高知の里山・南嶺縦走  里山なのに何故か1泊2日 (エントツ山登山記)
令和3年4月1日〜2日


行程

行当(ゆきとう)〜吉良ヶ峰〜荒倉神社〜161mピーク〜国道56号線横断(荒倉)
〜根木谷山〜三滝ヶ森〜春野運動公園〜柏尾山〜烏帽子山〜鷲尾山(ビバーク)
〜三角点「神田」〜皿ヶ峰〜筆山



カシミールソフトを利用したGPSトラックログ図 南嶺西部「吉良ヶ峰」から筆山まで


プロローグ

2020年1月にガクちゃんの案内で浦戸湾の孕(はらみ)から宇津野山〜鷲尾山〜烏帽子山〜柏尾山〜春野運動公園を歩
いた。その時に柏尾山の西側にも南嶺の山が仁淀川まで続いているのが気になっていた。
そこで南嶺未踏の西部と鷲尾山か
ら浦戸湾へは進ますこれ又未踏の北側、皿ヶ峰〜筆山まで歩く計画を立てる。

直前にアカリプタさんが南嶺西部を歩いてログを掲示板に貼ってくれて援護射撃をしてくれた。又、ギッチャンのヤマップ
には2行程に分けてのレポがあったので「歩ける」場所だと安心する。


先ず、ゴールの筆山に自転車をデポし、車で仁淀川の行当(ゆきとう)に行く。行当登山口から吉良ヶ峰〜鷲尾山まで歩い
てツェルトで一泊する。翌日鷲尾山から筆山へ歩き自転車で仁淀川まで帰るというものだ。


軽装備で一気に行程を早朝から夕方までに済ませる事は可能かも知れない。でもどうせ自転車で仁淀川まで帰る事を考える
と、お気に入りの鷲尾山でツェルト泊をする事に決めた。ただ里山とは言え山で一泊するとなるとザック重量は10kg程
になる。これも北アルプス縦走のトレーニングになるだろう。



 カシミールソフトを利用したGPSトラックログ図 南嶺東部  孕(はらみ)地区〜宇津野山から柏尾山まで


筆山公園に自転車をデポ

 筆山は学生時代にバイクで来た事があるが、もう道順の記憶など全く無い。取り敢えずカーナビで筆山公園をセットし4月
1日未明に高松を出る。高知インターで下りて56号線に入る。鏡川大橋を渡り右折して鏡川沿いの狭い道を筆山の北側へ
と進む。カーナビの案内通り運転すると筆山公園へ北側からの進入道路に入ってホッとする。

トイレのある駐車場を過ぎて終点の駐車場広場に自転車をデポする。久し振りに青春時代を過ごした鏡川や高知市内を眺める。

  
 鏡川に映る筆の形で「筆山」 (高知市HPよりの写真)      筆山公園 上の駐車場に自転車をデポ


  筆山 自転車デポ地から眺める鏡川と高知市内


登山口は仁淀川沿いの「行当」(ゆきとう)


筆山を下り通勤ラッシュの56号線に出て西へ向かう。高知大学のあった朝倉地区の南側を抜けていくのだが昔と違って大き
な店が立ち並びすっかり様変わりしていた。昔のイメージで荒倉トンネルを翌日自転車で抜けるのが少し怖かったのだが、こ
こも新しいトンネルが1本追加されて十分な幅の自転車側道があり照明も明るかった。

荒倉トンネルを抜けた辺りを縦走時に通るのだが一体どの辺りかさっぱりわからないのでそのまま通り過ぎる。春野町の釘抜
とか百笑(どめき)とか言う面白い地名の場所から56号線を外れて近道で登山口へ向かう。

さて、登山口の行当に文字通り行き当り、道沿いを走るとギッチャンがヤマップに載せていた登山口写真を発見するも車を置
く場所が見つからない。仁淀川へ出ようとしても土手沿いには車止めがあるし、付近に空き地がないので車で何度も往復する。

仕方がないので「行当の切抜」の記念碑がある道路付近に歩道部分が広いスペースになっていたのでそこに車を留めさせて貰
う。車道とは隔絶された空間で歩行者にも自転車にも邪魔にならない場所だった。行当の切抜工事は仁淀川から春野地区へ水
路(井筋)を通す時にこの付近の岩盤が非常に硬くて5年をかけて長さ40mの水路を築いた。


  
 野中兼山の「弘岡井筋」の難工事記念碑             道路横の広い場所に車を停めらせて貰う


行程1)行当(仁淀川)〜吉良ヶ峰〜荒倉神社   約3時間

 いよいよ南嶺西部の縦走開始、先ずは吉良ヶ峰(きらがみね)からスタートする。久し振りの泊り装備ザックが重い。登山
口付近は地形図を見ると鉄塔が尾根に沿って延びていたのでこの保線路を利用する事で不安は無かった。


08時40分民家の横にあるコンクリートの階段を山に向かって入る。この道を真っ直ぐ進めば良かったのだが、左手の尾根
にあるお墓へ進む道が有りそちらを選択する。結局道はお墓までで、そこから藪尾根を進んで鉄塔保線路に合流する。


登山口から10分で四国電力送配電(株)の高岡線29番鉄塔に着く。暫く植林の尾根が続くと自然林に変わり歩を進める
と次の鉄塔28番に着いた。

尾根はスペースがあり歩き易い。自然林から又植林が現れると09時15分高岡線鉄塔27番を通過する。この3つ目の鉄
塔から電線はこの尾根を外れて北東方向へ逃げてしまう。

  
 08時40分 道路の擁壁を回り込んで山へ入る    ここが登山口 コンクリートの石段を進む

  
 保線路が山へと延びる ここを真直ぐ歩くのが正解  左手のお墓に上がる道へ進んでしまい、藪尾根を保線路まで歩く


  
 お墓の横から藪尾根を進み鉄塔保線路にすぐ合流      登山口から10分で高岡線29番鉄塔を通過

  
 尾根には植林帯が現れる                      その内明るい自然林になる

   
 09時03分 高岡線「28番鉄塔」                   ホウライチク(蓬莱竹) 竹の中が空洞になっていない

  
 南嶺にはカゴノキも多い                     09時15分 高岡線「27番鉄塔」を通過 これが最後の鉄塔だ


鉄塔を過ぎても自然林の快適な尾根が続く。それもその筈でこの尾根はまだ鉄塔保線路の延長だった。09時27分無情にも
鉄塔巡視路が尾根を外れて左へと下がってしまった。


  
 ひょろ長い木々の森が続く                       09時27分 鉄塔保線路が尾根から左に逸れて行った  


吉良ヶ峰(きらがみね) 三等三角点「吉良ヶ峰」 249.48m

 案の定、鉄塔保線路が消えると尾根が急に荒れた上り傾斜となった。この山域の特徴として竹が広がらずに鉢植えの様に纏
まって生えている。蓬莱竹(ホウライチク)と言って南アジアが原産だがこの竹の繊維が火縄銃の火縄になる為に西日本に
輸入し広がったらしい。何でも高知ではこの竹をシンニョウダケと呼んでいるとの事。去年宇佐の山でも良く見かけたが、今
回も南嶺でお馴染みとなる。

