平成29年5月4日 峨蔵山縦走 パート3
二ツ岳登山口〜峨蔵越〜二ツ岳〜エビラ山〜黒岳〜権現山〜権現越〜床鍋
プロローグ
赤石山系とは
銅山越から西赤石〜東赤石〜二ツ岳の山塊をおおまかに「赤石山系」と呼ばれている
青い山脈 君の名は?
地形図を見ると石鎚山系から東に延びる県境尾根は「チチ山の別れ」から北側に一本の支尾根を分かつ。この北へ分かれた細尾根
は「獅子舞の鼻」を経由してツナクリ山・西山・銅山峰から西赤石山〜物住ノ頭〜前赤石〜八巻山〜東赤石山〜権現越のコルへと
続く。この山域には別子銅山の遺構やアケボノツツジ、赤石橄欖岩の岩峰などで最も登山者にお馴染みとなっている。
更にこの山塊は赤石橄欖岩が見られなくなる権現越から権現山〜黒岳〜エビラ山〜二ツ岳へ角閃岩の岩場となって延びていく。
この山脈にはまだまだ続きがあって峨蔵越から更に赤星山〜豊受山〜鋸山で標高千メートルを切りながらも翠波(すいは)峰から
平石山を経てやがて阿波池田付近で吉野川へと消える。
さて、この瀬戸内海と銅山側に挟まれて1,500〜1,700mの標高を持って切れ上がった長い山塊は何と呼ばれるのだろうか。
伊藤玉男さんや安森滋さんの本を読むと明治時代の中頃までは確たる山脈名が無かった様である。江戸時代までは山麓の呼び名が
メインで立川山、種子川(たねがわ)山、五良津(いらず)山、上野山、峨蔵(がぞう)山、外野山と言った具合である。
尾根伝いの山名としてはやはり登山として山を見る様になった大正時代ころから色々言われる様になったのだろう。安森さんの
「四国赤石山系物語」によると明治末期にはこの山域全体を「法皇山脈」とか大正の初め頃は「燧灘海岸山脈」とかと呼ばれた
文献があるそうだ。又「別子連峰」とか「赤石連峰」「伊予赤石山脈」とか色々ある様で興味深い。
現在では西赤石から東赤石〜二ツ岳をひっくるめて呼ぶなら伊藤玉男さんが使いだした「赤石山系」という呼称が一般的になって
いる様だ。個人的にはこの山域縦走の区切りとして銅山峰から権現越までを「赤石山系」(縦走)、権現越から黒岳〜エビラ山
〜二ツ岳〜峨蔵越までを「峨蔵山(縦走)」、赤星山〜豊受山〜翠羽峰あたりを「法皇山系」(縦走)と呼びたい。
ちなみに伊藤玉男さんによると土居の浦山川流域の山は昔から「峨蔵山」と呼ばれていた様である。
ダブルO嬢との出会い
ペーコの鐘を鳴らしに犬返へ日参するうちにそこをホームグランドにするイニシャルO1さんと親しくなった。結構下山のスピード
が速くて「くノ一O1」とニックネームを付けたりしていた。
去年の夏に東赤石へトレーニング歩きに出かけた時に途中で彼女に会って「あれ?この人東赤石へも来るんや」と驚いたものだった。
は関東の人で仕事の関係で四国へ来た異邦人だ。四国へ来るときに山が多いからと登山用具を友達からプレゼントされて石鎚山系を
歩きその美しさに魅了されたらしい。
ひょんな事からカラッとした性格のO1さんと出会い気が合って仲良くなり西赤石〜東赤石や二ツ岳などを一緒に歩いていた様だ。
そんなキュートな二人をダブルO嬢(1号・2号)とHNを付けて掲示板に登場して頂く様になった。
そのダブルO嬢2号が今年になって故郷に近い東京に栄転する事になったと風の便りに伝わってきた。そこで冬の高瀑に彼女と一緒
に行って親しくなった伊予の鈍亀さんと彼女の懸案ルートであった二ツ岳から権現越を送別の意味を含めて5月に歩こうと言う事に
なった訳である。このルートを歩いた事が無いと言うザイフリボクさんや帰省中のエントツ山2号も一緒に行く事になり7人の賑や
