意外と簡単! 一合目からの富士登山 標高差2,323mを一気に登ろう!


                 金峰山から見る富士山 令和元年10月5日

令和元年8月25日〜26日
1日目:須山一合目登山口(水ヶ塚公園)〜宝永山〜御殿場コース〜剣ヶ峰〜頂上富士館

2日目:頂上富士館〜お鉢巡り〜御殿場コース〜大砂走り〜旧二合八勺分岐〜須山口下山歩道〜四辻〜
    幕岩〜御胎内〜須山一合目(水ヶ塚公園)


プロローグ
私が初めて富士山に登ったのは2007年8月5日(12年前)、家族旅行で静岡へ来た時だった。一日フリータイムを貰い富士宮
新五合目からスタートし富士山・剣ヶ峰へ上り、その日の内に吉田ルートを経由して家族の待つ富士スバルライン五合目に下りた。

2度目は2016年(3年前)高松市民登山学校で最初の実践授業が一合目からの富士登山と言う触れ込みで参加したのだ。だが蓋
を開けてみると御殿場口の新五合目からの登山だった。その上、悪天候の為体調を崩した参加者が出て、スタッフ不足の為に砂走館
から翌朝この人に付き添って下山した。

その年に改めて個人山行で一合目から登るつもりだったが、天候などの為に時期を逸してしまった。そのリベンジとして今年こそ
一合目からの富士登山を果たし、山頂よりご来光を拝む計画を立てた。


富士登山の歴史

富士山が書物に出てくるのは平安時代の漢学者「都良香(みやこよしか)」の富士山記らしく、そこには山頂に美女が二人舞うと記
されているらしい。そこから富士山の神は浅間大神=女神で後に木花開耶姫(このはなさくやひめ)が定着する。
この頃は度々噴火
も起こっており、これを鎮める為麓に浅間(あさま、或いはせんげん)神社が立てられたとされている。浅間を「あさま」と読んだり
「せんげん」と読んだりする様だ。
浅間とは火山の火口を表す言葉らしい。

平安時代末期の歴史書「本朝世紀」には1、149年、山頂に大日堂が既に建てられたと記されており、この頃には「東口・珠山」
(須山)、「南口(表口)・大宮、村山」「北口・吉田、河口」の三ヶ所がメインで須走口は吉田ルートの下山道として使われてい
たと言う。そして
南北朝時代(1,392年頃)になるとこれらの4ルートが定着していたとされている。

富士山信仰で登拝が盛んになったのは室町時代からで、村山地区にある興法寺を中心に修験道の場となった。戦国時代は今川氏の後
ろ盾もあってこの本山派・村山修験が朱印を得て山役銭(通行料)なども徴収していたらしい。この様な富士山信仰が庶民の間で
「富士山講」の組織が出来る素地となったのだろう。


石鎚山や大山もそうである様に江戸時代には庶民の間に信仰やレジャーの目的で各登山口からの登山者も多く(夏場2万人とも言わ
れている)、案内人(先達)や宿を巡って客引き騒動も起こっていたと言う。富士山も利権の争いの場だったのだなあ。

江戸時代には「富士講」が組織されて、吉田口が一般的になったのは1,707年の宝永山噴火によって南側の登山口が被害を受け
た為や、江戸から山梨県側が有利だったのと登山者の案内と宿を兼ねた御師(おし)という受け入れ態勢が整っていたからだろう。



江戸時代の富士講で歩かれたルートの一部概略  府中街道〜甲州街道〜富士山道〜富士吉田
(ななめ横さんのブログより引用)

一合目の選択

交通網の発達に伴い現在の富士登山の殆どは五合目からとなっており、そこまでの交通アクセスが完備されている。でも五合目から
だと何処から登っても同じような景色で山頂までが近すぎる。やはり富士登山は一合目から歩きたい。それ以下の標高になると殆ど
車道歩きになってしまうのだ。


現在の富士登山は5合目からの登山が主流で、解説書にもこの4ルートが載っている

五合目からの登山道は富士宮口五合目、御殿場口新五合目、須走口五合目、富士スバルライン五合目(吉田ルート)となっている

で・・・一概に富士山一合目と言っても色々ある。一番ポピュラーなのが吉田口の「馬返し」一合目だろう。でもここからだとほぼ
ピストンになってしまう。
北西部からは精進湖登山道の「天神山一合目」、東からは須走口登山道があるが一合目が何処なのかはっ
きりしない。南東側の御殿場口登山道も一合目がはっきり明記されていない。

大体がどの富士登山道も新5合目とか旧5合目とか旧二合八勺とかあって基準がバラバラでようわからん。例えば須走口5合目は旧
二合目とも記されている。富士山の標高と合致する現代の共通尺度を統一して貰いたいものである。


地図を見れば見る程頭が混乱して、最終的にアクセスの良い南側の「水ヶ塚公園」を出発点にした。ここが「須山口一合目」にな
っており、このルートだと宝永山を経由して富士山へ行けるし、下山は御殿場口登山道・大砂走り途中から水ヶ塚公園へ周回が可能
だった。よし! これに決めよう!


