早月尾根から剱岳、北方稜線へ B級登山者のほろ苦い山行記 第2章      (エントツ山登山記)

今回の剱岳遠征の概要 早月尾根を2度上り、剱岳山頂を3度踏み、道迷いの末にヘリコプターで富山空港へ搬送など奇想天外の
剱岳縦走記  比較的順調だった縦走 前半編 は   ここ  


カシミールソフトを使ったGPSトラックログ図 編集図
剱岳早月尾根〜剱岳〜北方稜線(池ノ平山・南峰まで) 道迷いで富山県警山岳救助隊にレスキューされ富山空港、その後剱岳に上り返す


いよいよ怒涛の後半編へ

虚しい彷徨の果てに

令和3年9月28日

池ノ谷尾根の頭のビバーク地から池ノ平山(南尾根)をピストンし池ノ谷ガリーを3分の2程上がった場所にある大岩を過ぎた
辺りで濃霧となり、性能の良いヘッドランプの光に霧が反射して辺りが真っ白になり視界が効く範囲が2メートル程になる。完
全なホワイトアウト状態に陥った。しかし今まで夜に山を歩く事に慣れているのでガレ場を上がり切れば「池ノ谷乗越」の狭い
コル部に到達し、そこから右手へ崖を這い上がればテン場に着くハズだった。

所が周りが全く見えない状態で方向感覚が無いままガレ場を歩いていると訳の分からない岩とザレ斜面に行きあたる。どうして
も「池ノ谷乗越」に到達できないのだ。

ここで遅ればせながらスマホ地図を見るとルートを大きく右に外している。そこで左手にルートを変更して歩くと今度は大きく
左にルートを外してしまう。恐らく丁度深い谷間にあたる場所なのでGPSで衛星が十分捉えられずハレーションを起こしてい
るのだ。

テン場を譲る約束をしているので余計にアセって手当たり次第崖を這い上がったり、下ったりを何度も繰り返す。どうルートを
変えて歩いてもGPSで位置確認する度に朝歩いたルートから外れている。

時刻は20時になり、21時、22時と彷徨を繰り返し時間が虚しく過ぎて行く。霧は全く晴れずに付近のあらゆる物を濡らし
てヘッドランプの光が水滴を美しく輝かせている。

埒が明かないので岩場を無理して行ける所までハイマツを頼りに這い上がってみたが、向こうは深い谷になってテントの有るピ
ークには出ない。充電を3回出来る予備バッテリーは既に残り少ないのでスマホの電源を切りながら電池をセーブする。

夜中まで頑張ってみたがもうお手上げ状態になりズボンは霧の夜露でびっしょりとなり、手の指は岩を掴んで沢歩きをした後の
様になっている。体を確保出来る場所に座り込んでザックからシュラフを出して首に巻き付けて体を出来るだけ覆(おおい)い
低体温症になる事を防ぐ。



   池ノ谷ガリー 最初にホワイトアウトで夜に彷徨を繰り返したと思われる場所  見れば見る程考えられない道迷いだ

 
9月29日(水)


ハンディGPSに残っていたログ図  途中でヘッドランプの電池切れにGPSの電池を転用しログが撮れなかった場所もある


風の少ない稜線部近くでうずくまり暫くすると寒くなり体がガタガタ震えてくるので又動く事にする。谷部の下りでは5〜6回
お助けロープを出して事故だけは起こさない様に慎重に行動する。03時頃までザレ場に下り又上り返す事を繰り返す。しかし
相変わらずホワイトアウト状態が続き「池ノ谷乗越」に出ることがどうしても出来なかった。

まるで剱岳のキツネに化かされていると思うほどあの狭い谷筋のピークが見つからないのだ。その内最後の電池も切れてしまっ
た。ハンディGPSもどうした訳か地図が出ない。(地図内臓のチップが2日前にザックを谷に落とした時に外れてしまい、電
池の蓋を開けた時に紛失した様だ)時々座り込んでシュラフを巻き付けて体を動かし続ける。


何か悪い事が起こる時には振り返ると数々の不運と失敗が重なっている物だ。どうしてこんな事になったのか・・・色々自分の
行動を反省しながら体を動かす。小窓から池ノ平山へのピストンが思いの他時間がかかり過ぎたのが行動計画最大の誤算だった。

何処かのピーク近くでうずくまっていると05時前になり急に霧が晴れて辺りの岩山がうっすらと浮かび上がって来る。ここで
又判断ミスを犯す。こんな危険な場所で居るよりは明るくなる前にここを下って池ノ谷ガリーに復帰して明るくなる前にテン場
に帰ろうと動き出してしまった。もし明るくなるまでそこで待っていればそこがテン場に一番近い場所だったと思われる。

