平成30年1月20日〜21日
婆山スノーシューハイク (山と元気の会)


山と元気の会  比婆山スノーシューハイク参加者の皆さん  CL:辻さん  SL:杉本さん

堂山夕暮れ隊の仲間から「山と元気の会」のハイクについて話を良く聞いていた。純然たる営業山ツアーでもなく、縦社会が結構
厳しいと言われる山岳会組織でもない。

日頃一人で山を歩く事が多いので物は試しで今年から入会してみた。山の会の最大のメリットは登山口への行き帰りにバスで連れ
て行ってくれる事だ。特に縦走の場合、個人山行だと下山口から登山口にデポした車までの移動に頭を悩ませる。(それも楽しみ
ではあるが・・・)


入会早々会則と一緒に3月までの登山計画書が送られて来て、その中に「比婆山スノーシューハイク」(一泊二日)があり早速参
加を申し込んだ。
何せ中国地方の山と来たら大山・蒜山・三瓶山・弥山(宮島)しか行った事が無く、全くどこにどんな山がある
のかも良く知らない。


比婆山(ひばやま)スノーシューハイク


カシミールソフトを使ったGPSトラックログ図  比婆山

平成30年1月20日 (1日目)
六の原〜避難小屋経由〜毛無山〜六の原 (約4時間15分)

高松県営桟橋前集合が06時40分と言う事で端岡駅(06時23分)からJRで高松駅(06時34分)に着き暗い中を高松県営
桟橋へと向かう。数日前にこの集合場所を代表者に電話で聞くと「県営桟橋は一つしか無いでしょ!」って一言・・・う〜〜ん話に
聞いてた代表者ってもっと優しい人かと思ってたのに・・・まあ私の質問自体がしょーも無かったんやろう。

案の定
クレメントホテルが広いので方向感覚を見失い集合場所へ信号を渡ったと思ったらそこは玉藻公園の入り口だった。少しパニ
ックになりながら海に向かって走ると信号を越えた場所に小型バスが止まっておりホッとする。少し集合時間を遅れてバスに乗り込む。
人数が少ないので横の座席に荷物を置けるので楽だった。冬山の一泊二日は着替えや防寒具の他に冬靴、スノーシュー、アイゼン、
スパッツと荷物が増えてJR車内でも浮いた存在だった。


ボーリング場で一人、坂出北インター付近で一人を追加して瀬戸大橋を渡る。車内でがっしりした体格の辻リーダーからスケジュール
の説明があった後は特に会話も無く、坂出で乗った隣席の真鍋さん(詫間町から)とか後部座席の中山さん(屋島)とぼそぼそ話をし
ながら岡山自動車道を北進する。北房ジャンクションで大山方面と反対(西へ)の中国自動車道を新見〜東城から国道314号線に出
て3時間ちょっとで比婆山スキー場近く(広島県民の森)に着いた。

天気は最高なのだが途中でも雪景色に出合わず少しガッカリだ。
運転手の佐藤さんも山歩きをされる人だが今回は運転手に専念するら
しい。ちょっと気の毒〜


毛無山へ

バスを降りて細身で頼りがいのありそうなサブリーダーの杉本さんが先頭に立って10時25分出発する。雪が少ないのでしばらくス
ノーシュー装着適所まで10分程歩く。


スノーシューを履くのは初めての参加者が多く、会が準備したTSLのスノーシューは少し型が古くてハーネスの接続が面倒な様に思
えた。私のスノーシューはペーコちゃんの形見でMSRのライトニング・アッセントというゴムのハーネスを引っ張って留めるのでと
ても装着が簡単だ。リーダーの辻さんも同じ物で、サブ・リーダーの杉本さんはMSRデナリ・アッセントというこれもゴムのハーネ
スタイプで私が自宅に置いてきたのと同じ物だった。


傑作なのは詫間から来られた真鍋さんで、会のスノーシューが借りられるかどうかわからなかったらしく急きょネットでドッペルギャ
ンガーのスノーシューをダブルストック込み9千円程で購入し、梱包そのままの形でバスに持ち込んでいた。


