新居浜の里山 「犬返」(いぬがえし・いぬがえり)標高579m


新居浜市立角野中学校からえんとつ山〜庄司山〜犬返〜石ヶ山丈尾根〜西赤石山を眺める


伊藤玉男さんの著書「赤石の四季」巻末付録地図   ここに山根運動公園〜犬返〜窓の滝〜岩屋〜造林道〜兜岩〜西赤石〜一本松〜東平が見える

 

新居浜の街から南山麓を見上げると串ヶ峰の右側に柔らかい丸みを帯びた西赤石山(標高1,625.68m)が見える。そこから
北に延びる尾根を辿って行くと、兜岩から石ヶ山丈のデカい尾根が一旦消えて、その前に競りあがったピークが現れて幾つかの鉄塔
を経て庄司山城址の近くにある三角点「板ノ本」ピークまで繋がって、最後は煙突の立つ通称「えんとつ山」でこの長い尾根は国領
川へ消えていく。


「犬返」(いぬがえし・いぬがえり)とは石ヶ山丈の末端で一旦くびれた尾根が立ち上がった標高579mのピークである。
広義にはそのピーク南側にある鋭い切れ込みが犬さえも通行が不可能な崖を含む険阻な尾根(犬返の険)の事を言う。

山根運動公園からえんとつ山〜庄司山城址を経由して上り約1時間半、下り約1時間の丁度トレーニングに適した新居浜の里山と言
える。山根運動公園駐車場に車を停めてちょっと犬返までピストンしてみましょう。



カシミールソフトを使ったGPSトラックログ図  山根運動公園から犬返(いぬがえし・いぬがえり) ルート図


新居浜高速道路インター付近から犬返への尾根が見渡す事が出来る


犬返を起点にした周回ルート

犬返の南側には魔戸の滝、旧端出場水力発電所沈砂池(貯水池)、上部鉄道石ヶ山丈(いしがさんじょう)駅跡などがあり、究極の
西赤石山までも日帰りで歩く事が可能である。



平成26年5月4日(水)
犬返から旧牛車道〜魔戸の滝〜種子川造道〜兜岩〜西赤石〜石ヶ山丈尾根〜一本松駅跡〜東平周回

メンバー:むらくも、アンジーパパ、佐々連、伊予の鈍亀(夫婦)、マーシー、エントツ山2号、エントツ山

去年の5月5日ペーコちゃんと魔戸の滝登山口から〜串ヶ峰〜物住ノ頭〜上兜山〜西赤石〜石ヶ山丈尾根へ周回した。その時に最後
の詰めで魔戸の滝へ下るルートを躊躇(ためら)い案内役のペーコちゃんと私が大いに後悔した。


今回はそのリベンジ的な意味も含め、今は亡きペーコちゃんを偲んで歩くことにして香川の山仲間を誘う。魔戸の滝上部のルートは
藪好きインテリ人間アンジーパパさんも以前からこの辺りを歩かれており、佐々連さんも興味を持ってくれていたので丁度長崎から
帰省中のエントツ山2号もこれに参加、地元愛媛のホスト役としてマーシーさんと伊予の鈍亀さんの精鋭が加わる事になった。


      (青線が今回の歩行ルートです)

      
      カシミールソフトを利用したGPSトラックログ図 山根運動公園〜犬返〜魔戸の滝〜種子川道〜西赤石〜東平


東平へ車を2台デポする

5月4日早朝5時半前にマーシーさんと山根運動公園で待ち合わせて東平の下山場所に車を2台デポしてそれぞれの自転車で集合場所
の山根運動公園へ引き返す。


出発点の標高は約56m、西赤石山の標高は1,626mで単純に登山口と目的地の標高差は1,570mある。山歩きの標高差は千
メートルを越すと胸を張って「今日は山へ登ってきました」と言える。従って本日の山歩きは胸を張れるミドルコースであろう。

最近、山歩きの傾向としてちょっと長い距離を歩くと「ロングを歩いた」なんて言ってるのをよく耳にする。笑止千万! 日帰りでは
12時間歩いてやっとセミロング、山で数日テントを担いで歩かなければ決してロングとは呼べないのと小森のオバチャマはそう思う
のよね


