帯を歩き「稚児之森」と言う行場を通過する。コンクリートの中にお地蔵さんが祀られている。
12時27分突然広い車道に出る。地図で見ると「京ノ谷・大谷林道」と記されており玉置神社まで尾根を並走しているのでこの
先でも何度も出合う事になる。道路縁には立派な大峯奥駈道の看板が立てられて現在位置も記されている。何かシャバに近づいた
気がして大峯奥駈道も終盤に入った様だ。
車道を数分進むと左手の馬酔木並木の山道に入る。すると8分ほどで車道の横に出てそのまま山道へ入る。3分後には又車道の擁
壁部に出てトラバース山道に又入る。左手の崖には植林の斜面、右の山側は自然林となっている。
12時53分「水呑金剛」の行場標石があり、そこからガクウツギやヤマアジサイが咲くこの時期限定の美しいトラバース道を歩
く。
下草ならぬ下木が生えた植林地 12時20分 稚児之森
12時27分右手から車道が延びて来た ここから車道と山道が交錯する 車道に大峰奥駈道の大看板
現在地の地図を見ると玉置神社まで右手に車道が奥駈道と平行に走っている。
アセビの山道に入る 直ぐに車道の横に出る (これを繰り返す事になる)
12時53分 山道で水呑金剛の石標を通過 ヤマアジサイの花がが美しく広がる
花折塚と玉置山展望所
13時20分又車道に出て2分後に又山道と登山記が忙しくて仕方がない。13時45分「花折塚」の標識が立つ林道に出て少し
右手から山道に回り込む。5分程歩いた山中に片岡八郎公墓所(花折塚)がある。横の解説版が壊れて縁起が読めないが、南朝の
大塔宮護良親王の忠臣、片岡八郎の墓所との事。1332年幕府方熊野別当定遍の軍勢と戦い十津川で討死し、後年天皇方の忠臣
として道行く人々が花を折って供えたところから花折塚と言われているらしい。
ここからも又車道~山道を繰り返し14時10分最後に広い車道に出て緩やかな上りを金光さんと雑談しながら歩く。14時25
分玉置山展望所が右手にあるので一応テン場の候補として考えていた。東屋やトイレもあり野宿する場所としては中々の場所では
あるが、玉置神社まではまだ少し距離があり、今回の通過時間としても中途半端な場所だったので見学するに留める。
展望所からは十津川温泉近くの谷間が見えて金光さんはここからタクシーで十津川温泉に行って泊まる事も考えたそうだ。「大峯
奥駈道の途中で温泉泊まりは無いでしょう」と二人で大笑いする。
雨に入ってしまったのかなあ。
13時45分 山道から車道に出ると花折塚への標識があり向かいの山道に入る しばらくすると大きな「花折塚」がある
広い舗装道路を玉置山へと向かう 右手に玉置山展望所が見える 雨が降り出し合羽を着る
14時25分展望所の東屋に上がる 野宿が出来そうだった 十津川温泉方面が見える
暫く車道を歩くとデカい「世界遺産・大峰奥駈道」の石碑があったので二人で写真を撮り合う。
14時35分 大きな世界遺産のモニュメントがある 金光さんと写真を撮り合う 「ここまでやって来たぜ」
玉置山(たまきやま) 一等三角点「玉置山」1,076.8m
14時40分「餓坂」(かつえざか)の石標がありここからいよいよ玉置神社への山道に入る。今までの植林帯と違いやはり神域
はブナやヒメシャラの自然林が残されている。ピーク付近に鉄塔があり旺盛なシャクナゲ林を抜けると15時08分「玉置山」の
山頂に着いた。樹木が生えてよくわからないが地表は枕状溶岩の露頭であるらしい。つまりここは海底火山の噴火で噴出した溶岩が
海水で冷やされ、造山活動による隆起でここまでヨイショと持ち上げられたのだ。その為ここには宝冠の森などの岩行場が存在す
る。
玉置山は別名「沖見嶽」と言われる様に天気が良い日には熊野灘が見えるそうだが今日は無理だった。
玉置神社は熊野本宮の奥宮とされる事から神社まで車道が通じているので観光客も結構多く、今まで地味で人気の無い山中を歩いて
来たので何か華やいだ雰囲気がする。
14時40分 餓坂で最後の山道を玉置山へ向かう ブナとヒメシャラの美しい山域となる
シャクナゲのトンネルを抜ける 15時08分 玉置山山頂へ到着
熊野大社への玄関口 「玉置山」へとうちゃこ~~
玉置神社で給水し、駐車場・売店で食事が出来た