09時48分尾根に溝が掘られているので付近を見ると人工的で尾根の左側へ続いていた。何かの試掘跡なのだろうか?
細い灌木帯が続く尾根を進むと09時57分一角が欠けた三角点「吉良ヶ峰」に着く。


  
 尾根には道が無くなったが細い幹の雑木林になる        ホウライチクが時々現れる

  
 何故か尾根に大きな穴が掘られている              そこから溝が左手の斜面に延びている

  
 尾根は山頂が近づくに連れて歩き易くなる             09時57分 三等三角点「吉良ヶ峰」に着く  


吉良ヶ峰(きらがみね)の山名由来

 吉良ヶ峰の名前はこの地方を戦国時代に治めた吉良家から来ている。地名がその地方の豪族名から取られる事は全国的に
多い。土佐吉良家の始まりについては源頼朝の異母弟「希義」(まれよし)が3歳の時、平治の乱で土佐の介良(けら)に
流罪となった事から縁が出来た。その次男「希望」(まれもち)が後に将軍頼朝に拝謁し土佐吾川郡の一部を拝領し、まさ
に希望の星として吉良家を名乗ったのが始まりとされている。よう知らんけど・・・

それにしても高知(土佐)って良い所なのに昔は流刑の地だったのか〜〜

名門土佐「吉良家」は戦国時代に土佐七守護の一つとして名をはせ吉良宣経(のぶつね)の時代には吉良城を中心に仁淀川
の治水や、土佐南学を広めたりして頑張ったのだが、その息子が仁淀川で鵜飼に興じている間に本山氏に攻め込まれて万事
休す。親が立派過ぎるとぼんくらな子供が出来るのは世の常なのか。

その本山氏も名門「吉良家」を名乗ったが、これ又長宗我部元親に滅ぼされる。で・・・その長宗我部元親も名跡「吉良家」
を弟に継がせたのだが、その息子の時代に謀反の罪で万事休す。
要するに戦国時代の長宗我部元親の時代にこの吉良家と城
は滅びたらしい。そんな訳で吉良の名前は山の名前として現代に残っている。

ちなみに吉良城はこの山頂には無く、南東の尾根上にあり春野町では以前大規模な発掘調査も行われている。



吉良ヶ峰城の発掘資料にある周辺地形図  吉良ヶ峰城は山頂の南東尾根上にある  東尾根はどうも鉱山によって削られている様だ
南側の大谷に吉良氏の館があったらしい


厄介なるかな 吉良ヶ峰からの下山 

山歩きに於いてはこんな歴史はどうでも良い。綺麗な尾根があって藪が少なければ吉良ヶ峰は良い山なのだ。ところがちょ
っとした事情があるから山歩きには厄介な山となる。それは戦国時代の事では無く、遠く3億年〜2億年も前に起こった地
球規模の壮大な物語に端を発する。

以前、旭の岩屋HP作成に当たって調べた事なのだが、引用するとセメントの原料は約3億年前赤道付近の海底火山が噴
火して、約2.5億年前に噴火の収まった火山の天辺にサンゴ礁が発達。それが積もり積もって石灰岩の地層となる。
その後約1.5億年前程から海洋プレートに火山ごと乗っかって海溝に沈みこみ、削られたり混ぜられたりした後、1年に
6〜10cmの超スロースピードでずりずりと日本近くまでにじり寄って来て、約200万年程前四国山地の隆起・造山
運動に伴ってこの石灰岩が地上に姿を現したものである。


つまり太古の昔に南洋の生物礁を起原とする石灰岩がプレートの移動で大陸に潜り込む際に付加体としてくっついた物
が日本列島誕生時に偶然この吉良ヶ峰の北側に現われたのだ。そして日本の石灰岩は砂や泥などの不純物が少ない品質
を誇る物らしい。


石灰石鉱業協会のHP資料  これは勿論日本列島が出来る前の物語だ

以前HPで引用した資料を再掲載する。


 (大鹿村中央構造線博物館サイトよりの資料)


 この作成図で言うと吉良ヶ峰の石灰岩は秩父帯の南端に当たるのだろう


照和30年からこの上質の石灰岩を採取する為日本セメント吉良ヶ峰鉱山の稼働が始まり、尾根筋まで掘削されてしまっ
た。この為に窮屈な尾根歩きを登山者が強いられる事になった。

あちらは日本の土木事業の発展を支えてきた高知の基幹産業、こちらは単なる小さなエゴで尾根歩きに興ずる登山者だ。
どんな状況でも文句を言える筋合いの物では無い。


さて、吉良ヶ峰の山頂までは順調に来る事が出来たが、地形図を事前に眺めても尾根の左が石灰石の採掘場で崖マークが続
く。まあ、こんな所のルートは現場で判断するしかないと10時05分コンパスを東にセットして尾根筋を進む。すると左
手が採掘された崖の為視界が開けて採石現場が現れる。


       
 ツツジが咲く山頂で地図を確認する                 テキトーに東へコンパスを合わせて10時05分出発

  
 進行方向の東側はスペースのある尾根だ             頭上には背の高い木が葉っぱの模様を作る

  
 吉良ヶ峰の山頂を出発して4分程歩くと左手に鉱山が見える   未だこの辺りの尾根は雑木が生えている


最初は何て事もない雑木帯だったのだが、10時10分突然縦横斜めと乱れきった竹藪が現れる。5分程もがいて前へ出る
と採石現場が先程より良く見える。う〜〜ん 香川の五夜嶽と同じ風景をここで見た様な気がした。


藪を避けながら稜線付近を進むと、これも五夜嶽と同じく細い尾根を避けて採掘現場側の平らな場所を歩ける所がある。そ
こから吉良ヶ峰を振り返りながら平地を快適に歩いていると次第にそこも荒れて来る。しかし尾根筋の藪を下ると又平地が
現れる。
10時30分前方に採石工場の事務所の様なコンクリート建造物が見えると快適な平地がここで終わりを告げた。

正面にはもう尾根は無く藪を避けて尾根らしき高みに沿って右へ回り込む。


  
細めの竹が乱れちゅうにかわらん                   左端の稜線部に沿って進む


 10時15分 稜線が削られて平らになった場所に出た  当然これを歩く  奥に烏帽子山が見える

  
 一部藪を避けて稜線上を歩いて先に出る          又直ぐに平坦な場所が現れる この辺りは採掘は終わった場所かな

  
 向かいは高速道路八田トンネルが抜ける山が並ぶ       一段下側の平地へ下る

  
 不思議な空間だ これが稜線って事?              吉良ヶ峰を振り返る 北斜面は既に削られている  

  
 途中荒れた場所もあるが我慢して進む              イノシシさん 一体こんな状態がいつまで続くのでしょうか?

