高知の里山を訪ねる 南嶺と宇佐 (エントツ山・旅日記)


カシミールソフトを利用したGPSトラックログ図  高知市:南嶺(なんれい) と土佐市:宇佐


プロローグ

昨秋、gakugaku さんと海部山地縦走に行った時に里山の話題が出た。私が高知の里山「南嶺」が結構人気らしいから行こうと
思っていると話すとそりゃ是非案内しますと
gakugakuさんから言われていた。年末・年始がお互い忙しく1月18日〜19日に
gakugakuさんの家に一泊して南嶺と宇佐を案内してくれる事になり、しゅぼんさんも宇佐山行に合流するので前夜に新年会もす
る事になった。


宇佐は高知大学時代「光の村」という養護施設があって夏合宿などもした懐かしい地だった。


第一部 南嶺 令和2年1月18日

南嶺:孕(はらみ)登山口〜宇津野山〜鷲尾山〜烏帽子山〜白土峠〜柏尾山〜春野運動公園 (約5時間10分)


カシミールソフトを利用したGPSトラックログ図 南嶺縦走


南嶺は高知市内を東西に流れる鏡川と太平洋に面する春野町の間に連なる標高100〜300m程の里山連山だ。高知市内か
ら近いので健康ブームもあって多くの人に歩かれている。四国電力の鉄塔網が存在するので鉄塔保線路を中心に、古くから高
知と春野村を結ぶ峠道などを絡み合わせて多くの登山口やエスケープルートを持つ。今回は浦戸湾から春野運動公園へ東から
西へ一直線に縦走する事になった。

ガクちゃんと春野運動公園近くのファミマで09時30分待ち合わせる。少し早めに行って大学時代年末にゴミ収集のアルバ
イトした後風呂に入った春野町のゴミ焼却場などを訪ねる。この道筋は仕事に就いてからも高知桟橋通りの合同庁舎と須崎港
の間を車で良く走った懐かしい場所でもあった。


ガクちゃんがやって来て山活シンデレラさんも参加と聞く。間もなく元気そうな女性がやって来てガクちゃんのパクパク号で
登山口の孕(はらみ)地区へ移動する。この場所は浦戸湾の奥まった場所で西側から湾に向かって山が突き出している地形に
なっている。地元で無いから良く知らないが孕(はらみ)地区と呼ばれるのは浦戸湾に向かって突出している事から名付けら
れたのだろうか?


孕(はらみ)登山口・大海津見(わだつみ)神社

県道34号線の宇津野トンネル手前・灘漁港辺りから海岸線の狭い道に入る。右手は浦戸湾なのだが高い防波堤で海は見えな
い。やがて犬がやけに吠える「中央小動物管理センター」近くの小さなスペースにパクパク号を停める。なるほど、これじゃ
軽四パクパク号でなければ駐車出来ないわ。私は犬に吠えられるのは大嫌いなのでザックを抱えて離れた防波堤に退避する。
二人はあんまり犬に吠えられても気にしないのか車の横で悠然と準備をしている。さすが土佐人じゃなあ。


少し北側へ歩くと大海津見神社(わたつみじんじゃ)の鳥居がありここが登山口となっている。北側は太平洋セメントの工場
があってダンプの出入りしているし、ここの登山口を利用する人は車の駐車に苦労しそうな場所である。


09時57分大海津見神社の鳥居を潜って山手に進む。津波対策で整備された竹林の広い道を歩くと「海抜20m」などと書
かれた標識が手摺に掛けられていて静かな浦戸湾に潜む津波対策の現実が伝わってくる。5分程でピークに上がると自然林に
囲まれて雰囲気の良い広場に古びた大海津見神社の社殿があった。

日本書紀に最初に登場するのは大綿津見(わたつみ)と書かれて、綿とは海を意味する古語で、津は港や海岸の意、見は司
(つかさど)る事の古語。
大海津見神は海の神様で父ちゃんはイザナギ、母ちゃんはイザナミって事らしいが、この海の神様は父ちゃんのイザナギが黄
泉(よみ)の国から帰って川で禊(みそぎ)をしている時に?がれた穢(けが)れの中から生まれたって不思議な神様だ。
と言う事は正式には母ちゃんが居ないって事?


まあ出生の秘密は別として古来「海の神」としては日本で住吉大神と宗像(むなかた)三女神と並ぶ代表的な存在だ。学徒出
陣で戦死した学生の遺書や遺稿集「聞け わだつみの声」やその映画化されたのを見た事がある人も年配の方にはおられると
思う。


   
孕(はらみ)地区の中央小動物管理センター(左は浦戸湾) 登山口は大海津見神社・鳥居から入って行く

  
 神社境内に向かって津波対策の避難路となっている      照葉樹の森が気持ち良い


 登山口から5分程で稜線付近に出ると大海津見(わだつみ)神社がある。 ここから尾根縦走が始まる

最初は四電浦戸線の鉄塔を三基巡っていく
10時05分この大海津見神社から高知の里山縦走が始まる。尾根縦走路は神社から一旦南へ向かって1番目の鉄塔を過ぎた
112mピークまで進み、ここから西に向きを変えてほぼ一直線に伸びている。


10時15分この浦戸湾から延びて来た四国電力浦戸線の第一鉄塔に着くと高知市内が一望出来る。奥に見えるピークは位置
的にアケボノツツジで有名な工石山だと思う。青春のほろ苦い思い出の地を眺めながら先へと進む。


二つ目の鉄塔を越すと楠が下部で繋がっている「双子楠」があった。根でも無く幹とも言えず奇妙な繋がり方をしている。こ
の辺りはクスノキ、ツバキ、カゴノキを良く見かけるが瀬戸内海の沿岸部に見られるウバメガシは見られなかった。


