塩飽諸島の藪山歩きシリーズ その1  

平成27年2月3日  本島(丸亀市)の山歩き
本島港〜遠見山〜高無防山〜八ヶ峰〜金剛山〜泊山〜小阪山〜相生坂〜本島港


塩飽(しわく)諸島とは

香川県と岡山県に挟まれる瀬戸内海は備讃(びさん)瀬戸と言われ、漁業や海上交通の要所である。坂出と小島を結ぶ瀬戸大橋の橋脚部と
その西側に散らばる28の島々が「塩飽(しわく)諸島」と言われている。語源の一つに潮が湧くから来ていると言われる様にこの辺りは潮流が
強く西流(満ち潮)と東流(引き潮)が5〜6時間毎に入れ替わる複雑な場所で古来「塩飽水軍」がその海上覇権を握ってきた。

塩飽諸島の中心は「本島」でここには戦国時代〜江戸時代において自治権を与えられた島々をまとめる役所=塩飽勤番所が置かれた。近年
は瀬戸大橋からも外れて過疎化が進んでいるが瀬戸内芸術祭の会場として一般にこの島の存在が知られる様になった。

過疎化が進んだ島の山は藪化が進んでいると想定され、ここは冬場でなければ歩けない。今シーズンは塩飽諸島の内、面積的にみて歩きごた
えのある本島、粟島、広島を歩く事にした。


 この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図250000(地図画像)を使用したものである 
               塩飽諸島の位置図   左から粟島、広島、本島

本島(ほんじま)の藪山歩き
本島港〜遠見山〜高無防山〜八ヶ峰〜金剛山〜泊山〜小阪山〜相生坂〜本島港


この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)を使用したものである 
カシミールソフトを使ったGPSトラック・ログ図  本島・藪尾根歩き

本島・山歩きの作戦
本島には不思議な事に三角点は非常に少なく2点しかない。地形を見ると南北に4列の尾根が存在し東端の遠見山尾根が一番短く、次に
これも短い高無防尾根、その東側に本島の中心になる八ヶ峰〜金剛峰〜泊山尾根、そして一番東側には長い小阪山尾根となっている。
これをうまく繋いで歩く事にした。


平成27年2月3日(金) 丸亀の市営駐車場に車を置き本島行き07時40分のフェリーに乗る。駐車場がよくわからなかったので時間がかかり
コンビニへ寄る時間が無く何とかなるだろうとビスケット1箱とポカリスエット1本を持ってフェリーに飛び乗る。海上から遠ざかる丸亀方面を見る
と讃岐の里山が並んでいた。

  
       丸亀の町が遠ざかる                              我拝師山から弥谷山

  
      常山              飯野山   青ノ山               08時17分本島港に到着

08時17分本島港に到着し、まずこの島の目玉である「塩飽勤番所」へ寄る事にした。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康などの海上兵力として
戦時の兵站輸送などに貢献した為特別に塩飽諸島の領地1,250石を与えられ自治を許された650人の船方衆を統括する役所が塩飽勤番
所である。

役場や学校の裏側には廃寺があり地図を見ると神社マークがあったのでその八幡神社に立ち寄り塩飽番所に向かう。08時40分塩飽勤番
所の門前に着くと管理人の女性と中で作業をしている男性がいた。入場料200円を払って番所の中に入り展示物を見て回る。ナウマンゾウ
の骨とか咸臨丸乗組員の持ち物とか船の模型とか朱印状とか・・・

入場者は私一人だったので管理人のおばさんが親切に一緒に来て一つ一つ丁寧に説明をしてくれる。目的は山歩きなのでサラッと流したか
ったのだが裏手にある昔の厠や風呂焚き場、瓦の形や格子模様について説明してくれるので相槌を打ちながら山への急ぐ気持ちを出来るだ
け悟られ無い様に振る舞う。 ちなみに管理人さんが待機している門の横にある建屋は罪人の牢屋だと言う。結局番所見学に30分を費やし
お礼を述べて笠島へと歩く。