  
 10時31分正面に石灰石処理工場が見えると藪になった   もう正面には尾根がないので右手に回り込む

 イバラの藪に悩まされながら右に回り込み前進するも行き詰まり10時50分尾根から右手の斜面に逃げる。南嶺の西部
は整備された東部に比べて結構ワイルドな場所だと実感する。暫く尾根を外さずに右手の竹が生い茂った斜面を進むと大き
な機械やワイヤーが放置されている。尾根の右側には金網が張られているが、斜めに傾いているので乗り越えて下側へ移動
するが又尾根筋に出て少し歩けたりと右往左往する。


  
 アケビさん 一体どちらに進んだら良いのでしょうか?  10時40分 スペースがあったのでそこを進むがイバラの藪で引き返す

  
 それでもスペースがあれば尾根近くを進む            10時48分 一旦尾根から右手の斜面へ入ってみる 

  
 何か機械類が放置されている ワイヤーの駆動装置かな?   斜めになった金網を越えるとワイヤーも放置されていた

  
10時五八分一旦尾根筋に出る                11時00分 埒(らち)が明かないのでこの辺りから斜面を下る事にする 

三者三様の下山ルートの締め (エントツ山、アカリプタさん、ギッチャン )


エントツ山の吉良ヶ峰下山ルート  金網バリケードを2度乗り越える  ルート的には荒倉神社に向けて良いと思ったのだが・・・

  
アカリプタさん 下山ルート 金網を2度潜ったらしい      ギッチャンの下山ルート 大胆に砕石工場に入っている!



二重の金網フェンスに二(ふた)苦労  (竹藪斜面に合計4つのフェンスがあった


11時00分又前方が行き詰まり地形図をみると斜め右下の比較的近い場所に荒倉神社がある。もうこの辺りから斜面を下
るのが賢明だと考え、尾根を外れ傾いた最初の金網を越える。

少し竹藪の斜面を下ると高さ3m程の直立した金網が現われた。それは長く続いている様に見えて斜面を下るにはこれを越
えるしか無さそうだ。
(後からアカリプタさんによるともう少し手前で斜面を下るとフェンスの下側に穴が空いている場所
があったらしい)


フェンスが高いので重いザックを向こう側に投げる訳にもいかず、かと言ってフェンスの横に張られたワイヤーは足掛かり
にならない。鉄柱は金網の向こう側にあるし、竹には節に出っ張りが無いのでツルツルでどうにも足掛かりが見つからない
のだ。斜めになっている竹は腐って踏んだらばキバキ折れてこれ又足場に使えない。どうすりゃいいのさ 思案橋


倒れ掛かった竹が比較的密集している場所で何とか腕力頼りにフェンスに上がり孟宗竹を滑り下りる。ふう〜〜参ったなあ。
んがっ 何とフェンスの向こう側に大事な地図がポシェットから落ちている。地図はこんな地形が複雑な場所では何度も出
し入れをするのでポシェットのサブポケットにチャックをせずに仕舞いこんでいて、フェンス越えでもがいているうちに落
ちたのだ。仕方なく空身でそれを回収にフェンスを越えて又帰る。

ホッとしたのも束の間、少し斜面を下がると11時18分金網フェンスの3つ目が現われたが、これは高さが低い場所があ
って楽勝に乗り越える。

もうこれ位だろうと少し安心して竹藪を下ると11時20分又しつこく金網が現れる。カンベンしてよ〜〜 又海兵隊の訓
練みたいにフェンスをよじ登り向こう側へヘロヘロになって下りた。石灰岩の採掘現場では安全管理が厳しく、ダイナマイ
トで飛ばされた破片が他人の土地や集落へ飛んでいかない様にバリケードを何重にも張っているのだろう。だからそんな場
所を歩く自分が悪いのだ。誰にも文句は言えない。

  
すぐに斜めに傾いた最初のフェンスを乗り越えて下る     すると11時03分すぐ下側に直立した2つ目の金網フェンスが現れた

  
 何とかもがきながら金網のトップまで這い上がる        金網のトップに立ち、ザックとポシェットを向こう側に下ろす

  
キャイ〜〜ン フェンスの向こう側に地図を落としてるよ〜〜    もう前方が竹藪か金網か良く分からない

   
1時18分 3つ目の金網は低い場所があり楽勝に乗り越える   11時21分都合4つ目のフェンスを越える 少し要領が掴めた

  
11時23分4つ目の金網を乗り越える               金網の向こうに放り投げたポシェットを回収し尾根筋を下る 

もうフェンスは無いだろうなぁ・・・

結局この二つのフェンス越えに25分程を要した。私は目が悪いのでそれから暫くは藪がフェンスに見えて怖かった。金網
のトラウマ状態のまま竹藪の尾根筋を下って11時30分荒倉神社への車道に下り着く。山頂からこの道路まで1時間20
分かかってしまった。
 


  
 もう多少の竹藪などどうって事ありましぇん             11時30分 荒倉神社への道路に下り付く

第一縦走チェックポイント 荒倉神社

 荒倉神社は元々この辺りの岩山から水が染み出て来る事から水の守り神として崇拝されていたらしい。又狩りや戦の神様で
ある諏訪大明神を合祀されている関係で中世には本山氏の庇護を受け、江戸時代になると山内家の狩場がこの裏山に置かれ
た関係で直轄神社でもあったと言われる結構由緒ある神社。神社の北側にある荒倉峠は
荒倉トンネルが出来る前、宇佐で獲
れるカツオを仁淀川〜新川経由でこの峠を越えて高知城下の魚市場まで運ばれていたと言う。


  
 精魂尽き果ててヒョロヒョロと荒倉神社へと向かう         神社の横に大きな民家がある


「荒倉神社」 雨・水の恵み、家内安全、厄除け、狩猟、争い事の平定などにご利益がある弘岡集落の氏神様
  

行程2)荒倉神社〜161mピーク〜国道56号線  約1時間20分


 カシミールソフトを利用したGPSトラックログ図  荒倉神社〜国道56号線

今回は山の縦走が主体なので荒倉神社は縦走通過のチェックポイントとしてお参りだけ手短かに済ませる。

さて、次に東の国道56号線へ出るには161m無名峰を越えなければならない。どの辺りから山に取り付くか辺りは私有
地なので気を使いながら静かに探してみる。

民家の南側が空き地になっており、山際に孟宗竹で組まれた階段が見える。取り敢えず11時35分小川を渡り階段のある
場所へ向かってみる。しかしそこはお墓でそれ以上の道は無い。小川に沿って北側へ回り込むと民家の裏手にコンクリート
の階段が山へ続いている。これを利用するとヒサカキ灌木のさしたる藪も無い北西尾根に取り付く事が出来た。


 民家の南側にある空き地の向こう側から山に入り口がありそうなので通らせて貰う

  
 正面の階段はお墓に行く通路だったので引き返す  水路を渡って左手に進むと階段がありそれを上がって行く

  
直ぐに支尾根に取り付く事が出来た           ここにもホウライチクが生えている 

左手に細長い針葉樹がびっしり並んでいるので植林帯かも知れない。南嶺の縦走路には自由な形をしたクスノキ等の大木が
残されているので退屈しのぎになる。
12時07分注意していた尾根を東へ曲がるターニングピークに上がるが、特に問題
無く通過する。