10時28分三番目の鉄塔があり、この土佐山田から浦戸湾を渡って来た電線はここから北側の四国電力孕(はらみ)変電所
へと収まって行く。三番鉄塔からも快適な尾根道が西に向かう。10時40分初めてカゴノキが現われて地図を見ると、丁度
この下を宇津野トンネルと新宇津野トンネルが通っている。そう言えば学生時代にこの狭いトンネルが恐ろしかった思い出が
ある。一度カゴノキが出てくると次から次へと鹿の子模様が出現する。


  
う〜〜ん 高知の山はサッパリわからん 工石山だろうね      10時14分 1番目の鉄塔を通過する


  高知の市内を眺めるガクちゃんと山活シンデレラ  奥は工石山が有るはずだ  でもわか〜〜んない


               南嶺のスタートは里山最高の景色やねえ

  
 10時20分 二つ目の鉄塔を通過                 ん? 2本のクスノキが繋がっている (双子楠)

  
     森の精の様な大木                       10時28分 三つ目の鉄塔を通過

  
 大クスのある尾根道が続く                       境界標石もある (春野町と高知市の境界かな)

  
      カゴノキが沢山生えている                南嶺は快適な登山道だ


ガクチャンがもうすぐ「囲みの木が有るき」と言うと10時52分根元から何本も細い幹が生えて中に入れる樹が現れる。面
白がってこの中に入って捕らわれ写真を撮り合う。ガクちゃんによると薪や炭を作るために幹を伐採して、その周りから小さ
な枝が周りに生えて来て、やがて10本程の幹に成長したのだと言う。こんな木はこの後も沢山見る事が出来た。


  
  何ちゅうポーズかいな? デカいカゴノキの前で          お〜〜 カゴノキにもセクハラボクがあるぞ

  
  捕らわれの樹 カゴノキ版                      娘が共通一次試験の日に呑気なもんやなあ

 
宇津野峠

11時00分お地蔵さんが立つ場所に着くとすぐ傍に四国電力・高知連絡線36番鉄塔があった。今までは浦戸線だったが、こ
こからは高知連絡線に変わり、宇津野山から少し電線が南に振って柏尾山の南尾根で再開する事になる。丁度この真北に四国電
力孕(はらみ)変電所がある様だ。


この後暫く植林帯があるが規模が小さいので気にならない。すると前方にコルが現われて11時03分「宇津野峠」に着いた。
トンネルが開通する前は高知市内と横浜地区を結ぶ生活道だったのだろう。


宇津野峠から整備された階段状の上り坂となる。すると11時05分又鉄塔のある少し見晴しが利く場所に着いた。南側には
玉島と衣ヶ島と浦戸大橋、北側には高知市内とその奥に聳える工石山等の高知の山々。正にこれが高知の里山だ。
11時20
分鉄塔に着き、標識を見ると四国電力・高知連絡線34番鉄塔と桂浜支線三番鉄塔の共用鉄塔だった。


  
 10時58分 四電高知連絡線36番鉄塔とお地蔵さん      小規模な植林地帯もある

  
 11時03分 宇津木峠に着く                     峠には標識が立っている

  
 宇津野峠から整備された階段道が上がって行く       11時05分 四電・高知連絡線35番鉄塔に着く 玉島と衣ヶ島


   35番鉄塔付近から北側に高知市内が見える

  
  基準点の様な鉄球が埋め込まれた標石が数基ある    11時20分高知連絡線34番と桂浜支線3番の共用鉄塔を通過

ヤマガツオさんに会う

11時25分「西の谷」分岐を通過する。西谷は南側の横浜地区の山際に当る場所で、恐らくここに向かって四電桂浜支線の
鉄塔保線路が延びているのだろう。ここから宇津野山に向かって少し尾根が南側に振り、植林帯の中に整備された階段状の上
り坂となる。直ぐに今度は北側の「深谷バス停」への分岐標識が立っている。

すると上から登山者が下りて来て、先頭の男の人と目が合った。「あれ〜 エントツ山さん?どうしたが? こんな所へ」
「お〜〜ヤマガツオさんじゃないの!」と久しぶりの出会いであった。
Gakugaku さんの案内でここを歩いていますと言うと
お互い名前(
HN)を知っていて挨拶を交わし、どこそこから上がって来たと地元の人しか分からない登山口の話をしている。
ヤマガツオさんは山の会関係でここを初めて歩く人を案内しているらしかった。


ヤマガツオさんは高知の山岳会に属して座学や実戦など組織的な活動も行って来られた方で、エントツ山の破天荒な自己流山
歩きとは一線を隔している。自己流山歩きに徹していが故に私は山岳会系の人からは敬遠されており長年山歩きをしていても
知り合いが殆ど居ない。そんな中ではヤマガツオさんはこのはぐれ者にアドバイスをくれる奇特な方なのだ。


  
 11時25分南側への「西の谷」分岐を通過             整備された階段の上り坂が続く

  
 11時30分 北側への深谷バス停留所分岐を通過       上からヤマガツオさんが現れた


         ヤマガツオ隊と記念写真 まさか南嶺でお会い出来るとは思っていなかった


宇津野山  三等三角点「西孕」(にしはらみ) 256・37m

宇津野山が近づくと植林と傾斜が無くなって自然林の平坦な尾根道となる。大楠が立つ自然林を進むと11時38分宇津野山
三角点峰に着いた。木立が繁って笹薮なども有る何の変哲もないピークだが地形的には里山特有の多くの支尾根を伸ばしてい
る。三角点の点名「西孕」は北側の集落名「孕」(はらみ)から取られている。(孕東町、孕西町)


宇津野山から歩き出すと又植林が見られる様になり、すぐ西側に数メートル高いピークが有る。このピークに四国電力・高知
連絡線の少し大きめの32番鉄塔が立っているが展望はあまり望めない。右側に多少植林が見られるがそう多くは無い。この
辺りの尾根下には横浜トンネルが通っている。