  
05時55分東平駐車場に車を2台デポ                   上り坂は電動アシスト自転車のもんやで

   
下り坂は重い電動アシスト自転車が不利になる             06時55分山根運動公園に到着(撮影者エントツ山2号)


別子銅山・山根精錬所の煙突が立つ「えんとつ山」

と言ってる内に07時山根運動公園東駐車場に続々と仲間が集合し簡単な挨拶の後準備運動もせずにライオンズの庭から歩いて07時
15分えんとつ山に着いた。西赤石から石ヶ山丈へ延びる尾根は犬返を経てこの庄司山の端にある通称「えんとつ山」で終了し国領川
に消えていく。つまりはこのえんとつ山がすなわち西赤石山の麓(ふもと)と言える。


明治21年にから28年の丸7年間しか稼働しなかった別子銅山「山根精錬所」では当時銅の精錬作業の他に硫酸の製造、製鉄の研究
などが行われ、工場の煙道から続く先の煙突は亜硫酸ガスの公害などで山根精錬所閉鎖後も取り壊される事なく130年間ここに立っ
ている。5年前に改修・補強工事が行われて最下部の穴が塞がれてしまったが、私が子供の頃は煙突の穴に入って上を眺めていたもの
だった。


煙突の立っているこの辺りは生子山(しょうじやま=庄司山)と呼ばれているが、台地の様な場所からは北の新居浜市内や南の犬返〜
石ヶ山丈〜西赤石が見える。


   
07時前に全員山根運動公園駐車場に集合               07時15分えんとつ山の煙突前で


煙突越しに見る犬返と西赤石、串ヶ峰                         大山祇神社の奥宮


私や伊予の鈍亀さん達は何度もここから犬返を往復しているが他の仲間は初めての訪問となる。えんとつ山から庄司山城址へ向かうと
途中に大山(積)祇神社の奥宮があり住友の街を見渡す事が出来る。
大山祇神社はご存じ大三島にあるんだけれど山の神様で別子銅山開坑以来その守り神として分社されてきた。当初は旧別子の延喜の端
(えんぎのはな)辺りにありその後蘭塔婆コース(現在も狛犬が残されている)、東平と人の集まる場所へと移転されながら最終的に
は鉱山社宅があった山根グランド西端に移転されてきた。

ここには相撲場などもあり子供の時に相撲大会を見に来た記憶がある。

この奥宮から急な傾斜を上って07時36分「生子山(庄司山)しょうじやま城址」から再び新居浜の街を眺める。

庄司山」と「天正の陣」 


生子(庄司)山城」は南北朝時代に河野氏の一族が細川氏の軍勢とここで戦った記録があると言う中世の山城だ。その後天正13
年(1585年)豊臣秀吉の四国討伐時は土佐の長宗我部氏と同盟関係にあった松木三河守安村が城主で、秀吉側の小早川隆景の軍勢
と戦う事になる。城主・松木三河守は金子山城主・金子氏らと地元連合軍約2千人を組織して西条付近で小早川軍約3万と勇猛果敢に
激戦を繰り広げるも多勢に無勢、松木氏をはじめ殆どの東予連合軍の武将が討ち死にする。
200名程の留守部隊が立てこもったと言
われる生子(庄司)山城もすぐに落城した。


  
 案内板にはここに生子山城の本丸があったと書かれている   同じ時に落城した金子山城のあった金子山が見える

三角点「板ノ本」(いたのもと) 300.47m

尾根に立つ住友共電・物部送電線182番鉄塔の横を抜けて三角点のある300.47m ピークが「庄司山」でこの山頂が平たくなっており
ここに規模の小さな本丸があったと思われる。土塁なども少し残されているそうだが城の面影は無い。下側に庄司山城址の標識がある
場所は恐らく物見台としての郭(くるわ)だろう。
今は平和な庄司山の山頂にある四等三角点「板ノ本」(いたのもと)を皆で踏む。
ここには城主大明神などの祠が3つ並んでいる。このピークを南側へ下りて縦走路と合流する。


  
四等三角点「板ノ本」(いたのもと)                    山頂中央部に3体の祠がある(城主大明神など)


犬返へ (生子山城址から約1時間)