最初のターニングピークから10分程で今度は尾根を左の北側へ直角に曲がるコーナーに出るが、ここも尾根なりに進めば
自然に回り込めた。

次の注意箇所は161mピーク付近で、ここはそのまま北に進ますに東へ曲がらなければならない。丁度このポイントに高
知県の白い砂防指定地境界柱が目印の様に立っていた。


  
 やけに細い植林が並ぶ                         尾根の自然林は自由な形をしている

  
 尾根なりに進むと自然にコの字型に回り込んで行けた   自然林と植林が混在する

  
 12時22分 161mピークには進まない             この分岐付近に白い砂防指定地境界柱が立っている

ここをクリアすると直ぐに最後の注意箇所がある。尾根なりに歩くと南東へ下る尾根に乗ってしまうので、ここは気を付け
て東へ少し張り出した藪っぽい尾根へと進む。この東へ下る尾根に乗れば後は心配は無い。シダが多く出てくる尾根をツツ
ジを眺めながらドンドン下ると12時40分荒れた竹藪に入る。多少難儀はするが金網バリケードは無いので楽勝だ。
山脇家のお墓に出ると道があるので山脇さんの御先祖さんに感謝しながら竹林の間に続く道を下る。


お墓を下ると前方が開けて国道筋を走る車が見える。山自然の縦走時に娑婆へ出た時の気持ちは残念感は無いと言うかどち
らかと言えば嬉しい。所詮人間は一人では生きてはいけない。普段大勢の中で守られて暮しているから孤独を楽しむ事が出
来るって訳だ。


  
12時25分 真直ぐ尾根を進むと南東尾根へ下ってしまう    ここは注意深く東へ向かう尾根を見つけて進む

  
 東尾根は少々シダ藪っぽい                    尾根の右手に薄い踏み跡(道?)がある


       所々に鮮やかなツツジが緑の中に目立っている

  
 12時40分 竹林が現れる  結構荒れている          12時45分 お墓が出て来ると道がある

  
 やっと山から下りた様だ                       国道56号線を走る車の音がする

向かいの山を見ながら取り付き部を探す。右手は何か石灰石でも採っているのか重機と階段状の崖が見える。その左にお墓
が見えるので大体のメドが付いた。
とは言う物の多くの車が行き交う国道を渡らなければならない。
イノシシやシカやウサギの気持ちが良くわかる。12時50分文明の利器、信号機のボタンを押して忙しいのに止ってくれ
ている車に暇な爺さんはペコペコ頭を下げながら長い歩道を渡る。

すると現代の水場、自動販売機があるではないか。今回は1泊2日分4リッターを背負って来たのだが、自動販売機がここと
春野運動公園への入り口にある事は想定していなかった。
荒倉トンネル方向へ歩き、山際のお墓近くまで移動する。コンク
リートの広い道へ進んでみるがどうも民家に入る様なので引き返す。



国道56号線の向こう側  左端は登山口のお墓  車が沢山止まっている所はレッカー移動業者 上側に小規模な採石場がある

  
歩道を渡って先程下りて来た山を眺めるが良く分からない   次の根木谷山登山口(右手のお墓がある場所)へ移動


行程3)国道56号線〜根木谷山〜新川川源流の谷川  約1時間40分

 12時55分自動車整備工場の敷地からお墓に上がる階段があるのでそこから改めて山に取り付く。お墓を回り込んで尾根
筋に沿って山道がある。少し日差しの届く北側斜面へ出てから尾根に入る。尾根にはホウライチクが沢山束になって生えて
いる。この尾根筋は藪とは言えないが道は無さそうだ。右手からは小規模な採石場から削岩機の音が聞こえて来る。



他にも尾根に取り付くルートがあるかも知れないが、今回私は右上のお墓近くに上がり、左側へ進んで尾根に取り付いた

  
 上の段にあるお墓の横を通らせて貰う               山に向かって道がある

  
 左に巻くと尾根へ続く踏み跡があった               北側にある民家の上に出て山へと入る

  
 この尾根にもホーライチクが生えている              尾根には歩くスペースがある

  
 次第に良い感じの尾根になって来る                 岩もチラホラ出て来た



根木谷山 四等三角点「弘岡」 246.09m

 13時20分最初の標高150mピークまで上がると尾根らしいスペースが出てくる。左手から山道が尾根へ上がって来て
いるが、尾根には明確な道は無い。
根木谷山の稜線近くになると尾根が広くなり快適な空間がある。右手に脇道がありそれ
を暫く辿って歩く。又尾根に復帰してどんどん歩くと13時52分三角点に出合う。

山名の根木谷山は南麓の集落名「根木谷」から取られている。この地域はお殿様に献上する上質なネギの生産地だったと言
われているが、ネギと根木の関係は定かでは無い。一方三角点名も春野町の広い地域名「弘岡」から取られている。

  
13時20分 尾根らしい風景になる           すると右手に尾根をトラバースする道があった

  
 穴が掘られている 付近にお城も無いんだけど・・・      快適〜〜〜

  
 三角点山頂が近づいた                 13時52分 三角点があった


   吉良ヶ峰に続く2つ目の三角点峰「根木谷山」   点名は四等三角点「弘岡」
 

北東尾根を下山

さて、ここから進行方向が変わり北尾根〜北東尾根に乗る。道の無い山歩きで面白いのがコース決めなのだが、これが難し
い。ヤブ椿やツツジが尾根を時々飾ってくれているが漫然と歩いているととんでもない尾根に入り込む。14時13分そん
な微妙な尾根換えの場所にやってきた。

北に向かって下って来た尾根から東側の尾根に入り、直ぐ又北側へ進み、その後北東へ下ると言う実に目まぐるしく進行方
向を変えるルートだ。


要はこの先に鉄塔があるので、ここにドンピシャ行き着くって寸法になっている。幸いな事にこのルートは歩かれている人
も多いと見えて要所にテープが見られる。テープがあってもその都度スマホ地図で位置と方角の確認をしながら下ると14
時25分四国電力「高知連絡線21番鉄塔」に着いた。

鉄塔からは鉄塔保線路を利用して谷まで下る。途中でギッチャンのヤマップに有ったママチャリが捨てられていた。
鉄塔を
過ぎて保線路を辿り最後はザレ気味の斜面を下ると14時35分沢筋に下り立った


  
 根木谷山の山頂から北へ向かう                   ツツジが咲いているのが嬉しい

  
 藪ツバキも数個花が並ぶとカメラを向けたくなる        14時13分微妙な尾根替えの場所 注意深く見るとサインがある

  
 灌木藪っぽいが歩くスペースは有る                 14時16分 更に微妙な分岐を右手に下る テープも有る

  
カゴノキの左にある木にはテープが巻かれている         灌木藪っぽい下山ルートにも赤テープが見られる

  
 14時23分 鉄塔に着いた                     付票を見ると四電「高知連絡線21番」鉄塔とある

  
 鉄塔からは保線路を下る                      南嶺の西部にある保線路は傾斜がきついのでザレ気味が多い

  
これがギッチャンのヤマップで見た放置自転車か〜        南嶺にはカゴノキが多い

  
北側が見えるが何だかお墓や道路があって開けている     保線路は谷に向かって下る            


 14時35分 寂し気な沢に下り付く ここから南北に道が有る様には思えない  縦走路は対岸の保線路を繋ぐ


行程4)中継場所の沢〜三滝ヶ森〜春野運動公園登山口(北駐車場) 約1時間30分

 鉄塔から下り着いたこの沢は恐らく春野町の新川川の源流部だと思うが、地形図を見ると北側におびただしい数の道路が記
載されているので鉱山の採掘現場作業道だと思われる。谷筋に沿って北から南へ破線道が延びて、南側で道路に合流する。