  
 上り階段を喘ぐとクスノキの大木が迎えてくれる           11時38分 三角点を踏む


  宇津野山  三等三角点「西孕」(にしはらみ)  平凡な通りすがりのピークだ

  
  一応「宇津野山」の山頂標識が立っていた           奥の少し高いピークに高知連絡線32番鉄塔が立つ

    
  殆どが自然林で占められてはいるが・・・             所々で植林帯が現れる


鷲尾山 306m

12時00分鷲尾山の北肩部に入ると筆山への分岐標識が立っている。北側に高知市内の筆山から皿ヶ峰を経て鷲尾山へ至る
人気ルートがある。確かに登山口の駐車場を考えると筆山コースが無難だろう。この辺りから又植林が増えるがよく踏まれた
登山道が鷲尾山へ向かって延びている。


12時10分南側が気持ちよく開けた平地に出る。ここが鷲尾山の山頂広場だ。横浜ニュータウンの建物と幾つかの小さな島
が浮かぶ浦戸湾、種崎と浦戸の間は狭い入り口になっており、その向こうには太平洋が広がっている。高知の里山ならではの
風景だ。北側は樹木に覆われて展望はほぼ無い。


展望広場では子供を連れた人がテントを張って寛いでいる。我々も約30分ここで太平洋を眺めながら昼食とする。ガクちゃ
んは土手に腰を下ろしてパンとスープ、山活シンデレラはお弁当を休憩長椅子に置いて持って来た三脚に座って優雅に食事す
る。私はジェットボイルでお湯を沸かしてラーメンをすする。山用小型携帯ガスボンベは山行の度に新しい物を持って行くの
で少しガスが残ったボンベがどうしても増える。こんな里山でそれを使ってボンベを空にするのだ。


  
 12時00分 筆山分岐を通過                    筆山への道が北側に続いている


  12時08分 横浜ニュータウン分岐には休憩椅子が置かれている

  
 前方が明るく開けているぞ                      横浜ニュータウンの向こうには太平洋が広がる


  12時15分 鷲尾山から浦戸湾を眺める  ここが南嶺で一番の展望広場だ

  
        雄大な太平洋を眺めながら               お弁当を食べる食活シンデレラ

12時50分、西側にアンテナが立つ形の良い烏帽子山へ向かう。東側から見る烏帽子山は尖った形をしており烏帽子には見
えない。5分程尾根を下ると「吉野」への分岐標識が立つコルに出る。ここから北側に鷲尾トンネル北口へのルートが吉野へ
と続いている様だ。
南嶺、鷲尾山と烏帽子山の北側には吉野とか高神、高座など神道・修験道を匂わせる地名がある。




    次の目標 烏帽子山  アンテナが立っている

  
 12時50分 鷲尾山を下りて烏帽子山へと進む              右手に植林が並ぶ


         12時56分 北側へ下りる吉野分岐を通過


烏帽子山  一等三角点「鷲尾山」 359.13m

烏帽子山は南嶺では一番標高が高く359.1m程あるのでコル部から標高差120m程の上りとなる。植林や自然林の森で見
通しは余り良く無い尾根だが、一瞬東側や南側が開けるので鷲尾山を振り返ったりしながら進むとロープが敷設された急登が現
われ急傾斜を喘ぐ。


13時16分左手に小道がありガクちゃんが「エントツ山さん そこを進みや」と言われてトラバース道に一人で入る。すると
四角い洞穴があり、その辺りから細い鎖場が山頂へと延びており上でガクちゃんの姿が見える。つまり、ここが石鎚神社の鎖場
だったのだ。


13時18分「石土神社」の鳥居に着く。石鎚神社は古くは石土神社と呼ばれた事もあり両社の区別は付けられない。烏帽子山
の北側にも数か所石鎚神社がある様だ。神道には勧請(かんじょう)と言う便利な分祀制度があって西日本を中心に無数の石鎚
神社・石土神社が祀られている。ただ、烏帽子山にある石土神社はこの辺りでは歴史の古い神社らしい。

真新しい祠の奥に一等三角点「鷲尾山」が有った。点名に隣の鷲尾山が付けられている。三角点を踏んだ後、鳥居近くにある
ヤマガラの餌やり場で暫く遊んだ後に勇壮な狛犬に見送られて白土峠へと下る。烏帽子山に電波施設がある為、車道が尾根の南
側を通っている。


  
 烏帽子山へ向かって上り傾斜となる                   鷲尾山を振り返る

  
 広葉樹の葉っぱが落ちて滑りやすい急登 ロープもある     木の根の回廊

  
13時16分 ガクちゃんに左手から回り込む様に指示される    祠跡か?小さな石窟がある

  
  鎖場の上からガクちゃんがオ〜イと呼んでいる         鎖は細いがしっかり繋がっていた

  
  石土神社と書かれた鳥居がある                    鉄板の屋根付き祠  祠の石はまだ新しい


    13時18分 烏帽子山の山頂に着く  一等三角点名は「鷲尾山」となっている

  
 ガクちゃんがヤマガラと戯れる                    浦戸大橋と桂浜観光センターが見えた

  
 裏側が参道になっており迫力満点の狛犬が居る       面構えのいい狛犬だ事  明治43年に建てられた鳥居

白土峠(しらととうげ)(しらつちとうげ)2つの読みが文献に記載されている

白土峠手前に尾根ターニングポイント有り

烏帽子山から植林尾根を下って行くと13時40分尾根道を南に向かって急カーブする場所に白土峠・おおなろ園の標識が立っ
ている。「おおなろ園」は北側にある障害者福祉施設の名称らしい。すると直ぐに尾根を横切る車道に行き当った。13時43
分車道に「白土峠」の標識が立っており、そこに「柏尾山 0.9km」の表示がある。