かな山行となった。
私は過去2回このルートを歩いており、その内の1回はエントツ山2号と一緒だった。伊予の鈍亀さん達は逆方向の権現山から二ツ
岳へ縦走の経験がある。少し不安がるダブルO嬢達ではあったが、彼女達の達者な歩きを見ている我々案内人は気楽なものだった。
カシミールソフトを利用したGPSトラックログ図 二ツ岳〜権現越 約10時間半
5月4日まだ暗い早朝に山根運動公園へ集合して3台の車で出発する。先ず下山口の床鍋に1台車をデポして肉淵から二ツ岳登山口へ
向かう。
第1ステージ)肉淵登山口〜峨蔵越〜鯛ノ頭〜二ツ岳 (約 3時間 )
06時38分二ツ岳登山口でザイフリボクさんにシャッターをお願いして記念写真撮影の後二ツ岳登山口の鉄階段を上がる。天気は晴
れており良い登山日和となりそうだ。二ツ岳までは全員歩いた経験があるので雑談をしながらのんびりと歩く。植林と自然林のトラバ
ース路を歩き07時40分石畳のある第一水場を通過する。沢部は崩れやすいので石畳が組まれているのだろう。
暫く歩くと今季初アケボノツツジの出現に歓声が上がる。今年は遅くに雪が降ったりして花の時期が相当遅れていた。ここから水場を
更に2つ通過するのだがアケボノツツジの花が多くなりその都度喜びながら08時05分「峨蔵越」に到着する。
06時38分 肉淵・二ツ岳登山口
登山口から20分程で二ツ岳から南東に延びる尾根筋に上がる その後はこの南東尾根の東側をトラバースして行く
よく踏まれた登山道だ 07時40分石畳があり沢にはチョロチョロ水が流れ落ちる
お〜 アケボノツツジが咲いてるぞ〜 07時52分 第2水場を通過
今季お初のアケボノツツジに喜ぶ
08時00分 第3水場=峨蔵越の水場 08時05分 峨蔵越に到着
08時10分 さあて、 ここからが厳しい上りになりまっせ〜 峨蔵越 向かいは赤星への藪尾根
峨蔵越の北側には敬天の滝〜中の川〜大野城をへて土居の畑野への登山道が延びている。東側の尾根はハネズル山分岐を経て赤星山へ
と続いている。一昔前までは油断ならないスズタケ藪であったが現在はそうでもなさそうだ。
これまでの穏やかで歩きやすい登山道は二ツ岳へ向かい険しい尾根道に変わる。
そこから前方に鋭いピーク群が現れる。二ツ岳の東尾根には際立ったピークは存在しないのだが、下から見上げると尾根の端がピーク
状に見えるのだ。
ここからシャクナゲの岩場をロープなどを頼りにグングン這い上がって行く。アケボノツツジはもう蕾しか見られなくなった。「ここ
から先は特に危険」の看板が置かれている。
見晴らしの良い場所から振り返るとハネヅル山の山塊が眼下に見える。前方の尾根ピーク辺りはガスが出てトップはもう見えない。大
岩を右に巻くと08時40分岩場に長めの梯子が2連設置されている。ここまで来ると鯛ノ頭は近い。
灌木藪の間に付けられた登山道を進む 08時15分 大岩の左手を抜けて一旦コル部に下る
前方に二ツ岳へのピーク群が見える 大岩を一旦コル部へ下る
シャクナゲの岩尾根にはロープが敷設されている 振り返ると上空には高知方面から黒い雲が押し寄せて来る
「ここから先は特に危険」の看板がある ハネズル山を振り返る 南側から雨雲が・・・
二ツ岳にもガスがかかってきたわい この辺りのアケボノはまだ蕾だ
08時35分 大岩を右に巻いて上がる おっ アケボノが咲いているじゃんか
前方の鯛ノ頭があるピークを眺める
08時40分 岩場に梯子が2連並ぶ 全員こんな梯子はお手の物だ