アカリプタさんはここから南へ下っているのでしっかりした道は有るのだろう。しかしよそ者の私としては妙に落ち着かない
鬱蒼とした場所で一刻も早くこの場所から離れたい様な寂しい場所だった。


  
 一応 スミレやサギゴケは咲いている               でも雰囲気的には寂しい場所だ


鉄塔保線路を利用して三滝ヶ森へ

 沢の斜面に咲くスミレを眺めた後、対岸に目印を探すとテープがあった。14時38分取り付き部が藪いているので斜面へ
上がると保線路が見つかった。保線路は地形の関係上電線を離れて北側を回り込む。しかしそれでも斜面の傾斜が急でジグ
ザグを切りながら上がって行く。


  
対岸の藪を上がると保線路が有った                 急斜面をジグザグに上がって行く


三滝ヶ森 三等三角点「三瀧山」 242.63m

 15時00分四国電力・「高知連絡線22番鉄塔」に着く。根木谷山の最後(21番)と三滝ヶ森の最初(22番)を繋ぐ
鉄塔の架け橋だ。地形図を見ると、三滝ヶ森への尾根は電線を離れるので保線路はどうなっているのだろうか?

進路的には鉄塔からの尾根と言えばこの東尾根しか無いので問題無くルートが決まる。
やはり東へ向かう尾根には保線路は
無かったが、まあスペースがある尾根だったので快適に歩けた。途中から孟宗竹が現れ、雑木とのミックス尾根を暫く歩く。
最後は雑木帯の尾根を進むと15時19分下りとの合流点に着く。この場所から尾根なりに北へ進み、15時21分
三滝ヶ森」に到着した。

この小振りな山になぜ三滝ヶ森と言う名前を付けたのか命名した人に聞いてみたいものだ。この山の北麓はなだらかな地形
なのだが西面、南面、東面の三方が急な斜面なのだが、さしたる岩場などは無い。

  
 保線路は次第に南側へと延びていく         14時58分 四電「高知連絡線22番」
鉄塔に着く

  
尾根にはスペースが有り歩き易い                   左手に孟宗竹が現れる

  
 尾根には孟宗竹と自然林が混在する               山頂手前のピークに上がる この付近には竹は生えて無い


 15時21分 三滝ヶ森に到着  点名 三等三角点「三瀧山」


三滝山から無難に南へ下る

三滝ヶ森から西の柏尾山へは直線距離は谷を一つ挟んで大した事は無いのだが、ここに大規模な関西砕石(株)の採石現場
があり、西斜面は大きく抉られているので直接は歩けない。

当初、三滝ヶ森から北北東の尾根を下り、西分峠をへて柏尾山へ北側から這い上がる計画を立てていた。ところが根木谷山
の採石現場で痛い目に遭い、柏尾山の北側も砕石場があるのでもうそんな場所には近づきたく無くなった。それで無難な南
へ下るルートに決める。

 15時27分北側の尾根を偵察の後、三角点峰から先程歩いて来た南西ピークまで戻る。そこから今度は真南へ尾根を下る。
すらりと高く延びた木々の立つ南尾根を下る。10分程歩くと
鉄塔保線路が南尾根から東側の左斜面に逸れる。ザレた斜面
が保線路らしく緑の網で整備されている。この辺りはカゴノキが結構目に付く。

東側には木々の間から大規模な砕石で鋭く削られた柏尾山の西斜面が見える。保線路には春だと言うのに紅葉したクスノキ
の葉っぱが沢山落ちて足元に広がっている。そこからは枝打ちされてはいない植林帯を下ると
孟宗竹が現れる。中には虎竹
と言われる模様が入った物も見られる。

お馴染みの四電保線路グレーチング橋を渡り15時54分車道に下り立った。


  
 少し北側を偵察の後、三角点を通過して南へ下る       最初は先程歩いてきた南西尾根を下る

  
  先ず 先程歩いてきた手前のピークまで戻る         そこから左手の南尾根に入る

  
 南尾根に無事乗れた様だ                      背丈が高い木が生えた気持ちの良い尾根だ

  
 15時37分 ここで快適な尾根とおさらばする          鉄塔保線路が尾根から左手斜面へと下るのでそれに従う

  
 この山域にはカゴノキが多い                     急斜面に付けられて保線路を下る

    
     木々の間から次の柏尾山の西斜面が見える  尾根はスッパリ削られている 北側も複雑そうだ

  
 足元にはクスノキの葉っぱなどが色付いて落ちている      ツツジも周りの木々につられて背が高い

  
 急斜面に比較的広めの保線路が下る               15時50分 孟宗竹の竹林に入る

  
 竹林が終わると小さな谷に架けられたグレーチング橋を渡る  15時52分 車道に下り付く
 

春野運動公園 北駐車場が縦走の中継点

車道を歩きながら西に延びる電線に沿って鉄塔保線路があれば春野運動公園へ下らずに次の柏尾山へショートカットが出来
るのだが、何処も踏み跡すら無い藪の急斜面だった。

春野運動公園の北側へ下るとここにも文明の水場、自動販売機がありショックを感じるが、冷たい缶コーヒーをゲットして
飲みながら去年下山した駐車場へと向かう。桜の並木がある舗装道路を歩いて16時07分駐車場に着く。


結局、出発点の仁淀川・行当から春野運動公園まで通して7時間30分歩いた事になる。さて、時刻は既に16時を過ぎて
いる。日帰り山行であればこの時間から山に入る登山者は居ないだろう。


  
 県道3号線を南へ下る  途中で柏尾山へ行く近道は無かった     春野運動公園北駐車場への脇道を進む

  
 運動公園北駐車場へ桜見物をしながら向かう         16時07分 去年ゴールだった春野運動公園北駐車場

 

行程5)春野運動公園〜柏尾山〜白土峠〜烏帽子山〜鷲尾山  約2時間20分


カシミールソフトを利用したGPSトラックログ図 春野町総合運動公園北駐車場〜柏尾山〜烏帽子山〜鷲尾山

春野運動公園から鷲尾山は去年ガクちゃんの案内で逆コースで歩いているので道を知っている。多少暗くなっても道がしっ
かりしているので心配は無い。16時10分駐車場の道路から斜面を下って左手の林道に下りる。記憶では柏尾山からここ
まで激下りだったので、こちらからは激上り? 