今まで孕(はらみ)登山口からほぼ一直線に東西に伸びた南嶺尾根は白土峠で南西方向に向きを変え柏尾山へと向かう。
又、こ
の標識には芳原(春野町)への標識があるので南側へも抜ける道がある様だ。


白土峠から尾根道に入ると少しワイルドになって笹や灌木が目立つ。右手には電波塔があるのでフェンスが登山道に沿って伸び
ていたりする。急登には木の階段やロープ等が置かれて整備はされている様だ。13時52分南側が開けて春野町と太平洋が開
ける。

14時00分アンテナ施設のフェンス横を抜ける。ピスタチオナッツの様な殻がぶら下がっているので何だろうと思案している
とガクちゃんが「桐の実や」と解答をだす。植林帯を進むと次のアンテナ鉄塔が現われ北側が開ける。遠くに石立山っぽい山影
が見えるが高知から見る山並みはサッパリだ。


  
  植林帯を白土峠へ緩やかに下って行く              13時40分 白土峠へのターニングポイントが近づく

  
 西北西へ進んだ尾根がここで急に南へ尾根変えする       13時42分 舗装道路に出る

  
  少し舗装道路を下ると柏尾山への入口がある         この登山口に白土峠の標識が立つ 柏尾山まで900mだ

  
 道は細いがしかりと付いている                    傾斜部には木で整備されてロープも置かれていた


         春野町は起伏のある地形をしているのが分かる

  
  14時00分アンテナ施設の横を抜ける              ピスタチオナッツ風 桐の実の殻

  
  植林帯もある                            南側が開けたけど・・・ ここは何処? あの山は何? 


柏尾山 (かしおやま)

14時13分四角い大きな岩があり「月石」と標識が掛かっている。月石と言うより「豆腐(トーフ)岩」って名の方がしっく
りくる。月石の横に「芳原・自然と歴史の道」や「柏尾寺跡・坂本公民館」への標識が立っている。分岐分岐に標識が豊富に立
っている南嶺は高知の誇る里山だ。


14時15分「柏尾山城跡」の看板に出会う。この裏手の小高い場所に「柏尾山」の山頂標識が立っていた。郭(くるわ)跡
などが残って無いか少し西側へ進むが特にそれらしい雰囲気は無かったので引き返す。



14時13分 豆腐の様な岩があり「月石」の標識が立っている  座禅石とも呼ばれていた様でこの呼び名の方がピッタリくる 

   
 月石の北側が樹木が伐採されて高知市の西部が見える   コル部に柏尾山城跡の標識が立つ  ここは城の堀切り部分らしい

  
14時16分 柏尾山の山頂に着く 土盛りがされている様な場所    山頂標識が木に掛かって」いた


春野運動公園北口へ

14時23分柏尾山城跡の標識に戻って春野運動公園北口へと向かう。地図を見ると柏尾山から南尾根を一直線に下り、最後の
方で西の支尾根を伝って谷筋に向かう様である。岩や自然林のスペースがある尾根を下ると14時37分、宇津野山から延びた
四国電力・高知連線の鉄塔に出会う。そこから5分程南尾根を下ると、尾根の右手(西側)に向かって鉄塔保線路が下っている。


  
 14時23分 柏尾山城跡の標識に戻って南に下る   所々に岩などがあるが歩きやすい尾根だ

  
 この尾根には沢山の葛(かずら)があった      14時37分 高知連絡線の鉄塔に出会う

  
 14時42分 鉄塔保線路が尾根を外れて西側へ下る   支尾根を少し利用して西側へ向かう


四国電力の保線路にしてはザレた悪路を気を付けながらジグザグに下ると15時01分保線路鉄橋が谷に掛かっておりそこを渡
る。何て事ないグレーチングの橋なのだが山活シンデレラさんは異様に怖がっている。こんな橋で足がすくんでいると、こりゃ
石鎚の鉄階段はどうなるんじゃろ。


橋を渡り谷沿いの広い未舗装道を下って15時10分車をデポした春野運動公園北口に到着した。

  
  足元が不安定なザレた斜面をジグザグに下る          いくら四電でも整備が行き届かない地質なのだろう

  
 ズルズル滑りやすい斜面を気を付けて下る            15時01分 やっと沢部に下って鉄の橋が見える

  
 高知のはちきん女性も怖い事があるにかわらん         橋を渡ると広い道が続く

  
山活シンデレラさんのザックはザック王ガクちゃんが手配     15時10分春野運動公園北口駐車場へ帰り着く  

高知の里山「南嶺」をガクちゃん、山活シンデレラさんと楽しく歩けた一日だった。ここで女性と別れて私の車で登山口の大海
津見神社へガクガク車を回収し、太平洋セメント工場の横を通って宇津野トンネルを抜けガクガク邸へと向かった。




第二部  グルっと宇佐の里山巡り  令和2年1月18日

萩岬〜黒岩山〜中口山〜塚地峠〜茶臼山〜灘 (約5時間35分)


 カシミールソフトを利用したGPSトラックログ図  宇佐の山 周回

前日南嶺縦走を終えてガクガクさんの登山道具お化け屋敷でしゅぼんさんと新年会を行う。酒豪の二人はビールをポンポン空に
して焼酎に移っている。もう酒飲みの相手するのも面倒だなあと思っているとしゅぼんさんが撃沈してくれた。そこでシュラフ
を並べて寝る。翌朝ガクガクさんに起こされて目覚める。二人に心配していた二日酔いは無さそうだった。


  
ガクガク邸で刺身や寿司、おでん、サラダで新年会〜       怪しい山道具のお化け屋敷(gakugaku邸)