  
             惣光寺は廃寺だった                           八幡神社に寄る

  
      塩飽勤番所 長屋門                                  塩飽勤番所に入る

  
     塩飽番所 本館                                          御朱印書庫

  
咸臨丸の乗組員には多くの塩飽船員が乗っていた          ここは罪人の牢屋だったんよ ありがとうボランティアガイドさん

09時25分江戸時代の家並みを残す笠島地区に入る。笠島地区は塩飽水軍の本拠地でもあった良港で現在も昔の街並みが残されており国
の「重要伝統的建造物群保存地区」として選定されている。瀬戸内芸術祭の時は塩飽勤番所と共に本島の目玉となって大変観光客で賑わった
場所だが今は閑散としている。

どこかで食料を買いたいので人を探すがゴーストタウンの様に人間が見当たらない。マッチョ通りとか言う訳のわからない場所を歩いていると前
からオバサンが歩いて来たので「どこかにお店は無いですか?」と聞くと向こうの郵便ポストの横に店があるけど開いているかは知らないと言う。

郵便ポストを見つけたが店の入口は閉まったままだった。するとすぐ近くに「遠見山遊歩道」の標識がありそこを左手に入って行く。咸臨丸の乗
組員だった豊島平吉の生家と言う看板が黒い板壁に打たれている家を過ぎると右手に尾上神社があった。社殿はシンプルな感じがしたが説
明板には明治30年から大正9年まで地元にあった塩飽補習工業高校の生徒によって建てられたとあった。

塩飽船方は江戸時代中期まで東北地方の米を西廻りで大阪や江戸へ運ぶ廻船業で活躍して帆に金毘羅大権現のマークを入れており、これ
が「こんびら船船〜♪」に歌われるように全国に金毘羅信仰を広める役割を担ったとも言われている。この廻船業の権利が大阪の問屋に移った
江戸中期以降はそれまでの経験を生かして船員としてだけでなく船大工や宮大工として活躍する事になる。この歴史が塩飽補習工業高校の設
立となったのだろう。


  
      白壁と黒板塀の街並み                      マッチョ通りって一体何? 年寄株を持っていた真木家の前

  
   郵便ポストの近くに遠見山遊歩道の入り口看板がある                尾上神社

ちょっと狭目の遊歩道を進むと09時37分大きな舗装道路に合流した。右にその舗装道路を上がると直ぐに遠見山への標識があり、傍に杖など
も置かれているからここが登山道の入り口になるのだろう。整備された登山道を上がっていくと例によって大きな岩が現れ、例によってそこには
祠が祀られている。で・・・そこには例によって天狗の足跡とか言う長さ40cmの凹み岩がある。

1)遠見山 101m

09時50分遠見山に着く。遠見山は字のごとく眺めが良い展望所で瀬戸大橋の全貌が眺められる。ここは山頂と言うよりは展望所と言った方が良
く東屋などや瀬戸大橋の大きな絵が描かれており島の名前も一緒に記されている。

  
       先で広い道路に合流                             又すぐに遊歩道分岐

  
  09時40分 遠見山登山口                          大岩のある場所には祠が祀られている

  
         ひょうたん島が見える                              亀岩?

  
    09時50分 遠見山に到着                            瀬戸大橋が良く見える

今回の本島では一番楽な山、遠見山をゲットしそこから次の大高無防山へのルートは少しヒネって北側を回り込む事にしている。遠見山から
尾根を北に入る。少しの間踏み跡があるのでラッキー!と思っていたら讃岐の里山で良く見る大き目の祠があり、丸に石のトレードマークが
彫られているから石鎚神社だろう。

そこからは道は無く藪尾根となる。前方に岩崖が現れるが恐らく石切り場の跡だと思われる。10時05分石切り場の崖横を抜けるとスズタケ
の藪となり、その先は多少スペースのある灌木地帯となり適当に斜面を左へ向かって下がる。一旦低地に下りて少し斜面を上り返すと10時
40分舗装道路に出た。