岩の細尾根からは国領川の谷沿いに立川集落が見下ろす事が出来、川を挟んだ黒森山へ続く辻ヶ峰、奥にチチ山、正面奥に西赤石、
串ヶ峰を仰ぎ見る。
住友共電西条連絡東線22番鉄塔の左を回り込むとシダの急登となり、次に薄暗い植林帯となる。この急登を
上がるとデカい四国電力西条線20番鉄塔がありそこから2回ほど登り坂を進むと08時38分「犬返」(いぬがえし・いぬがえ
り)に着いた。


  
         植林の急登                         龍河(たつかわ)神社分岐

全員がペーコちゃんとは親しい間柄なので犬返で鐘を鳴らす。むらくもさんはビールとつまみを出して一旦ペーコちゃんに捧げた後、
お下がりを西赤石の山頂で頂こうとマーシーさんのザックに仕舞う。
その後犬返の剣へ進むが、普段からロクな場所しかを歩いていな
い今日の連中にとっては何てことがない難所だ。



                  犬返で記念撮影

  
  ペーコちゃんに捧げるビールとつまみを酒飲みが用意する        犬返の険を下りる
   
大岩のトラバース路                              犬返の岩壁を振り返る

   
犬返の壁を下りるむらくもさん                        伊予の鈍亀さんも軽やかに下る


犬返の岩壁前で記念撮影 左から伊予の鈍亀さん、前・エントツ山2号、後:佐々連さん、マーシーさん、アンジーパパさん、むらくもさん


三等三角点「種子川山」(538.9m) 国土地理院の三角点閲覧サービスには標高の記載はない


09時00分三頭三角点「種子川山」(たねがわやま)へ到着。今歩いている尾根は「立川山」とか「犬返(いぬがえり)尾根」とか
呼ばれている。一方種子川山と言われているのが種子川を挟んで東側の尾根である。従ってここを三角点名「種子川山」とするのは少
し違和感がある。出来たらここを三角点「立川山」とか三角点「犬返」にすれば良かったのになあ


   
 三等三角点「種子川山」 (でもここは種子川山とちゃうで〜)    崩壊地の補修斜面へ出る

さて、次に向かうのは「魔戸の滝」である。魔戸の滝へ上から攻める場合は前回堂山夕暮れ隊が歩いた沈砂池〜石ヶ山丈分岐〜魔戸の
滝というルートなのだが、今日は魔戸の滝上流の「種子川造林道」を遡って兜岩へ行くので下から攻める。


四電四国中央中幹線・鉄塔97番線を過ぎ崩壊地を抜けて09時15分牛車道分岐に出る。ここから広い林道(旧牛車道)を左へ進む
とやがて林道・石ヶ山丈線に合流して更に種子側林道伝いに魔戸の滝登山口へ出る事が出来る。


しかしこれではいかにも芸がない。ここはラフな尾根道を上側の林道(旧牛車道)コーナーに出て林道から魔戸の滝へ下る事にしてい
る。んがっ!ここで実にベタなミスを犯してしまった。この林道ヘヤピンカーブから上側の林道を進まなければならないのに逆に下へ
みんなを誘(いざな)ってしまったのだ。
ここは事前にリハーサル済みだった筈だが魔戸の滝だけに魔がさしたのかな?
途中でみんなの白い視線を感じながら慌ててヘヤピンコーナーまで引き返し、上側の道を進む。

上の道を20分程進むと林道の東側ヘヤピンコーナーに出る。以前ペーコちゃんとむらくも隊を沈砂池からここまで案内してやって来
ながら失敗を恐れてここを下りる勇気が無かったのだ。
あれからあの時の勇気の無さを反省してこの付近を歩き回り魔戸の滝の下側に
下りるルートと、魔戸の滝登山道の中間部へ平行移動するルートを開発(?)したのだった。


魔戸の滝ルート図

カシミールソフトを使用したGPSトラックログ図  @〜A と A〜Bのルートはバリエーションルートです

  
林道分岐から尾根道へ上がる                       道を間違え引き返す  すまんのう

  
上の地図A地点から魔戸の滝へ急降下する              最初は灌木帯を大岩まで下りる

  
灌木帯を下がると大岩の崖筋を下る (大した事はない)       最後は植林帯の急傾斜を下る


魔戸の滝 (窓の滝)(樽の滝)