春野町から仁淀川河口の大橋を渡り宇佐大橋近くの灘地区に車をデポして東側の萩岬へ向かう。09時に萩茶屋の道路を隔てた
山際のスペースに車を駐車して準備をする。


09時20分道路の擁壁から取り付くのかと眺めていると、ガクちゃんが「こっちやで」と右手に誘う。何でも昔バスが通って
た道らしく、現在は津波避難舗装道路になっており昨日の大海津見神社登山口と同じく海抜何メートルと道路に書かれている。
尾根筋に上がると広場に緊急非難用具の倉庫があった。


09時34分尾根筋を海側へ進むと神社があり弘法大師像が立っている。尾根筋を進むと直ぐにイノシシのヌタ場があり、中央
の切株がイノシシの背中で擦られて臼杵の様になっている。そこから
ワイルドな広葉樹の尾根が続き、カシ、クヌギ類やシデ類
の木もあるが一番多く繁っているのは細長い葉を持つミミズバイだ。


  
09時10分 宇佐の萩岬にある萩の茶屋向かい広場に駐車   尾根の東側に沿って道路が伸びている

  
  ここも海抜何メートルの記入がされている           池ノ浦、立石地区と仁淀川河口方面

  
 09時32分尾根筋に上がる                     尾根の南突端にある大師像

 
   祠とお大師さんの取り合わせ  09時35分 ここから宇佐・尾根縦走がスタートする

  
  空一杯を覆う大樹                        イノシシのヌタ場 真ん中の木が猪のスリスリで凹んでいる

  
     常緑広葉樹が多い                       特にこの縦走路に多かったのは「ミミズバイ」だった
  


黒岩山 三等三角点「黒岩山」170.35m と石鎚神社

10時00分に弓矢の矢に使われた矢竹の群生を抜けると祠の跡らしき石組と倒れた石柱に出会う。恐らく奥にある石鎚神社と
関連した物だろう。そこからはまるで道路の様な平らで広い尾根が続く。すると10時04分屋根の鉄骨が剥き出しになった祠
に到着する。○に石の字が刻まれた石鎚神社らしい。この祠のすぐ横に三等三角点「黒岩山」が有る。

祠は比較的新しい様に見えるが天井部分の鉄骨は錆からして結構古そうに見える。台風などで倒壊したのかも知れない。その奥
に狛犬があり参道となっているので昔は立派な参拝道が立石地区へと下っていたのだろう。


  
  ここのリョウブは鹿に食われていない               その内 ヤダケ(矢竹)が沢山出てくる

  
   石碑が倒れている 石鎚神社の記念碑らしい         急に尾根が平らで広くなった


 鉄骨屋根に覆われていた石鎚神社の祠があった すぐ横に三角点がある

  
 何か荒れ果てたイメージだ                      〇に石の手水鉢 まさしく石鎚神社の祠 

  
ここのキテイさんの山頂標識は珍しく壊れていない        10時05分 三等三角点「黒岩山」を踏む


  狛犬も鎮座する  しかしこんな状態で放っておくなら初めから天井など作らない方がマシやね


最初のターニングポイント

山の現場では主観的な方向感覚と地形図上の方角で相当ズレが生じる事が多い。この黒岩山から漫然と尾根を進むと東側の立石
地区へと下る参道へ入って行く。地形図を見ると尾根は北西に向かって真っすぐに向かっているのだが、この縦走尾根へは黒岩
山から意識的に左へ下って行く事になる。シダが生い茂る縦走ルートを注意すればテープも見られる。


10時17分黒岩山の北側コル部に下り着くとシダが消えて雑木尾根となる。標高約120m程のコルには南北にしっかりした
踏み跡が横切っており、昔はこの峠に茶屋があって賑わっていたとの標識が落ちていた。北側の仁淀川・弘岡地区と宇佐を結ぶ
生活道があったのだろう。



10時10分黒岩山の尾根筋から左手へ下るイメージで曲がる  テープが見える

  
 ちょっと尾根らしく見えないがテープがある             少し下ると平坦なシダ尾根となる

  
  ゲッ オニシダの藪を抜ける                 10時18分峠部のコルに着く 広い道が尾根を横切っている

  
 北側の新居地区と宇佐を結ぶ古い峠道だった           この辺りにはその昔茶店があったと看板に書かれている
  

峠を過ぎると又薄いシダ藪もあるが小さなピンクのツツジが咲いている。後でこのツツジ名が「フジツツジ」だと入交さんに
教えて頂く事になる。花が藤色をしている所からこの名前が付けられたらしい。大柄なオンツツジに対して繊細な枝ぶりから
メンツツジとも呼ばれているそうだ。四国では高知県と徳島県に3月から5月に咲くって、今は狂い咲き?。
峠の標高120mから次の中口山233.4mまで緩やかな上り傾斜の尾根が続く。
10時33分基準点らしき物があり、一瞬
シダの間から初めて宇佐の海が見えた。入り江には太平洋の荒波を避ける為防波堤が沢山見える。

10時40分人口の土塁らしき地形があり、郭の様な石垣で段になっている。ガクちゃんによるとここも中世の山城があった様
だ。
10時55分宇佐の海が見渡せる広場に出る。辺りを見渡すとここは未舗装道路らしく、地図で確認すると塚地坂トンネル
南口から中口山まで林道が続いている様だ。あまり利用されていないのか赤土道路の両側はススキに覆われている。道路に沿っ
て尾根があるので一人だけ尾根の藪に入って苦労する。

  
  
 シダ藪もあるがここは腰までしかないので問題無し        フジツツジが咲いている 藤色と言うよりはピンク色の花だ

  
 10時33分 又基準点の様な石柱がある              シダの間から宇佐の多重防波堤が見える

  
 土塁の様な盛り上がった地形上を歩く                段も組まれていて中世の山城だろう

  
  水を貯める枠もある                         やはり人工の土塁に間違いない フジツツジも咲いている

  
10時55分 道路に出た                        横浪三里の入り口   竜岬  崎山と宇都賀山

  
  コラ〜〜 真面目に尾根を歩かんね!             とは言うものの・・・ 藪じゃん!