ちなみに水ヶ塚公園・須山口1合目の標高は1,453.85m、富士山剣ヶ峰の標高は3,777.41m 従って標高差は実に
2,323mとなる
こんな標高差を登れる登山道なんて日本中を探してもそう多くは無い!

須山浅間神社から水ヶ塚公園 (須山一合目登山口)

アクセス

令和元年8月24日、高松を出発して初めて新東名高速道路を走る。新名神高速から東名阪自動車道へ繋ぎ、四日市から伊勢湾岸自
動車道を抜けて豊田東から新東名高速に何となく乗れて最後は新富士ICで下りる。何せ土地勘が無いから富士サファリパークを目
標にして須山浅間神社へ奇跡的に辿りついた。


まあ、富士登山の前には浅間神社へお参りするのが無難だろう。小振りな須山浅間神社へお参りした後、登山口になる「水ヶ塚公園」
へ向かう。左手に大きな駐車場施設があったので料金所で1,100円を支払って中に入る。中で水を買おうとするがそんな売り場
は無いので富士山登山口はどの辺りですか?と聞くと、ここはレジャー施設で登山口はありませんと言う。毎度のチョンボに項垂れて
いると駐車料金を払い戻してくれて、更に道路を上に進んでやっと「水ヶ塚公園」に到着する。ここの駐車料金は千円で何日でも追
加されないシステムになっていた。


この水ヶ塚公園は富士宮5合目登山口への登山バス停留所になっており、バスから登山者が下りて来て、又多くの富士登山者がここ
からバスに乗り込んで行く。
駐車場の人に「ここからの登山口は何処ですか?」と聞くが知っている人は居なかった。駐車場から出
て道路を挟んだ場所に須山一合目登山口を見つけて翌日に備える。




  
 須山浅間神社 500年を超える立派な杉が並ぶ        小振りな須山浅間(すやませんげん)神社   


 前日は水ヶ塚公園の駐車場にて車中泊  トイレも完備されており、バスターミナルには土産物店もある

令和元年8月25日

須山口一合目登山口〜御殿庭〜宝永山〜馬ノ背〜御殿場口登山道合流〜富士山・剣ヶ峰〜頂上富士館


カシミールソフトを使用したGPSトラックログ図 水ヶ塚公園の標高は1,453.85m、富士山剣ヶ峰の標高は3,777.41m
この標高差 2,323mこ一気に登る事になる

05時50分駐車場の向いにある熊出没注意の看板が立つ須山口一合目登山口を入る。火山性の黒い土を踏みしめながら「富士山
自然休養林歩道」の樹林帯を進む。
06時15分炭焼きの様な石組の横を抜けてしばらく進むと標識が立っている。進行方向には
「御殿庭85分、富士宮口5合目190分」とある。自然林の大木には「ウラジロモミ」と説明板が掛かっている。この辺りの登
山道は掘れ込んで歴史を感じさせ、倒木や石に苔が生えて良い雰囲気だ。


  
水ヶ塚公園駐車場前の道路を挟んだ向かい側にある須山口一合目登山口  クマ出没注意の看板から遊歩道に入る

  
ここは富士山自然休養林歩道となって整備されている     06時15分 登山道が北側(右)に曲がる 標識が随所にある 

  
登山道は雨水で土が流されて窪んでいる場所がある      06時42分「須山上り一号五勺の標識を通過

  
07時24分 涸れ沢沿いの登山道になり少し傾斜が出てくる  07時33分 辺りの木々が低くなり明るくなった


                 倒木も又森の風景を演出shる 

御殿庭遊歩道

07時48分樹林が低くなり「御殿庭」の標識が立っており、この辺りから少し目立った上り傾斜になる。この辺りから御殿庭と
言われる様に木々が五葉松の様に低く足元に広がっている。08時00分高鉢駐車場分岐を過ぎると直ぐに
08時03分大きな案
内板と分岐標識が立っておりそこが「御殿庭下」となっていた。又、ここは標高的に「須山登山道二合五勺」となっている。

御殿庭下から暫くなだらかな針葉樹林帯を歩いていると「村山修験者修行場跡」と言う標識が立っている。富士山修験道は平安末
期に「末代(まつだい)上人と言う修験者が富士山頂に大日寺、南麓の村山地区に「興法寺」(こうぼうじ)を建て一切経というお
経を山頂に奉納して富士山で修行をつんだ。この村山にある興法寺(現在の村山浅間神社)を中心に「村山修験」が一世を風靡した
と言う。

