塩飽諸島の藪山歩きシリーズ その2

平成27年2月7日(土)  粟島(あわしま)の山歩き  (三豊市詫間町)
粟島港〜紫谷山(しきややま)〜京ノ浜〜三角点「山崎丘」〜阿島山〜城山〜粟島港


塩飽(しわく)諸島とは

香川県と岡山県に挟まれる瀬戸内海は備讃(びさん)瀬戸と言われ、漁業や海上交通の要所である。坂出と小島を結ぶ瀬戸大橋の橋脚部と
その西側に散らばる28の島々が「塩飽(しわく)諸島」と言われている。語源の一つに潮が湧くから来ていると言われる様にこの辺りは潮流が
強く西流(満ち潮)と東流(引き潮)が5〜6時間毎に入れ替わる複雑な場所で古来「塩飽水軍」がその海上覇権を握ってきた。

粟島は塩飽諸島の西南端に位置し、塩飽自治人名制七島からは外れるが海員学校が創設された場所でもあり塩飽船方衆の伝統を受け継
いで来た船乗り輩出の島だった。島の形も船のスクリューの様に三枚羽となっている。荘内半島の紫雲出山からこの島の形を見る事が出来、
桜の季節多くの花見客にその眺めが親しまれている。


 この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)を使用したものである 

紫雲出山から見た粟島   砂州で見事に三枚プロペラとなっている



粟島の山歩き
粟島の各プロペラには三角点を持った山がある。
一番大きな山域を持つ城山(じょうのやま)には三等三角点「城ノ辻」が設置されており、基部の粟島地区には粟島海員学校跡や宿泊施設ル・ポール
  粟島が観光の目玉で、北側にイノシシも恐れる必殺四等三角点「山崎丘」がある。

東側に繋がる新新田地区の手前に紫谷山(三等三角点「椎ノ浦」)がある。この地区には民家もありブイブイガーデン、ブラジャー観音、足摺岬など
  見どころもある。

北側の阿島山地区は平野部が極端に少ない為基部以外に民家が見られず四等三角点「阿島」への登頂と山をぐるりと回る観音道だけがここを訪
  れる動機となる。


この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)を使用したものである 
カシミールソフトを使ったGPSトラックログ図

財布を忘れる

平成27年2月7日(土)朝暗い内から自宅を出て浜街道を詫間に向かって車を走らせる。前回の本島では食糧が島で調達できずに餓えたオオカミと
なってしまった。その教訓を生かし前日ペットボトル2本とパン2個、ミックスナッツを調達済みだ。丸亀を過ぎた頃何か心にひっかっかるものがある。
前日の金曜日出勤して財布を背広のズボンに入れたままだった。一瞬ハッとしたがまあ運転免許証は不携帯だけどここ20年以上警察から提示を求め
られた事はないし、食料もギリギリ調達済みなので安心して運転を続ける。

丸亀を抜けて多度津へ向かう所で再びハッとした。そうや! フェリー代が要るんやんけ!!最近瀬戸内海を泳いで渡るイノシシがテレビに出ていた
が私は平泳ぎで500メートルしか泳げないのだ。(ちなみにクロールは曲がってしまう) 道端に車を停めて車内を捜索する。 銭や ぜにゼニ〜〜〜
車の小物入れに500円玉と十円玉、5円玉、1円玉が少々。座席の下や横隅を探すと十円玉や百円玉が数個出てきた。これで合計900円程になった
がフェリー代がいくらか調べていない。 まあ本島より距離は近いし何とか足りるやろ・・・不安を抱えながら詫間のフェリー乗り場に着くが駐車場所が
防波堤近くには満車で無い。フェリー乗り場の近くをグルグル回るが長時間駐車出来る様な場所な見つからなかった。

そうこうしている間に06時20分発の船は汽笛を鳴らして出て行った。何とか駐車場所を防波堤近くに発見し待合所へ入り即料金を確認。片道330円
だった。思ったよりは安くて詫間町の運行資金援助に感謝する。往復660円を空いたポケットへ厳重に仕舞い込み残りの小銭で缶コーヒーを買う。ボ
タンを押し間違えて冷たいのがゴトンと落ちて来てガッカリさせるが、残りの小銭を投入する勇気はこの小心者には無かった。とにかく丸亀港みたいに
有料駐車場へ入れる必要が無かったので助かった。