  
 一旦合流するが「エントツ山さんは尾根歩きや〜」と冷たい   意地でも我は尾根を詰める


中口山 四等三角点「中口山」233.36m

11時08分尾根は北側に続いているが、中口山の三角点峰へ行くには一旦道路に下りて南側の尾根に移らなければならない。
道路で待つ二人に笑われながら合流する。この道路も先で終点になっている。二人に合流して左手の尾根に入る。藪尾根を進む
と北側に仁淀川沿いの町が見えて、その遙か向こうに県境の山々が霞む。地図上では石鎚山系なんだけどサッパリ同定出来ない。
11時15分 シダ藪の中に四等三角点「中口山」を踏む。


  
 お〜〜い エントツ山さん そっちじゃないで            二人に合流して口西山の藪尾根へと進む

  
 道路の終点近くから左手の藪尾根に入る             三角点へ細い踏み跡を辿る


   仁淀川と高岡の町が見える と言う事は北側には国見山や鷹羽ヶ森、陳ケ森、もっと奥に稲村山がある筈だ

  
  実際はこんな大きさに見える                    山をズームするとこんな感じ

  
 11時15分四等三角点「中口山」を踏む              宇佐2座目の山頂だ それにしても人気の無い山だね

2度目のターニングポイント

中口山から北西に伸びる尾根に乗ると孟宗竹が現れる。11時23分尾根の乗り換えターニングポイントに達する。里山は四方
八方に良く似た支尾根を持つので初めて歩くと実に厄介だ。この中口山もその例に漏れずややこしい。途中まで北西尾根を歩い
て、急に尾根の途中から南西方向に尾根換えをしなくてはならない。ここも最初の黒岩山と同じく左に向かって無理矢理下らな
ければならない。よく見るとテープがあり、道らしきスペースがあるので地形図が頭に入っていればこのターニングポイントを
見逃す事も無さそうだ。


11時32分この山域では初めて尾根に現われたカゴノキを眺めていると、そこから孟宗竹の藪となった。この中国原産の孟宗
竹は私の太もも程の大きさがある。


  
 中口山から一旦北西に尾根を進む 孟宗竹が多い       11時23分南西方向への尾根替えターニングポイントに来る

  
 そのまま北西へ進むと塚地坂トンネル北口へ下りてしまう   細い雑木の尾根へと進む

  
    キノコ  食べられないやろねえ               おおっ カゴノキがこの山域尾根で初めて現れた

  
       デカい孟宗竹だ                        孟宗竹の竹藪の中を進む (ルートは有る)
    

塚地峠 (土佐遍路道が横切る

孟宗竹の生える尾根を抜けると11時50分沢山の標識が立つまともな道が現れた。ここが土佐遍路道(青龍寺道)の「塚地
」だった。北側土佐市の35番札所「清瀧(きよたき)寺」と南側横波三里にある36番札所「青龍(しょうりゅう)寺
を結ぶ遍路道だ。


本州の鯖街道が有名だが、この塚地峠も港からカツオを背負って市街地へと運んだ「カツオ街道」だったらしい。最近の遍路道
は国道や道路の整備の為徐々に失われかけているのだが、トンネル開通や道路の通せない山奥などでは結構残されている。


峠にはお馴染みの「四国のみち」標識が立っており宇佐と高石をこの峠で繋いでいる。

別の標識には700m先の別方向に大垰展望所へのハイキングコースと書かれていたのでガクちゃんに「行こう」と言うと、
「あそこは車で来れる場所だから止めときましょう」と言われて近くの宇佐展望所へ案内された。宇佐は浦ノ内湾の入り口に当り、
横波三里の南側への大橋が見える。橋が無い以前は渡し船があったのだろうなあ。大橋の辺りは水深が浅く見え、その内側に長
い湾が延びているとは思えなかった。


暫く景色を眺めているとピッケルの様な鶴嘴(ツルハシ)を持って白い長靴を履いた人がやって来て近くに居たカップルに土佐
弁で話しかけている。その話だと大垰展望所には大勢の登山者が居て賑やかだったと言う。恐らく遊歩道を整備されている方だ
と思うが土佐人独特のアクがある様なイメージだったのでその場を退散する。



 11時50分 突然開けた道に出た  遍路道の「塚地峠」だ

  
 宇佐の青龍寺方面と土佐市の清瀧寺を結ぶ遍路道だ        斜め上の展望所へと向かう




11時52分展望所からの眺め  宇佐大橋を結んで対岸、横波三里の宇津賀山 この裏側に三十六番青龍寺がある


一旦塚地峠に帰り、塹壕の様に掘れ込んだ旧道を辿って植林と竹林の横を進んでいると大垰展望所からガクちゃんやしゅぼんさ
んの知り合いがいる団体登山者が下りて来た。どうも二人が以前働いていた会社の社長夫人らしかった。するとその中に懐かし
い入交さんが居た。お互い何年振りだろうか? 冬の白猪谷や国見山以来だろうか。その時に一緒に居た猫パンチさんは元気に
しているんだろうか聞きそびれた。入交さんによると小さなピンクのツツジはフジツツジで、この辺りはオンツツジが咲く時期
が良いと教えて頂いた。


昨日のヤマガツオさんと言い、今日の入交さんと言い今回高知の里山でお会い出来て良かった。皆さんに挨拶をして先に進むと
12時23分直ぐに石仏が立っていた。文久と刻まれているから幕末からここに立っている様だ。この辺りから茶臼山に向かっ
て尾根は南へ進む。