ガレ場を下り右手にコル部があったのでそちらに移動して向こう側を眺めると後立山連峰が見えた。そこでここは八ツ峰の何処
かのコル部に迷い込んだと勘違いしてしまった。(後日確認した事だが、実はそこが三ノ窓だった。)
八ツ峰付近だと考えた私
はから池ノ谷ガリーに復帰すべく西側へ尾根を2つ越えた。
しかしでもそこの谷は切れ落ちていてガレ場は無かったので引き返
す。

そんなバカな事を午前中行い、これでは埒が明かないと最初の場所まで帰って、今度は東側から長次郎谷へ出て、そこからテン
場近くの稜線に上がる作戦に変更した。


  
 富山か上市市の街の灯が見える                  コル部に這い上がると後立山連峰みたいな山並みが

  
  どうも池ノ谷ガリーより下側へ迷い込んでいた様だ       尾根を西に越えてみる事にした

  
 あの岩棚を伝って向こう側の谷をチェックして」みよう     お助けロールを使うのはお手の物

  
 二つ目の谷も池ノ谷ガリーではなかった              周りは見慣れない形の岩峰のみ

  
 何の花だろ?                             見慣れない谷から引き返す

途中の雪渓(後日確認するとそこは三ノ窓下部にある雪渓だった)で水を探すが無くて、氷を齧って食べた後、ペットボトルに
氷を詰める。稜線に沿って回り込んで行くと尾根の向こう側にある尾根の右手に別の雪渓が見えた。ちゅうことは先に見える尾
根が八ッ峰だとわかり、そこに向かう踏み跡が五六のコル方面へ続いていたので辿って進んでいく。


  
  取り敢えず雪渓で氷を齧り、ペットボトルに氷を詰める    ん? この雪渓は一体どこ?  (三ノ窓雪渓だったのだ)

 山岳救助隊のヘリに救助され富山空港へ搬送される


 カシミールソフトを利用したGPSトラックログ図  富山空港までのログ図は実際にハンディGPSに残っていたものです

富山県警山岳警備隊(航空隊)ヘリが飛んできた  え? 俺??

スマホの電池は切れてハンディGPSの地図も出ない。おまけにデジカメの電池まで切れてしまった。現在地が分からない状態で
昼過ぎ見当を付けて八ッ峰、五六ノコルへ向かって歩いている時、ヘリコプターが飛んできて山の尾根近くでグルグル回ってい
る。岩場で登山者が滑落したのだろうかと最初はそう思った。

暫く山塊に沿って右斜面に続く踏み跡を歩いていると今度はヘリコプターがこちらに向かって飛んできた。こちらはなるべく素
知らぬ様子でヘリを見ず歩く。すると八ッ峰へ向かって元気に歩いている私の姿を確認して飛び去って行ってホッとする。何が
あっても救助ヘリなどのお世話になる事は最大の恥だと考えている。

さらに15分程してそのヘリコプターが帰って来て上から拡声器で「池ノ谷(尾根)の頭でテントを張っていた人ですか?」と
問いかけて来た。あちゃ〜 私を探しているのか〜 その時点で昨日テン場を譲ると会話した登山者が心配して救助隊に連絡を
したのだろうと想像出来た。

「は〜い そうで〜す」(私)「捜索救助依頼が出ていますが、救助要請されますか?」と拡声器で言うので手を振って「要り
ません。大丈夫です」と返事をする。更に上から「要請の場合は○、要請をしない場合は×を腕で示して下さい」「結構で〜す 
救助は要りません」(私)と両腕で×を作る。「池ノ谷ガリーへ帰れないので八ッ峰を越えて長次郎谷からテン場へ帰ります」
と大声で叫び、池ノ谷ガリーはどの辺りですか?と聞くがローターの音が大きすぎてこちらの声が向こうに届かない。「体力は
大丈夫ですか?」と聞くので「大丈夫です」(私)と答えるとヘリは飛び去って行った。

あ〜良かった〜とホッとする。水は雪渓の氷をペットボトルに詰めているし鬼イチゴを食べたりして飴を舐めながら今日1日は
持ちそうだ。八ッ峰へ向かうと沢部があり、そこで水を補給しようと思っていると又ヘリコプターが引き返して来た。恐らく私
に用事があるのだろうとヘリから見える場所へ出て見上げると「やはり霧が出るかも知れませんから救助要請された方が良いで
すよ」と助言される。最初は「結構です」と×を作っていたが、それでも再三救助要請を勧める。

昨日会った登山者が朝まで私がテン場に帰らないのを心配して山岳救助隊に遭難通報してくれた。そしてその通報を受けた富山
県警警備隊のヘリが私を探して見つけてくれた。そして一度は断ったにもかかわらず救難救助のプロが又舞い戻って救助要請に
応じた方が良いと勧めてくれる。恐らく本部では馬場島に出した登山届を見て私の年齢や携帯電話番号を知り連絡を入れた筈だ。

