塩飽諸島の藪山歩きシリーズ その3
平成27年3月22日23日 塩飽諸島 さぬき広島(丸亀市)の山歩き
1日目)江の浦港〜三角点「江浦」〜尾上邸〜三角点「大池」〜三角点「桜」〜三角点「三浦石」
2日目)王頭山(三角点「広島」)〜心経山〜青木港
塩飽(しわく)諸島とは
香川県と岡山県に挟まれる瀬戸内海は備讃(びさん)瀬戸と言われ、漁業や海上交通の要所である。坂出と小島を結ぶ瀬戸大橋の橋脚部と
その西側に散らばる28の島々が「塩飽(しわく)諸島」と言われている。語源の一つに潮が湧くから来ていると言われる様にこの辺りは潮流が
強く西流(満ち潮)と東流(引き潮)が5〜6時間毎に入れ替わる複雑な場所で古来「塩飽水軍」がその海上覇権を握ってきた。
塩飽諸島の中心は「本島」でここには戦国時代〜江戸時代において自治権を与えられた島々をまとめる役所=塩飽勤番所が置かれた。近年
は瀬戸大橋からも外れて過疎化が進んでいるが瀬戸内芸術祭の会場として一般にこの島の存在が知られる様になった。
過疎化が進んだ島の山は藪化が進んでいると想定され、ここは冬場でなければ歩けない。今シーズンは塩飽諸島の内、面積的にみて歩きごた
えのある本島、粟島、広島を歩く事にした。
塩飽諸島位置図
「さぬき広島
塩飽諸島の中で最大面積を誇る「広島」は有名な広島県の広島と混同しないように「さぬき広島」と呼ばれる。本島の直ぐ西側
に位置し塩飽諸島の中で標高が一番高い「大頭山」のずんぐり頭が印象的である。
島の地形は大きく2つに分かれており、東側に立石地区から迎木山〜島の北端へ続く縦長い山塊と西側には主峰「大頭山」を
中心とする横広い山塊があり、その間を江の浦から茂浦への括(くび)れにそって道路が延びている。
この様な単純な地形の山歩き計画は三角点を繋いで反時計廻りで歩くルートを設定する。他の本島や粟島に比べて少し標高が高い
分時間がかかるし藪も酷い事を想定してライトと簡易ツェルトをザックに入れる
さぬき広島 ルート図
この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)を使用したものである
カシミールソフトを使ったGPSトラックログ図
平成27年3月22日 丸亀港発のフェリーは始発が06時06分だが江の浦着が06時50分、次の客船は06時50分発で
07時11分着だから当然2便目を選択。
丸亀港旅客船待合所に早めに着いたが切符窓口がいつまで経っても開かない。出発時刻ギリギリになってもまだ開かないのでドア
をノックするとおじさんが出て来て「あちらの船まで急いで行って下さい」と少し離れた乗り場を指さす。「切符は?」と言うと
「船の中で買って下さい」だって。それならそうと張り紙くらいはしといて欲しいと思いながらブツブツ言う暇も無く今にも出港
しようとする高速船に「待ってくれ〜」と手を振りながら乗り込む。波乱を予期する出発だった。
広島の東半分の山 広島の西半分、王頭山を含む山)
先ずは四等三角点「江浦」(120.23m)
07時11分さぬき広島の玄関口「江の浦」に到着。まず立石地区にある旧尾上邸へ行くついでに四等三角点「江浦」を踏んで
裏からおじゃまする事にした。
海岸線に沿って右手に歩き取り付き部を探す。手すりの付いた道が切れ上がっていたのでこれを上がるとNTTドコモの施設保
守路で、ここで道が切れた。ドコモ施設の横から07時23分取り付く。さっそくスズタケ、シダ等の藪の洗礼を受けGPSで
位置確認をしながら丁度1時間かけて08時23分三角点「江浦」(120.23m)を藪の中に発見しホッとする。
フェリー桟橋越しに王頭山が見える 海岸線を歩く戸左へ切れ上がる道があった