島の右辺翼 紫谷山(しきややま)〜上新田ピストン

冷たいコーヒーに心が冷え冷えしながら07時25分発のフェリーに乗り込み粟島へ向かう。登山者や観光客は居らず07時40分釣り客が数人と共に
粟島へ上陸する。作戦としては一番時間がかかるであろう右側の紫谷山とブイブイガーデンがある上新田方面をまず済ませる計画だ。

砂州で3つに繋がった島とは言えそんなに理想的なプロペラではなくフェリーが着いた粟島港から東側には標高50m程の丘がある。まずその岡へ続く
山道へ入り中新田の砂州へと向かう。峠部を越えると地蔵堂がありそこから道は右手に下っていく。正面には朝日を浴びた紫谷山の山塊が平たく横た
わっているのが見える。

中新田の砂州に下りると左手に6世紀頃の馬城古墳の遺跡がありちょっと眺めて先を急ぐと海岸に鳥居があった。何か宮島を彷彿とさせる風景の後ろ
側に馬城八幡神社があって小銭不足の折、お賽銭投入無しで今日の無事をお参りする。

舗装道路をショートカットして南側の海岸線道路を取り付きを探しながら歩く。地形図を見ると紫谷山にはこの南側の尾根から取り付く事しか頭に浮かば
ないのだ。


  
    07時25分 須田港をフェリーで出発                    丸亀方面の朝日

  
 フェリーを下りて右手の小高い丘へ進む                 峠を越すと地蔵堂から右手に下る


  
   正面に108mピーク(左端)と紫谷山が見える                  馬城古墳

  
    海岸端に鳥居が立っている                       後ろ側に控える馬城八幡宮の鳥居だった

  
   舗装道路を右のショートカット道へ入る                 上側で又舗装道路に合流


紫谷山 しきややま (三等三角点 「椎ノ浦」 ) 標高 144.76m その下山は過酷な藪だった

08時08分藪の比較的薄い斜面から這い上がる。案の定すぐに結構濃い藪になりうんざりしながら急傾斜を喘ぐと松と笹と岩の斜面になり、多少
眺めが良くなる。また背の高い笹が増えて来た08時30分いきなり笹刈りされた尾根筋の道に出た。道は右手から上がってきているので恐らく私
が取り付いた道路を暫く進むと登山道の入り口があるに違いない。

刈り払われた快適な尾根道を進むとピークらしい雰囲気となり気を付けて歩むと直ぐに三角点が現れた。この天国の様な快適な道は尚も西側に
誘う。紫谷山の西ピーク端からコルを挟んで前方に岩山が見えて道は尾根をその岩山に続いていた。ここまで綺麗に刈り払われているって事は
その向こうにきっと下山する道も整備されているに違いない。そう思いながら坂を下りススキの親玉の横を抜けて岩場へ進む。

茶色いコケに覆われた大きな岩の上に這い上がり西側を眺める。これは絶景だ。眼下に見える砂州のくびれから左右に島が広がる。その向こう
には荘内半島が延びて紫雲出山が力強い塊となっている。

しばらく気持ちの良い風を浴びながら岩の上から瀬戸内海に浮かぶ島の頂きに立つ束の間の悦びを噛みしめる。さて、続きの道は何処だ? 岩
の下には道は無い。先ほど下ってきた紫谷山の端まで戻りながら左手にあるべき刈り込み道を探す。下山道が無ければ道造りのつじつまが合わ
ないのだ。あれ〜? 無い・・・ 結局刈り払い道は美意識に欠けるピストンルートだったのだ。

08時56分仕方なく次に進む北側の藪が薄い場所を探して下る。最初は少しスペースがあったものの途中から猛烈な笹藪となり進退窮まる。萎え
る気力を振り絞って格闘しながら尾根筋を進むと09時35分笹藪の向こうに小屋が見えた。あ〜〜やっと道に出たらしい。