私のヘマで道迷いをしてしまい、おまけにスマホの電池も切らしてしまった。そして私のせいで出動した救助隊員にリスクを生
じさせてしまったのだ。この様な状況でこれ以上「NO!」と言えるだろうか。

観念して「それじゃお願いします」と答えると「あなたが救助要請をするんですね?」と念を押してくる。少し違和感を覚えた
が救助マニュアルでこう言った場合、本人からの要請確認が手続き上必要なのだろう。

ヘリに吊り上げられて富山空港へ 

ヘリからの指示で少し場所を移動して上から隊員がスルスルと下りてくる。先ず私の一声は「これってお金がかからないでしょ
うか」だった。「はい(お金は)かかりませんよ」の声に安心してヘリへ吊りあげて貰える。一旦ヘリからのワイヤーは外され、
隊員に抱き枕の様な吊り上げ装具を脇の下に装着される。安全確認の後、ヘリからワイヤーが下ろされてデカいカラビナでワイ
ヤーと繋がる。救助隊員はハーネスを装着しており自分もワイヤーにカラビナを取り付け、私の姿勢が安定するように両太もも
で挟みヘリのウィンチで吊り上げられた。

ヘリ内には操縦士の他に二人収容補助を行う隊員がスタンバイしておりすんなりと大きく開いたドアの中に収容される。普段か
ら訓練をされているので動作は機敏だ。横に寝る様に促され直ちに指に酸素濃度計測器で数値を読み取っていた。(正常)恐縮
して迷惑をかけた事を謝りお礼を述べる。

恐る恐る「三ノ窓かテント付近へ下してくれるんでしょうか?」(私)「いいえ 今から富山空港まで搬送します」「え〜〜〜
そんな!!」(私)「そういう規定になっていますので・・・」「それじゃテントの場所にどうやって帰れば良いのでしょうか
?」(私)「それは空港で県警本部に引き継ぎますからそちらで相談して下さい」 う〜〜ん 事故と違い道迷いの場合はルー
ト上付近とかテントまで搬送して貰い、下山後に救助本部に事情聴取に出頭されば良いと安易に考えていた。誤算だが今更ヘリ
から下して下さいとも言えない。

内心、剱岳の風景を空から見たくてたまらなかったのだが、救助された身なのでそんな不謹慎な事は出来ない。じっと病人の様
に横たわり大人しく空港まで神妙な態度でヘリの人となる。

ヘリ隊員の対応は言葉づかいも大変丁寧で感じが良く精悍で制服姿も惚れ惚れする様でカッコ良い。年配の操縦士はベテランら
しく落ち着いて頼りがいがありそうだ。靴は私も持っているスポルティバのアプローチシューズを全隊員が履いていた。富山空
港に着陸してヘリを下り、特別な事務所に案内される。


救助のイメージ図
   
救助者の脇下に吊り上げ補助装具を付けた後、隊員は安全確認をして救助者を足で挟んで吊り上げる 
(2021年救助吊り上げ訓練動画より写真掲載)


 富山県警察航空隊ヘリコプタ「つるぎ」    イタリア製アグスタA109K2型ヘリ  (2021年記念行事HP動画より写真掲載)  
軍用A109Kをスイス・エアーレスキューの要請で民間用に高地性能をアップさせてさせて開発された

富山空港で事情聴取

空港事務所には自動販売機が無く、喉が乾いているので剱岳の雪渓でペットボトルに取った氷が少し解けていたので飲む。頭が
ボサボサなのでトイレで髪を濡らして少し整える。空港で待機していた若い男性が上市(かみいち)署から応援が来るので小一
時間待った後、男女の若い警察官2名より事情聴取が行われた。

登山開始から救助当日までの行動場所と時間経緯、道迷い時の行動時間と大体の場所、救助された経緯などを説明する。その際
ヘリで救助された事は本意では無かったが多くの方々に迷惑をおかけした事を鑑みての決断だったと述べる。

事実、私自身は救助ヘリなどのお世話になるつもりは微塵も無かったのだが、登山中に出会い救助要請をして頂いた登山者には
多大なるご心配をおかけした。又親切な登山者からの通報を受けて山岳警備隊ヘリが私の捜索の行動に至った事は救助隊員にリ
スクを生じさせ、時間と費用を使わさせてしまった。

一応事情聴取が終わった頃、若い署員から報告を受けたベテランの警備官が急きょ加わり道迷いのポイントの予想や救助場所
について説明して頂き、道迷いでも遭難には変わりない事を何度も念を押される。この山域に来る場合は周りの山の形を良く
理解した上でないと駄目ですよと諭される「全くその通りです」(私)としおらしく頭を下げる。