直ぐにNTTドコモの施設で道が無くなる 最初は少し歩き易かったが・・・
次第に藪っぽくなり・・・ 定番のスズタケが現れ・・・
次にはシダ藪となり・・・ 三角点への位置と方角をGPSで確認する
08時23分 四等三角点「江浦」発見 すこし三角点柱の周りを掘る
尾上邸
ここから藪尾根から北北東へ延びる小さな尾根を拾って立石地区へと下る。多少藪っぽいが下りなので気が楽だ。竹藪を抜けて
08時47分民家の裏に下り着くと何とここが旧尾上邸だった。 大きな屋敷だが人が住んでいる気配はない。表側に廻り込むと
更に立派な石垣が積まれてまるでお城の様だった。
尾上邸は江戸時代末期に東北・北海道と大阪を結ぶ北前船の廻船業で富を築いた尾上吉五郎と言う人が塩飽大工にオーダーして造
った総ケヤキの豪邸だ。地元で産出される青木石を使用して高さ4.5mの石垣は美しくお城の様だった。尾上家は屋号を橘屋と
名乗り先代の橘屋吉五郎は北前船の寄港地であった青森県野辺地にある青木石で造られた常夜灯の礎石にその名が刻まれている。
尾上吉五郎は当時松吉丸、正重丸、栄宝丸などの千石船を持って銅や大豆を運んでいたと言うからひょっとして別子銅山の荒銅を
大阪の泉屋へ運んでいたのかも知れない。
この位のシダだと問題ないね 藪っぽくなると竹が出て来る
立石地区に近づくと竹林の中を歩く あれ? 立派な農家やなあ・・・
何と 尾上邸の裏にドンぴしゃだった 表に回ると立派な石垣があった
総檜の建物と青木石の石垣 この角度から見るのが一番石垣の立派さが分かる
四等三角点「大池」(207.04m)へ
さて門の前まで上がったが見学が出来そうになかったので次の目的地へと畑を挟んだ東側の山を目指す。のどかなる畑の間を抜け
て小道を進む。どうもその小道は南側の海へと向かっていそうなので引き返し山に向かう踏み跡へ入る。すると09時00分山際
にお墓がありそこから取り付き易かったのだが、地元の人が裏山で何か山仕事をしていたので遠慮する。
私の様にどこでも入り込んで行く山歩きスタイルは地元の地権者とのトラブルは避けなければならない。雑木林を迂回して作業の
音のしない上側へ進むと猛烈なシダ藪となった。ペーコちゃんと行った新居浜の郷山を思い出してゲンナリしたがこんな場所でヘ
タる訳には行かない。
標高を上げると西側に最終目的地「大頭山」が見えた。サルトリイバラやシダに苦労しながら09時50分稜線部の189m岩ピ
ークに到着。靴底に溜ったシダ塵を除けて進むべき尾根の猛烈なシダ藪をみて再びゲンナリする。
意を決してまた藪へ突入して進むと尾根がくびれを経て左へ湾曲しているのが分かる。10時34分次のピークに向かう。単調な
藪尾根に岩が時々アクセントを与えてくれる。10時57分シダが幾分薄くなった前方に四等三角点「大池」が現れた。ここだ
け藪が薄くて三角点が発見し易かった。左手に池の窪地が見えるのであまりそれに近づかない様に尾根を回り込む。
向かいの189mピークへ向かう 取り付きはお墓をやり過ごした外れから
最初はいい感じだった そのうちイバラの藪が現れる
中腹からはシダ藪となる 景色的には美しいのだけれど・・・・
立石地区を見下す 左端が尾上邸だ 正面奥に高見島 右奥に王頭山
ピークになるとシダの背丈が伸びる 09時50分 なんとか岩に這い上がって態勢を整える
意を決してシダ尾根に突撃開始 時々現れる大岩
前方に進むべき尾根が続く 10時35分次のピークに向かう
平均的な尾根の風景 岩があると少し藪が薄くなるので嬉しい
10時57分 四等三角点「大池」に到着
大池辺りは地形が複雑で方向取りに苦労すると予想されたがすんなり回り込む事が出来た。ばらくすると灌木帯っぽくなり