09時50分林道から斜面を急降下し約10分で魔戸の滝付近の登山道へ下りつく。10時過ぎに魔戸の滝の滝つぼ(樽淵)へ出ると
初めてここに来たであろう佐々連さんが素晴らしい滝だと言ってくれた。普段香川に暮らしているとこんな滝は何度見ても満足させて
くれる。


魔戸の滝は近年名付けられた名前で、元々は「樽の滝」とか「窓の滝」と呼ばれていたらしい。

樽の滝」の由来は昔日照りが続いた時に村人が一斗樽を持ってこの滝へ水を求めた話から来ている。水を汲んだ滝壺を樽淵と呼ばれ
た。
又、日照りの時に田んぼの水が無くなり村の合議で百姓・彦兵衛の美しい娘・お百合さんを滝に住む龍王に捧げたとか言うヒドイ
い伝説があったりする。魔戸の滝登山口にある橋は「樽ワ淵橋」となっている。


窓の滝」の由来は滝へ行く途中の峠の上側が窓の様にくり抜かれており、そこからこの滝口の淵が見えた所から呼ばれる様になった
らしい。これが本当なら恐らくこの峠とは串ヶ峰の登山口になっている一つ東側尾根の峠で、ここからは3段(上瀑うえだる・中瀑な
かだる・下瀑しもだる)になったこの滝の全容を見ることが出来る。


尚、伊藤玉男さんの「赤石の四季」には「窓の滝の由来は両岸相い迫って遠方から眺めて窓の様に四角に向こうが透けて見えるから」
と書いてある。
「謂れ」とはこの様に伝える側の紆余曲折を経て色んな諸説になっていくものである。


   
  いつも変わらぬ水量を誇る魔戸の滝                犬返に続く第二目的地に到着〜

     魔戸の滝が三段に眺める場所から撮影の図 (串ヶ峰登山口への崩壊林道より撮影)

       
       魔戸の滝(窓の滝・下瀑を眺める
       下瀑の上側に見える小滝は中瀑の下方にある一部の滝で、この写真からは中瀑の中心部や
       上瀑は見えない。


      魔戸の滝 「樽淵」   撮影は他日の物

  

先が長いので滝見物は適当に切り上げて滝上部へ向かう。先日高松・堂山隊のレポで述べたがここも結構荒れていて少し整備をした場
所だが上りの方がより安全だ。急な傾斜なので這いあがりに少し弱いむらくもさんやアンジーパパさんの為に途中で休憩を入れる。


すると伊予の鈍亀さんから自家製のパンがみんなに配給される。時刻も10時30分なので午前中の丁度良いおやつの時間となった。
そこから15分程で大岩を超えて古い鉄製標識のある魔戸の滝上部分岐に到着する。


  
魔戸の滝登山道を這いあがる                       古いロープを新しいのに取り替えた

  
マダム鈍亀が亀吉のザックから何やら取り出している        分厚いお手製のパンケーキが皆に配られた サンキュ〜〜

  
 岩場の絶壁から種子川上流を眺めるむらくもさん         10時47分大岩を乗り越えて魔戸の滝上部分岐に着く


いよいよ西谷川(西種子川)造林道へ

この付近から@魔戸の滝上流部へ直接下る小道、A下の旧牛車道・林道へ下る林業作業道B上部鉄道・石ヶ山丈駅への牛車道(林道)
C種子川(西の谷川)上流部へと向かう西種子川造林道にルートが分かれ。

ちなみに種子川(たねがわ)に関しては二筋に分かれており、国土地理院の地図には東側の川を「種子川」、それに対して西側つまり
今回辿る川を「西谷川」と記されてこの二つの川が川口集落で合流して種子川(たねがわ)として国領川に流れ込んでいる。
私が小さい頃は東種子川・西種子川と言ったり東の谷・西の谷とも呼んでいた。