立場が変われば見る目も変わる。自分としてはどんな事があっても山歩きは自分で自己完結するのが信条だった。救助要請な
どとんでもない事だったし、今回もそのつもりで道に迷ってもテン場まで帰り着く体力と自信は有った。しかし、捜索要請を
して頂いた登山者やその知らせを受けた富山県警察山岳救助隊の立場で考えると傍(はた)迷惑な
登山者だったに違いない。
おまけに救助要請にも素直に応じない人騒がせな存在になってしまった事を大いに恥じる。

「ところでテントと装備品はどうされますか?」と問われて「明日取りに行きます」(私)「え〜? こちらで回収し料金着払
いで自宅に送る事が出来ますが・・」「いえ そこまでご迷惑をおかけする事は出来ません。それにもう一度テン場に戻って道
迷いの現場を検証したいのです」(私)「・・・無言・・・」



  北方稜線 池ノ平尾根の頭ではテントが私の帰りを待っている。 (装備品はテント内に収めている)

振り出しに戻る 

山からヘリコプターで富山空港へ運ばれて来たのは良いが、事情聴取が終わればそれ以上の面倒は見てくれない。空港から登山
口の馬場島まで帰る交通手段を聞いていると二人の若い警察官が「上市署へ帰りますから上市駅までお送りします」と言ってく
れた。駅前にコンビニがあると言うのでそこで下して貰い、モナ王アイスとコーラを店前の椅子に腰かけて飲む。そう言えば朝
から飴玉数個と鬼イチゴ以外は口にしていなかった。ほぼ一睡もせずほぼ飲まず食わずだが不思議と心身共にまだ余裕がある。

翌日の食料をコンビニで調達した後
上市駅に行きトイレで手足や顔を洗ってタクシーに乗る。馬場島まで9千円支払い余分な
出費に更に落ち込む。デポした車に帰りつき車に常備していた予備バッテリーでスマホを充電して事の次第を家に連絡し大い
に呆れられた。一番呆れているのは自分自身なのだが、再度剱岳へ上り返してテントを回収するので帰りが2〜3日遅れる事を
伝える。もうお風呂に入る時間もなく車中泊の人となる。

 

9月30日(木)馬場島〜剱岳〜池ノ谷尾根の頭   (テント装備回収に向かう)


 カシミールソフトを利用したGPSトラックログ図 馬場島〜剱岳〜池ノ谷尾根の頭(テン場) 往復

子供の頃兄弟でした双六遊びがあった。運が悪いと「振出しに戻る」って言う目が出てガッカリして最初からスタートになる。
サイコロを振るだけなら簡単なのだが、今回の「振出しに戻る」は少々キツい。明日は北アルプスの三大急登、早月尾根を休
まず歩いて剱岳山頂から北方稜線上のテン場、「池ノ谷尾根の頭」まで進まなければならないのだ。


朝目覚めるともう薄明るい。今日の長丁場を考えると05時過ぎには出発しなければと思っていたのだが、さすがに寝過ごし
てしまった。


早月尾根図解  地元「上市(かみいち)町」HP掲載地図より


  馬場島〜早月尾根〜剱岳のルート解説図

06時20分見慣れた登山口に入る。「試練と憧れ」の石碑をため息交じりに眺める。天気は良くて荷物は最小限ではあるが
歩みは非常に鈍い。自分のしでかした失敗を悔いて元気が出ないのだ。ああすれば良かった、こうすれば防げたと後悔と反省と
自己嫌悪で登山に集中出来ない。それでも次々と現れる巨木に多少癒されながら早月小屋を目指す。

長い尾根を黙々と歩き鎖場やアルミ梯子を越える。12時過ぎに早月小屋に着くと若い小屋番2代目が庭で作業をしている手を
留めて「原さんですか? 大変でしたね お疲れ様です」と優しく声をかけてくれる。小屋の中から北方稜線の情報をくれたベ
テランの番頭さんに事情を聞かれる。山岳救助本部からも私が小屋を通過した時間を連絡する様に依頼されているらしかった。
先代の小屋番佐伯謙一さんは富山県山岳救助隊出身なのでお互いが深い関係にあるのだろう。

私も富山県警山岳警備隊本部から早月小屋に着いたら確認の電話をする様に言われていたので「少し遅れ気味ですが何とか明る
い内に長次郎の頭を通過するつもりです」と連絡を入れる。


  
 06時20分 早月尾根登山口を入る              立山杉はやはり迫力がある


        前半は立山杉を眺めたり間を抜けたりしながら歩く

  
  長〜い根っ子が絡まって階段を作る                 天気は午前中は良い

  
  ミヤマダイモンジソウ                        ん?  これ何?