この平地を過ぎると08時57分「御殿庭中」(須山登山道・三合目)に着いた。


  
07時48分 標識に御殿庭の文字が現れる             08時00分 高鉢駐車場分岐標識を通過


08時04分 「御殿庭下」  三叉路標識に着く 「高鉢駐車場・、水ヶ塚駐車場」「宝永山・富士宮口」「双子山・御殿場新五合目」の分岐だ


  背丈の低い針葉樹林帯が続く  この辺りが御殿庭と呼ばれている様だ

  
 溶岩が風化した様な黒っぽい砂利道               この辺りも登山道が雨水に抉られている

  
何の変哲もない村山修験者富士山修行場跡             溶岩とコケモモの葉


08時57分 「御殿庭中」を通過する ここから宝永第三火口の縁を御殿庭上へと向かう

御殿庭中の分岐を標識に従い御殿庭上へと進む。この辺りの標識指標は「富士宮口五合目・宝永山」とか「御殿場口新五合目・二ッ
塚」とか遠くの目標が色々出てきて混乱する。10分程傾斜を上ると視界が開けて火山らしい砂礫地が現れた。ピンクが鮮やかな
オンタデやヤマホタルブクロが咲く砂礫地を進むと09時15分「御殿庭上」の標識に出合う。




   疎林を抜けると向こうが開けてくる

  
09時08分 前方に火山の砂礫地が現れる            ヤマホタルブクロの向こうに宝永山らしきピークが見える

  
 低い針葉樹の向こう側の凹みが宝永第三火口か        白いオンタデ


  09時15分 「御殿庭上」に着く  ここからはいよいよ富士山の火山砂礫地となる


正面に宝永山らしきピークが霧を纏って見える。宝永第三火口を左手に見ながらトラバース路を上がって行く。窪地の砂礫にはイ
タドリとキオンが一緒に群生している。イタドリの花がピンクや赤いのはベニイタドリとかメイゲツソウとかオンタデとか区別が
付かない。


イワオウギ、ミヤマオトコヨモギも強風を避ける様に固まって必死に留まっている様だ。イタドリが根っ子から転がっているが、
やはり厳しい環境に対応して地下部が大きくて長い。
09時45分第三火口のトラバース道を上がり切ると分岐標識があって、今
度は霧に包まれた広い第二火口を右手に見ながら縁を上っていく。すると紫色をしたムラサキモメンズルが咲いていた。



  ベニイタドリ(メイゲツソウ)とキオン

  
   キオンが盛り                             イワオウギ


                    宝永第三火口

  
  ミヤマオトコヨモギ                          ムラサキモメンズル

  
  09時46分 第二火口縁まで這い上がる            ムラサキモメンズルとミヤマオトコヨモギ


        宝永第二火口を右手に見ながら火口縁を進む  前方に第一火口縁の尾根が見える

  
ハイマツとは違った低木針葉樹が寄り添っている          宝永第二火口は結構深い


宝永山へ

10時25分霧の中を宝永第一火口縁分岐に着く。茶色の大きな窪地に緑の草地が点在する独特の風景だ。霧が飛んだ時には宝永
山のピークが顔を出す。前から団体登山者が来て、この分岐から富士宮五合目のバス亭へ行くらしい。ガイドがダウンした人のザ
ックを前で抱えている。この分岐からトラバース路を少し上がって富士宮登山道を経由し25分程で富士宮5合目バス亭へ行ける
様だ。団体登山者はここから少し上るルートに「え〜又登るんかい!」とガイドに向かって愚痴を言っている。最後のサブガイド
も同じようにバテた登山者のザックを前に抱えている。う〜〜ん ツアー登山のガイドも大変だわ


 
 前方はガスがかかって富士山の本体は見えない        第二火口は抉(えぐ)られてはいるがなだらかな窪地だ


 宝永山にかかっていたガスが一瞬飛んで姿を見せる  いまから第一火口と第二火口の間にある稜線へと進む

  
宝永山へは吊尾根みたいな火口縁を通る             10時25分 富士宮新五合目駐車場への分岐

  
10時43分 第一火口縁の標識に到着する             第一火口縁から団体ツアー登山客が上がって来た
 ここから上にも下にも富士宮五合目のルート表記がある    先頭のガイドさんもしんがりのガイドさんもバテたツアー客のザックを持つ

岩っぽい場所を下って宝永山第一火口へと進む。ルート的には須山道から宝永山火口縁を抜けて東側の御殿場道へと乗り換える。
11時07分宝永第一火口に下り着く。この辺りの岩は茶色か黒っぽいが、欠けた内部は白っぽい色をしていた。

第一火口から宝永山の馬の背へ向かって急な斜面を登っていく。道端にオンタデが転がっていたが、根の部分は少しの水分も逃がさ
ず強風に耐える為に太く、まるで朝鮮人参の様だった。途中で少し青空が現われると第一火口の迫力が眼前に迫って来た。
12時00分風が強くガスが飛ぶ宝永山の稜線へ上がり、そこから山頂へは少し下って行く事になる。