  
  六ノ原に到着して準備する                           10時25分出発  

  
  さあ、この辺りでスノーシューを履きましょか               ペーコちゃんの形見 MSRライトニング・アッセント

何とか全員スノーシュー装着を終えしばらく付近でリーダー、サブリーダーの指導により試し歩きを行った後、この日本には不似合い
な大き目のスリッパをぞろぞろ引きずって少ない雪の上を出雲峠に向かって歩き出す。
MSRライトニング・アッセントは少し大振り
で歩きにくさを心配したが、まあプラスチックデッキのデナリ・アッセントと遜色は無かった。


11時50分平らな場所にトイレと避難小屋が立っており、ここで昼食の号令が出る。近頃は山専ボトルや保温ボトルを持って来るの
が冬の常識になっているのでほぼ全員がカップヌードルや飲み物をお湯で作っている。


私は折り畳み簡易イスを持ってきておりそれを使ったのだが、雪に脚が埋まる為に十分な高さが足らずにあまり快適では無かった。や
はり雪の時に折り畳み簡易イスを使う場合はなるべく脚が長めでなければ使い勝手が悪いと悟った。


  
雪が少ないけどまあしょうがないわ                     11時50分 出雲峠近くの避難小屋付近で昼食休憩

12時15分出雲峠には出ずに、左手に続く植林帯に沿ってショートカットで毛無山へと向かう。12時40分自然林の間を適当に歩
き尾根部に合流すると左手が出雲峠、奥に「ききょうが丘」の標識があった。おそらくききょうが丘とは北側にある1,071m稜線
ピークの事だろう。タカネマツムシソウがここに咲くらしい。


  
  植林帯の右手をトラバースして進む                    SL杉本さんの指示に従う

  
12時40分 稜線部に出る ききょうが丘分岐となっている      MR.ドッペルギャンガー 真鍋さんが先頭に出る

そこから真東に尾根道を進む。杉本サブリーダーがMr.ドッペルギャンガー氏に先頭を促したのでここから8千円のスノーシュー・
ダブルストックセットがトップに立つ。毛無山直下になると少し傾斜がキツくなるが、逆に雪が極端に減ってきてなるべく雪の残って
いる場所を選んで歩くハメになる。上から小型犬を連れた登山者が下りてくる。最近は山に小型犬を気軽に連れてくる人が増えたが家
の中で飼われている小さな犬にとっては迷惑な事かも知れない。

先程から後続が少し遅れているが、恐らく「体はな ちいともエラくないんじゃけど足が前に出んのよ」とぼやいていた最年長女性の
八木さんペースに合わせているんだろう。屋島の中山さんも70歳になられたがそんなに体力は落ちないと言うだけあって元気だ。
かろうじて50歳代の若手・高木さんは何と高松市民登山学校の38期・同期生だった。2つ年上の森姐さんは山ガールの雰囲気が漂
うカッコ良さがあり、一つ年上の細谷さんも初めてのスノーシューを履いて元気なものだ。


  
ネット価格約6千円のドッペルギャンガーと4万円のMSR            雪の上を歩かにゃ壊れる〜 

  
   サル?  いや 犬だった                        あれ〜? 毛無山の頂上は雪がないやんけ


毛無山   四等三角点 丸ガ岡  1,143.66m

13時20分最年長の八木さんが後続隊を引き連れて毛無山の山頂に到着した。ここは陽当たりが良いので土が一面に露出している。
下山方面には雪が残っているのでスノーシューの脱着が面倒なので全員スノーシューを付けたまま土の上を闊歩する。


山頂に立てられた標識を見ると出雲峠1.2km、伊良谷山1.4km、公園センター2.4kmとある。東側には中国地方独特のな
だらかな形をした伊良谷山と牛曳山が灌木の中に少しの雪を持って続いている。
最初は明日登る比婆山をバックに記念写真を撮るが土
の上では格好がつかないので、雪の残っている東側で伊良谷山をバックに写真を撮り直す。