時々スズタケやシダが現れるものの歩き易い尾根が続き楽な気持ちになる。
藪尾根ルート図の確認
この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図12500(地図画像)を使用したものである
三等三角点「桜」
三角点大池を過ぎて比較的歩き易い藪尾根だったが、11時45分頃から藪が俄然濃くなり又進むのに苦労する様になる。12時
00分左下前方に茂浦集落が見えて来る。尚も藪の中を這いずると岩がありそれを越えると背丈の低いシダ藪になり12時35分
三等三角点「桜」に到着した。
さて、この尾根は島の最北端まで続いているのでそこまでお付き合いをする訳にはいかない。左手の斜面も藪は相当濃いが下りだ
から何とかなるやろ。イバラが無い場所を選んで急降下を開始する。すると予想通り相当なシダ藪となり立ち泳ぎをする様に下側
に生えた木に手をかけてグイと体を下方にあずける。こんな場所にも咲いているツツジのオレンジ色が唯一の安らぎとなる。
地形がなだらかになるとスズタケの出現が怖かったが予想に反して藪が薄くなり歩き易くなる。
舗装道路に出る。ここで又スパッツを外し靴を脱いで裏返すと溜ったシダ塵がまるで手品の様にドンドン出て来て自分でも呆れる。
左手に池を匂わせる窪地が見える 笹藪を抜けると灌木の歩き易い尾根になる
12時少し前になると急に尾根が荒れてくる 左下に茂浦地区が見える 奥は手島
何じゃこりゃ もうシダはええけん
振り返ると迎木山が見える 服を破き易いタイプの藪
12時35分 東側の最終目的地 三角点「桜」にとうちゃこ〜〜
適当な場所を選んで左に降下する ツツジのピンクに心が癒される
取り敢えずシダ藪越しに茂浦集落が見えるからこんな方角じゃろて 傾斜が緩くなって藪が少なくなりホッとする
13時22分舗装道路に出る 天王宮の鳥居 中に入っても立派な社は無かった
山ノ神展望台から四等三角点「三浦石」へ
南に向かって峠までトボトボと歩いていると左側に鳥居があり「天王宮」とあるので少し中に入ってみるが社殿と言う様な物は
無く小さな小屋が立っていたので道路に引き返す。
神展望台」という広場に着いた。
山ノ神展望所から茂浦集落が見渡せるが霞が邪魔をしてそれ以上の遠望は得られなかった。
さんが2体程見えるのでここは南の江の浦と北の茂浦とを結ぶ街道の峠で採石でお世話になっている山の神様をお祀りしたのだ
ろう。
今まで島の東側での藪歩きで多少へばって来た感があり、このまま江ノ浦まで歩き大人しく王頭山登山口へ向かおうかと弱気の
虫が楽な方に誘惑する。
四等三角点「三浦石」 246.33m
地図を出して次の尾根へ向かう取り付きだと再確認をした後に14時00分道の無い山斜面に取り付く。しばらく急な傾斜を這
い上がると踏み跡が現れた。ラッキ〜 これを辿るとピーク直下で王頭山・心経山の小さな標識まで枝に張り付けられている。
ひょっとしてこのまま王頭山までこんな快適な道があるのでは?と期待する。
大岩が現れてそれを回り込むと14時25分四等三角点「三浦石」があった。三角点が落ち葉や土に覆われていたので少し掘り
出して記念写真を撮る。
茂浦〜江ノ浦を結ぶ道路を峠へ向かって歩く 13時50分 山ノ神展望台に到着
茂浦地区が見渡される 霞で岡山方面は見えない 右手の山側には山ノ神らしき祠が2つある
急な斜面を上がって尾根沿いを進むと踏み跡があった 何と標識まで設置されている
大きな岩の近くを廻り込む 三角点があった 少し周りを掘る
1時25分 あっけなく 四等三角点「三浦石」
実の無い彷徨 、 届かなかった王頭山 悲惨な大藪に討ち死に寸前!