  
 海岸沿いの舗装道路を歩きながら取り付き場所を探る        まあ気休めに登り易そうだからここから取り付く

  
       一歩中に入ると笹藪と化す                   それでも藪の薄い場所を選んで這い上がる


   振り返ると中新田とその向こうに粟島港が見える    左奥が荘内半島の紫雲出山だ

  
   笹藪が濃いのでなるべく岩の近くを歩く                08時30分 笹刈り道に出る

   
  尾根のピークを三角点に気を付けながら回り込む           08時32分 三角点「椎ノ浦」 いわゆる紫谷山を踏む


                     紫谷山からの眺め 

  
  前方に岩山ピークが見える 道はそこまで続いていた         大岩から北側、阿島山を見る


         紫谷山の西側にある大岩ピークから西側を展望する 奥が荘内半島と正面奥が紫雲出山だ

  
 次に進むべき京ノ浜方面を見る  薄いが尾根がある         08時56分 道を諦めて藪尾根に突入開始する

  
  笹に草に灌木に蔓にイバラに・・・総合藪だった             背丈を越える笹藪

  
  どこをどうやって進めばいいのやら・・・                 09時35分 お〜〜 前方に小屋が見えるぞ!

足摺岬やブイブイガーデン、ブラジャ〜観音を見学、一応108mピークも踏む

30分以上藪の中をあがいてやっと道に出た。この喜びを誰に伝えよう? う〜〜ん 一人で喜びを噛みしめるしかない運命(さだめ)なのね。
貴重な水でうがいをしながら地図を確認する。丁度ここは西の中新田、東の上新田、そしてこれから行く北の京ノ浜との三叉路になっている
場所だった。ここから京ノ浜方面へ少し上がった峠を越える場所の左手に108mピークがあるのだが今はもう藪には入る気力が無いのでその
まま竹藪の中に続く「仏坂」を下る。

しかしまあこの島には仰山のお地蔵さんが祀られているものだ。閑散とした京ノ浜集落を抜けると09時52分海岸線に出た。左に向かって足摺
の標識が立っているので防波堤に沿って進む事にした。09時53分標識に従い海岸近くの畑近くを通って尾根の突端部へと上がっていくと
「絶景絶叫ポイント ウォ〜」といういかにも大げさな看板が立っており尾根部の向こうに岩場があった。おそらくここから若者がウォ〜と叫ぶのだ
ろう。

すぐ傍に「足摺観音様」の標識があったのでついでに岩の中を抜けて千手観音様を拝みに行く。ただこの島には石仏が物凄く多いので新鮮味
が無くなってしまうデメリットがある。海岸線に戻って浜辺の防波堤沿いをシンプルな形をした高見島を見ながら東へと進む。

10時15分塩谷地区にはいるとお年寄りに会い挨拶する。その後角を曲がると大量のブイが笑っている。はは〜〜ん ここがブイブイガーデン
のか。東の端に電波塔が立った独立した69m小ピークが見えるのでついでにここにもお邪魔する。真新しい舗装道路が物凄く急こう配でピーク
に向かって延びている。山頂に着くと国土交通省の粟島レーダー局の基地建設中であった。

先ほど藪が嫌ですっ飛ばして来た108mピークが気になって元来た道を引き返す。峠に向かって畑の中の道をショートカットに歩いているとオジ
サンが「何かの調査に来たのかね?」と声をかけてきた。「いいえ 健康ウォークです」と答えると島の歴史や若者が居なくなってさびれた様子を
ため息交じりに話してくれた。いきなり「ブラジャー観音を見たかね?」と言うので「何ですか〜 それ」って事で場所を教えて貰いワクワクしながら
拝みに行った。その人の話だと以前は裸の観音様だったのだが子供の教育の手前ブラジャーをペンキで書いたのだと言う。 う〜ん どちらが青
少年教育に悪いのか甲乙付けがたい問題だ。

10時40分無垢な気持ちでブラジャー観音を拝んで峠から右手の藪山へ入る。この108mピーク山も結構藪なのだが紫谷山を下りた藪と比較する
とまだマシな酷さだった。三角点も無いのでピークがどこだかわからず取り敢えず向こう側へ下る場所まで進んで11時10分峠の道に復帰する。