  
長老・八木さんの後続隊もとうちゃこ〜                   真鍋さん      エントツ山     SL杉本さんのスノーシュー

  
  東側には伊良谷山への標識                           こういう方位石があればいいなあ


   まあ 雪がない毛無山ですけんど一応記念写真など   バックは翌日登る烏帽子山と比婆山


  東側には伊良谷山と牛曳山  奥が道後山だろうか?   大山は霞んで見えなかった


10分程山頂からの景色を楽しんで少し藪っぽい南側斜面を下り、南東尾根に続く登山道に乗る。結構広めの登山道に沿って適当に雪
の中を下る。
何度も尾根を折り返すうちに雪が少なくなりスノーシューを勝手に外す。14時27分六の原本道に合流しそこで全員が
スノーシューを外してバスに向かいう。
なんだかあっけなかった様な気持ちで14時35分バスに到着し温泉宿に向かう。

  
 夏道登山道に沿って雪の上に踏み跡がある              標識もちゃんと立っている 目的地は六の原だ

  
  登山道に沿って好みの場所をテキトーに下る             六の原に出ると雪が無くなりスノーシューを外す

  
ひなびた印象の温泉宿は男女兼用の個室トイレが3個しかなく、山小屋でもあるまいし印象だけでなく実際にひなびていた。それも無
茶苦茶早めに宿に入り3部屋ぶち抜きの2階でコタツに入って男たちの酒宴が始まる。誰ともなくお酒が供出されて私がおつまみを出
す。やはりコタツに入って山談義をすると気心が知れて親しくなる。

  
マイクロバスで10分程下った場所に温泉宿がある     今回泊まった熊野湯旅館

18時からは食堂で女性を含めた夕食が始まり、皆さん楽しい性格で会話も弾みそれぞれの人柄に触れることが出来た。


平成30年1月21日 (2日目)
六の原〜出雲峠〜烏帽子山〜比婆山〜六の原 

朝05時に起きて準備をしていると部屋の皆さんも起き出して来た。昨夜大酒を飲んで、まだ飲み足らないと一人仁王立ちで飲み仲間
を待つも、「あんた一人で飲んどきや〜」って相手にされずに諦めた真鍋さんも朝になるとシャキーンとして起きている。普段山仲間
のだらしのない二日酔い姿を見ているだけにこれには驚嘆する。参った!


06時朝食の後温泉宿を出発する。六の原でバスを下り運転手の佐藤さんと、皆に迷惑をかけるからと辞退した八木さんに挨拶をして
07時15分出発する。


  
07時10分六の原でバスを降りて準備する               07時15分スノーシューを背負って出発〜

「出雲峠」

今日はリーダー達の判断でスノーシューは上りには使わず時間セーブする方針らしい。08時10分前日昼食休憩をした避難小屋を通
過してそのまま出雲峠へと向かう。大方は自然林帯の山で占められているが、出雲峠周辺だけは植林帯となっている。


  
    昨日歩いた道を歩く                           途中で衣服調整 大体が最初に衣服を着すぎる傾向あり


   ブナ林を眺めながら歩く

  
08時10分 避難小屋に着いて少しだけ休憩する             避難小屋の内部

  
出雲峠の分岐  地図には奥出雲に向かっては破線道は載っていない  平らな出雲峠付近から烏帽子山への尾根へと進む


昔からこの辺り(吉備国=備前・備中・備後・美作や出雲国=石見・出雲・伯耆)では砂鉄が取れたりして交易が盛んだった事が想像
出来る。登山口の六の原にもタタラ製鉄場の立て看板があったし、広島県の街道筋の要所として知られる「東城」から延びるこの峠は
島根県の奥出雲地方の町々に通じているので「出雲峠」と名付けられたのだろう。

しかしながら奥出雲方面に向かっては地図を見ても道は載っていない。現在は全く使われていないのだろうか。


スノーシューを背負った我がスノーシューハイクの一行はこんなロマンに浸る余裕も無くすぐさま左手の急な尾根筋に取り付く。植林
帯は10分程で終わりそれからはスペース豊かな自然林帯の中となる。烏帽子山への急坂は中々なもので皆さん、ひたすら足元を見な
がら黙々と上っている。ブナやミズナラ、コナラの林だがこの辺りのブナは気温のせいなのか幹が細い。それでもそれぞれの根元の雪
は根っ子が水を吸うので穴が空いている。


