予土県境シリーズ 富郷・折宇(おりゅう)登山口〜野地峰〜東光森山〜大田尾越
令和2年4月25日 ( BY エントツ山)


カシミールソフトを利用したGPSトラックログ図 折宇登山口〜野地峰〜東光森山〜大田尾越 (伊予の鈍亀さん提供)

プロローグ

伊予の鈍亀さんが予土県境を歩かれており、既に今年大登岐山〜兵庫山〜玉取山を一緒に歩いた。その時に東光森山〜野地峰
の縦走には車の配車が必要と言うので協力する事になっていた。折しも新型コロナ緊急事態宣言が出た事もあって多少悩んだが、
感染予防対策を講じて決行する事にした。


移動制限、STAY HOMEと同様に「登山自粛」の風潮があるが、メジャーな山へのツアー登山の様にバスも使わないし
登山者もほぼ居ない山域だし、山小屋も避難小屋も存在しないのだ。人が往来する町中と町中を移動する訳でも無く、どこか
地元住人の居る場所や施設に寄る訳でもない。人間社会の真っただ中の感染リスクとマイナーな山のそれとは自ずから相違が
ある。我々の新型コロナ感染対策は同行者間の感染リスク問題だけを考えれば良い。


事前連絡として、当日の朝参加者は検温する。車の乗り合わせ移動中はマスクや手袋を付けて窓を開ける。登山中や食事中は
間隔を空ける等を事前に確認する。


他県への移動自粛と言っても、県境尾根はほぼ他の登山者とは会わない。戸外での行動だから密閉は無く、距離を空けて仲間
内の密接・密集を避ける事に注意する。



野地峰・折宇登山口へ

4月25日07時参加者がそれぞれの車で筏津に集合し、下山する大田尾越付近に車を2台デポし、2台の車で登山口の富郷
町・折宇(おりゅう・おりう)に向かう。現在「市道大田尾線」は大田尾越手前、愛媛県側で道路の地盤が崩れかかっており
600m程手前で通行止めとなっている。


筏津から銅山川に沿って47号線を下り、羽根鶴トンネルを抜けてすぐ「城師大橋」を南側に渡る。

城師(じょうし)」は私の祖父・繁松爺さんが林業関係の仕事をしている時に住んでいた村で、素人歌舞伎をしている祖父
の写真が実家に残されている。祖母からは山での不便な生活の話を聞かされた。ここで祖母は小さな子供二人を亡くしていた
事を父から聞いたが、祖母はその事を生前に決して孫達に語る事は無かった。その「城師」なのだが今は富郷ダムが出来てそ
のダム湖(法皇湖)に沈んでいる。


城師大橋を渡り林道「折宇谷線」を進むと戸女(とにょう)と、その奥に登山口となる折宇(おりゅう)集落がある。この
辺りには平家落人伝説が残っており、平家と行動を共にしていた紀州・熊野の一族が屋島源平合戦に敗れてこの地に落ち延び
たらしい。


折宇地区の野地峰登山口には折宇谷川沿いの道路幅が広く数台分の空き地が有る。付近に民家が見られるが現在人が住んでい
るかどうかはわからない。登山準備の前に各自今朝の検温結果を聞き異常の無い事を確認し、更に私が昨夜まずくて食べ残し
た土佐文旦の匂いを嗅いで貰う。全員嗅覚異常も認められない事を確認し08時00分出発する


  
折宇登山口 集まる時はマスク姿で                 左手、谷側に野路峰登山口がある

  
 沢へ下る場所にはテープが有る                  直ぐに折宇谷川を渡渉する


折宇登山口〜野地峰  約 2時間20分

直ぐに折宇谷川を飛び石沿いに渡渉する。参加メンバーは日頃からハードな歩きに慣れている面々なのでこんな渡渉はお手の
物だ。
登山道は直ぐに植林帯の急登になってジグザグと尾根に向かって進む。恐らく今に歩いているこの道は植林後に作業道
として付けられて道が登山道として利用されていると思われる。登山道は支尾根をトラバースしたりして植林地帯を上昇して
いくが道は結構荒れていた。