沢沿いにはジロボウエンゴサクやムサシアブミが沢山生えている。しっかりした四電保線路鉄橋を渡り急傾斜の山へと入る。
色んな形に生えている木々を眺めながら急傾斜を頑張ると16時42分尾根筋に上がり、更に5分程進むと四電・「高知連
絡線25番鉄塔」に至る。この尾根も岩やコナラ類の株立や太い葛など歩いていても飽きない。


  
 駐車場近くの道路から下側の林道へ下りる            林道を山へ向かう

  
ジロボウ(次郎坊)エンゴサク 伊勢地方ではスミレは「太郎坊」   ムサシアブミ  ヘンテコな植物だ

  
  16時18分 保線路鉄橋を渡る                  色々面白い木を見ながら急登を喘ぐ

  
 南尾根に向かって高度を上げる                  16時42分 南尾根に合流する

  
 鉄塔付近は左側をトラバース気味に道が続く            16時45分四電「高知連絡線25番」鉄塔に着く

  
 尾根筋には岩も所々出て来る                   南嶺には株立ちの木が多い

柏尾山  323m

柏尾山は東西に細長い山頂を持っており、今歩いている南尾根はその中心部に向かって上がって行く。最後は少し左手にト
ラバース気味に17時05分山頂部へ上がると「芳原自然と歴史の道」・「柏尾城跡」の標識が立つ。但しこの山城の遺構
が沢山有る割には一体誰が城主だったのかがようわからない様だ。

「芳原」は春野町運動公園がある場所付近の地名で、その昔行基が観音像を彫ってこの柏尾山に観音寺を建てて安置したら
しい。その場所は正確には柏尾山から坂本に下る尾根の肩にあり「柏尾寺跡」として標識も立てられている。


その後火災によりこのお寺は消失し、江戸時代に2代目土佐藩主(山内忠義)が麓の芳原(よしはら)に観音堂を建てて観
音正寺として篤く信仰したと言う。

柏尾城跡標識が立つ堀切の様な場所から左手に上がると、更にもう一段小高い場所がありそこに柏尾山の山頂標識がある。
数年前まで関西砕石(株)が有刺鉄線で通行止めにしていたらしい。去年、ガクちゃんと来た時に西側へ歩いて見たが、そ
んな通行止めは見なかった。

  
山頂近くになると尾根の左手をトラバース気味に道が続く  17時04分 柏尾山城跡の標識に着く


 17時07分 柏尾山に着く  鷲尾山までもう少し頑張ろう〜

  
電波塔銀座

17時10分次の烏帽子山へ向かって足早に進む。先程の標識まで下り東へ進むと四角い「月石」がある。四角なのに月石
とはこれ如何に? トーフ岩がピッタリだが趣にチト欠ける。柏尾山から展望は無いが、この月石付近から北側が少し開け
て展望がある。

植林の尾根を10分程東へ進むとデカい電波塔が立っており、二つ目の塔は高さの規則からなのか紅白にペンキが塗られて
いる。更に遠くに3本目も見える。その三本目まで道路を歩いてしまい、電波塔の階段を上がって尾根に復帰する。
尾根筋
からは春野町や太平洋がツツジ越しに見えるが今日は霞んでいる。細道を進むと更に左手の笹藪フェンス下に電波塔が立っ
ている。


  
 柏尾山から東へ続く尾根道を進む                すぐに「月石」と呼ばれる四角い岩がある

  
反対側から見てもお月さんには見えない トーフに見える     樹林帯の薄暗い尾根を東北東に進む

  
 17時20分電波塔の横を抜けて道路に出て歩く         すると右手に紅白にペイントされた電波塔がある

  
パラボラアンテナ塔が現れた  去年はこんな道路を歩いて居なかったのでこの施設の階段を上がって尾根に復帰する


  尾根を進むと南側が開けて春野町南ヶ丘付近が見える  太平洋に向かって丘陵地帯となっている

  
 笹路の左に金網フェンスが張られている              変わった形の鉄塔が立っている


白土峠  231m

17時36分「白土峠」の標識に着く。「しらつち」とか「しらと」とかの読みがサイトに出てくる。春野町の芳原と高知
市の神田を結んだ昔からの生活道で、坂本の観音堂と石土神社などを結んだ古(いにしえ)の参詣道でもあった様だ。

西の柏尾山は323m、東の烏帽子山は359m、車の無い時代にはこの二つのピークより標高が100m低い場所が峠道と
して利用されるのは当然の事だった。北側には坂本竜馬ゆかりの和霊神社もあり、烏帽子山の山頂に石土神社があるが、麓に
「石鎚神社奥ノ院」があるって何かヘン?

又豪快な話と言えば坂本竜馬のお姉さん「乙女」がここから鷲尾山へ夜に行き鉄砲をぶっ放したという逸話まである。現在
はテレビ塔や通信設備塔が多く立ち並ぶ場所となっている。
香川でも徳島でもそうである様に昔の峠道の風情は時代の流れ
と共に次第に失われていく。



 17時36分 白土峠に着く  北は「神田(こうだ)」 南は「芳原(よしはら)」を分ける

  
 峠に通る道路は電波塔の保守点検用の物で春野町へは下っていない   道路は烏帽子山まで稜線近くに延びている


烏帽子山 一等三角点「鷲尾山」 359.13m

 再び尾根道に入ると17時40分南側にある障碍者福祉施設・福祉牧場「おおなろ園」への分岐標識が立つ。植林の尾根道
を進むと右手に車道が現われ、大峰奥駈道の玉置神社付近を思い出した。こんな場所ではどちらを歩いても良さそうな物だ
が登山者は意地でも山道を歩く。一旦道路に出てKUTV烏帽子山送信局の電波塔基地の左手の階段から烏帽子山へ上る。

 明治末期に置かれた鳥居を潜り、更に上にある石土神社の鳥居を潜って18時00分社横にある一等三角点「鷲尾山」を踏
む。社の中を覗かせて貰ったが特に蔵王権現などは無かった。時間も遅くなったので鎖場はスキップして本日の宿場、鷲尾
山へ向かう。


  
 道路の向こう側に続く山道へ進む                 山道を入った所から振り返ると道路のヘアピンカーブ場所だ

  
 枯木をえぼし山方面への標識にしている             17時41分北側のおおなろ園への分岐標識

  
 電波塔保安道路と並走する                     道路から少し離れると浦戸湾が見える

  
 結局は山頂近くで道路に出る                   烏帽子山の目印になるKUTV烏帽子山送信所(高さ約0m)

  
烏帽子山山頂へはアンテナ施設の横にある石段を上がる    石土神社の鳥居 (明治43年) これには社名が無い

  
 山頂へ上がる場所の鳥居には石土神社の社名がある    石土神社の祠


 18時00分 烏帽子山に着く   一等三角点名は「鷲尾山」となっている


鷲尾山 306m にてビバーク 


暗い植林帯の急傾斜を下り10分ほどで肩部に着くと前方の鷲尾山や春野町、太平洋をツツジ越しに眺める事が出来た。又
薄暗い樹林帯に入り、整備された階段が付けられた急斜面を上ると18時30分やっと「鷲尾山」に着いた。