  
    遠見山展望所から北側へ進む                       直ぐに石鎚神社の祠があった

  
   石切り場だろう  奥のピークから左に下がる                  うっ スズタケの藪やんか

  
  スズタケを抜けると比較的スペースがある               藪の底部を抜け斜面を上がると舗装道路に出た

今度の目標は高無防山へ   北側の尾根からアプローチ

さて、一番東側の尾根を縦切りにして、今度は隣の尾根を北側から高無防山の三角点へ袈裟切りする番だ。せっかく歩き易い道路に出たのに
又藪尾根に入るという因果な稼業だ。道路の補強コンクリート壁が切れた場所から10時43分高無防山のある尾根に取り付く。荒れた斜面を
進むと又石切り場跡らしき場所に出た。前面に岩壁があり左手から這い上がろうとしたがガレ石が沢山転がっておりちょっとの場所が危険で無
理と判断して今度は岩壁の右手からトライする。ここも急な斜面だったが11時03分何とか生えている木を手掛かりに這い上がる。するとすぐに
尾根筋になり緩やかな灌木帯となった。

2) 三等三角点「高無坊」 (199.20m)

こういうスペースがある尾根は里山には多くラッキーと思うが、やはりそんなに長続きはしない。嫌なスズタケが現れ濃い場所を避けながら歩く
と11時30分突然藪の前方が開けて三角点があった。山名は「高無防山」となっているが三角点名は「高無坊」とボウの漢字が違っている。こ
の三角点からは良く整備された遊歩道となる。

    
    道路を少し南に進んで取り付き口を探す               コンクリートの切れ目から上がっちゃえ

  
        荒れているが石垣がある                   細長い島(向島)の向こうに瀬戸大橋が見える

      
  この岩崖は石切り場跡だろう                      左手はガレ石で最後のとっかかりがヤバくて諦める

  
   尾根に這い上がると歩き易い場所だった                       すぐに笹藪が出現

  
  11時30分 藪が切れて三角点標識が見えた                  高無防山=三等三角点「高無坊」

高無防山から南側は切れ落ちているので見晴らしが良く気持ちがいい。牛島は結構四角い形の島なのだがこちらから見るとひょうたん島に
見える。本島のフェリーで下りた右手にある養殖場の大きな池も見える。遊歩道は岩っぽい場所を右手に回り込んで西側の道路に向かって
高度を下げる。この急な坂には階段状に整備されており、そこを下ると11時43分舗装道路に出た。この道は北側の屋釡集落と本島の泊集
落を結ぶ道路だ。

  
  右手に見えるのは牛島 ひょうたん島に見える                 本島港の東側にある養殖場の池    

  
    岩っぽい道を右手に回り込む                      急な階段状の整備された道を下る

  
          アトリ?                            11時43分 山頂から15分弱で舗装道路に下り着く

さて舗装道路に出たら次の藪尾根への突入が待っている。道路を少し北側へ歩き右手に水道部の屋釡配水池の施設がある場所から11時44分
西側の藪尾根へ突入を開始する。酷いスズタケの藪に耐え切れずに南側へ少し外して斜面を進む。左手には農園の跡となっており在りし日の道
を選んで歩くがイバラの藪に苦労しながら12時丁度に尾根部に這い上がる。

3)本島の屋台骨 八ヶ峰〜金剛峰〜泊山の尾根を縦断

「八ヶ峰」(161m) 展望所

最初は物凄く倒木などが入り乱れて荒れ果てた尾根に出合い障害物競走の様に潜ったり上を越えたりしながら進む。そこを辛抱すると次第にマシ
な藪になり、やがて土が見えるスペースのある緩やかな尾根道になった。少し高みから北側を振り返ると六口島、長島、弁天島が見えた。すると前
方に12時18分四角い石垣で囲まれた記念碑跡の様な人工物が現れた。これがどうも「八ヶ峰」(161m)と思われる。フェリー乗り場で島の案内図
を見なければここが八ヶ峰だとはわからない展望所の様な場所だった。