    
飛び石伝いに折宇谷川を渡渉する                 対岸から能智さん撮影

  
渡渉して直ぐ右手に向かって踏み跡を辿る            小沢部は結構荒れていた

  
 右手、右手へと登山道が延びていく               08時47分小尾根へと這い上がって行く

  
 地形図でははっきり分かりづらい小尾根に乗る        08時54分前方に北尾根が見えて来た

実際に歩いた尾根までのトラックログを見ると泉保安夫さんの山地図に載っている登山道と一致していたが、国土地理院の地
形図に記載されている破線ルートとは違いがあった。破線ルートは少し北側のピークに向かう支尾根をトラバースしながら北
尾根へ至っている。この破線ルートは昔から或いは白滝鉱山の存在もあって戸女・折宇と高知の大川村を結んだ生活道も兼ね
られていた古い道と思われる。


四等三角点「境谷」 1001.14m

08時55分野地峰へと続く北尾根に乗る。ここから約1時間半程「野地峰」の少し西側に向かって尾根が続く。尾根道は三
角点峰を右手にトラバースしているので三角点を踏む為にピークに向かって急傾斜を進む。植林帯の傾斜には枯れたスズタケ
が点在し、途中で碍子と錆びた鉄骨が残されていた。そこからも急な傾斜を上がると09時04分最初の三角点「境谷」に着
いた。

いつもは三角点の回りに集まって靴写真を撮るのだが、三密の密接を避ける為にお互い離れてストックの集合写真で済ませる。
三角点峰から下って登山道に復帰すると植林地帯を左手に少しだけトラバースして続いて行く。


  
 08時55分北尾根に上がって南を目指す             三角点に寄る為に道の無い傾斜を上がる

  
 鉄骨と碍子が残置されている                   三角点峰はもう少し


 09時05分 最初の三角点「境谷」 1001.14mに到着する  密接を避けるためいつもの靴集合写真は撮らない

    
 三角点峰を下る                           登山道に復帰する

次の1,079mピークに近づくと登山道は大きく西側を巻いて前に出る。09時28分ピークを回り込んで細尾根を繋ぐと
シャクナゲなどの自然林になり尾根を少し左手に外して進む。


  
1,079mピークは右手を巻いて前に出る             09時28分ピークのつなぎ目の細尾根を通過する

尾根道は十分な幅があり良く踏まれている。09時43分ブナなどが混じる混成林帯となり今度は少し東側に尾根を外して道
が延びる。
すると初めてのアケボノツツジが現われて嬉しくなる。他の木が茂ってそんなに美しい風景とは言えないシチュエ
ーションだが、ピンクの花が何故か我々に喜びを与えてくれる。木登りが得意の能智さんがさっそく眺めを求めてシャクナゲ
に登っている。


  
  登山道は良く踏まれている                    ブナが立っていると嬉しい

  
夫婦には今更ソーシャルデイスタンス注意は必要無かろう    お〜〜 アケボノが咲いているじゃん!

  
 能智さんは木登りが好きだ                     このアケボノを狙ってたんやな  未だ蕾が多い

09時55分右手が少し開けて後方にエビラ山から権現山が見える。するとアケボノ第二弾が現われ又上をしばし眺める。

09時57分野地峰に向かって北尾根を県境尾根には進まずトラバース道が始まる。このトラバースに入ると灌木純林に変わ
り明るい日差しが注ぐ。相変わらず同行者に向かって「お互いの距離を取って歩いて下さ〜い」と煩(うるさい)い存在に
徹する。


  
  東赤石        権現山                    権現山  黒岳       エビラ山

  
 09時57分登山道は北尾根を外して左手に分かれる      野地峰へ向かい明るいトラバース道となる


  暇なので倒木に生えたコケを撮影


  明るい灌木の登山道 間隔も空けて歩いている様だ


野地峰 四等三角点「野路」1,279.42m

10時17分登山道に笹が現われて次第にそのボリュームが多くなる。綺麗に整備された登山道を進み三角点を横目に見な
がら10時20分「野地峰」の山頂に着いた。

ここは首無し地蔵が立つ平地になっており、最初にここを訪れたのは15年前に紫雲さん、マーシーさんと大登岐山から
大薮を漕いでヘロヘロ・ドロドロになりながら着いた懐かしい場所だ。それからも県境縦走時に通過したり、ここでビバ
ークをした事もあった。冬にマーシーさん、ふーみんさんと今回のルートで来て黒岩山の八方ブナまで行った事もある。