08時50分 鯛ノ頭に到着
08時50分「鯛ノ頭」に到着して少し休憩する。今日は人数も多く天気もあまり良くなくなって来たので鯛ノ頭の上に上る事は止め
る事にした。
休憩後二ツ岳に向かって少し進むとバイカオウレンが咲いている。ガスが徐々に濃くなり少し涼しくなった岩と天然檜の急斜面を太め
のロープが敷設されておりそれを伝って上る。すると又バイカオウレンの群生があり皆で写真を撮る。
もんだ。
「二ツ岳」 三等三角点「二ツ岳」 標高 1,647.27m
バイカオウレンを楽しんだ後斜面を進むと「もう一息 油断しないで着実に」の看板があった。尖った岩が出てくると山頂は近い。岩
と根っこの急傾斜を這い上がると09時30分「二ツ岳」に着いた。
張るメンバーは居なかった訳だ。
赤星山西端部から見た二ツ岳 見事に2本の角がある 左が本峰・二ツ岳で右の角がイワカガミ岳 その右にエビラ山が見える
北アルプスでは夏に見られるバイカオウレンが咲いている 太めのロープが敷設されていた
岩場を抜ける シコクバイカオウレン 黄色い花弁の形が特徴らしい
黄色い花弁の形が反り返ってお椀の形に変種したシコクバイカオウレン 早春に高知へ行くとワンサカ咲いている
女子は花が好きだ 09時20分 「もう一息 油断しないで着実に」の看板がある
09時25分 山頂直下に現れる三角錐岩 最後は岩場にうねる根っこ斜面を這い上がる
09時30分 二ツ岳山頂に到着 ダブルO嬢 又どこかでコンビ組めるよね
キャイ〜〜ン なんも見えんわ 天気がよければここから縦走路が見渡す事が出来るのよ
ここまでは順調に歩いて二ツ岳山頂までやって来た
第2ステージ)
岳(09:30h)〜エビラ山(11:45h)〜黒岳(13:03h)〜権現山(14:18h)〜権現越(14:55h)
約5時間
二ツ岳〜権現越の縦走は一昔前までは難路と言われていた場所だった。私が12年前にこのルートを歩いた時には多少ワイルドではあるが
既に普通の尾根道の印象だった。最近改定されたヤマケイ分県登山ガイド「愛媛県の山」にはこのルートが掲載されているのはその影響だ
ろう。但しこの本では権現越まで縦走せずに途中の鉄塔保線路を下るルートとなっているのは残念だ。ここは法皇権現にお詣りして権現越
まで歩く岳人ルートで掲載して欲しかった。
二ツ岳には四国外からの登山者が来られており15分程話をしながら休憩する。このパーティは翌日高縄山系の東三方ガ森へ行くと言う。
奥の展望所に出て見るが、案の定ガスで何も見えない。折角の峨蔵山縦走なんだからダブルO嬢に縦走路の様子を見せて上げたかった。
二ツ岳〜エビラ山 約2時間
カシミールソフトを使用したGPSトラックログ加工図 二ツ岳〜エビラ山
09時45分分岐にある縦走路の標識に従って山頂を後にする。すぐに支尾根の岩場に進んで行き詰る。後続から「右下に下がるテープ
がありま〜す」の声に従い主尾根へ向かう。何せガスの為殆ど遠くの前方が見えないのだ。10分ほど天然檜や岩の尾根を進むと前方の
岩稜をトラバースして左手に下がる。基本的にこの縦走路に於けるトラバースは岩場を避ける為に最低限尾根を外すだけなので稜線から
あまり下る事は無い。
09時45分 二ツ岳基部から左に下がって縦走路に向かう 登山者への注意書き(赤石山荘を慕う会)
コル部から縦走尾根へ進む イワカガミ岳方面はガスで見えない
09時57分 前方の岩場を避けて左に少しトラバース 岩場を巻くルートはそれほど尾根を下には外さない程度だ
10時06分 岩場を左に巻いて前方の尾根に出る 尾根部に上がると踏み跡は明瞭だ