  
09時35分三叉路に出る(京ノ浜・上新田・中新田分岐)               京ノ浜へと向かう

  
    峠を越して海へ下がっていく                       京ノ浜集落に出る  高見島が正面に見える

  
   海岸に出て左へ進むと足摺岬だ                     09時58分 足摺観音と絶叫ポイント分岐標識

  
一応足摺岬    阿島山が見える  絶叫って歳でもない               岩穴を潜って観音様へ
  
  
    38番 地蔵さんで引き返す                       海岸線を東に進んで上新田の岬へ進む

  
   10時15分  これがウワサの・・・                   頭ブイだけだとちょっと気持ち悪いけど胴体もある


           モチーフは猫   五百羅漢よりはリアルでないのでかわいい

  
    岬のレーダー基地へ急な坂を上る                 10時25分 建設中の粟島レーダー局だった


      う〜〜ん  ダンスを踊っているみたいなポーズ   何のご利益がありや (10時40分)

  
    峠に帰って108mピークへ向かう                   まあ 紫谷山の藪に比べれば・・・

  
    ピークを踏む為に藪を進む                       11時10分   峠に帰り着く

  
   広い中新田(砂州)への道                          11時20分  舗装道路に出る

スクリュー付け根の丘部は大藪だった なめたらいかんぜよ! 至難の四等三角点「山崎丘」

今朝歩いてきた中新田の砂州を通って主翼の基部に入る。右手の海岸は海水浴場になっており振り返ると紫谷山と手前の岩ピークが尖がって
見えう。粟島港の手前には標高55mほどの丘がありそこに続く道に入り、フェリー乗り場への角を曲がらす真っ直ぐ進む。11時33分突き当りに
水道施設がありその裏手に祠が立っていた。そこから道が途切れる。

いきなりの猛烈な藪にウンザリしながら分け入るとその内に藪も少しばかり薄くなり行く手に阿島山の形が現れた。12時00分前方に広場があり
江灘という二つの丘の間にある平地に着いた様だ。道路がこの2つの丘を横切っており、次の目的地三角点を目指して道路を横断する。

向かい側にミカン畑がありその中を通らせてもらい奥へ進むと竹藪となる。広い竹藪だがもう荒れ放題で手が付けられないと言うか足を付けられ
ない。ターザンの様に倒れた竹にぶら下がりながら伝って行く。15分ほど格闘すると普通の藪になり何かキューイフルーツ畑の跡の様に鉄枠が
出現。地図で確認すると三角点はこの辺りに違いない。

注意深く藪を探すと12時22分四等三角点「山崎丘」(61.4m)を発見。果たしてこんな見通しが悪い場所に三角点を設置する意味があるんだ
ろうか。ブツブツ言いながら写真を撮っていると近くの木に▽爺さんの私標が張り付けられていた。あんたも好きねえ・・・ さて三角点を確認する
とこんな場所に未練はない。当初は男らしくこの丘を縦断する意気込みで突入したが、女々しい爺さんだから一刻も早くシャバに帰りたくて西側へ
逃げる。

12時40分道路の脇出て3m程のブロック崖を柔らかめの木の枝を鞭の様にしならせてロープ代わりに下りる。崖にぶら下がっている最中に丁度
自動車が通って運転者が呆れ顔でこちらを見ていた。カッコ悪〜〜。


  
中新田の北側にある浜を振り返ると紫谷山と岩ピーク          フェリーへ帰る道を曲がらずまっすぐ丘に向かう

  
  水道施設があり道はここまでだった                   うげ〜〜  でも丘やし・・・

  
  酷い目に遭いながら阿島山方面を目指す                 12時00分やっと藪を抜けると広場があった

  
   広場から次の三角点丘へと道路を横切る                 ミカン畑を通らせて先に向かう

  
   オ〜〜マイゴッド  バンブージャングルだ〜〜           古い竹は全て倒れている

  
   何か鉄柵があるので昔は農園だったのか                ▽爺さん  アンタも好きねえ


      四等三角点「山崎丘」  ここを攻めてこそ真の三角点フリークじゃとて  じゃあワタシは一体何?

  
        退散〜〜                                  道路に出たものの・・・・

  
   あれ? 近くに下りれる場所があるじゃん                 西浜から阿島山方面へと進む


シンプル窮まる阿島山  

さて思わぬ藪丘に手間取り丘部を過ぎて民家の間を抜けて左手の西浜へ出て北翼の阿島山へ向かう。穏やかな海岸縁を歩いているとシーサー
の像かと思ったら誰かの銅像が立っていてその賢人の「足は地元に 目は全国に 心は世界に」と言ういい言葉が彫られていた。