東側に反射板と大登岐山のキューピー頭が見える懐かしい場所だ。

  
 野路峰に近づくと笹が現れて来る                 山頂付近の笹は健全で登山道は良く刈られていた


  10時20分野路峰山頂広場に到着  バックに大登岐山のキューピー頭が見える

  
 マーシー首足し大明神                        伊予の鈍亀さんは家庭内より濃厚接触だ

  
 黒川ジュニアさんと能智さん ストックによるマウンテイン・デイスタンス    エントツ山とマーシーさん


白滝鉱山と自然王国白滝の里


  展望所より自然王国白滝の里を眺める  (白滝鉱山の跡地を利用した大川町の村おこし施設だ)

山頂で記念写真を撮った後、少し戻って展望所から高知県大川村の「自然王国白滝の里」施設が眼下に見える。ここは江戸
時代に銅山の鉱脈が発見されて土佐藩で採掘が始まった。銅鉱床は別子銅山と同じ性質の物だったらしいが余り産出量が振る
わなかった為、明治になってからも経営者が幾度も代わっている。


大正2年佐田岬の銅山経営に関わっていた宇都宮荘十郎という人が付近の4鉱山の経営権を得て「白滝鉱山」として水力発
電所や索道など近代化を図り、大正8年久原鉱業(後の日本鉱業)にバトンタッチする。最盛期には別子銅山、佐々連鉱山に
次ぐ四国で3位の銅山となり417戸1,960人が住んでいたと言う。


但し、生活物資等は選鉱された銅鉱石を精錬の為に大阪や佐賀関へ送る為に大正5年に白滝〜川之江間21kmに渡る索道を
架けた戻り荷として川之江から運んだ為に地元産業・農業にに余り恩恵を施さなかった様だ。


見晴し台から見る白滝鉱山跡は昭和47年廃坑後、大川村が土地を買い取って現在畜産、ビニールハウス、野外施設などで村
おこしをしている場所だ。


見晴し台は風が強いのでピークからほんの少し外れた三角点近くで行動食休憩を取り10時40分県境尾根へと少し戻って
北北西のターニングピークへと細尾根を進む。


  
 四等三角点「野路」は山頂から少し外れた場所にある     右手に赤星山と豊受山


   今から歩く県境尾根 東光森山は恐らく見えていない  左奥は大座礼山、 右奥は東赤石


野地峰〜東光森山 実行動時間 約3時間 (昼食・休憩は除く)

東光森山〜野地峰の縦走は私が2回、マーシーさんが一度歩いてこれと言って取り柄のないスズタケが生えた退屈な尾根だと
の印象を持っていた。今から歩く西側の県境尾根には名前の付いていない1300m〜1400m級のピークが続いている。

右手には豊受山〜赤星山の法皇山脈が並ぶ。県境尾根は一旦北側へ振出し、ターニングピークで台形状に西に曲がる。そのタ
ーニングピークは岩が張り出した見晴し台となっていた。そこから台形状に北側へ張り出したピークを過ぎると下り坂となり
両側が笹と灌木の快適な尾根が続く。枯れた背の高いスズタケがブッシュの様に並んでいる。


  
 県境尾根の最初は綺麗に笹が刈り払われている       10時47分北尾根と県境尾根との分岐に向かい北へ進む

  
 北尾根分岐付近は岩展望所になっている          ゲッ 高い場所が苦手な黒河ジュニアもここまで来たのかな?