イワカガミ岳
縦走路から振り返るイワカガミ岳 この二つのピークの山容が「二ツ岳」の云われとなっている
暫くして尾根に復帰すると天然檜やシャクナゲが生えた岩場を北側から少し巻き気味に這い上がる。ケルンも積まれたこの辺りのピーク
がイワカガミ岳だ。名前の由来はこの岩場に沢山のイワカガミがある事らしいが未だ確認した事は無い。二ツ岳は本峰とこのイワカガミ
岳の2ピークが鬼の角の様に突き出している事からセットとなっている。しかしながらイワカガミ岳の山頂は一体どの場所か縦走中には
余り気にされていない様だ。
10時13分ロープの置かれた岩場を這い上がる 後続も難なく付いて来る
10時18分 大岩の上にケルンが積まれている(イワカガミ岳付近) イワカガミ岳から岩を下る
イワカガミ岳から少し下りになるがテープなどもありルートを見つけるのはそんなに難しくない。晴れていれば振り返るとイワカガミ岳
の尖ったピークが見えるのだが・・・展望はナッシング
リョウブの皮が剥がれているのでこの辺りにもシカが増えているのだろう。霧に包まれた灌木尾根を進み、岩を右手からかわすと10時
25分前方に岩が迫るコル部に出た。ここは以前真っすぐ進んで岩場に行き詰った事がある。ここは左へ下って少しだけトラバース路を
進む。
尾根に復帰すると今度は北側へルートは巻く。左へ右へと忙しい。
尾根筋のアップダウンが続く。テープが要所にあるのでルートは明瞭だ。そこからはほぼ尾根沿いに灌木帯を進む。
11時00分岩場を下ると丁度イワカガミ岳と次のエビラ山の中間部コルを通過する。この辺りのリョウブもシカ害で皮が削がれている。
小ぶりだがブナの木が殺伐とした風景を和ませる。
この辺りのリョウブはシカに齧(かじ)られた物が多い 10時25分 また前方の岩峰を避けて左へトラバースする
今度は右手に岩をトラバースする 10時28分 ロープが敷設された岩を這い上がる
後続に落伍者は見当たらない 細尾根プラス藪尾根
アップダウンの尾根を進む 灌木藪尾根を下る
鈍亀さん 起きてる? リョウブはやはり鹿害が多い
四国の藪尾根はいかがですか〜?
11時05分 これが典型的な縦走路風景
11時06分 ニードル岩を通過 鉈で尾根の木を鋭角に切った危険な手抜き整備 (のこぎりで真っすぐ切る事)
大岩を左に巻いたり・・・・ 右に巻いたり・・・・
エビラ山
11時06分左手に特徴的なニードル岩が見え、エビラ山手前にあるピークに向かってなだらかに上って行く。この手前のピークは結構
岩尾根で岩を下ったり左を巻いたりして進む。11時18分岩場に横たわる目印の天然檜の幹を潜る。
この岩場を抜けると全面にエビラ山が迫って来るのだが今日はさっぱりだ。11時25分エビラ山直下の細尾根っぽい灌木ヤブとブナが
点在する傾斜を這い上がって行く。
エビラ山と思われる標識が掛かっていた。
11時18分 天然檜の幹を潜る 本来ならここからエビラ山が見えるんだがなあ・・・
本来ならこんなエビラ山が前面に現れるんだぜ 右奥が黒岳
エビラ山の箙(えびら)とは武士が使う矢を入れる武具=箙(えびら)の箱型の形に由来している。地形図を見てもエビラ山は南北に尾根が張り出した
台形をしている。いつ頃山名が付けられたのか知らないけど昭和だと風流な人が名付け親なんだろうね。
エビラ=箙(えびら) エビラ=箙(えびら)
エビラ山へ向かって笹薮尾根を上る みんな来てるね
もう少しでピークです ダブルO嬢 エビラに立つ いや エビラに座る!