  
野生鳥獣生息数を調査している様だ                    大木もある

  
木々の根元は水を吸うので雪が融けている               烏帽子山に向かっては傾斜がキツイ


              SL杉本さんのペース配分で急坂を上っていく

  
   景色を見る余裕がないのか下を向く                    雰囲気が良い自然林が続く


烏帽子山 三等三角点「烏帽子山」1,225.09m

トップの杉本さんがゆっくりしたペース配分で皆を引っ張り09時10分過ぎに平らな烏帽子山に着いた。皆さんが一息入れている間
に三角点を探す。比婆山への分岐標識まで行っても見つからず時間に追われて歩き回るが結局見つからなかった。三角点などに興味を
示すメンバーは居られないので迷惑をかけない様に捜索を切り上げる。そのどさくさに右手の手袋を落としてメンバーに拾って貰う。
落下防止の輪っかゴム紐を取り付けたと言うのに何のこっちゃ!
まあ、グルグル山頂付近を回ったお蔭でこににある烏帽子岩を奥に見
つけて皆さんに報告する事が出来た。


  
09時10分樹林帯を抜けると平らな山頂付近に出る               烏帽子山の山頂にとうちゃこ〜


   烏帽子山の山名の由来になった「烏帽子岩」

  
分岐標識が立っているが良く読めない 吾妻山と比婆山への標識か     比婆山へと向かう

09時20分なだらかな稜線を比婆山へと向かう。南側には樹林に覆われて全体的に黒々とした比婆山が林床を白くして見える。西側
には雪をたっぷり被った吾妻山(1,238.4m)が見えるじゃないか。あっちへ行きたいなあ。


下り斜面は人が通った跡を歩くと滑り易いので適当に木々の間を歩く。10分程でコル部の標識を通過する。リーダーからはスノーシ
ュー装着の号令が無く、又雪の状態もそれを必要としない状況だった。


 
        西側に吾妻山が見える  真っ白であちらに行きたいなあ


        今から進む「比婆山」は立木が多いので黒っぽい

  
        雪斜面を下る                            そりゃ 滑る人もおりますわ

  
  09時30分 コル部に着く                          いよいよ比婆山に向かう


比婆山(ひばやま)御陵 1,264m 

同じ様な風景の樹林帯を上るがここは少し岩の露出が多い。ブナの純林と言われるだけあってブナが沢山見られる。春や秋がきっと美
しい森になるだろう。


09時47分中には何も祀られていない祠がありその奥に注連縄(しめなわ)が張られた平たい岩がある。傍らに広島県史跡「比婆山
伝説地」の看板がかかっている。
伝説の山「比婆山」って言うからてっきり「ヒバゴン伝説」の事かいなと思ってたらどうやら違って
た。



     この辺りはブナの純林帯と言われるだけあって春や秋は楽しみな場所だ


           比婆山に近づくと平らな地形となる

  
  比婆山には大岩が沢山見られる                     雪に樹の陰が写って綺麗な模様となる

  
   小高い場所に向かう                           左手には大きなブナも見られる


               09時50分 比婆山の祠の前で記念撮影

  
  一応シェーポーズもしておこう                           電車ごっこ  怪しい・・・

  
比婆山伝説とは

比婆山伝説とは要するに国生みの女神「イザナミノミコト」が埋葬された地という事だった。

古事記にある国生みの夫婦神イザナギとイザナミはカフェラテ状態だった地上をストローでかき回して淡路島〜四国〜本州〜島々と日
本の陸地を作って行ったという神話で知られている (恐らく日本の国造りだけが担当だったのだろう)
その中に竹島や北方領土の事
が明記されていなかったのが今になってとても残念だが・・・


兎に角、日本の国土を作った後に色んな神を造り、イザナミが火の神を産んだ時に自らが火傷してしまうと言うちょっと危険予知能力
に欠ける神なのだ。その後も2〜3の神を産むも火傷が原因で力果てて死んでしまった。その時に葬られたって言うのがここ「比婆山
(ひばやま)と言われている


比婆山は安来市にも標高326mの同名の山があり、やはりここもイザナミのお墓の本家だと主張している。こちらの根拠は古事記に
ある「イザナミは出雲(いずも)の国と伯耆(ほうき)の国の境にある比婆山(ひばやま)に葬られた」って記されている事みたい。