下の写真は魔戸の滝登山口に架かっている橋の写真だが、橋の欄干にはこの魔戸の滝がある西谷川を「西種子川」(にしたねがわ)と
記されている。



  
魔戸の滝登山口の橋には 橋名:「樽ワ淵橋」 河川名「西種子川」と表札がかけられている

今日のメインテーマの一つはこの西種子川造林道を詰めて兜岩〜西赤石へ至る事にある。距離は長いが比較的沢に沿ったなだらかな
道なので思ったよりも楽なルートなのだ。
このルートでのチェックポイントは3か所あり順に@造林道途中に通る「倒壊造林小屋跡」 
A「岩屋」と呼ばれる巨岩を抜ける場所 B最後に造林道を終えて兜岩に這いあがる目印となる「造林小屋跡」である。


魔戸の滝上部分岐から急な尾根を這いあがると11時00分先日標識を置いた「種子川道分岐」に着く。ここからは水平道の様に石
ヶ山丈の東斜面を谷に沿って上流部へと向かう。
直ぐに左手が崖で古い丸木を渡した場所があるが、ここにロープを渡してちょっと
整備をしている。基本的にはこのルートを通して石ヶ山丈の植林帯ではあるが自然林も出てくる。


  
魔戸の滝分岐近くからそのまま尾根筋に向かう(標識を付けている)  急な尾根道を10分ほど這いあがる (踏み跡あり)


11時00分 いよいよ種子川造林道へ入る  ここに標識を付けている  一見水平道に見える

  
むらくも得意のへたり込み休憩                      ロープを付けたプチ危険個所

  
ヒカゲツツジの藪道も少しだけある                    コケ生した沢沿いの道

第一倒壊小屋

ヒカゲツツジが伸び盛って藪化しているが足元はしっかり踏まれている。11時24分コケ生した沢部に入ると直ぐに倒壊小屋を通
過する。ここは地形が平らで近くに綺麗な沢が流れており造林小屋としては理想的な場所だ。屋根が完全に落ちて梁木だけが残って
いる。
マーシーさんが釣り竿を見つける。この道は釣り師の通う道でもある様だ。

  
種子川造林道分岐から約25分で第一倒壊小屋を通過       この横に流れる沢付近でマーシーさんが釣り竿を見つける

いくつかの支沢や支尾根の張り出しがクネクネと続く。尾根歩きは一番高い場所を歩くのである意味合理的だが、この様に尾根の中
腹や下部を縫っての歩きは効率が悪いが水には苦労しないのが利点だ。


今日のメンバーでは佐々連さんが一番体力があり、先頭の私にぴったりと付いて来る。マーシーさんは近頃岩に凝ってスタミナ不足
なのだが変な場所や岩場に来ると自然に先頭に立っている。今日は最後尾付近でアンジーパパさんやむらくもさんと話をしながらの
んびり歩いている様だ。
ブランクのあるエントツ山2号も足を攣らす事もなく歩いているし、伊予の鈍亀さん達も相変わらず健脚だ。

  
エントツ山2号も足を攣らす事無く沢筋を渡る     韋駄天・佐々連さんは黙々と歩く

西谷川の「岩屋」

ヒカゲツツジの藪を抜けて植林帯や自然林の道を進むと11時50分本流を離れて支沢へと這いあがる。するとすぐに「岩屋」に到
達し休憩する。私は一人で歩く時は殆ど休憩は取らないのだが、むらくも隊は休憩を随時執り行い地面にへたり込む。歳を取るとや
はり休憩が大事なのだ。女性が一緒だと休憩の度に不要なおやつが配給されるが今日はミセス鈍亀が紅一点なので助かる。


この岩屋は江戸時代に仲持道として立川銅山と別子銅山が一時的に併用されたらしい。邦光史郎の小説「住友王国」では、その時代
に立川銅山の仲持衆がこの石段に油を撒いて別子銅山の仲持衆を滑らせて銅や金品を奪った様な記述があるが、そんなに厳しい場所
でもなく全くのでっち上げストーリーだ。


 
   