12時08分立派な方位板が設置された宝永山(2,693m)に着く。方位板にはここから見える景色の場所が描かれているが、
濃いガスの為展望も全く無いので馬の背に引き換えし御殿場ルート合流点へ向かう。


この辺りは現天皇が2008年皇太子時代に歩かれたので「プリンス・ルート」の看板が沢山立っている。13時05分御殿場ルート
に合流し、プリンスルートの岩交じり登山道を上って行く。霧が覆って見通しが利かないがまあどうせ同じような景色だろうと自分を
慰める


  
最初は岩っぽいルートを宝永山へと向かう             直ぐになだらかな砂礫地となる

  
痛んだフジアザミの横を通り第一火口へと向かう        白い色をした石が多い ホタルブクロもタフに咲いている

  
 宝永山第一火口へと下って行く  正面は宝永山      11時07分 宝永山第一火口に着く 大きな溶岩が転がっている


    宝永山第一火口  まあどうと言った場所でもないが一応江戸時代に宝永大噴火を起こした場所だから・・・
 
  
 宝永山第一火口の標識 標高は2,420mと記されている  そこから宝永山の稜線へとトラバース路を上がって行く

  
 小さなオンタデ(白花)も長くて大きな根を持っている       左手に第一火口を見ながら傾斜を上がる


  一瞬ガスが飛び上部斜面に枯れ木の様な溶岩が見えた

  
 宝永山の稜線へと上がる                       稜線から一旦宝永山へと下る


12時08分 宝永山に到着〜〜  「宝永山山頂 2,693m」の碑が立てられている

  
宝永山の稜線を馬の背へと向かう                12時30分 馬の背分岐標識を通過して御殿場口六合目へと向かう

  
 ここからプリンスルートの看板が出てくる            下山する大砂走りが下って行くのが見える ポールが立っている

  
12時43分 大砂滑り(下山専用)分岐を通過する         13時頃から溶岩が多くみられる様になった

  
13時05分 御殿場ルート(上り)に合流する            御殿場ルートの標識が随所に現れる


 御殿場ルートに合流すると斜面の傾斜がキツくなり登山道もジグザグを切って付けられている


富士山の山小屋御殿場ルート

13時50分標高3000mの標識があり、直ぐに「大砂走り」への下山道とクロスする。すると前方に山小屋らしき石組が見えた。
ここは七合目の「日の出館」らしく、休業中の様で板やトタンで窓や入り口が打ち付けられていた。


更に少し進むと小振りな山小屋があり「わらじ館」の標識が掛かっている。御殿場コースの出発点・新5合目に「大石茶屋」がある
が、その後中途半端な場所には山小屋は無く、最初の山小屋がこの「わらじ館」となる。ここでスイカを美味しそうに食べている登
山者も居た。


14時30分「砂走り館」があり7合5勺とある。(つまり七合目と八合目の間か?)ここは3年前に高松市民登山学校登山で御殿
場コースから嵐の中を歩いてずぶ濡れで転がり込んだ山小屋だった。その時はここから上には進めなかったのだが、今日はすんなり
クリア出来る。やはり山歩きは良い天気に登れば何て事もない。


  
13時50分 標高3000m標識を通過する             14時00分 休館中の「日の出館」


14時13分 七合四勺(標高3、090m)で「わらじ館」がある場所だ

  
 わらじ館  あんみつとかスイカとか売っている         美味しそうなスイカの写真を撮らせて貰う

  
 「日の出拝観絶好の地」の看板が立っている          14時30分 懐かしい「砂走館」を通過

「砂走館」からは赤茶けた溶岩の登山道をジグザグと進む。上方に白っぽい建物が見えて次第に近づき15時20分山小屋に着いた。
そこは山頂手前の最後になる「赤岩・八合館」の看板が掛かっており、多くの登山者が翌日のご来光登山に備えて休憩していた。
8合目の標高は3,400mと標識に書かれている。北アルプスや南アルプスの高峰でもここの標高には敵(かな)わない。


この直ぐ上にある「見晴館」は休館中と標識に書かれていたのでこの「赤岩8合館」を越すともう山頂まで山小屋は無い

  
砂走館からは明らかに溶岩の道となる               登山道には白いロープが張られているので霧でも安全だ


  やっと上部の霧が晴れて赤岩館と山頂部が見える。 御殿場コースは左手の窪んだ場所に上がって行く様だ

  
 下の方はまだ霧の中だ                       15時20分 「赤岩八合館」の鐘に到着〜


赤岩八合館から山頂の山小屋「頂上富士館」に予約の電話を入れると「当日の予約は受け付けておりません。18時まで直接入って
手続きを済ませて下さい」と言う。まだ18時まで2時間半あるので一気に山頂まで進む事にした。この辺りからは霧が晴れて山頂
付近が見える様になった。しかし風が冷たく山頂から下ってくる登山者に比べて、この時間になるとさすがに登っている登山者は極端
に少ない。