朝08時40分西の登山口「行当」(ゆきとう)を出発して約10時間で野営地・鷲尾山に到着した事になる。軽装備で筆
山まで突っ走る事も不可能ではなかったが、自転車で出発点の行当まで帰らなければならず最初から1泊2日の行程と決め
ていた。

途中で2ヶ所自動販売機があったのは想定外で水の量をセーブ出来たのだが、まあこれもコロナ明けの中央遠征トレーニン
グだとしよう。この鷲尾山は平な地形で眺めも良くビバーク地としては最高の場所だ。

 辺りは薄暗くなり浦戸湾沿いの横浜、瀬戸、長浜集落には明かりが灯る。眼下に広がる景色は太平洋、浦戸湾と立ち並ぶ新
興住宅街ではあるが南海地震の津波などの話題がニュースになっている昨今、何となく危うげな風景でもある。海側から少し
風が吹き上がるのでコンクリート構造物の影に急いでザックの中身を出してツェルトを張る。

このコンクリート構造物は土佐の歌人「大倉鷲夫」が土佐を出る時に鷲尾山で詠んだ和歌の歌碑が有志によって立てられた
土台部分で、戦時中防空施設があった為爆撃の目標になるとの事で陸軍によって撤去された残骸らしい。鷲夫の雅号もこの
鷲尾山から採ったものと聞く。


そんな土佐の歌碑跡を風除けにして寝床が出来上がれば心の余裕が生まれる。ゆっくりとバーナーでお湯を沸かしてカップ麺
に注ぐ。
それを持って北の端にある休憩長椅子に腰かけて夜景を見ながら寛ぐ至福の時だ。あ〜今日も色々あったなあ。
根木谷山の下山ルートはもっと先まで尾根筋を進むべきだったのか。

夕方にかけて余り天気は良く無く夕暮れ写真は撮れなかった。おまけに夜中に星空を撮影しようとツェルトを出ると粉糠雨が
降っていた。


  
 ロープが置かれた薄暗い急斜面を下る              烏帽子山の東肩に向かって少しだけ上がる


  烏帽子山の東肩から今日のゴール地、鷲尾山を眺める 右手には浦戸湾が見える 


  今日は随分山ツツジのお世話になった  ツツジやツバキが無ければ殺風景な縦走になっていただろう

  
 18時22分鷲尾トンネル上を過ぎると吉野分岐コルを通過する  最後は荒れた傾斜を整備した登山道を上がる


  18時30分 浦戸湾の浮かぶ小島を眺めてからツェルトを設営する 


  浦戸湾の両岸に灯る町の明かりを眺めながら夜風に当たる

  
 横浜新町ニュータウンの明かりが眩しい               狭いながらも寛ぐ我が家 ダウンシュラフも夏用だ

 

行程6)鷲尾山〜三角点「神田」〜皿ヶ峰〜筆山  約3時間 


カシミールソフトを利用したGPSトラックログ図 鷲尾山〜皿ヶ峰〜筆山


朝起きると天気は回復して朝日を拝む事が出来た。まあ、標高が低いので山で眺める朝日って感じがしないけど室戸岬の方
から次第に姿を現し玉島、衣ヶ島、裸島が浮かぶ浦戸湾を照らして清々しい。
残った水でお湯を沸かしてコーヒーを飲みな
がら眼下の風景を見て遠い青春時代を思い出す。



  大倉鷲夫歌碑跡の土台を風除けにツェルトを張った  (夜明け前の写真)


 朝日が雲の上から顔を出す  昨夜は天気が悪くて星空も見えなかったので清々しい気持ちになる

06時50分片付けを終えて鷲尾山を後にする。東側に並ぶベンチへ下がって縦走路へ入る。5分程で横浜ニュータウンへ
の分岐を過ぎ植林帯を進むと今度は皿ヶ峰への分岐に差し掛かる。07時00分いよいよ「筆山・皿ヶ峰」へのルートに入
る。初めての道は楽しいが、このルートはポピュラーなのでハプニングは望めないだろう。


  
  広々とした鷲尾山の山頂  奥に見える四角い穴は戦時中の防空施設跡らしい 烏帽子山と柏尾山の電波塔が見える 

  
 東側のベンチ横を抜けて登山道は入る           5分程で横浜ニュータウンへの分岐を通過 (ここは左折して下る) 

  
 07時00分 東の宇津野との分岐を皿ヶ峰・筆山方面に進む   三差路標識がある

  

5分程下ると宇津野への分岐があるが、これは鉄塔保線路を利用したショートカット道だろう。左手に鉄塔が見えたので尾
根筋に出て確認すると四国電力・「港線32番鉄塔」だった。この港線は南嶺の北麓を東西に延びている様だ。今までこの
縦走でお世話になった高岡線や高知連絡線とは又別の電線ラインだった。

07時17分コル部に四差路があり、「吉野越え」の標識が立つ。左は高知市の西部へ続く吉野、右は高知港へ至る深谷へ
分岐している。吉野と言えば、坂本竜馬が脱藩前に吉野で花見をしたという話が伝わっているが定かではない。深谷方面は
この小規模な分水嶺から下りになるので水路が道端に延びていた。


  
 しっかりした踏み跡の登山道が続く                 07時04分 宇津野分岐(保線路)

  
 左の尾根に四電・港線32番鉄塔が立っている     07時17分「吉野越え」 四差路があり吉野(左)、深谷(右)が分岐する


吉野越え上り傾斜となり名門・土佐塾の学園に沿って西側を歩く。土佐塾学園は文武両道の教育方針を実践する私立中学校、
高等学校として有名で野球で甲子園へ出た事もある。
07時30分車道に出るとバスが学生を乗せて走っていた。そう言え
ばこの時刻は通学時間帯だった。寮に入らない地元の自転車通学生が下からスクールバスで通学しているらしい。

車道横に脇道があったのでそれを下ると学生寮の横に出て道なりに進む。すると下側で又、広い車道に出た。


  
 07時30分登山道は車道に出る                  左手に登山道があり、それを下る

  
 学生寮の横を登山道が抜ける                    広めの階段状の道を下ると道路に出る

 
四等三角点「神田」(こうだ) 83.09m 

地形図で予め車道を下ると道路際に三角点があるのでそれを踏む事にしていた。学園関係の車が往来する中車道を下り07
時50分三角点「神田(こうだ)」を踏み近くの笹を刈った後引き返す。

08時07分車道の反対側に続く縦走路に入る。遊歩道は植林から自然林に変わり一部石畳が現われたりして快適な遍路道
の様相だ。植林も点在する道を進むと「幸崎バス停」との三叉路に出る。幸崎からは北の鏡川に架かる月の瀬橋を経て高知
の上町へ通じる。
雰囲気の良い森を進むと何故か「嘆きの森」と記された看板が掛かっている。

  
07時37分広い車道に出る(向かいに登山道が続いている様だ)  三角点を目指して舗装道路を下る  市内西部朝倉方面

    
 何度かコーナーを下っていく                     道路の曲がり角で三角点は容易に見つかった


 07時50分少し辺りの草を刈って記念写真を撮る 四等三角点「神田」(こうだ)