地理上はあっち有利かな?
でもこちらの比婆山は標高1,264mあるので神のお墓としては少し低すぎる位だが、まああちらの326mには勝っている。

イザナミの話には続きがあって、妻の死後恋しがったイザナギが会いたくなって黄泉の国へ行ったのだがその変わり果てた妻の姿を見
て恐ろしくなって逃げ出すってチョー人間らしい一面を覗かせる(その気持ちは分かる)
黄泉の女悪霊やイザナミに追われるが、結局
スピルバーグの映画の様にギリギリ何とか逃げてあの世とこの世に大きな岩で蓋をするって事になる


その時、岩の扉の中からイザナミの捨て台詞(ぜりふ)が「アンタの国の人間を一日千人殺してやる〜」そしてイザナギのキメ台詞が
「そんじゃオレっちは一日千五百人産んでやるぜ」って事でこのやり取りが人類が増えている元ネタになっている。



そんなこんなでこの神域の前で八木さんを引っ張る予定だったスリングを出して電車ごっこ記念写真を撮ろうとしたのが罰が当たり一
時カメラが行方不明になってしまった。無事記念写真を撮り終えて聖域を出発する。



    現地に立てられている比婆山伝説についての記述


                     イザナミ埋葬地 比婆山御陵

ちなみにこの際「ヒバゴン」にも触れておこう。私が大学時代学生運動に明け暮れていた頃、比婆山周辺で謎の生物(類人猿)ヒバゴ
ンの目撃情報が多発した。当時新聞にも取り上げられて捜索隊なども出動した記憶がある。まあこんな新種の生物など見つかろう筈も
なく結局ははぐれ大猿か熊って事に落ち着いてその後この騒動も沈静化した。


堂山夕暮れ隊に恒例のお土産として「ヒバゴンの卵」ってのを買って帰ったのだが、ツチノコならいざ知らす類人猿など脊柱動物に卵
など有る筈無いんだけど・・・まぁ いっか


  
熊野湯旅館にあるというヒバゴンの絵           お土産に買ったヒバゴンのたまご  そりゃないわ


時間が未だ10時と言う事もあり近くに「太鼓岩」「産子の岩戸」という標識があり杉本SLの判断で立ち寄る事にした。稜線を右
手に逸れて進むと岩が沢山出て来る。その中に尖った岩が横に割れ目が出来た太鼓岩があり真鍋さんが岩を叩いてみるが音はしなかっ
た。どうも天辺を叩かなければならなかった様だ。その向こうに今度は縦に割れた大岩があってその割れ目に小さ目の岩が挟まってい
る。岩が縦に割れ目が出来る風景はあちこちの山で見られるが、やはり神話の山らしい解釈で名が付けられている。


  
  門栂(イチイ)の横を抜けて進む                     稜線から右に外れて太鼓岩へと向かう

  
いい音でませんぜ 真鍋さん 天辺を叩くんだってよ  太鼓岩      こういう古木が神話の雰囲気を盛り上げる


              産子の岩戸    リアルさを求めない!

  
            ちょっと変わった樹が                   大木の横にイチイの説明書きが


                      比婆山のイチイ群について


グルリと一回りして稜線へ帰り10時15分杉本SLの判断で東側の県民の森スキー場へ向かって下る。地形的にはこの辺りから東に
向かうといずれスキー場のゲレンデか林道に出合うので非常に安全な場所である。10分程で雪が深くなり杉本SLの号令で全員スノ
ーシューを装着する。
スノーシューハイクに来てやっとスノーシューが履けた喜びを感じる場面だ。

  
  スキー場への降下点へ向かう             10時15分六の原へ向かって下る

  
雪が深くて歩きにくくなりスノーシュー装着号令がやっと出る   やっぱりスノーシューやのう

  
   ペーコちゃん スノーシュー使ってるよ          2日目になればみんな慣れたものだ

植林帯の急斜面を下ると明らかな踏み跡に出合う。ここの登山道破線は尾根筋を辿っておらず、複雑な地形の中をジグザグに付けられ
ている。こんな場所では雪が有る時は適当に東へ下るのが手っ取り早い。
SL杉本さんはスキー場のゲレンデに入り込まない様に多少
遠慮して右手に続く踏み跡を辿る。時々スマホを出して位置確認されているので恐らく私が利用している地図アプリ「ジオグラフィカ」
を見られているのだろう。