12年前は富士宮コースから山頂へ上がった。御殿場コースは初めての景色なので山頂迄の時間配分が良く分からなかったが、昭文
社の地図だと赤岩館から1時間35分と記されているので山小屋の受付締切時間までに到着は大丈夫だろう。大きな岩が転がる急斜
面に付けられたジグザグ登山道を酸素が薄いので息を切らせて上って行く。一合目からゆっくり歩いて来た為だろうか頭痛や吐き気
の様な高山病症状は現れなかった。


   
 あの左上に見える窪んだ場所までか〜 遠いなあ        俄然辺りの風景は赤茶けた溶岩地帯となる

  
 登山道も大きな岩が転がりワイルドになってくる         まあロープに沿って進めば問題は無い

  
ピークとピークの間にある谷間へと入って行く感じ         おっ! 鳥居が見えたぞ


富士山山頂 「浅間大社奥宮」とその横にある「頂上富士館」

16時55分山頂部の細い鳥居が見え、「富士山頂浅間大社銀明水」の石碑が立っている。横に「御殿場口下山道砂走り」の石碑も
あるからここが御殿場口コース、須山コースの共通山頂部だろう。


江戸時代中期には表口(富士宮口)を管理していた麓の集落「大宮」が富士山の山頂部も管理していたらしい。それで須山登山道の
山頂部にある「銀明水」を売る権利や8〜9合目の石室の営業権などを須山(集落)が大宮(集落)に冥加金を支払って権利を得て
いたとされている。各ルートの通行料や湧水料など結構富士山は利権の場となっていた様だ。この山頂部に
ある山頂小屋「銀明館」
は現在休業中になっていた。


左手のピークを越すと見覚えのある「浅間大社奥宮」と「頂上富士館」があった。ここに駒ヶ岳という小ピークがあり(と言って
標高は3,718mなのだが)2007年にここで徳島・ダウラギリ遠征支援Tシャツを着て記念撮影をした。当時、徳島県の登山
会がダウラギリ遠征隊を組織して資金集めの一環としてTシャツを売っていた。このTシャツを持って富士山で応援したのだが、遠
征隊は悪天候に阻まれて登頂を断念した。その後、日本で冬山トレーニング中に雪崩に遭い隊員が亡くなられるという悲しい出来事
もあった。

  
 御殿場口山頂にある「銀明館」は休館中だった   16時55分 富士山頂浅間大社銀明水の標石が立つ場所に到着する


  山頂部に上がった場所から大内院(だいないいん)と呼ばれる火口を眺める

  
 「頂上浅間大社」 奥宮 (翌朝の写真)         「頂上富士館」 (翌朝の写真)  


取り敢えず今日は写真を撮る余裕も無く頂上富士館に飛び込みチェックインの手続きを行う。入り口を入ると香港から来た中国人で
一杯だった。手続きを済ませ、一旦部屋に案内すると言われて付いて行くと、部屋一杯に布団が敷き詰められた一番奥だと言う。
ギェ〜これじゃトイレにも出られないじゃん!


18時30分門限、19時00分消灯、04時00分起床、04時30分チェックアウト、こんな説明を聞いて高山病でも無いのに
めまいがした。この山小屋ときたら、せっかく山頂にあるのに門限18時30分でその後一切外に出れず! 富士山の星空を拝む事
は出来ない。これは山小屋では無い! アルカトラズ山荘だ!



剣ヶ峰 (二等三角点・富士山) 標高 3,775.51m ( 大正15年陸軍参謀本部陸地測量部により設置 )

時間に追われながらも朝のラッシュを避けて剣ヶ峰へ上り、夕焼けを少し見て門限までに山小屋に帰らなければならなかった。結構
忙しい富士山の山頂だ。三角点近くにある気象観測所は2004年から無人になり簡単な気象データを自動観察装置で下界へ送られ
ている。ただ建物は「富士山測候所を活用する会」が夏季に色んな気象研究を行っているので残されたままだ。この為、西側に見え
る夕焼けの風景は建物が邪魔になって良く見ることが出来ない。

何度も心残りな富士山の山頂を振り返りながら部屋一杯に敷かれた布団の奥に入り込んで、後は寝るしかない。冴えない富士山頂の
夜だった。

  
食事(レトルトカレー)の後、急いで西側へ向かう    剣ヶ峰へ走る  何せ山頂山小屋には門限があるのだ


          剣ヶ峰への途中から火口を眺める


 日本最高峰・富士山の山頂標石に立つ  3,775.51mに1合目から一気に歩いて来た


     何せ門限時間が迫り、この角度からの夕焼けしか撮る事が出来なかった

  
 何度も振り返りながら宿へ急ぐ            部屋一杯に敷かれた布団、通路のスペースも無い
 




令和元年8月26日

頂上富士館〜お鉢巡り(反時計回り)〜御殿場コース〜大砂走り〜旧二合八勺分岐〜須山口下山歩道〜
四辻〜幕岩〜御胎内〜須山一合目(水ヶ塚公園)