自然林と植林が混在する比較的歩きやすい道だ             11時50分支沢に沿って上がる

   
11時52分 岩屋に到着する                       上から見ると石段が組まれているのがわかる

    
岩屋の上側でしばし休憩                          岩屋の峠部を超えると沢の本流が左手に近づく

岩屋の峠を越えると種子川道は沢の本流に近づき自然林が多くなると明るくなる。12時25分周りが笹薮となるが踏み跡はしっか
りしている。12時40分道が沢に近づきシャクナゲの岩場になると以前見つけていた串ヶ峰への沢渡りルートをみんなに紹介する。
沢の向かいに古い石段が残されておりこれを使って最近串ヶ峰尾根へ行った場所だ。


当初、造林小屋跡で昼食タイムにしようと思っていたが皆に相談するとこの沢沿いで昼食する事になった。気持ちの良い程透明な沢
水を眺めながら談笑して休憩する。
ここでも伊予の鈍亀さんから手作りの卵焼きの配給を受ける。今回女性は一人だけになり配給役
を担わされて恐縮する。

すると一人の登山者が種子川道を通過している様で「こんにちは〜」と声がかかる。沢からはシャクナゲなどに隠されて登山道は良
く見えないがこんな場所に一人で来る酔狂な人もいるもんだ。


   
12時25分 笹が現れる                           12時40分 沢を渡り串ヶ峰分岐で昼食休憩とする

   
  沢の向こうに古い石段が残っている串ヶ峰分岐           卵焼きをど〜〜ぞ  


串ヶ峰分岐 (昼食をした場所)

  
西種子川を渡って串ヶ峰へ進む沢(古い桟道跡が見られる)    沢の対岸には古い石段が残っている


2016年4月2日 種子川道から串ヶ峰へ辿ったカシミールソフトを使ったGPSログ図 


20分程の昼食休憩の後に造林小屋跡へ向けて沢の左岸に渡り直して出発する。西谷川道はスズタケが多くなるが、谷が開けてそこ
にはアケボノツツジが咲き誇っている。以前マーシーさんとここを下った時に「まるで桃源郷やなあ」とその美しさに魅了された場
所だ。


種子川造林道の最後は石段があり、そこから沢へと入って行く。この辺りは水量も減って浅瀬なので沢伝いに上流部へ進む事が出来
る。すると先ほどの男性が沢の中州で昼食を食べていたのに出会う。
挨拶をして近づくと何と別子銅山研究の第一人者である「曽我
さん」だった。

以前マーシーさんと上部鉄管道を辿った時にも会った事がある。私が端出場発電所の導水路を歩いた時にもそのすぐ後に春秋さんと
歩かれていた。伊予の鈍亀さん達とも知り合いで別子銅山の古道歩きの際はブログのお世話になっている。再会を喜び記念撮影をし
てお別れする。


   
  串ヶ峰分岐を出発しスズタケが現れると辺りが明るくなりアケボノツツジが沢山咲いている


     この時期の山歩きを楽しくさせてくれるアケボノツツジ

   
    次第に造林道が沢に近づいて来る            13時15分 種子川造林道が沢に消える最後の石段を下りる


          ここは桃源郷と呼ぶに相応しい場所だ


  桃源郷で曽我さんに再会〜〜   犬返の呼び名論争ではお世話になった曽我さんである

曽我さんから頂いた明治末期の参考地図  「犬返」は「大返」と記されている。
ちゅうことは「犬返」は「いぬがえし」でも「いぬがえり」でもどっちゃでもええって事やね

  

兜岩への這いあがりポイント 西谷川(西種子川) 「造林小屋跡」

13時25分頃造林小屋跡に着く。小屋は跡形も無く機関車の模型の様な薪ストーブやかまどが残されている。南端には十数年前に
来たときには風呂小屋が建っていたが今はそれも倒れて五右衛門風呂が野ざらし状態で残っている。


この先の沢は3つに分かれており、左手の沢を詰めれば上兜山へ這いあがれる。真ん中の沢を詰めれば雲ヶ原の東側に這いあがれる。
右の沢は兜岩と西赤石の中間部へ続くが、兜岩へ行くには笹薮の尾根添いに這いあがる方がより合理的である。


どこからでも笹薮斜面を這いあがれるのだが、最近は左端の尾根沿いに沿って多少の踏み跡も見られる。アケボノツツジが頭上に広
がる名物の笹薮を灌木を掴みながら各自思い思いに這いあがる。20分程で植林地帯となって藪が薄い尾根の南側を歩く事になる。
14時05分急登が一段落し石ヶ山丈分岐付近に来ると、むらくも流「へたり込み休憩」となる。