11時頃から完全植林地帯となり、11時10分「比婆山御陵・七合目」標識を通過する。植林地帯の中を右へ左へと下り11時35
分道が切れた。地図を見ると右手の小山を乗り越えると林道なのだがここは小山の谷間に沿って北に下る。


  
 ブナ林の中をドンドン下る                         大体が細いブナだがたまにデカいのもある

  
10時58分左手の植林帯に振るとスキー場経由と一般登山道の分岐標識がある  11時10分七合目標識が立つ

  
  植林の中をSL杉本さんに付いて下る                 道が不明になり沢部に沿って下る


11時45分前から数人の登山者が来たのでもう林道が近いと感じる。するとすぐに林道に飛び出した。そこには比婆山への標識が立
っていた。(越原おっぱら経由比婆山御陵3.5km、比婆山御陵3.2km)


  
11時40分 前から登山者グループがやって来る            11時48分 林道に合流した

  
 越原経由比婆山と比婆山登山道の標識 右手から下りて来た   バス駐車場へ向かって帰る

11時50分スキー場入り口や「六の原(砂鉄)製鉄所跡」を通過して「金屋子神社」にて本日の無事をお参りして12時00分バス
に帰る。


六の原製鉄所跡

中国地方には砂鉄を含む花崗岩などの岩石が多く古くから砂鉄を採取して製鉄する技法が発達していた。製鉄する時、沢山の空気を炉
に送り込んで薪の炭素と結びつける為に高温にする必要がある。この送風設備=鞴(ふいご)の事を元々「鈩・踏鞴(たたら)」と呼
ばれており、砂鉄製鉄全体を「たたら吹製鉄」と言われていた。


六の原にもこの「タタラ吹製鉄所」が近世から明治時代にかけて存在し、遺構が残されている。砂鉄を含む岩を崩してその山砂を渓流
に流すと、比重の軽い砂は早く流れ去り比重の高い砂鉄は底に沈んで溜まって行く。これを繰り返して砂鉄の含有率を高めて行くと言
う原始的だが確実な比重選鉱法で砂鉄を採取して行った。


これを鉄穴流し(かんなながし)方式と言い、砂鉄を含む岩石と近くに選鉱する川がなければならない。それと共に製鉄の為に沢山の
森林資源=薪や木炭が必要になる。
こんな条件が揃った場所がこの六の原だった訳だ。


           六の原製鉄所跡  (鉄穴流しの洗場跡)


「金屋子神社」(かなやごじんじゃ) たたら職人の守り神

その昔(いつかは知らない)日照り飢饉で困っていた播磨の国で、雨を降らせ人々を飢餓から救ったと言われる金屋子(かなやご)神
が居た。その後「わしはな これからは西の方へ旅立ち、人々に鉄の製法を教えなければならんのじゃよ」と白鷺に乗って飛び去って
行ってしまった。この神が安来市の桂の木に降り立ち、他の神様たちを呼び寄せて人々に鉄作りの技術を教えたと言われている。まさ
にたたら製鉄の神だ。


「たたら製鉄」所が中国地方に広がるにつれてこの霊験あらたかなる金屋子(かなやご)神を祀る神社が増えて行ったのは当然じゃわ
ね。
安来市にある総本山「金屋子(かなやご)神社」によると

永代たたらの建設に加わった75神をはじめ、火災から高殿を守る神、炉に風を送る神、方位を守る神、と「たたら製鉄」には多くの
神様たちが参加したと言われており、この神様が一緒だと質の良い鉄が産み出される、と「たたら師」たちの間に金屋子信仰が起こり、
たたら場には必ず金屋子神が祀られ、「桂の木」が植えられた」 

とある。



          金屋子(かなやご)神社で細谷さんと無事下山のお礼参りをする

この六の原にあった金屋子(かなやご)神社が1,200社ある同神社の何番目かは知らない。細谷さんと一緒にスノーシューハイク
の山行無事終了を感謝し、ついでにお金も増える事を祈ってバスに帰還する。



山と元気の会「比婆山スノーシューハイク」担当のCL、SL、運転手及び参加者の皆様
楽しい旅をありがとうございました

      
         トップページに戻る