ご来光とお鉢巡り


今回は南側の浅間岳から反時計回りで富士山頂のお鉢巡りをした後、御殿場口ルートで下山した


香港人登山者の大いびき合唱を睡眠導入剤のお世話になって何とか乗り切り04時起床で30分後に外に放り出される。山小屋の外
では既に多くの登山者が7〜8合目からヘッドランプをかざして登って来ていた。寒いので食堂に入りたがっていたが、食堂・売店
は5時からですと中に入る事は出来ない。


  
04時40分山小屋の外には多くの登山者が居る         浅間大社奥宮でも沢山の登山者が風を除けていた

富士山初の御来光を拝む為に真っ暗い山頂周回路を東へ移動する。山頂はガスで覆われていたが、05時13分雲海の東端からから
太陽が昇って来る。運よくガスが飛んだのだ。そこが地平線かどうか分からないが兎に角雲海の端から陽が昇って来て、その瞬間に
周りから歓声が上がる。登山道は人で一杯なのでゆっくりご来光を拝む為には暗い中、斜面に這い上がったり下りたりしなければな
らない。同じ時刻頃に別な場所で落石事故があった様だ。

今年は天気が良い日が少ないからご来光を日本一高い橋から拝む事が出来たのは幸運だろう。太陽が出て20分程その余韻に浸り、
お鉢回りを開始する。ぽっかりと大きな口を開けた富士山火口越しに見える剣ヶ峰も日が当たって黄色っぽく岩肌が光っている。



  05時14分 太陽が雲海の彼方から顔を出す  初めて見る富士山・山頂でのご来光の瞬間だ

  
 まだ時々ガスが渦を巻く                       沢山の登山者がご来光の瞬間を待つ

  
 太陽が出るとガスまでピンクに染まる                太陽が上ると急に暖かくなる


                         一面の雲海が広がる


                 ガスが飛んだ瞬間、下界が眺められる

朝日岳、伊豆岳、成就岳と進むピーク毎に立派な名前が付けられている。岩壁には硫黄の黄色い色がこびりつき美しさの少ない無機
質な溶岩道だ。
06時、前方に丸く小高い久須志(くすし)岳の手前に売店の建物群が見えて、その向こうに険しそうな白山(はく
さん)岳が見える。登山者で賑わうここの売店で12年前に杖とペナントを買って下山した事を思い出した。



     剣ヶ峰を火口越しに眺める  火口縁・ピークの影が火口壁に映っている

  
 天空の散歩道     お鉢巡りの登山道を振り返る        白山岳とその手前にお鉢巡りの道が続く


 お鉢巡りの北西側は大内院(本火口)の縁を小内院に沿って少し内側に入る

  
 右の成就岳の向こう側に吉田口がある              溶岩には硫黄がこびり付いている


                   溶岩と雲海のお鉢巡り


  06時00分 富士山頂銀座 土産物屋が並ぶ吉田口 吉田口の裏手が久須志神社がある久須志岳、奥が白山岳

  
懐かしい富士山 山頂銀座 14年前にはここから富士スバルライン5合目へ下山した  久須志神社は神社らしくない


土産物屋の続きにある久須志神社(富士山本宮浅間大社の末社)は元々「薬師堂」があった場所だったのが明治維新の
廃仏毀釈令によって仏像が排されて神社となった。これは石鎚・成就社にあった前神寺が排されて石鎚神社直轄になった
経緯と同じである。
久須志(くすし)は薬師(くすし)の当て字と思われる。
尚、富士宮口の浅間大社奥宮も明治以前は「大日堂」があった場所らしい。


お鉢巡りのルートはここから外周の白山岳を通らず、内側の小内院付近を通るルートとなる。06時40分小内院から外周部に出る
と雲海に影富士が映っていた。
07時15分剣ヶ峰に来ると案の定山頂へは大渋滞となっていた。前日に山頂を踏んでいるのでここ
はパスし07時30分頂上浅間大社・奥宮にお詣りする。その後、駒ヶ岳に這い上がって14年前のポーズを近くの登山者に撮って
貰う。あの時は親父もお袋もまだ元気で河口湖5合目で私を待っていてくれたものだ。14年の歳月はあっと言う間だが色々な事が
あった。