阿島山の基部に着くと東側(右手)に出る道があり東風浜(こちはま)の海岸線から振り返ると午前中に歩いた紫谷山、108m峰、足摺岬がまるで
単独の島の様に見える。阿島山は地形図を見るとシンプルで平野部が無く、基部以外に民家は無さそうだ。

山頂の等高線は三角形をしており南南西に延びた長い尾根へ取り付くと決めていた。基部の真ん中あたりに民家の様な建物に向かって鉄製の手
すりで整備された道がありそこを入ってみる。ものすごい竹が密生しており道のスペースはこの廃屋の周りだけで途切れていた。元に戻るとコンクリ
ートの基礎壁に「阿島33観音入口」と標識がかかっていた。13時03分ここから阿島山へ入って行く。

掘れこんだ道をススキの親玉シロガネヨシが覆いトンネルの様になった所を抜けると観音道の分岐がありさっそく沢山の観音像が迎えてくれる。
左手に順路とあるので当初の計画通り左回りに観音道を進む。 民家の無い阿島山への登山道があるとすれば常識的に考えて基部の近くにある
筈だ。ここに登山道が無いとすれば恐らく山頂へ行く道は無いだろう。この辺りの観音様はほとんど千手観音の様に後ろに手が沢山デザインされて
いた。

四等三角点「阿島」(181.37m)

いくら歩いてもこの観音道は水平を保ち続けるので恐らく島の付け根を一周するのだろう。13時20分藪が薄そうな藪薄弥勒菩薩像から取り付く。
覚悟をしていたよりはずっと歩き易い斜面で最初は笹藪だったが山頂に近づくとスペースがある灌木帯となる。山頂付近になると赤テープも見られ
た。GPSで凡その見当をつけて探すと小さな岩場があって13時45分この中に四等三角点「阿島」を無事発見。近くの木には珍しく黒い色のテープ
で▽爺さんの私標が置かれていた。

南側への斜面は歩けそうな感じがしたし、下りだから多少の藪でも何とかなるだろうと直接コンパスで南側の基部へ向かう事にした。藪の薄い場所
を選びながら小さな涸れ沢に沿って下りると竹林となり14時08分観音道と思われる小路に出た。しばらく竹林の中を2分ほど下ると先ほど歩い
た分岐に合流し、阿島山は都合一時間ちょっとで終了した。


  
  シーサーの像かと思ったら誰かの胸像だった              足摺岬   108m峰    紫谷山

  
  13時03分 33観音入口の標識があった                すぐに周回分岐がある これを左手に進む

  
  弥勒菩薩に千手が付いている                             藪は比較的薄い

  
   斜面もそんなに急ではない                        山頂に近づくと灌木帯となる


                 13時45分 四等三角点「阿島」に到着

  
  ここにも来てたのね  ▽爺さん                        南側へも下りれそうな感じだったので進む

  
    斜面を下りると予想通り竹藪となる                  14時08分観音道に合流

  
     14時10分 振り出しの分岐に帰り着く               トンネルを通って基部へ帰る


一番大きな南西翼 城ノ山(じょうのやま)へ

紫谷山の右翼には手間取ったが、この北翌「阿島山」は思った通り簡単に済ますことが出来た。海風を浴びながら最後の城ノ山へと進む。この島
域は登山道が整備されているので気が楽だ。右手に荘内半島の突端「三崎」から生里〜糸ノ越〜紫雲出山が見えてあそこを歩いた記憶が蘇る。

舗装道路を城ノ山へと進んで14時30分「城山登山口」の標識を発見し、登山道らしくないコンクリートの道を進む。四国の道でお馴染みのこげ茶
色をした大き目の登山口標識があり山頂780mと記されている。粟島最高点の城ノ山(222.1m)の尾根部にそって整備された急な階段の登山
道が続き一合目から目安表示木が設置されている。く。一旦なだらかな尾根を抜けるとまた急階段となり途中に「観音歩道」の分岐が左手にあった。

傾斜が緩くなり大きな岩が現れるとその向こうに展望台があり14時56分粟島最後の目的地「城ノ山」三等三角点「城ノ辻」に到着した。ここには
中世、西讃地域の豪族・香川氏の配下「八倉(やくら)弾正」の山城があった場所だ。殆ど四国の山城がそうであった様にこの城も土佐の長宗我部
元親によって滅ばされた歴史がある。