  
    標識には「高無坊山」とある                     丸亀市水道部の配水池施設の横から次の尾根に取り付く

  
        猛烈なスズタケにヘキヘキする これを避けて南側斜面を進むがイバラ攻撃に遭う

  
  12時00分尾根の峠部に出る 向こうに瀬戸大橋が見える     これって何藪って呼んだらいいのか・・・・・

  
   倒木に這い上がったり潜ったり・・・・・                    人間に友好的な藪になった

  
   あれ? 信じられない気持ちの良さ                 歩いて来た尾根を振り返る  左奥から六口島、長島、弁天島
  
12時18分 八ヶ峰と思しきピーク  何かの像があったのかな?       ここから南西に向かって広い尾根道が続く

八ヶ峰からは広い尾根道が下っており、参道の様な立派な階段状の整備道だ。この坂を下ると分岐標石があって反対側から見ると左:八ヶ峰、
右:正覚寺と彫られているがいかにも彫られている文字が浅くて細いので良く読めない。お墓に彫ってある様な大きな字体で深く刻んで欲しい
ものだ。

よくわからない「金剛峰」 (約 160m )

そこを過ぎると12時24分直ぐに今度は十字分岐となっておりこれも反対側から見ると右:泊 左:六浦 と同じような弱々しい字体で彫られてい
る。分岐尾根の向こう側には古いお墓が沢山立っていて、地図にはこの辺りに観音寺と記されているのでこの辺りの事かも知れない。

尾根道を進むと少し左手に向かって階段状の遊歩道となっており女性の話し声が先ほどから聞こえる。女性の声は音波的に空気を伝道し易い
のか、かなり遠くからでも聞こえてくる。階段を曲がって上に進むと道で食事をしている四国からの登山者団体に会った。こちらはビスコ一箱で
今日一日歩かなきゃならないので急にお腹が空いて来た。なるべく食事姿を見ない様に上側へ進む。

上側に分岐石柱が立って国民宿舎への下山道と正覚院の文字が薄く彫られている。おりどうもここが金剛峰らしい。笹藪のしがないピークでは
あるが名前は立派に付けれれて幸せな山よのう。そこから更に南側へ尾根道が続く。

  
分岐を反対側から 石には右:正覚寺 左:八ヶ峰 と彫られている    すぐに次の十字分岐  左が泊 右が六浦 

  
  古そうなお墓が沢山立っている この辺りが観音寺か?     また分岐 右:奥の院不動道と彫られている

  
  皆さん 食糧は豊富なのね・・・ええなあ                 これが一応金剛峰の山頂確認石標って訳?


  
   おお 四国が見える コンビニのある四国がええわ               尚も尾根道を南に進む


荒れ果てた展望所 泊山(154m)  阿弥陀寺を目指して南西尾根を下る  藪〜〜

尾根道の突き当りに又案内石碑があって左矢印が国民宿舎、手前矢印が正覚院、右矢印が展望所と刻まれている。この辺りから本島港が
眺められる。展望所方面へ進むと12時40分藪の外れに石柱が並んだ展望所の跡らしき痕跡がありあまり展望もない。泊山は東下にある本
島の泊地区から来た名前だろうが展望所標識がある位ならもう少し綺麗にして欲しい。

さて、最後に残った一番長い小阪山尾根へ繋ぐのだが、ここから直接西側の尾根を小阪山に近い南側から登って目的を遂げれば後はどこで
でも適当に縦走を切り上げる事が出来ると言うものだ。 しかし、この泊山南西尾根はスタートから大藪で苦戦を強いられた。

20分ほど藪であがくと次第に藪も大人しくなり急傾斜を滑る様に下りると13時17分「阿弥陀寺」の裏側に出た。

  
 またもや字が読みにくい石碑 左が国民宿舎で               本島地区と瀬戸大橋が見える
 元に帰る方角が正覚寺、右が展望所と読める

  
     何 これ?  荒れてるわ                         何 これ II ? 鎖が張られていた展望所かいな?