11時45分 殺風景なエビラ山に着く 三角点も無い質素な天辺だ
エビラ山〜黒岳 約1時間20分
カシミールソフトを利用したGPSトラックログ加工図
大まかなエビラ山到着目標を12時頃と考えていたのだが、この山頂を初めて踏む3女性の頑張りもあって快調なペースであった。ガス
の中で展望は望まれなかったがお蔭で暑さも半減したのも良かった。
11時50分エビラ山を下って黒岳へと向かう。岩、ブナ、灌木の尾根になり適当な北面で昼食休憩を取る。我々の仲間で山食に凝る様
な文化人はいない。輪になる様な平坦地も無く皆それぞれ思い思いの斜面にへばりついておにぎりとかパンとか質素極まる昼食なのでほ
んの15分程で十分である。従って写真も特に撮っていない。
エビラ山から岩場を下って行く お昼になったので適当な斜面広場で休憩とする
昼食後出発すると12時25分大岩を左に巻いて下側の尾根筋へ出る。すると笹と灌木藪、ブナの尾根となり、又スズタケ藪も出現して
目まぐるしい。
12時20分 前方にピークが見える ブッシュの間に登山道が延びる
12時25分 大岩の左手を巻いて下る このトラバースもそう長くはない
大岩を越すと尾根に復帰する その後は灌木と笹薮が続く
黒岳への藪尾根
12時35分この尾根最大の左へのトラバース路に入る。12時40分尾根に復帰すると灌木藪尾根となり、そこを抜けると今度は結構
濃い笹薮が始まった。
「黒岳」 三等三角点「保土野越」 標高 1,635.94m
12時53分突然眼前に鋭く尖った大岩が霧の中に現れた。記憶では黒岳直下の岩場に違いない。ガスが濃くなり少し雨が落ちてきたが
人数が多いので心細くは無い。
が飛び出ており「黒岳」に着いた。
三角点名は南側の集落名「保土野」(ほどの)から取られている。黒岳に発する谷川は「保土野谷川」と呼ばれここに「黒滝」という立
派な滝がある。
天気が良ければエビラ山を過ぎると尖った黒岳がみえる
12時35分 又 尾根を左側へ巻いて下る 時間は短いがここが一番尾根から遠ざかるトラバースだ
大岩の左手に沿って尾根に復帰していく 尾根に復帰〜
尾根にも大岩が現れる 岩とシャクナゲの尾根
黒岳の手前は笹薮となる 12時53分 黒岳手前の岩場
又 岩稜の左をトラバース 大岩を巻いて尾根に復帰
黒岳手前の大岩を抜けるダブルO嬢1号
山頂手前は岩の殿堂 シャクナゲ 山頂付近は灌木
13時03分 黒岳山頂に到着 少し雨模様だ
黒岳山頂 みんな天気が良くなかったけど楽しく歩けました
2度目の黒岳でエントツ山2号と1号 13時10分 下山開始
黒岳〜権現山〜法皇権現〜権現越 約1時間50分
黒岳まで着いたらもう心配はない。少し北側に振りながらシャクナゲの生い茂る急傾斜を下るとガレ場の下側がコル部になっている。
このガレ場にはガーネット等の鉱石があり以前このコル部で忘年会をした懐かしい場所だ。この場所が「保土野越」と呼ばれて南側の
保土野集落と北側の大窓から土居を結ぶ旧道があったらしい。
以前このコルから南へ斜面を下って保土野谷川沿いに黒滝を経由して保土野へ下った事が懐かし思い出だ。
黒岳を過ぎると(天気が良ければ)右手に日本石(二本石)と権現山への尾根が見え、そのバックに赤石山系が並ぶ
黒岳から下る斜面はシャクナゲが並ぶ ガーネットがあると言うガレ場を下る
黒岳の西側コル 以前忘年会をした懐かしい場所だ この辺りのコルが「保土野越」と呼ばれている
北側から黒岳へ這い上がり忘年会の登山記は ここ
エビラ山南尾根を這い上がり黒岳から保土野谷川を下った登山記は ここ
コルを越えると西側のピークに向かって深い笹薮となっている。稜線部には住友の井桁マークが刻まれた石標も見える。この黒岳の
西側ピークを越えると稜線は南西に向きを変えて権現山へと下って行く。途中右手に張り出した支尾根に「日本石」の岩場があるの
だが、今日は視界ゼロの為寄らない事にした。13時30分前方に日本石の岩ピークが見えるが、そのまま灌木とスズタケの主尾根
を南西に下る。