 岩展望所から野地峰を振り返る  反射板がある手前のピークが野地峰山頂、 その奥が黒岩山



  
 北に張り出した台形尾根の次の肩部へ下る            細尾根にロープが付けられていた

  
 北に張り出した台形尾根を下る                   11時06分安定した尾根道となる


  今までびっしりと尾根に有ったスズタケは現在全て枯れている


白滝架空索道・滑車台跡

11時09分標識の立つコーナーを下ると窪地に滑車台跡を通過する。この索道は煙害で諦めた銅鉱石の精錬を他所で精錬す
る為に大正5年頃に伊予三島まで運ぶ為に馬や仲持に代わる手段として建設された。足尾銅山の技師、玉村勇助が改良・開発
した「玉村式索道」で白滝―城師―葛川―藤原―下猿田―豊坂―下長瀬―小頃須―川口―三島
の各駅を4時間かけて稼働していたらしい。


  
 11時08分滑車台跡の窪地に向かって下る            窪地に滑車台跡が残されている


 大正時代から白滝鉱山〜川之江間で鉱石運搬と生活物資の運搬に活躍した架空索道の滑車台跡


県境尾根は索道台跡の窪地から左手の傾斜を上がって行く。すると前方から単独縦走者が歩いて来た。高知の安芸から来られ
た登山者だが、生憎長話は遠慮して地下足袋だけ写真を撮らせて頂きお別れする。


11時20分アケボノツツジに出会うが殆ど未だ蕾の状態だった。11時26分1,342mピーク手前の肩部が岩場になっ
ており、マーシーさんにポーズを取って貰う。


灌木の中にブナが点在する尾根道が続く。天気は最高なのだがこの辺りの風景は未だ冬枯れの様相で緑が無い。唯一緑と言え
ばブナに付いているヤシャビシャク位だ。


  
 自然王国白滝の里 ビニールハウスや放牧場が見える    高知の安芸市から来られたという地下足袋登山者とすれ違う

  
  この辺りのアケボノツツジはまだ蕾が殆どだった        ブナの向こうに二ッ岳とエビラ山が見える

  
  振り返ると大登岐山が目立つ                  11時26分 1342mピークの肩部にある岩場にて

  
  1342mピーク                           ちょっと冬枯れだが沢山のブナがある

  
  ブナに青い葉が見える                       やシャビシャクだ

  
 11時43分 岩尾根も出てくる                     ブナの芽吹きが待ち遠しい


二等三角点「大野」1,400.16m

11時40分を過ぎると岩が点在する細尾根となり、四国中央市と新居浜市の境界尾根が近づく。岩っぽい荒れた尾根を上
ると12時00分2等三角点「大野」に着いた。三角点名は北側の別子山村にある大野集落から取られている様だ。ここで
時間も区切りが良いので各自分散して昼食休憩を30分取る。


  
 やけに岩っぽい尾根になる                  前方に四国中央市と新居浜市の分岐になる三角点峰が見える


12時00分 二等三角点「大野」 伊予の鈍亀さん、マーシーさんは四国中央市、能智さん、黒河ジュニアさんは新居浜市に立つ

  
二等三角点としては少し標石が小さい様に見える      各自散会して昼食とする これがコロナ感染対策下の登山形態だ

12時30分又同じような尾根歩きを開始する。10分程歩くと平らな尾根に差し掛かり登山標識が立っている。これを見
ると野地峰から2.9km来て、東光森山まで3.7kmも残っている。


黙々と距離を保って県境尾根を西に向かう。12時55分尾根が一旦南に振って急角度で東に延びる1,403mターニン
グピークに着き、尾根道の曲がり角を外れてピークを一旦踏んで引き返す。13時00分前方に幾つかの尾根ピークが見えて、
その左奥に見えるチチ山には雪が残っているのが見える。尾根はおぞましい背丈のスズタケが両側に並ぶが全て枯れているが
シロモジの黄色い花芽が沢山見えだ
す。

  
 その後もアップダウンの尾根が続く         12時41分 東光森山までまだ3.7kmもあるってか!


 何か夜になるとオオカミでも出てきそうな風景やなあ  

  
12時55分 ターニングピーク 右手から上がって左手に下がる  1408mターニングピークから左手に下る


奥のチチ山と笹ヶ峰には沢山雪が積もっている 県境尾根の右奥は東光森山の手前1454mピークと思われる

  
 枯れたスズタケの風景は美しくない          シロモジの黄色い花芽が目立つ

峠の首なし地蔵パート2


13時27分地形図にある南の高知県側・水谷集落への破線道に来たので少し尾根から下がってみるが踏み跡は見当たらな
かった。
13時36分フィックスロープが張られた急斜面を下る。するとそのコル部に首無し地蔵が祀られていた。ここか
ら南北に踏み跡らしき痕跡があるので昔高知の水谷集落と愛媛の大野集落を繋ぐ峠なのだろう。