  
    泊山から右手の尾根へ進む                      ギョヘ〜〜  大藪じゃん
   
  
   13時00分 藪が薄くなりホッとする                 正面に西側の尾根を見ながら急坂を下る

  
   最後は少し藪だがまああと少しのガマンよ               13時17分 民家の裏だと思ったらお寺だった

  
   阿弥陀寺の正面に廻りお賽銭を奉納する                   泊地区の街に下りる

4) フィナーレは小阪山   最後は思わぬ古道を発見

小阪山=三等三角点「大谷」 (標高 203.73m)

小阪地区の海岸線へ出て食料品店らしき建物へ足を延ばすがここも開いていない。仕方なく舗装道路を四国の里山を南側の生ノ浜方面へ進む。
次の本島最西端の尾根は南側を見ると岩の禿山に見えてその突端には大きな鉄塔が立っておりピカピカ灯台の様な光を発している。一目見て
この尾根の取り付きはこの場所しかないと決めていたのだった。

鉄塔を目標にして這い上がれば三角点のある小阪山は簡単に踏むことが出来そうだった。しかし海岸線を歩くとずっと山際には落石防止の為か
金網フェンスが張り回らされている。暫く進むと13時32分小さな沢筋の場所があり上側は金網が切れている。小規模な砂防ダムのコンクリートが
あるちょっと乱暴な這い上がり場所だが岩や木を利用してフェンス近くまで這い上がる。

この斜面は読み通り灌木も藪もなく恐らく以前に山火事があったのだろう。多少イバラに悩まされながらも素晴らしい景色を眺めながら気持ちよく
風を浴びながら這い上がって行く。小阪山の由来になっている小阪港や本島港のある岬が見え、瀬戸大橋も一望できる、この島で一番見晴らし
の良い場所だった。

大きな鉄塔は隣の牛島へ向かって垂れ下がりながら延びている。この本島と牛島の間が備讃瀬戸北航路に指定されて水島港や高松方面から西
へ向かう一方通行の航路となっている場所だ。従って先ほどからピカピカしている鉄塔の光は灯台の役目もしているのだろう、牛島側の鉄塔も同じ
様に光っていた。ちなみに西の詫間方面から高松方面の東へ進む指定航路は備讃瀬戸南航路と言われて牛島の南側に指定されている。この海
域は水島航路や備讃瀬戸航路が瀬戸大橋の近くて交差する瀬戸内海の銀座となっている場所だ。

鉄塔近くに着くと大きな石碑があったが何も字が刻まれていなかった。ここから藪っぽい枯草地を北側に進むと14時08分三等三角点「大谷」すな
わち「小阪山」に着いた。あまり展望も無かったので記念写真を撮って本島最高点を後にして更に北側へ荒れた尾根を進む事にした。

  
    生ノ浜へ繋がる海岸線を南に進む                  取り付きを探すが上にフェンスがずっと張り巡らされている

  
   沢筋のフェンスが切れた場所から取り付く                右側の岩に沿って這い上がる

  
  どうも山火事が過去にあった雰囲気の斜面だ           備讃北航路を西に進む大型船 牛島と向こうに坂出番ノ州工業地帯


               小阪港と奥に本島港      橋桁の島は左から岩黒島、羽佐島、与島  奥は岡山の日比

  
    我が職場 坂出LNG基地が見える                   ピーク手前には四電の鉄塔がある

  
        牛島へ電線が延びている  奥は宇多津            鉄塔の横には立派な石碑が立っていた

  
  藪っぽい枯草の稜線を少し北へ進む                      四電の鉄塔巡視路の札がある

  
      14時08分 小阪山に到着                    これで一応4列目の最終尾根まで漕ぎ着けた


     三等三角点「大谷」 (203.73m)  通称「小阪山」  本島最高地点

この尾根は北側の端まではとても長いので、途中で右手に下りやすい場所があったら縦走を切り上げるつもりでいた。藪を抜けると14時25分
前面が開けて尾根の続きと大浦地区が眺められる岩展望所に出た。尾根は左から右へ湾曲している様に見えて回り込んだ向こうの斜面が岩
っぽく藪が薄そうに見えたのでその辺りから下山する事に決めた。