古今東西、男女関係も含めて人に希望を与えておいてそれが裏切られる事程ショックな事は無い。三浦石から先の尾根へ入るが
道は無い。普通、王頭山への道を付ける場合、この三角点を経由しない筈はないのだが・・・・
少しピークを下がって藪の薄そうな左手へ入ると偶然道に見えるスペースがあったのでこれを進むとプッツリ消えた。ひょっと
したらもっと引き返して尾根の右側のトラバースを確認すべきだったのかも知れない。暫く歩き易い場所を選んで進んでいると
益々稜線から外れてしまった。
効率の悪い藪尾根進撃を諦めて林道を利用する事に方針転換
小さな尾根に乗って王頭山を目指すが藪が濃くて効率が悪い。15時15分前方に王頭山らしきピークが見えて主尾根が相当右
手から回り込んでいる。遠く左後方には江ノ浦が見える。
で懐部から王頭山に這い上がる事にした。
藪にゼイゼイ言いながら15時25分少し荒れ気味の道路に出る。しばらくこの荒れた林道を小さな尾根を廻りこんで歩くが途
中から完全に藪化しておりかろうじて道があったであろう後を辿って藪を進む。
15時35分沢の音がしたので下りて水を補給し、暫く林道跡を進むと16時05分道路が無くなって進退窮まる。暫く上方に
向かって藪を進むが到底ラチがあかない。
尾根の左側を進が踏み跡とは出会えなかった 左手後方に江ノ浦が見える
15時25分林道に下りる 最初はこんな感じだったのだが・・・
これって林道? パートワン これって林道?? パートツー
王頭山の懐を目指す 16時 林道が消えて猛烈な藪に行く手を阻まれる
そこそこ王頭山に近づいたのだが 右手の稜線に登山道がある筈だ
王頭山の登山道を目指すが猛烈な鬼シダに阻まれ、諦める悔しい選択
猛烈な藪に進退窮まり今度は又作戦を変更して江の浦から延びているであろう王頭山の登山道へ這い上がる事に切り替える。
地図には明確な登山道の破線は無いのだが登山道の近くまで来ている事は明らかである。左上へ進もうと何度も小さな沢を
越え尾根を越える。
ところが途中から物凄い鬼シダに阻まれて上にも横にも進めなくなった。30分程鬼シダの斜面と格闘するが余りの効率の悪
さに王頭山を諦め、ムーチョ悔しいが沢筋を下って江ノ浦へ出る事にした。
沢と言っても細い筋なので2mを越える鬼シダに囲まれて足元が見えずどこが沢筋か良く分からず数回沢に足を濡らす。所々
で傾斜を這い上がったり又下りたりして下流を目指すと18時20分道にやっと出た。
にっちもさっちもいかんがな〜 10m進むのに10分もかかる こりゃイカンわ
17時30分 沢筋でまだ鬼シダとの格闘が続く 18時15分 やっと灌木帯まで到達する
18時20分 娑婆への道に出る この道を伝うと民家に出た〜〜4
げげげっ〜 最終便の船を逃して地福寺のお世話になる
していたので「フェリー乗り場への道はこちらで宜しいでしょうか?」と聞くと「え〜 恐らくもうフェリーの便は無いよ、
私は近くの寺の住職だからうちに泊まりなさい」と言われたが丁寧にお断りをしてフェリー乗り場に急ぐ。
途中江戸時代末期に瀬戸内海の測量調査に来たセルビア号の士官レキと言う人が病死してこの島に弔われたお墓があったので
写真を撮りフェリー乗り場に18時45分到着したが人気が無く入口も締っていた。私の記憶違いで最終便は18時30分だ
ったらしい。
家に「最終便を逃したからフェリー乗り場で野宿するわ」と電話すると「何でそんな事になるの? 計画が甘いんだから」と