先程土佐塾の寮横から下りて来た階段状の道を振り返る  横断歩道を渡って向かい側に山道が続く 六甲山縦走を思い出す

  
 この辺りは古の道って雰囲気がする                石畳なんかも一部ではあるが現れる

  
北に向かっていた道が東へ直角に曲がる(幸崎バス停分岐) 幸崎への道は鉄塔保線路を尾根伝いに利用するのだろう

  
 街が近い割には雰囲気が良い森だ               しかし名前は「嘆きの森」となっている

皿ヶ峰 (高見山) 163m

 森を抜けると眼前にエジプトの古墳みたいな、シーツーサミットのジャバラ鍋を反対に被せた様な山塊が目に入る。これが
皿ヶ峰か〜と妙に納得する。東側にある高見町と言う地名から別名「高見山」とも言われている様に木々が繁らず見晴が良
さそうな丘だ。

高見町の名は菅原道真が大宰府に流された時に嫡男菅原高視(たかみ)が高知に左遷されてこの辺りに住んだ事から付けら
れたとも言われている。う〜〜ん 土佐は良い所なのに昔は流刑や左遷の地だったのね。

08時26分その高見への分岐を見送って真っ直ぐに進むと榧や笹の草地になるので消防団の防火水ドラム缶が置かれてい
る。何せ山火事が多いそうでその為木々が繁らず見通しが良い。お墓が黒いのが有るのは火事で焦げた様だ。まあ見晴しの
良い場所で眠りたい地元先祖の願望を叶えた地となっている。


  
 前方にUFOみたいなお皿が現れた                右手に「高見」への道を分ける 何だかヤブっぽそうだ

  
 山火事が起こりそうな場所だけにドラム缶の消火水が置かれている  確かにこのお墓は山火事で黒く焦げている


  このピラミッドみたいな段々は何の為?  まさか霊園跡じゃなかろうねえ

  
 左手には高知の西部、朝倉方面が開ける            右手は高見地区からは孕(はらみ)地区〜浦戸湾
ちく

前方にライオン岩と言われている大岩が見える。おそらくライオンが空に向かって吠えているイメージだろう。眼下の景
色は少しガスっているが高知市内東部が見える。
足元には濃い紫のスミレや鮮やかなオレンジのツツジが咲いている。

08時55分広く平坦な山頂に着くとヤマモモみたいな大木が2本感じ良く立っており、展望台もある。南側には宇津野山
から鷲尾山、烏帽子山、柏尾山まで南嶺の山が並ぶ。

 筆山に向けて山桜を眺めながら下ると、ここにもホウライチクの株立が並ぶ。そこを過ぎると登山道ではなくお墓参りの
道となる。立派なお墓、真新しいお墓、荒れ果てたお墓とどこも同じような墓場だ。



  ライオン岩と呼ばれる大岩がある  天空に向かって吠えている?  獅子岩じゃないので最近付けられた名前にかわらん

  
 ライオンの頭越しに宇津野山を見る                 まあ色の綺麗なスミレさんだこと!

  
  ツツジが殺風景な山を飾る                    鏡川河口付近に広がる高知の街


               皿ヶ峰から南嶺の尾根筋を振り返る


  08時55分 皿ヶ峰(高見山)の山頂に着く   見晴らしが良いわ


            やはり浦戸湾方面の風景が情緒深い


              筆山と高知市内 その北に並ぶ山々

  
  ここにもホーライチクがある                    山歩きに来たんだけど・・・・・

 筆山(ひつざん) 三等三角点「真如寺山」 118.32m

前方に緑に包まれた小高いピークが最終目的地の筆山だ。09時16分桜並木の車道を越えてコンクリート階段の山道に
入る。長〜い階段を上がると山頂広場になって、09時30分三等三角点「真如寺山」を踏む。広場の外れに展望台が
あるのでそれに登って周りを見渡す。森に囲まれており、おまけに春霞で見通しが少し悪いが雰囲気を味わう。

コンクリート階段を下りて09時43分駐車場の隅にデポした我が自転車に再会する。

  
  やっと2日目でゴールの筆山に近づいて来た         仏の世界から娑婆に出て来た 筆山の南麓

  
 う〜〜ん 山登りに来たんだけど最後は階段上がりか〜    ツツジが綺麗だから我慢しよう




  筆山の山頂・・・・・ってもなあ まあ公園だから  奥に展望所もある


  09時25分 今回の縦走終点 「筆山」の三等三角点「真如寺」を踏む

  
星空撮影に持って来た三脚を初めてここで使う          展望台は木が延びて近場の桜見物となる


    桜見物やツツジ見物をして筆山を下る

  
 自転車をデポした上の駐車場へ下る                山頂は筆の鼻広場って言うんだ


  鏡川と高知の中心街   正面の小山は高知城


  デポした愛車 パナソニックEZ電動アシスト自転車に再会〜〜  荷台に積んでいるのは予備のバッテリー
 

旅はまだ終わら〜ない  ♪ 自転車で行当に帰る


 筆山〜行当までの自転車ルート (緑線) 約2時間 (1日半かけた南嶺縦走は電動アシスト自転車で2時間だった・・・)

 

09時55分筆山公園を出発、懐かしい朝倉の匂いを感じながら国道56号線を走り荒倉トンネルを抜けて根木谷山の登山口を
再確認しゴール近くにある四等三角点「厚田」に寄る。しかし苦労して踏んだと思った三角点はアカリプタさんの調査で違っ
ていた事が分かった。

吉野川沿いに出て吉良ヶ峰の山並みを眺める。う〜〜ん下山に苦労したのも懐かしい思い出だ。木造地蔵菩薩像が祀られた
地蔵堂を見学の後、11時55分道路端に置いた車に帰る。
筆山から虚しい三角点訪問を含めて丁度2時間で車まで帰った。
思えば実に楽しい高知の里山、南嶺縦走の旅だった。


  
 09時55分 筆山を出発                       三滝ヶ森〜根木谷山付近を眺めながら自転車を漕ぐ

    
 問題の荒倉トンネル 歩道、自転車道は案外広い      トンネル内も十分明るかった  昔は真っ暗なトンネルだった

  
 荒倉神社から上った161m無名峰                懐かしい根木谷山の登山口を通過


      吉良ヶ峰と吉良ヶ峰鉱山のある尾根筋   手前のピークが吉良ヶ峰城があった116mピーク

  
   吉良ヶ峰とそれに続く鉱山で少し削られた稜線      折角三角点「厚田」を踏んだと思ったんだけど

  
 後日 アカリプタさんが掘り出した三角点「厚田」         三角点確認の後、原状に復帰されたとの事です

  
 苦労して這い上がった斜面を下りる               まあタツナミソウにお目にかかったから良しとしよう

  
 行当登山口から吉良ヶ峰への尾根筋を眺める          仁淀川の土手を通って車をデポした行当へ向かう

  
    裏手にある地蔵堂を訪問                   チラッと中を覗かせて貰う 木造地蔵菩薩像だろうか?


      11時55分 行当にデポしていた車に帰り着く


アカリプタさん、ギッチャン ログや情報をありがとう

          
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