ところがこの尾根の回り込みが結構厄介で藪が思ったよりも濃くて苦労しながら尾根を繋ぐ。しかし展望岩から眺めた様な岩場は現れず右手に
も下がりにくい状況の藪が続く。15時になると急に灌木の下り坂になりそれを下ると峠道に出くわした。

  
  岩や藪があるが比較的マシな状態だった                   この位の笹だと楽勝なんだがなあ

  
右下に大浦地区が見える   向こうは水島工業地帯だ   イメージとして向こう正面の岩っぽい斜面から右手に下りる事にした

  
  尾根を左に回り込むのが藪で中々難しい                 何となく正面のピーク方面へ進む

  
   相変わらず藪っぽい尾根を進む                    下り斜面になるとスペースがある灌木帯になった

    
 いきなり道に飛び出す  ラッキ〜〜 峠を越えて西に続く道            何かようわからん石碑がある

相生坂を下って道路に出て本島港に帰る

15時05分大きく掘れこんだ峠道を下っていくと「相生坂」と記された石標が現れた。ここはかつて車が無い時代に北の大浦地区と南の泊地区
を結ぶ主要な街道だったのだろう。これを泊方面へ下って行くと道は笹藪っぽくなって15時15分舗装道路に出た。

道路を小阪集落へと歩いていると右手に「不動堂」があった。まああんまり厳かさはないが八ヶ峰〜金剛山の尾根に奥の院不動道と言うのがあ
ったがこの不動堂と関係があるのかも知れない。

15時27分海岸沿いの小阪地区に出て、海岸沿いを本島港へ向かう。泊地区に入ると左手に江戸初期に塩飽勤番所の年寄宮本半右衛門が
寄進した大きな鳥居があり、ここには日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の水先案内を務めたと言う烏を祀った「木烏(こがらす)神社」や神社内に
は千歳座と言われる幕末に造られた芝居小屋などがある。

その後、ぐるっと右回りに本島フェリー乗り場に帰り待合所で喫茶店か食堂が無いか訪ねると裏手にある本島パークセンターがひょっとしたら開
いているかもと言うので早速飛び込む。近所の漁師さんが集まって宴会の様に一杯やっている所で、もうご飯はありませんと言われて何でもい
いから食べる物を・・・ ギブミー エニ フード!! と聞くとラーメンかチャンポンならあると言うのでお願いしますだ〜と言って落ち着く。

17時10分のフェリーで丸亀へ帰り市営駐車場で千円を払って家に帰る

  
        峠道を東へ下る                               おう 中々立派な道だ事

  
  相生坂      左 大浦道 、  右 泊道               やはり下の方では笹藪っぽくなっている

  
   15時15分 舗装道路に出る                       入口には生ノ浜への山越え道とある

  
    直ぐに 不動堂が右手にあった                    15時27分 小阪地区に出る

  
   海岸線を坂出方面を見ながら歩く                  正面のこんもりした岬の手前が泊地区、その向こうが本島港

  
    木烏神社の鳥居 奥左が千歳座 正面が神社                年寄 宮本家のお墓

  
  やっとチャンポン麺にありつける                       17時10分のフェリーで丸亀へ帰る

今回初めて讃岐の里山シリーズに島の山として本島を歩いたが標高が200m未満の尾根だから藪でもそんなに苦にはならなかった様な気が
する。 冬場に限られた島内の山歩きも良いと思った

reiko さんの 本島レポ は   ここ 


塩飽諸島 島の山巡り 第2段 粟島レポ は   ここ 

塩飽諸島 島の山巡り 第3弾 広島レポ は   ここ 






    

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