玉置山から山道を神社へ向かって下りて行くと「玉石社」という木枠で囲まれ、黒い岩の周りに白い玉石が敷かれた場所がある。
黒い岩はおそらく溶岩露頭と思われるが、ここが玉置神社のルーツで修験道では一目置かれた聖地であるらしい。
15時26分玉置神社までに下りて石段を上がり絵馬堂を潜ると社務所の横に池があり水が2筋出ている。若い宮司さんに「お水
を頂きたいのですが?」とお願いすると「どうぞ どうぞ」と快良い返事を頂く。雨が本降りになって絵馬堂にある休憩所にザッ
クを置かせて貰い空のペットボトルを集めて給水する。もう今日はこの付近でテント泊と決めているので慌てる事もなく境内を散
策し、金光さんの提案で駐車場の売店に行く事にした。
玉置神社駐車場は進行方向の逆にあり北西の方角に遊歩道を結構歩かなければならない。ザックをデポした金光さんは先に駐車場
へ向かうが私は駐車場付近でテント泊も考えられるので重いザックを背負ったまま観光客の行きかう道を進む。
16時30分駐車場の売店に着き中に入ると金光さんはさっそくうどんとさんま寿司を注文して食べていた。同じ物を注文すると
「丁度後一人分残ってたよ」とラッキー感を助長する。店の主人は気さくな人で大峯奥駈道にも詳しく楽しい会話を提供してくれ
た。店の前に自動販売機があったのでポカリスエットとジュースを補給する。売店は主に土日営業だが自動販売機は常時利用可能
だとの事で熊野大社まで先が長い登山者にとって貴重な水補給の場である。
食事の後、金光さんと駐車場の外れにある山に入ってテン場を探すが適当な場所が見つからなかった。結局大峯奥駈道に引き返し
「玉置辻」という場所にテントを張ることにする。
玉置神社の境内案内図 水場は社務所前にある池横から水道管が2つあり常時水が流れ落ちている 社務所に給水のお願いをしよう
玉置神社への途中に「玉石社」がある 15時25分 玉置神社の石段を上がる 絵馬堂が裏門になって
いる。この奥の右側に池があり、そこに水場がある
社務所を抜けて奥に進むと玉置神社の本殿がある 手洗い水場の水量は僅かだった (ここでは採水しない)
歴史を感じさせる大杉が立ち並ぶ 駐車場への参道にあった山之神に挨拶
16時30分 売店の前にある有料水販売機 普段食べないうどんとさんま寿司だけど おいしかった
売店のおじさんはサービス満点のいいオヤジだった 17時15分 奥駈道に帰る
玉置辻でテント泊
17時13分神社へ帰り奥駈道へ入りフタリシズカの咲く古道を犬吠檜の鳥居を通過し17時43分玉置辻の林道に出る。ここは
結構縦走者がテントを張っている場所らしい。
東側が開けて風が吹いて来るので少し未使用作業道側に入ってテントを張る。所が土の下にアスファルトの層があってペグが刺さ
らず往生する。
夜を迎える。風雨が強くなければ最高なんだけど・・・
今回初めて使うファイントラックのカミナドームは確かにポールを引っ掛けるグロメットの穴が小さくて最後のポールを入れるの
に苦労する。でも一旦設営すれば快適そのものだった。
ヒトリシズカの咲く奥駈道を進む 犬吠檜の鳥居
17時45分 玉置辻に出る 林道脇の空き地にテントを張る
手前はエントツ山のファイントラック「カミナドーム」 奥の金光さんのテントはモンベル「ステラリッジ」だろう
激しい風雨をテントの中で感じながら大峯奥駈道の最後の夜を過ごす。
大峰奥駈道 プロローグ(まとめ) は ここ
第1日目 (5月31日) 吉野~高城山~青根ヶ峰~四寸岩山~二蔵宿小屋 は ここ
第2日目 (6月1日) 二蔵宿小屋~大天井ヶ岳~五番関(女人結界門)~山上ヶ岳(大峯山寺)
~大普賢岳~七曜岳~行者還岳~行者還避難小屋 は ここ
第3日目 (6月2日) 行者還避難小屋~弁天の森~弥山~八経ヶ岳~明星ヶ岳~五鈷峰~仏生ヶ岳
~(補水)孔雀岳~釈迦ヶ岳~深仙小屋 は ここ
第4日目 (6月3日) 深仙小屋~大日岳~太古の辻(南奥駈道)~天狗山~地蔵岳~般若岳~涅槃岳
~証誠無漏岳~阿須迦利岳~倶利伽羅岳~行仙岳~行仙宿山小屋
第6日目 (6月5日) 玉置辻~大森山~五大尊岳~大黒天神岳~吹越山~七越峰~備﨑橋~熊野大社 は ここ