  
  これヒガンバナの葉っぱやで(ガクちゃん)           塹壕の様な古い道を歩くしゅぼんさん

  
   枝打ちされていない植林帯がある                次に孟宗竹の竹林が現れる


あら〜〜〜  入交さんじゃあ〜りませんか  お元気だったのね〜〜  ガクちゃん、しゅぼんさんの知り合いも居られた

  
 フジツツジを入交さんに教えて貰った                12時23分 文久の年号があるお地蔵さんが立つ

ここは遊歩道となっており近くに生えている孟宗竹を使って手摺や休憩椅子が置かれている。先程のアクが強そうな土佐人の作
かな? だとしたらこの努力を尊敬せにゃならん。270mピークは塚地峠を過ぎて一番標高の高いピークだが山名は無い。遊
歩道はこのピークの東側を少しトラバースして付けられている。


この270mピーク付近の展望の良い場所に竹製の椅子が置かれている。東側が開けて仁淀川を挟んで昨日歩いた南嶺方面が見え
る。又、太平洋と池の様な浦ノ内湾の一部が見える。12時43分今度は登山口の萩岬とそこから続く今回の縦走尾根が見え
る。もうお昼を過ぎてはいるが下山後に萩茶屋で打ち上げ会をするのでそれまで食事はガマンする。


  
 孟宗竹を使った手摺                          休憩椅子も孟宗竹で作っている


             萩岬から縦走して来た宇佐を囲む里山


  萩岬から縦走してきた尾根(手前)   中央中程奥に柏尾山と烏帽子山が見える

  
浦ノ内湾の一部が池の様に見える 浦ノ内湾の奥は須崎市だ   近くで原料調達が出来る孟宗竹製の展望椅子が結構多い


茶臼山  四等三角点「茶臼山」237.08m と 石鎚神社

10分程進むとハイキングコースの標識が立っており、この先に「茶臼分岐」があってそこから萩谷川へ下る道(東の宇佐)と
灰方分岐(西の浦ノ内・灰方)方面へ分かれている様だ。


ガクちゃんに誘われてシダの生えた左手の巻道に入る。すると奥に鳥居がある立派な石段の参拝道が現れた。「へ〜〜 こんな
所に!」と驚くとガクちゃんが得意そうに鼻をヒクヒクさせている。荒れてはいるが長さもあり本当に感激する様な神の域であ
る。鳥居の手前には石垣が整然と組まれており、その向こうの大岩に鎖が掛けられている。お〜これは正に石鎚神社では」おま
へんか〜 上では先程展望所で長靴叔父さんに捕まっていたカップルが不思議そうに我々を眺めている。


13時00分「茶臼山」の石鎚神社に這い上がる。山頂広場には古びた小さな祠に似合わない「南無石鎚秘蔵大権現」の石碑が
立っている。祠の中には石仏が納められていて蔵王権現が転がっている。要はかつてどこにでも広がった石鎚信仰は多くの石鎚
神社や石土神社を生み、時代の流れと共に廃れつつあるって事だろう。

石鎚神社のすぐ横には三角点「茶臼山」もあり、今回の
USAマウンティン周回を締めくくるには最適のフィナーレピークとなっ
た。


  
 背丈の低いシダが生える尾根を下る                12時55分 「茶臼分岐」標識に出会う

  
 尾根道から外れて左の巻き道に入る                 お〜〜 荒れてはいるが立派な石段の参道がある

  
 石垣が整然と積まれて昭和4年に奉納された鳥居がある     その鳥居の奥にある大岩に鎖が置かれている

  
 一応鎖禅定もしとかにゃいかんぜよ        山頂で変なおじさん達が変な方角から這い上がってくるので少し怯えていた


  13時00分 四等三角点「茶臼山」と石鎚神社の祠にとうちゃこ〜〜 立派な石段や鳥居の割には祠は小さい

  
 (石鎚)蔵王権現が転がっている                よっしゃ 代わりにシェーポーズのエントツ山蔵王権現だ〜〜

  
   茶臼山の山頂標識                       「南無石鎚秘蔵大権現」ってちょっと大げさやで

宇佐・茶臼山の防空監視哨跡

茶臼山の石鎚神社に満足する私をガクちゃんは更に面白い場所に案内すると右手から裏側に回り込んで行く。この辺りは人工的
な段になっておりコンクリートの建物基礎が残っている。すると円形の大きな井戸の様な構造物がある。ガクちゃんによるとこ
れは戦時中に利用されていた「防空監視哨跡」つまり軍事施設の跡らしい。


調べてみるとこの防空監視哨はアメリカ軍の飛行機の襲来を監視した施設で全国に幾つも設けられていたらしい。監視のやり方
は単純でこの円筒型の聴音壕に入って、周りの音を遮断した状態でひたすら敵機のプロペラ音を聞くというアナログ監視方式だ。
先程見たコンクリートの基礎部には哨舎(詰所)が建っていて交代制で監視活動を行っていたのだろう。そこからは平和な宇佐
の漁港と太平洋が眺められた。出発点の萩岬も見えて早く下山して萩茶屋で打ち上げ会をしたいものだ。


  
 ガクちゃんが「面白い場所に案内するき」と右手に回り込む   堀切りされた平坦な場所に建造物のコンクリート基礎がある


 え? 何これ?  井戸? コンクリート製みたいなから山城跡ではないわなあ・・・防空監視哨跡の聴音壕らしい

  
ここでガクちゃんのうんちく話が始まる         萩岬が見える あのくびれた場所が出発点だった


  平和な宇佐の海が見える 宇佐湾と言って良いと思うのだが、浦ノ内湾の入り口部だ

ワイルドなハイキングコース

13時15分茶臼分岐へ帰り南へ続く尾根を進むとすぐにハイキングコースの標識があり福岡1250mとある。宇佐・福岡地
区は宇佐町の南端に近い地区名なので方角的には下山路で間違い無い。更に10分程進むと次第に道が怪しくなるがちゃんとハ
イキングコースの標識があり灰方分岐450mと記されている。