  
 三角点手前のコル部から北方稜線手前のマッチ箱を見る   12時過ぎに早月小屋に着くと少しガスが出て来た

水とコーラとお茶を買って小屋を出発する。翌日は台風接近の影響で天気が悪くなるので現場でゆっくりして道迷いの検証をす
るつもりだ。厳しい北方稜線と比べて早月尾根はゴゼンタチバナの朱い実やシラタマノキ、ミヤマダイモンジソウが優しく咲い
ている。剱岳手前の岩場にさしかかるとガスが出て来て視界が悪くなる。台風接近の影響で湿った空気が流れ込んでいるのだろ
う。

16時45分剱岳山頂の祠に到着し山岳救助隊本部に連絡を入れる。普段は賑やかな山頂だがこの時間はさすがに誰も居ない。
兎に角暗くなる前に難所の長次郎ノ頭を抜けなければならないので先を急ぐ。


  
  シラタマノキはこの時期は沢山見かける             最初の大岩壁に来ると霧が濃くなってきた

  
 気は急げども歩みは進まず                     一か所トラバースせず岩尾根を越えた


16時55分 想定外!2度目の寂しい剱岳山頂に到着し県警山岳救助隊に連絡を入れる

 霧が出ているがまだ辺りは見える。17時30分「長次郎のコル」を通過してザレ場を這い上がる。右手の岩棚に出た場所で
急に濃霧に包まれて辺りが全く見えなくなった。
ここは少々危険な岩場の崖をクリアする場所があり暗い上に視界が悪いので
進むのが躊躇(ためら)われた。

何か予定が変更時には山岳警備隊本部に連絡を取る様に指示を受けていたので「霧が濃くなって天候が回復するまで長次郎ノ頭
付近で待機します」と連絡を入れる。当然無理をしない様に念を押される。う〜〜ん 又ビバークかい!とウンザリする。
でも私は前科者、ここで滑落などするものなら山岳救助隊に申し訳が立たない。じっと我慢して天候の回復を待つ。

18時40分頃、幸運にも霧がす〜〜っと晴れて眼前に剱岳のデカい山塊が現われてびっくりする。霧の中に出現する剱岳は覆
いかぶさって来る様で恐怖心さえ沸き起こる程だ。しかしこれで方角が分かり、危険な岩崖ルートへ行くのを止めて垂直の岩壁
から吊るされたロープを伝って稜線近くに這い上がる。すると富山の街並みの灯が見えてその美しさに見とれる。

山岳警備隊に連絡すればその場に留まる様に指示されるのは決まっている。霧さえなければ夜間歩行は慣れているし既に危険地
帯はクリアした。ここは申し訳ないが黙ってテン場へ向かう事にした。ここで滑落事故などを起こして再度救助ヘリの出動とな
った日には目も当てられないぞと自分に言い聞かせて
左手の岩尾根に沿って慎重にルートを選びながら進む。

ポールを安定する岩に当てバランスを取りながら亀の様にゆっくりと歩く。21時20分目印になる遭難碑を通過し3日前ザッ
クを谷に転げ落としたコル部を通過。そこから尾根筋を歩き双耳岩を抜けると21時55分無事「池ノ谷尾根の頭」のテン場
に3日ぶりに帰り着く。

山岳警備隊本部の当直さんにテン場到着の連絡を入れると「あなたの体力は十分認めますが夜にそこを歩くなんて無茶です!」
と当然ながら説教される。その後は暫く道迷いの場所について意見交換をして頂く。今回は富山県警山岳警備隊の救助活動をつ
ぶさに体験し、山男達の人情にも触れた。

久し振りに我が家に帰った様な気持ちで今回詰めを誤りハチャメチャだったこの2日間を振り返りながら眠りにつく。


 長次郎ノ頭で濃霧の為待機を余儀なくされて40分後にス〜〜っと霧が張れて夕暮れの景色にうっとりとする

  
 富山平野の街の灯も孤独な山では郷愁をそそる         21時55分 池ノ谷尾根の頭、懐かしいテントに帰り着く

 

10月1日(金)道迷い現場を歩く

今日は台風が関東をかすめて北上する関係で朝から天気が悪い。午前中雨が降り出す前にテン場を出る。池ノ谷乗越に下りてガ
リーを下り三ノ窓まで歩いてみる。下りはどう見ても一本道で迷いようが無い。左手の池ノ谷尾根側は数か所廊下状になった斜
面があり草付きやハイマツがある。迷った夜はガレ場から岩場を這い上がれば池ノ谷尾根の頭=テントに帰れると信じて何度も
ガレ場から岩場の這い上がりを繰り返したがテン場に帰れなかった。

地形を見ると主尾根側(八ッ峰ノ頭〜三ノ窓の頭〜チンネ側)は岩壁が切り立って這い上がる事は出来ない。従って霧に巻かれて
比較的傾斜の緩い池ノ谷尾根の途中に入り込んで右往左往を繰り返していた思われた。