  
 久須志岳の鳥居より剣ヶ峰を拝む                 お鉢は北側が内側に入り込んでいる

  
 お鉢巡りの外側にある白山岳                      小内院とよばれる小さな火口がある

  
   お鉢巡りの北側は噴火口の縁近くに下がって歩く               万年雪


               富士山火口縁の荒々しい風景

  
                影富士                               影エントツ山

  
  剣ヶ峰へ向かう                             三角点山頂へは予想通りラッシュだったのでパス

  
  剣ヶ峰から滑りながら下りる                    剣ヶ峰への急傾斜は富士登山で一番の難所だ


 ウキペディアより剣ヶ峰からみた富士山頂の八神峰 (でも剣ヶ峰を入れると九峰になるんだけど・・・)


              日本最高峰 富士山・剣ヶ峰


                     さらば 富士山

  
 下山間際に頂上浅間大社・奥宮にお参りする           富士山頂の雲海も見納めか〜〜


  前日の夕方 山頂に上がってきた御殿場口から08時05分 下山開始する


下山は御殿場ルートで大砂滑り

踊る様な雲海を眺めながら御殿場下山口を08時05分下って行く。昨日は息せき切って上がった登山道も下りは楽チンだ。09時
02分最初の山小屋・「赤岩八号目館」を通過、09時25分「砂走館」通過、直ぐに「わらじ館」に着いたので暫く休憩する。

わらじ館までは雲海の上側を歩いていたので天気が良かったが、この辺りからはガスの中に入ってしまい見通しが悪くなった。


  
   雲海に向かって下山する                     右手には溶岩の幕岩が並ぶ

  
08時50分 八号目の標識を通過                   雲海に向かってどんどん下る

  
  砂走館の屋根が見える 雲と雲がしのぎ合っている           09時02分赤岩八号館を通過


          10分程で赤岩八合館が遠ざかる  山頂方面は雲が無い

  
大体山小屋は統一料金だろう 参考の為掲載           09時25分 砂走館を通過

  
  09時33分 わらじ館前で少し朝食休憩             09時50分 大砂走り(御殿場下りコース)へ向かう


09時50分御殿場口の下山道へ入り、途中から霧の大砂走りを快調に下る。やはりここは良く霧に包まれるのか高いポールがルー
トを外さない様に立てられている。間違ってここを上って来る登山者がいたが相当苦労していた。砂と言っても溶岩の黒い軽石なの
でジャリジャリと踵で潰しながら下るので楽だ。


  
 上りに使わなかった御殿場ルートを下る              10時12分 宝永山へ行くルートと大砂滑りとの分岐に来る

  
 フカフカの溶岩が風化した軽石の砂場を下る           大山の砂滑りと違い砂が無尽蔵に有るって感じだ


  砂走りルートを振り返る  何せ緩斜面を一直線にドンドン下る事が出来る

    
   ガスが濃くなるとポールが頼りとなる              大砂走りを振り返る


須山口下山歩道分岐 (旧二合八勺)


  須山一合目登山口より宝永山付近にかけての上りと下り地図   このルートで宝永山を日帰り周回も可能だ

大砂走り旧2合8勺から須山道への分岐があるのでポールの標識やスマホのジオグラフィカで注意深く見逃さない様に歩く。すると
11時07分右手のポールに須山下山道の標識を発見。地図を見ると「標柱を目印に歩く」と記されているが、途中からそんな物は
立っていない。ガスで遠望が利かないのでスマホの地図や方角を頼りに薄い踏み跡を辿るが、これも途中から無くなる。但しこの辺
りは歩き易い砂地と草地なので問題は無い。


すると少しガスが飛んで前方に二ツ塚の上塚(上双子山)が現れた。ここはお椀を伏せた様な山が二つ並んでいるので二ッ塚とか双
子山とか呼ばれている。上から見るとこの二つは重なっているので上側の山しか見えない。地図によると須山口下山歩道は上塚の西
側(上側)に沿って右手に延びているので裾部に沿って適当に下って行くとデカいフジアザミが咲く登山道に合流した。

すると11時40分「四辻」の立派な標識が現れてホッとする。
この先は水ヶ塚公園まで95分、幕岩まで30分、右は御殿庭・富
士宮5合目へ、左は二ッ塚・御殿場口新5合目となっていた。