言われる。確かにそうだけど・・・私にしてもベストを尽くして相当頑張ったんだけどそんな頑張りは世間的には全く評価の
対象外なのだ。
風の当たらない建物の蔭を探してツェルトを出していると車が止まって先程の住職さんが迎えに来たと言う。気遣いは苦手な
のでお断りをしたが「私も一人で住んでいるから遠慮なく来なさい」と言われて固辞するのも失礼なので車に乗り込んで真言宗
の地福寺へ向かう。
外で塵を掃って靴下を脱いでお寺の談話室に入る。ザックは藪の埃だらけなので中には入れない。電気コタツに足を突っ込んで
島の暮らし、人生の事、家族の事と色んな世間話をする。この住職さんは先代の住職業が嫌いでキリスト教系の同志社大学に進
み関西の電電公社でサラリーマンをしていたらしい。
良く在る話で先代が病気になりお寺を放っておけなくなり坂出支店に転勤を願い出て兼業住職をされていたとの事。電電公社の
再編の折、退職して広島のお寺に帰って来たが家族は主に善通寺で暮らしていると言う。数年前から糖尿病を患い私の前でイン
スリンの注射を打つのを見せてくれた。血糖値も指に針を刺して2時間毎に計ってノートに付けている。いや〜糖尿病って悪化
すると大変だなあと思った。
しばらく台所に引っ込んだと思ったら肉うどんを作って頂いた。もう恐縮のしっぱなしだ。
着替えが無いのでと遠慮する。布団も衣服が汚れているので辞退して電気コタツで寝らせて頂く。
に帰り昼から会社に出勤しなければならないので朝は暗い内から王頭山へ出かけることを告げて就寝する。
思わぬ人の情けに触れた夜だった。
英国士官 レキの墓 地福寺で住職さんに肉うどんをご馳走になる 感謝・・・
平成27年3月23日
王頭山(おうとうさん) 二等三角点「広島」311.82m
この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図12500(地図画像)を使用したものである
カシミールソフトを使用したGPSトラックログ図 江ノ浦〜王頭山〜心経山〜青木港
朝起きてお礼の手紙を書いて04時45分地福寺をおいとまする。まだ暗く懐中電灯を頼りに海岸線へ出て登山口を探しながら
大頭山を目指す。05時04分王頭山の登山道標識を見つけてそれに従い進む。登山道は整備されているので懐中電灯の明かり
で問題なく歩ける。05時40分気持ちの良い風を浴びながら白み始めた江の浦集落を眺める
05時52分王頭砂漠と言われる花崗岩が風化して砂場の様になった場所に着く。この辺りに這い上がる予定だったので一番下
側へ出て南斜面を眺めるとやはり相当濃いシダ藪だった。
06時10分二等三角点「広島」=王頭山に到着した。結局フェリーの最終便を逃して島に一泊したお蔭で当初の予定だった
最終目的地「王頭山」に登る事が出来たのだ。昨夜の住職さんからの恩義を身に沁みながら朝の海風を受ける。
04時56分海岸線で王頭山への道しるべを見つける
シダと岩と低木の登山道 江ノ浦の灯を眺める 左奥は本島 その右は鍋島
05時52分 王頭砂漠と言われる花崗岩風化地 昨日ここに這い上がる予定だった北側斜面の藪
登山道へ引き返す 見晴らし台から 讃岐の山が見える 右に飯野山
06時10分 王頭山(おうとうさん)山頂三角点 (二等三角点「広島」) 311.82mに到着 いや〜ここまで色々ありました〜
心経山 213m
王頭山から西側へ心経山を経て青木地区に下るルートは以前グランマー啓子さんがここからフェリーに乗っていたのでこれに