  
 平凡そうな尾根には沢山のピークが存在する         13時27分高知県側へ延びる破線道を調べるが踏み跡は無い

  
 シャクナゲが唯一の緑だ                       13時36分ロープが敷設された急傾斜を下る


 13時40分地形図には載っていない予土を結ぶ峠があり、ここにも首なし地蔵が立っている

  
 この辺りの県境尾根は概ね歩き易い               所々に岩展望所がある


四等三角点「別子」、374.82m

14時03分面白い枝振りのブナがあり、マーシーさんを囃し立ててお馬ごっこをして貰う。何とか鞍に収まったが、そこ
から動けない。四苦八苦している内に太ももが攣ってツムラ漢方のお世話になった。能智さん、マーシーさんとこのブナで
遊んでいる内に先頭の黒河ジュニア達は四等三角点「別子」に着いていた様だ。


14時07分遅れて三角点峰へ上ると、赤ペンキで塗られた標石があった。境界標石は割出し作業時に赤ペンキで塗られる
事があるが、違いが分からない作業員が三角点にも赤ペンキを塗ってしまう事が多い。
ちなみに三角点「別子」と言う点名
は石ヶ山丈にもある。



  「何やってるのよ?」「お馬さんごっご」 その後馬乗り状態から立てず四苦八苦して太ももを攣らす羽目に


  14時03分 四等三角点「別子」 は赤いペンキが塗られていた

  
ストックはソーシャルディスタンス用でチャンバラする為では無い!  そうそう お互いストックの間隔を空けるのよ


三角点を出発すると直ぐに又枝振りの良いブナがあり、若手の能智さんと黒河ジュニアさんに登って貰う。亀吉さんと私が
登って花咲坂爺さんってシャレも考えたがこんなご時世に怪我しても何だからと自重する


前方の尾根がジグザグになっているので1,454m無名峰ピークが見えるが東光森山は隠れたままだ。県境尾根には名前
の無い無名峰が多いのが残念だ。香川県ではこんな標高の山だと無名にしておく筈が無いのに・・・



  14時20分 ブナでこんなに低い場所から枝分かれしているのは珍しい

  
  早速若手がブナに上る                       お〜〜い もう木に登らんでもええぞ〜〜 時間が無い


先程から黒河ジュニアさんと能智さんを先に歩いて貰っているが、体力差で隊の間隔が自然に離れるので殊更「間を空けて
歩け〜」って言う必要も無くなった。逆に「こんなペースで良いでしょうか?」と年寄りを気遣う有様だ。

伊予の鈍亀さん夫婦は普段からお互いが濃厚接触者なので近くで歩いていても問題が無かろう。それを亀美さんに言うと
「家でもソーシャルディスタンスを取ってます」って返して来た。生真面目な亀美さんも我々にもまれて冗談が言える様に
なっている。(良い事かどうかは知らないが・・・) マーシーさんと私は相変わらずダジャレ合戦に明け暮れながら退屈
をしのぐ。


14時45分1,454mピークを過ぎると次のピークが東光森山なのでホッとする。相変わらず冬枯れの様な殺風景な景
色が続くが、この辺りから俄然ブナが多くなる。



 東光森山の手前ピークになる1,454m無名峰が近づく  この頃になると自然に若手が先頭に立っている

  
 若手が先頭を引っ張る                       時々振り返って年寄りを気遣う 頼もしい奴らだ

  
  1454mピークに向かってなだらかに上る           ピークを過ぎると岩っぽい細尾根になる

  
 細尾根にもブナが立つ                      ゴールの東光森山は立ち木に隠れて良く見えない


   東光森山が近づくとそんなにデカくは無いが形の良いブナが点在する


   手前の枯れたスズタケは汚いが奥に良い形のブナが立つ

  
  典型的なブナの形 普通はこの様に低い場所で枝分かれしない物が多い  左奥が東光森山だ


東光森山(ひがしみつもりやま) 三等三角点「東三森」 1,486.19m

右手の緩斜面に立つブナを眺めながら緩やかな傾斜を上ると15時23分先頭が東光森山に着いた様だ。この山は大田尾越
から急登にはなるがアケボノツツジを見に愛媛県や高知県からの登山者が5月には多くなる。特に山頂手前の岩場には一本
だけ白いアケボノツツジが咲く事もあって少し名が知れた山となっている。