  11時07分 大砂滑り旧二合八勺に須山道分岐がある 「須山口 下山歩道」とある

  
 11時17分 「須山口下山歩道 水ヶ塚に至る」の標識有り   砂の上に踏み跡があるのでそれに沿って進む

  
  確かに良く見ると砂地の上に歩いた跡がある           イタドリが沢山生えている


11時30分 霧がすっと引くと丸っこい形の「二ッ塚・上塚」(上双子山)が現れた

  
上塚の裾野ギリギリが歩き易かったのでそれに沿って進む   11時40分 フジアザミの咲く登山歩道に合流した


  11時40分 「四辻」に着く。 須山口下山歩道から左右に御殿場口5合目駐車場、御殿庭への道を別ける。

  
  イタドリも高山植物となると彩りが良い              フジアザミは大きくて見応えのある花だ


幕岩と御胎内

12時00分御殿庭の様な背丈が低い針葉樹林帯に入ると樹林の背丈も次第に高くなる。一度溶岩がある涸れ沢を渡るのだが、後で
地図を確認するとこの涸れ沢を少し下れば幕岩に出る事になっていた。涸れ沢を渡り雰囲気の良い樹林帯の間に細い登山道を10分
程下っていくと幕岩へ5分の標識があり、登山道を離れて左手に下る。溶岩が流れて出来た涸沢の様な場所に溶岩がくねった幕岩の
説明版があった。


「幕岩は富士山の噴火で流れ出した溶岩やスコリアの積み重なりから出来ています。幕岩の最下部は約1缶年前に遠く三島まで流れ
下った溶岩。最上部は1707年に起きた宝永噴火のスコリアです。ここでは富士山の1万年に及ぶ生い立ちの一端を楽しむ事が出
来ます」と記されている。


スコリア」とは高温で流れやすい玄武岩質のマグマから出た鉄分の多い黒い色をした軽石の事で、地下から地上に噴き出た瞬間に
減圧された水などが揮発してガサガサした多孔質の小石になるらしい。富士登山はこのスコリアを踏んで歩くと言っても過言でない。
まあしかし、幕岩は地質学者には興味深い場所だろうがシロウトにはわざわざ登山道を外れて見物するには物足りない。

12時35分登山道に復帰して少し下ると「須山下り1合5勺」の標識を通過する。ここから須山御胎内まで30分、水ヶ塚駐車場
まで65分とある。もうすぐ富士登山が終わるのかと思うと一抹の寂しさを感じる。


  
 標識には水ヶ塚Pと幕岩方面となっている             12時00分 低木針葉樹林帯に入る

  
 直ぐに樹林帯の木々の背丈が高くなる  ルートは明瞭だ  溶岩が流れた様な涸れ沢を渡る (ここを下がったら幕岩に近かった)

  
   涸れ沢を渡る                            直ぐに幕岩上の三叉路分岐を12時06分通過

  
 12時10分 幕岩5分・御殿場口新五合目65分とある      5分程荒れた登山道を下ると幕岩の説明板があった


  地質学的に価値がある幕岩  景観的にはスケールが小さく少し失望感あり  直ぐに分岐まで引き返す

  
       シラビソの様な森を下る                 12時40分 「須山下り一号五勺」 須山御胎内まで30分だ 

13時07分正面に「須山御胎内上」の標識が立っている。どこが御胎内なのか良く分からないので左手の道を進むと標識があり、
何か風穴の様な囲いと穴がある。ここで雨が強く降り出したので雨具を着て周りをよく観察すると裏側に溶岩洞窟へ下りる階段があ
る。狭い洞窟へ入ると子供を三体抱いた木花咲耶姫の石像が祀られている。見た目はマリア像の様であった。


  
 13時07分 「須山御胎内上」の標識に突き当たる       少し左手から回り込むと溶岩洞窟があった

  
 雨が降り出したのでカッパとライトで裏手から下りる       洞窟内には祭壇が設けられていた


  安産の神でもある木花咲耶姫 (このはなさくやひめ)らしい   どうみてもマリア像に見える


元の三叉路に帰り水ヶ塚公園を目指す。この辺りは広葉樹もあり雰囲気が良い自然休養林だが、自衛隊の砲撃演習の音がずっと木魂
して落ち着かなかった。


14時15分昨日歩いた登山道に合流すると直ぐ須山一合目登山口に帰り着いた。

  
   苔むす自然林を歩く                         ここも倒木が多い

  
   ブナの木もある                           傘をさして歩いていると日差しが出てきた

  
 13時55分 南山林道分岐を通過                 残り少ない富士登山を楽しむ

  
標識が整備されており天気の良い日なら迷う事も無いルートだった  前日意気揚々と歩いた須山口上り登山道に合流


   14時18分 水ヶ塚公園前の登山口に帰り着く  前方の道路を渡ると水ヶ塚駐車場だ


四国ならば石鎚山、中国地方なら大山、北アルプスなら槍ヶ岳、そして日本の山と言えば「富士山」だ。独立峰としての形もさりながら
標高も二位を大きく引き離して断トツの一位! 登山者数も文句なく「いよ〜日本(にっぽん)一」

この日本一の山を五合目から登るのは単調で芸が無い。ここは須山一合目から宝永山を経て山頂へ至るのが変化があって面白い
し、下りは大砂滑りで楽ちん、おまけに幕岩と御胎内を経由して周回出来るときたもんだ。

エントツ山がお勧めする一合目からの富士登山はこれで決まりだ!


    
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