習う。思わぬ島での一泊になり弘法大師が修行されたと言う心経山へ行ける事になった。
王頭山から標識に従って整備された登山道を心経山へ向かう。06時20分心経山分岐標識があり、この尾根ルートは大頭山
の北面と違って灌木帯で歩き易い。もし前日三浦石からガマンして主尾根を伝って来たならこの尾根に出た筈だ。
はいつも後からやってくる。まあこんな山行も一つの良き思い出た。
06時30分今度は南側にある甲路への分岐を通過して登山道は急降下していく。
ると弘法大師を讃える木造や標木が立って、その後ろにある大岩はヒトツバに覆われ深山の趣すらある。
大岩を左から回り込んで這い上がると眼下に青木港が見える。06時45分岩の先端部に出て瀬戸内海を眺めるが生憎の霞で
荘内半島は良く見えなかった。王頭山の稜線から朝陽が現れ辺りがパッと明るくなる。
左は石切り場 右が心経山 左奥が佐柳島 右が小手島 左:心経山 右:市井 (本来は昨日ここに出て来る筈だった)
06時33分心経山の入り口に着く 山門へ向かう
由緒のありそうな像や塔が並ぶ ヒトツバがびっしり生えた岩場
高見島とその右に粟島、その更に奥に紫雲出山と荘内半島が見える
王頭山に朝陽が上がる 先は切れ落ちた断崖
心経山から青木地区を眺める 小手島と手島
山門に引き返して青木地区への広い道を下る。06時57分空海の腰掛石の辺りが少し道が細くなるがそこで山道が終了して
舗装道路になると、左手に切り出した岩がゴロゴロ山腹を転がっている。
7時10分青木港に下りてフェリー乗り場を探すが標識も無く一体どこに船が着くのか良く分からない。道路に引き返しお婆
さんがいたのでフェリー乗り場を聞くとやはり先ほど言った岸壁あたりに間違いなく、横のお店で切符を売っていると言う。
その店に入るとおじさんが居てフェリーの切符を買おうとすると乗り場に船が着いたら切符を売りに行くから大きな待合所が
あるので時間までそちらで待てと言う。どうも勝手が違う独特のルールがある様だ。
おじさんに教えて貰ったさほど大きくないプレハブ待合所で暫く待っていると08時05分沖からフェリーが入って来た。切符
売りのおじさんがやって来たので話をすると昔高松の潟元(かたもと)に住んでいたと言う。フェリーの接岸風景を見ていると
もやい綱を取る訳でも無く直接岸壁に突っ込んで来た。船首部の通路を下しながらゆっくりと岸壁に着くと今度は着岸を安定さ
せる為にエンジンの回転を高めて押し付ける。ちょっと乱暴だがうまく接岸出来るもんだと感心する。
古くから歩かれている参道 心経山への登り口が岩で少しわかり辛くなっている
左手斜面には切り出した岩がゴロゴロしている 青木港へ下る
海岸線まで下りる さすが石の島 江ノ浦経由で丸亀へ行くフェリー
一旦江の浦へ向かうフェリーから心経山と王頭山が良く見える。09時15分丸亀港に着くと市営駐車場の支払いは二日間で
¥2,100となり急いで家に帰り風呂に飛び込み会社に出勤した。
フェリーから見る心経山と王頭山
王頭山の南側と北側では様相が違うのだ 沢山の人が島から丸亀に下り着く
塩飽諸島山歩きの今シーズン最後を飾る「さぬき広島」は思わぬ苦戦を強いられて島に一泊する事になり思い出深い旅となった。
フェリーから見た「さぬき広島」
reiko さんの 王頭山〜心経山 レポは ここ
グランマー啓子さんの王頭山〜心経山レポは ここ
エントツ山の塩飽諸島の山歩き 第1弾 本島は ここ
第2段 粟島は ここ