この山頂は島の西側にあるにも関らず西側の荘内半島方面への展望は無い。その代わり西側が開けており今朝から歩いて来た粟島の山が見渡
せ、詫間から多度津の海岸線と諸島部が広がる。身持ちがいい〜〜


  
西浜から荘内半島の端、紫雲出山〜糸ノ越え〜生里〜三崎     14時30分 城山登山口の標識があった

    
 コンクリートの道を奥へ入る                         15分程で5合目に   線路の様な登山道  

  
     7合目あたりはなだらかな尾根道だ                 左手に観音様歩道がある様だ

  
    14時56分 山頂展望所に到着                    三等三角点「城ノ辻」  祠や東屋がある


城ノ山からの大パノラマ〜〜




城ノ山から下山は南東尾根を使って粟島フェリー乗り場に帰る

さて最終目的地の城ノ山は整備された登山道でちょっと物足らなかった。おそらく観音道も同じ様な道に違いないだろう。ここは藪っぽい南側へ入り
尾根の状態によって南端まで進むか、南東へ振るか決める事にした。この山域は笹藪は比較的少なく灌木やシュロ、竹林が多く所々で大岩が出現
して変化がある。いざ藪に突入すると所信貫徹とはいかず弱気の虫が起きて短い南東尾根に乗ってしまった。

粟島海員学校跡

粟島を含む塩飽諸島は古来和船の本拠地として隆盛を極め、廻船業や優秀な船乗りを輩出してきた。明治20年を過ぎると旧来の和船から汽船
と変遷していく過程で新たな船員のニーズに応え明治30年村立海員補習専門学校が全国の地方に先駆けて誕生した。その後「粟島航海学校」と
改称し県立となった。

昭和15年に国立商船学校になるも終戦後に軍事色を疑われ米軍により廃校処置となる。戦後の船員不足に応える為に宮崎海員養成所が粟島に
移転されて再び活気が蘇った。その後高度成長期を迎えて人件費の安いフィリピンなど東南アジアの船員を使う様になり一挙に日本人船員のニーズ
が激減し、昭和62年廃校となった。時代の流れによってこの島も瀬戸内芸術際の期間以外は閑散とした老人の島になってしまった。

15時30分竹藪を抜けると道に出た。この快適な道を左に進み荒れた竹林を抜けるとNTTの電波塔があり集落に出た。立派な石垣のある家に興味
を引かれて見学に寄る。昔は海運で栄えた島なので大家だったのだろう。海岸に出て粟島海員学校の旧校舎や宿泊施設ル・ポールの前を歩いてい
と前に登山の恰好をした人が歩いている。粟島フェリー乗り場の休憩所で又会ったので話を交わす。

この方は越智さんという名で粟島が気に入って観音道の整備に来たのだと言う。何でも物理関係の教職者で若い頃から登山を趣味としており、小豆島
高校の校長を数年前に退職されたとの事。フェリーの時間まで色々話をしていると粟島の立派な地図をくれた。何でも自費出版で小豆島、堂島、阿南、
江東川、来島などの地図を青少年教育の一環として出版してあちこちに無料頒布をしていると言う。世の中には変わった人がいるものだ。

17時05分のフェリーに一緒に乗って山の話などをしながら須田港へ着くと車の中から色んな地図を出して私にくれた。色んな出会いがあるものだなあ

   
  
       何で又藪に入るのよ                         シュロや雑木の藪尾根

  
      大岩もあるでよ                               又 竹藪か〜

  
         15時30分 道に下りる                    この島の竹藪は荒れ放題だ

  
    NTTの電波塔を過ぎる                         民家の立派な石垣

  
   大正9年建築の粟島海員学校の跡                          島の宿泊施設 ル・ポール粟島

  
  自費で地図を出版されてりう越智さん                 越智さんから地図を沢山頂いた


紫雲出山から見た粟島は昔、3つの島だったものが潮流により砂州で繋がりスクリュー島となった。その三山を巡る島旅は中々味のあるもの
となった。さて 次の塩飽諸島の山は「さぬき広島」だ


    reiko さんの 粟島歩きは   ここ  

    ピオーネさんの粟島歩きは  ここ  

    エントツ山の塩飽諸島の山歩き 第1弾 本島レポは ここ   

                         第3弾 広島レポは ここ 

   

                     目次に戻る              トップページに戻る