  
池ノ谷ガリーは左手の池ノ谷尾根側にしか迷い込めない   道迷いの当日はここまでは確実に帰っていた(乗越から10分程)

  
 池ノ谷乗越から下って来た岩尾根          池ノ谷尾根側には視界が悪いと比較的迷い込み易い斜面がある

  
 こんな場所を上がったり下りたりしていたのか〜     主尾根側は迷っても岩斜面を這い上がれない


 結局池ノ谷ガリー上部で迷った夜は正面直下の岩場や左手の池ノ谷尾根で右往左往を繰り返していたのだろう


残酷な駄目押しの結論 (三ノ窓に気付かなかった!)

下った三ノ窓を良く観察して唖然とする。半焼けした木のポールが立っているのだ。道迷い時にここを数回来た記憶がある。ど
うもビバークした池ノ谷尾根のどこかから夜明けと共に三ノ窓を通り越してガレ場を更に下ってウロウロしていた様だ。

カメラの電池がある内に縦走の朝に撮影した写真をモニターで慎重に確認していればそこが三ノ窓だと気付いていたのだった。
そこが三ノ窓だと気付かず、恐らくこの付近を抜けてチンネの東側を南にトラバースして八ッ峰、五六のコルへ向かって踏み
跡を辿っていたのだった。

一旦雪渓の氷を採取する時、岩に何か黒いペンキで字が書いてあるので岩に上がって良く見たが全く消えかかって字が読めな
かったし、逆さに立てられたスコップの目印を見逃してしまっていた。落ち着いてここで地図を出したりする余裕があればそ
こが三ノ窓と気付いていたかもしれない。闇雲に歩き回って三ノ窓ルートから外れていると頭から信じ込んでいるのでピンと
も来なかった。最低の精神状態に陥っていた。


    
発射台も角度が変わればピークに突き上げる岩壁に見える  三ノ窓も池ノ谷ガリーを下って池ノ谷尾根側へ行くと良く見えなくなる

  
あれ? 焦げた柱があるぞ? 錆びたスコップしか見ていなかった  迷った時の写真にこの焼けた角棒らしき物が写っていた!

   
この三ノ窓写真は下のタキオンさんのテント写真と一致する  何かを焼いた跡があったのも道迷いの時に見た気がする


   タキオンさんが数年前に三ノ窓でテントを張った写真を掲示板に貼って頂いた  


要はミスや勘違い、思い込みで池ノ谷ガリー界隈から池ノ谷尾根界隈、下部の谷部界隈をウロウロしていた訳だ。分かってみれば
単純なヘマ過ぎてショックは大きい・・・。翌朝三ノ窓に気付いていればテン場へ帰り登山者からの通報も防げた訳だ。

ヘリに吊り上げられた場所から八ッ峰、五六のコルを経て長次郎谷右俣を上がりテン場まで3時間はかかっただろう。何とか夕方
遅くまでにはテン場に帰る事が出来たとは思うが、そもそもこんな迂回ルートを歩く必要も無かったのだ。この残酷な現実にB級
登山者の悲哀を感じざるを得なかった。

立ち直れない様なショック状態のままトボトボと小雨が降り出したテン場へと帰る。

13時頃、外は雨なのに人の声が聞こえる。え〜?こんな天気が悪い日にこの辺りへ来る? テントから這い出して見ると若い女
性二人がガイドに連れられてやって来た。聞くと休暇の関係でこの日しか予定が立たなかったと言う。「お気をつけて〜」と声を
かけて見送る。(「お気をつけて」って他人に呼びかける資格はお前には無いだろう!!・・・・・)

          
 若い女性が明るい笑顔で元気をくれた              この時間から池ノ平小屋までガイドさんも大変だなぁ

何か悪い事が起こる時には振り返ると数々の不運と失敗が重なっている物だ。自分が陥った単純な負のスパイラルを振り返りな
がらもどうしてこんな結果になってしまったのか・・・色々自分を反省しながらテントの天井を見つめる。

そもそもの間違いは縦走ルート計画だった。素直に早月尾根〜剱岳〜池ノ平小屋〜剱沢雪渓〜別山尾根上り返し〜剱岳〜早月
尾根の周回にしておけば今回のトラブルは避けられた。。重いザックの縦走と別山尾根の這い上がりを嫌がって「池ノ谷尾根の
頭」をベースキャンプにして池ノ平山のピストンにしてしまった。手抜きをせずにキッチリと歩くべきだった。

又、ピストンする場合にでもベースキャンプを「三ノ窓」にしておけば今回の様な問題は起こらなかった。フル装備ザックを
背負って池ノ谷ガリーの上り下りを避けてしまったのもベースキャンプを景色優先にした為のしっぺ返しだった。