ガクちゃんに「土佐のハイキングコースはワイルドやなあ」と言うとむふふと笑っている。すると直ぐに今度は福岡1000m
の標識がある。道は有るか無いかよくわからん尾根だがハイキングコースに間違いは無い。
13時30分今度は灰方分岐200
mの標識が立っている。要するに灰方分岐を過ぎて福岡へ向かうって事だろうね。


灰方分岐とお地蔵さん

植林やシダの尾根を下って標高131m小ピークを過ぎたコル部に13時35分差し掛かると「灰方分岐」の標識に出会う。
。ハイキングコース標識を見るとここは三叉路となっており、右手は浦ノ内・灰方、正面は宇佐岡地区1000m、左は宇佐
福岡地区600mとある。「岡地区」?地図には載っていないがここが最南端の終点に近い集落名だろう。

灰方分岐から少し下ると石仏と石標があって天明と刻まれているから江戸中期からここに置かれているのだろうか。古い時代に
は宇佐と灰方を結ぶ峠道がこの付近にあったのだろう。同時にこの近くにヌタ場があり、中央に立つ木がイノシシのスリスリに
遭って細くなっていた。


その後もシダ藪や灌木藪が現れるが、ハイキングコースの標識もちゃんと立っていてガクちゃんから「れっきとしたハイキング
コースですよ」と言われる。こんな所にハイキングに来る人はおらんやろとしゅぼんさんに同意を促す。小規模な植林帯やシダ
藪を抜けると灌木帯で少しルートが不明になる。尾根のはっきりしない平らな斜面を3人で別れてテープを探す。
13時52分
荒れ尾根にハイキングコース標識がしつこく立っており宇佐・岡地区500mとある。あ〜〜あと少しで下山やで〜


  
 13時15分 茶臼山分岐に帰り縦走尾根を南に下る      茶臼分岐から250m来て、宇佐福岡まで125mとある

  
13時25分 茶臼分岐から450m、「灰方分岐」まで450m    すぐに今度は「宇佐福岡」まで1000mの標識がある

  
 13時31分 灰方分岐まで200mに近づいた     13時35分「灰方分岐」に到着する 今度は「宇佐岡地区」まで1000m


 13時40分 131mピークを越えたコル部に天明と刻まれた石板とお地蔵さんが立っていた。


  お地蔵さんから少し下るとこの尾根で二つ目の立派なヌタ場が有った 真ん中の丸太がイノシシに擦られて細っていた

  
   ハイキングコースにはシダ藪もある                      ミミズバイの藪もある

   
  あくまでハイキングコースだと標識は主張する      宇佐・岡地区まで500m これが最後のハイキングコース標識となった


四等三角点 「福島」 測量成果 不可、成果状態 廃点予定、現状状況 亡失

前方に最後の149mピークが見えて、ここに三角点がある筈だ。左手に宇佐の町が随分近づいて見える。灌木の上り傾斜を這
い上がると14時04分何とも言えない三角点に到着した。青いビニールテープに囲まれた中に三角点が露出して横たわっている。
国土地理院の基準点成果閲覧サービスを見るとこの三角点名は「福島」で成果状態は廃点予定となっていた。要は役目が終わっ
たから撤去予定の三角点って事だろうか。ちなみに点名の福島は宇佐町の南端海岸線辺りの地名から取られている。

  
  前方に149mピークが見える            149mピークに向かう

  
 左手にゴールの宇佐の町が見える             最後の急登を三角点ピークに向かう

  
ピークの右手にある三角点へと進むと青テープに囲まれて横倒しにされていた 14時03分四等三角点「福島」を踏む


図根点から左へ下る

三角点「福島」から更に尾根を下ると14時15分広場に着き地籍調査のテープが見える。そこに「地籍図根(ずこん)三角点」
の標石とアングルが立っていた。左手にテープがあったがそのまま尾根を10分程南に下る。するとガクちゃんがこのまま下り
ると道路の法面などで危険だし、右手に小道があるがそこは民家に出て犬に吠えられるから引き返すと言う。私はこのまま尾根
の突端まで下りたかったが、ここはリーダーの指示に従う。私の尾根縦走のやり方は少々乱暴で道路の法面などは気にしないの
だがgakugaku さんは私より常識的である。


14時35分図根点広場まで上り返して、テープがあった左手へと下る。支尾根に沿って道があり3分程で十郎谷(灘裏山)防
災備蓄倉庫に到着した。休憩用の長椅子なども置かれて、この場所から正面に宇佐大橋が見える。整備された階段を下ると曽我
神社と読める鳥居と神社の社に下り着いた。

  
 149m三角点ピークを少し西側をトラバース気味に下る  宇佐まではまだ高低差がある様だ

  
 ミミズバイの生える尾根を下る            14時15分 図根点広場に着く(支尾根が左手にある)

  
 ガクちゃんに続いて尾根を南に下る            最近 地籍調査あ行われた様だ

  
 地籍調査のテープがある もうすぐ海岸線の道路に出る  14時25分ガクちゃんより引き返す号令がかかった


  14時35分 図根点広場まで引き返して、東側への支尾根へ向かう

  
 図根点広場から東側の支尾根に踏み跡がありました      10分程下ると又広い場所に出た

  
 天然のシイタケを発見して喜ぶガクちゃん        14時48分避難用具の倉庫裏手に着いた

  
十郎谷(灘裏山)防災備蓄倉庫だった            正面に宇佐大橋が見える

  
地形図で見ると標高32m程の場所にある津波避難場所   14時54分曽我神社(?)の鳥居と祠の場所に下り立った

  
 車をデポした場所まで少しだけ歩く           その後、萩の茶屋で打ち上げ会をして解散〜〜〜

さて、そこから私の車をデポした萩茶屋へと帰り3人で打ち上げ会をして解散する。今回土佐の里山縦走を企画してくれたガク
ちゃんや付き合ってくれた山活シンデレラさん、しゅぼんさんに感謝する。




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