権現山まで2つ程ピークを越えなければならないので結構遠い気がする。縦走路はスズタケの藪ではあるが足元の踏み跡はしっかり
確認出来る。時々現れるブナが気休めだ。
るので心強い。
結構濃い笹薮だが足元には踏み跡がある 13時23分 住友井桁マークの入った石柱を通過
この辺りのリョウブもシカの食害に遭っている う〜〜ん 笹薮・・・
13時30分 前方に岩峰が見える この辺りの笹は花が咲いて枯れた様子は無い
13時45分 大岩を左に巻く 多少の藪でも立木があると眺めが良い
ブナも断続的に現れる う〜〜ん スズタケの藪が続く
権現山 四等三角点「権現」 標高 1,593.72m
14時頃からいよいよ権現山への上りとなる。目にする風景は相変わらず灌木とスズタケなのだが灌木の背丈が高くなって来る。笹
が薄くなるとバイケイソウの葉が見え、やはりこの辺りもシカが増えている雰囲気だ。岩が多い尾根になるとシャクナゲが現れるが
権現山付近はほぼ灌木と笹の風景が続く。
ダラダラと続く上り坂に飽きて来た頃、14時18分「権現山」の三角点ピークに到着した。一面スズタケの藪ではあるが、この山
頂部だけが刈り払われて少し広くなっている。三角点名や山名の由来はここから少し下がった権現岩に祀られている「法皇権現」から
きている。 元々の山名は前出の伊藤さんや安森さんの著書内には「地吉山」とか「地由山」(じよしやま)と書かれている。
黙々と笹薮の中に続く縦走路を歩く 14時03分 権現山への上りになる
14時07分 エントツ山2号を待ってしばしの休憩
岩っぽくなるとさっそくシャクナゲが現れる 権現山へ最後の上りに入る
14時18分 権現山 、 四等三角点「権現」 1,593.72m
豪快にエネルギーを注入するWO1号と到着時間を確認する几帳面な亀吉さん 小雨の降る中権現越へ下って行く
法皇権現の事
権現山は南側にも大きく尾根が張り出した地形的にはややこしい場所なのだが、南側はスズタケの藪で踏み込めないのでここは自然
に権現越に向けて東南東へ下る事が出来る。
る。14時35分四国電力本川線20番鉄塔に着いた。鉄塔保線路はこの鉄塔から北側の大森越方面への標識があり、この鉄塔保
線路を辿ると権現越からの道と合流し河又〜大川へと続く。従ってこの鉄塔から権現越までは快適な電力道が無いので藪っぽい。
尾根を南へ回り込みながら下ると左手に「権現岩」がありそこには「法皇権現」が祀られている。法皇権現については安森滋さんの
「四国山系赤石物語」の中に参考になる記述が掲載されている。愛媛県神社史の中にある「法皇神社」の項に、木樵(きこり)平四郎
という人が居て都で功を立て時の「白河法皇」により感謝状と宝剣(短刀)を賜り郷里の土居・上野村に帰り、この神社に宝剣を奉納
して大山祇大神と共に白河法皇などを祭神としてここに祀った。後に法皇権現と称して山岳信仰修験者の参拝道場となったと記されて
いる。 又、南北に流れる水源でもある為に北の土居や南の別子山住民の水神様としての役割もあったらしい。
この権現様が権現山や権現越の由緒であるからこの周辺の山々を法皇山脈と呼ばれたのも納得される。でも現在では随分東の翠波峰付
近の隧道に「法皇トンネル」の名が付けられたり、赤星山〜豊受山〜鋸山〜翠波峰付近を法皇山脈(山系)と呼ばれているのはこの元祖
法皇権現さんとしては少々不満なのではなかろうか。
各自適当なお願い事をこの法皇権現様にお詣りして14時55分霧にむせぶ「権現越」に下り立った。
電力保線路と合流 伊予の鈍亀さんは見かけによらずタフなのだ 14時35分 四電本川線20番鉄塔が霧に浮かぶ
鉄塔近くから北に大森越への道しるべがある 北側が崩壊地なので南側斜面を巻いて権現越へ向かう
白河法皇、大山祇大神、こうれいしん=水の神)を祀る法皇神社=法皇権現
う〜〜ん 何も見えんわ(E2号) 私たち頑張ったわよね(ダブルO嬢) 権現越に下がる
天気の良い時はこんな場所を見ながら下るのよね で・・・ 現実はこんなロマンチックな霧の丘
権現越から西に進むと東赤石へ続く 14時55分 権現越に到着 意外とみんな元気だぜ