又、ベースキャンプ地出発時、予備バッテリーを2個あるのに1個しか持たなかった事 何を減らしてもこれは軽率過ぎた。
軽率と言えば
途中で会った登山者とテン場を譲る約束をしてしまった事も有る。(その結果池ノ平小屋泊の選択肢を潰してしま
い、どうしてもテン場に帰らなければと濃霧の夜に動き過ぎて自分の位置を喪失してしまった)

後から考えると、折角夜中のビバーク中にテン場付近の稜線に居ながら明るくなる前にそこを下ってしまった。早くテントに帰
らなければとのアセりで訳の分からない行動を取ってしまった。

お粗末なのは翌日通過した三ノ窓に気付かなかった事だ。前日三ノ窓を通過した時に良く周りの地形を記憶に留めて居なかった。
最近の数年間スマホ地図に頼った山行が日常になり、国土地理院の地形図に東経北緯の線を入れて携帯する基本を怠った。
ハンディ
GPSの地図は出なかったが東経北緯が表示されていたので基本を守っておれば現在位置が把握出来ただろう。

目で見た地形を十分頭に入れず行動した為に三ノ窓を見逃し、池ノ谷乗越からテン場へ這い上がる岩ルートは想像より厳しい崖
で霧の夜では這い上がるルート発見は難しかった事が分かった。

 こんな失敗の連鎖って有り得るのだろうか?まるで剱岳のキツネかタヌキに化かさたとしか考えられない。自分のアホさ、軽率
さに失望する残酷な時間を風と雨に揺れるテントの中でため息を付きながら過ごす。

  
なんでだろ〜♪ 何でだろ♪ 今テントに居るのは何でだろう〜♪
   お粗末な自分に失望し続ける

  
10月2日(土)〜3日(日)池ノ谷尾根の頭〜剱岳〜早月小屋〜馬場島 テント回収後2日かけて下山する


池ノ谷尾根の頭(テン場)から剱岳〜早月尾根〜馬場島へ帰る  剱岳北方稜線は剱岳から池ノ平山を経て猫又山へと続く

10月2日(土)  さらば 池ノ谷尾根の頭

朝起きると雨は止んで天気が回復してきた様だ。もう一度池ノ谷ガリーの上部まで下りて私に試練を与えてくれたこの場所に別
れを告げる。
濡れたテントをすこしでも乾かそうと張ったままにしていたがいつまでも留まっては居られない。装備をザックに
詰めて08時丁度にテン場を出発する。

 08時28分遭難碑手前の難所に来る。今まで東側、長次郎谷側の危険な岩崖をピッケル方面へ通過していたが、ここに池ノ谷
側(西側)に迂回路がある事が分かった。こちらのう回路を知っておればGPSのチップを無くす事もなかった。

09時50分長次郎ノ頭の基部に着き、今度は尾根沿いのルートを進む。こちらの方が歩くのが簡単で20分程で長次郎のコル
へ出る。
そこからは比較的歩き易い尾根を少し東に外したルートを歩き、剱岳の岩尾根に入る。この頃から登山者の歩く姿が見
えて11時10分今回「3度目の剱岳山頂」を踏む。

  
 朝、東にガスが沸き美しい日の出とはならなかった    しばらく池ノ谷乗越に下りてその間テントを乾かす


  池ノ谷尾根の頭で6日間張り続けたベースキャンプを撤収する

  
 08時00分 池ノ谷尾根の頭を出発する      双耳岩を通過する あのご夫婦はここにテントを張っただろう

  
 北方稜線の岩稜歩きを楽しむ             遭難碑前のコル部に出る あれ?右手にう回路がありそうだ

   
今まで通っていた岩のバンドルート            コルから右手の池ノ谷側を巻く

  
 遭難碑の前(長次郎谷側)を通らず池ノ谷側を迂回する  この辺りの景色はすっと長次郎谷(右俣と左俣)が続く

 
 北側から見た長次郎ノ頭  来る時は左手のバンドを伝って来た 帰りは右手の稜線に沿って上がる

  
  稜線部へ進むとハイマツなども少し生えている    山頂へは進まず少し下側のバンドに沿って進む


  長次郎谷(ちょうじろうたん)を時々眺めながら歩く

  
 9月30日夜歩いた時はこのロープを伝って上に進んだ   別にガレ場に下りるロープが有った


 帰りは中段からロープを使って下りた (赤線ルート)

  
10時00分長次郎のコルを通過する           剱岳本峰に向かって上る


 今回三度歩いた長次郎ノ頭と北方稜線を振り返る

 
 右手のコルを越える前にヘリのお世話になった    剱岳に近づくと登山者がチラホラ現れる


  剱岳本峰に入ると中央の長次郎ノ頭が低い位置に変わる

  
 北側から剱岳山頂を見る 登山者が多く見える     11時10分剱岳山頂に着く

  
 今回の山行では9月27日、9月30日、10月2日の3度剱岳山頂を踏む ポールが1本折れた


さらば剱岳北方稜線


今回集めた資料の中で一番参考になった北方稜線概略図 出展者「さこい」?