三角点名は「東三森」となっているので、西側の平家平と大座礼山の間にも「三ッ森山」というのがあってよくごっちゃに
なる。縦走最後の山なので記念に息を止めて集合写真を撮る。山頂の北側尾根筋に結構アケボノが咲くので偵察に行くが全
く色つきが無い。暖冬とは言え4月は寒い日が続いた影響か開花が遅れている様だ。


  
 先頭が東光森山へ着いた様だ                  伊予の鈍亀さんの野地峰〜東光森山が繋がった


          15時23分 全員無事で東光森山に到着する

  
 初めてここに来た黒河ジュニアさんと能智さん          う〜〜ん ここに来たのは何回目だろう


東光森山〜大田尾越 約1時間15分

15分程休憩の後、15時38分大田尾越に向かって下る。急坂を下っていると大きなカメラを持った年配の男性二人が結
構な大きさのザックを背負って上って来た。恐らくアケボノツツジ狙いだろうが、時節柄挨拶だけでやり過ごす。岩テラス
から見る西側の大座礼山はデカさだけが目立つムックリと特徴の無い形をしている。平家平から見る大座礼山はかっこイイ
のだが・・・


10分程で白いアケボノが咲く岩場に着くが、赤も白も咲いてはいない。急傾斜をどんどん下るが、以前よりテープやロー
プが増えた様だ。16時10分急坂を下り切った尾根部から振り返ると標高差があるので東側から縦走中には目立たなかっ
た東三森山が立派に聳えていた。


  
  大座礼山はデカいが特徴が無い                 急傾斜の下りが続く

  
15時45分 白いアケボノが一本だけある岩場を通過       どんどん下る

  
 前衛峰への渡り尾根に来ると一息つける          東光森山を振り返る 30分程であそこから下ってきたのだ

16時30分東光森山の前衛峰に上がると本峰とそれに続く尾根筋のデコボコが見える。最初にこの山へ来た時、前衛峰に
やっと登りつき東光森山に着いたと思った途端、その向こうに隠れていた本峰が見えた時はショックだった。
この辺りまで
下るとブナが緑に飾られアケボノツツジもチラホラ咲いている。


16時55分最後尾でやっと大田尾越に辿りつく。東光森山から大田尾越まで時間的には1時間15分弱だが気分的には遠
く感じた。



 16時30分 前衛峰から東光森山と県境尾根の無名峰でこぼこピークを眺める

  
 ミツバツツジがやっと咲き出している                アケボノツツジも咲き出した所だ

  
 ここにも急傾斜にロープが置かれている            見る分には良いが写真に撮るとサッパリ

  
 このブナが見えるとゴールは近い            16時51分 大田尾越に到着〜〜 黒河ジュニア、能智さん お疲れさん

車デポ地まで歩き、登山口へ車の回収に向かう

大田尾越から愛媛県側が不通になった市道・筏津線の道路を散開しながら歩く。ヤマザクラが丁度見頃で迎えてくれた。道
路崩壊場所を通過するが、確かに2ヶ所程微妙にズレている。高知県側は不通にならないが、確か愛媛県側は去年も地盤の
ズレで大規模な工事をしていたと思うのだが、これもフィリピンプレートの押し込みによる物だろうか。


17時11分朝方車を2台デポした広場に帰り着き、折宇登山口へ車の回収へと向かう。山岳縦走の登山口と下山口が遠い
場合は車の回収が面倒だが宿命作業だ。でも両場所が同じ銅山川筋に当るだけまだマシだと言える。


  
 山桜が丁度満開になって楽しみながら歩く           道路がズレた場所を振り返る

  
  下側にももう一か所ズレがあった                大田尾越から愛媛県側600m程で通行止めとなっている


新型コロナ感染対策山行は折宇にて最後のエントツ山食べ残し文旦(ぶんたん)嗅覚テストを経て解散となった。参加の
皆さん 多少不便な山歩きとなりましたが、新型コロナ問題が収まるまでは
基本この様な山歩きスタイルになります。


            
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