第3ステージ) 権現越〜床鍋登山口 2時間15分
権現越は東赤石(1,706m)と権現山(1,601m)の間にある標高1,461mの峠(コル部)である。従ってこの峠は常
に風が強く吹いている為に樹林は育たず草地となっている。又赤石橄欖岩と五良津角閃岩との境界部分でもあり絶好のお花場畑とな
っている為登山者もシーズンには多い。但しこの付近に来る花好きな人は同時に良い登山者でもなければならない。どこから上って
も下っても登山口までは標高差も距離も長いのである。
二ツ岳〜権現越の縦走自体はそう難しいものではないのだが、この最後のシメとなる権現越から床鍋登山口までが疲れた足には長く
て辛い。この床鍋ルートは東赤石の縦走とか床鍋谷・沢歩きの下山路として何度も歩いているのでお馴染みであるがいつも長くてう
んざりする。
この床鍋ルートの核心部は権現越から20分〜30分程、渡渉部を渡るまでが足場も悪くて沢部付近を歩くので注意が必要だ。以前
床鍋谷の遡行をして源流部に来た時に登山者が道を間違って沢沿いを上から下りて来た事があった。登山道は沢の東側(左岸)に沿
って多少荒れ気味な場所なのでテープなどに注意して下る事だ。
15時15分最初の渡渉部を対岸に見える登山道へ渡り、更に15時30分沢の岩盤に架けられていた丸木橋が崩落してこれを乗り
越える。この後は植林が主体の退屈な登山道を辛抱強くひたすら歩く事になる。
権現越のお花畑斜面を下ると床鍋谷の源流部左岸へと進む 主に床鍋谷の左岸沿いに登山道が続く
15時15分 床鍋谷を右岸に渡渉する この渡渉箇所は急なザレ場となっており気を付けて渡る
15時30分 ガレた岩場を対岸に渡る 昔の丸木橋は崩壊していた ここもワイルドな通過となる
少しの間だが岩斜面のトラバース道 次第に登山道が落ち着いてくる
自然林とシャクナゲの岩が多い坂を下りスズタケの植林地を更に下ると16時08分四電の鉄塔保線路と合流する。保線路は真っすぐ
尾根へと続いているが、これを進むと一つ尾根を越えて瀬場谷へ行ってしまうので、左下へ下り床鍋登山道へ入らなければならない。
この床鍋への登山道も鉄塔保線路を利用している。
基本的には植林の斜面を下って行く 所々に笹薮が出現
16時00分 シャクナゲの岩っぽい場所を抜ける シャクナゲを抜けると急斜面を下って行く
16時10分 四電鉄塔保線路分岐に到着 ここは左に下りる 左下の登山道へと進む
16時15分 沢を回り込む エンレイソウ 珍しくもないんだけど沢筋にあるのががいい
暫く自然林の青葉を見ながら登山道を下ると16時22分保線路の鉄橋が二つ沢部に並んでいる。ここに山シャクヤクの群生があるの
だがまだ蕾だった。
う下山口は近い。急な傾斜を下り廃屋の横を抜けて17時10分床鍋登山口に到着した。
床鍋登山口に立てられている「登山者の心得」看板の登山用具の中に「毛布」が書かれているのが面白くていつも話題にさせて貰って
いる。
やっぱ 自然林が明るくていいわなあ 鉄塔保線路と共用なのだろうか 電力鉄橋が2つ並ぶ
ヤマシャクはまだ蕾だった 今年は殆どの花は遅れている ダブルO嬢2号よ 四国の何でもない山の良さを忘れないでね〜
秋は良さそうな道や
伊予の鈍亀さん 今日はお付き合いありがとうね 16時56分 床鍋への標識が立っている もう下山口は近い
下山口の廃屋が見えて来た 17時10分 床鍋登山口に到着
東赤石の東端から眺める峨蔵山の魅力的な山々
濃い霧の為に縦走中の展望は得られなかったが、大した雨にも遭わず無事に歩く事が出来た。関東から四国に舞い込んできたダブルO嬢
2号さんが転勤前にこのルートをみんなで一緒に歩けた事が良い思い出になった。
きっと又一緒に山を歩ける機会がある事を願って床鍋を後にした。
(過去の参考登山記)
平成17年6月26日 実録・峨蔵山縦走 二ツ岳〜エビラ山〜黒岳〜権現山〜東赤石山 は ここ
平成25年5月4日 峨蔵山縦走 峨蔵越〜二ツ岳〜エビラ山〜黒岳〜権現岳〜床鍋 は ここ