ネット資料としてはHP内でも紹介した森山憲一さんのブログ 森山編集所 剱岳北方稜線 は ここ 
このブログの元ネタ、山岳雑誌Peaksで2014年9月末に高橋庄太郎さんとのコンビで「さらば剱岳、オレたちは北へ行く」
も穴の開くほど読んだ。 その他3〜4年間で集めた地図や山行記をコピーして読みふけった。その挙句、ちょとした自分の
ヘマで富山県警山岳警備隊のヘリにお世話になる事態になってしまった。ここがB級登山者の所以だ。


剱岳〜早月尾根〜早月小屋〜馬場島

剱岳へ登山して3度も山頂を踏むって何と贅沢な山行だろうか。色んな事があって感慨深い剱岳三昧の旅もいよいよフィナーレ
に向かって早月尾根を下る。

山岳警備隊からテン場出発、剱岳通過、早月小屋到着の時間連絡をする様に指示されていたので電話を入れる。早月小屋からも
電話がかかっていたので無事に歩いていると連絡する。前科者かどうかは別としてみんな私の事を心配してくれているのだ。あ
りがたい事だ。

12時00分早月尾根分岐を通過して小屋へと下る。途中から雲行きが怪しくなり雷が鳴っていきなり雹が降り出した。先程ま
で晴れていたのに急に霧が出て雷雨になる・・・やはり北アルプスは天気が急変する油断ならない山域だと感じる。

16時頃小屋に着くとテン場は土曜日という事もあり結構な数だった。お世話になった山小屋に夕食と朝食の予約をしていたの
で小屋の人は暖かく迎えてくれて久しぶりにまともな食事が出来た。
 


 剱岳から眺める早月尾根  奥に見える早月小屋から馬場島までがもっと遠くて長い


早月尾根分岐付近から室堂から別山尾根と劔沢野営場を眺める 左手の別山から立山三山が並ぶ 噴煙の奥が室堂ターミナル

  
   早月尾根分岐の赤ペンキ                    別山尾根と早月尾根を分ける谷筋

  
 上り返しの時はこの岩峰を越えて来た               ガスが沸いてきて後立山連峰が隠れてきた


                見納めとなる剱岳をしみじみと見上げる

  
 東側はガスがドンドン吹きあがって来る                  樹林帯まで下った様だ

  
 雷雨となり雹(ひょう)が降って来た                  16時頃早月小屋のテン場に着くとそこそこテントが見られる

  
 ちょっと窮屈だが道の横にテントを張る                 色んなテントが並ぶ

    
夕食は小屋でお願いした ここも器は使い捨てになっている   少し天気が回復して夕陽が窓から見える

10月3日(日)

06時20分テン場を出発して馬場島へ向かう。

10時55分馬場島に帰り着き、山岳警備隊に下山の連絡を行い私の剱岳遠征は終了した。

  
良く見るとファイントラックのツェルトを張った人が居た     丸山に出て天気が回復した西側を眺める


  お世話になった早月小屋を丸山から眺める 一番トップが剱岳かな  右手に別山尾根が延びる

  
   マッチ箱も見納めか                        富山湾と富山平野が霞む 左手川が立山川


  07時00分 池塘と丸山を振り返る 紅葉も少し進んでいる様だ

  
 ダケカンバが美しい                          眼下に立山川沿いの道路が見える

  
 10時00分立山杉が出て来る                    10時40分 立山杉を眺めながら下りもうすぐ馬場島だ


   10時55分 馬場島へ到着し今回の長かった剱岳山行を終える  試練をムーチョ与えられた旅だった

  
 登山口の道路から剱岳を見上げる                馬場島荘近くの駐車場(無料)に帰る 


     早月川に架かる橋から剱岳を見上げる   

    
  早月川の清流とそれをはぐくむ剱岳の山々     つるぎふれあい館 アルプスの湯でサッパリして帰宅に着く   

  

今回の山行では自分でも信じられない程のヘマをしてしまい遭難通報をしてくれた登山者や富山県山岳警備隊の皆さん、早月小
屋の方々にご心配とご迷惑をかけてしまった。

この面目のない恥さらしな自分をさらけ出した登山記など作りたく無くて悩んだ。しかし、まあ思わぬ体験で剱岳の厳しさと人
情に触れた訳で、自分の登山史の中では類い稀(まれ)なる失敗作として記録に残さなくてはとの思いで自戒を込めて作成した。

 

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