  
何じゃ これ?  薪ストーブらしい               以前は風呂小屋があったが今は露天五右衛門風呂になっちゃった


造林小屋から植林帯までのモーレツ笹薮這いあがり 約30分

  
13時27分 造林小屋跡の少し上流部から笹薮尾根に取りつく    灌木を掴んで体を押し上げる


           頭上は天国、足元は地獄

  
  しっかりせい !                              どこ歩くん?  どこでも歩け〜〜

  
13時50分 やっと植林帯に出てほっとする               又 へたりこんでるよ むらくものオヤジ (石ヶ山丈分岐)


西赤石山 (二等三角点「銅山」) 標高 1,625.75m

兜岩の基部から直接西赤石へ向かい、本日の最高点、標高1,625.68mの西赤石山へ14時30分辿りつく。三角点山頂は広
いが北側への眺めが灌木で遮断されている。私が銅板標識を立てた西側テラスからは兜岩から石ヶ山丈尾根から庄司山、新居浜の街
が眺められるし、西側には石鎚までの山並みも見渡す事が出来て絶好のビューポイントなのだ。


山根運動公園から約7時間半、魔戸の滝からは4時間半で西赤石へ登った事になる。今朝出発した場所付近を眺めながらの達成感は
何とも言えない。後は東平へ向かって下るだけだ。当初の予定では女性も数人加わる予定だった為に一般道・兜岩コースで下山する
事にしていた。色んな事情で女性が減ったので当然ここは石ヶ山丈尾根から一本松へのダイレクトルートで下山する事にする。

  
  兜岩分岐へ向かう                 振り返ると上兜山と串ヶ峰


14時30分 西赤石山の西テラスに移動した山頂標識に到着 (山根運動公園から約7時間半)


    山頂西テラスから新居浜の街を眺める

   
  下山口の東平 (白く見える場所)            伊予のスーパータートルズ 


14時53分兜岩に下りて西赤石の北面を眺める。アケボノにはまだ少し早いがそこそこの色付きが嬉しい。むらくもさんからここ
でサクランボをみんなに提供される。おやつは女性からが定番なのだがまあいいか。



   西赤石の北面も下の方では色づいている  (2016年5月4日)


       さて  マーシー・エントツ山コンビも老齢化していつまで続くやら・・・・・

   
  むらくもの兄貴からサクランボの配給」があった           亀吉つぁ〜〜ん  そろそろ出発しますぜ〜〜


15時に石ヶ山丈尾根へと向かう為、兜岩の基部から先ほど歩いて来た種子川方面へ少し下がる。つむじ風さんが取り付けた鉄製の
分岐標識から左の兜岩をトラバースする荒れたルートへと進む。少し入り口から下がるのでわかりにくく少し目印を付けている。
10分程で笹刈りされた石ヶ山丈尾根へ復帰し、快適な尾根道を下って1つのピークを越える。このピークから尾根が少し西側に振
るが笹刈りのお陰で今は間違い尾根へ直進する心配が無くなった。15時27分大岩展望所のある一本松ダイレクトコース分岐に着
く。大岩から兜岩と西赤石を振り返る。男性的な赤石橄欖岩の絶壁とその向こうに柔らかい曲線を持った西赤石が眺められる絶好の
展望所だ。


  
  兜岩トラバースルート(荒れて少し注意が必要)          ヒカゲツツジが咲いている

  
15時12分 兜岩をやり過ごして石ヶ山丈尾根へ復帰する      石ヶ山丈尾根はまだ笹刈りの効果が残っている


  15時27分 大岩展望所で集合写真   後ろは兜岩と西赤石山


石ヶ山丈〜一本松 ダイレクトコース  (石ヶ山丈尾根から上部鉄道・一本松停車場跡まで 1時間弱)
  

カシミールソフトを使ったGPSトラックログ図   一本松〜石ヶ山丈 ダイレクトルート

石ヶ山丈尾根から大岩の手前を一本松停車場跡へ下る尾根ルートが始まるのだが、入り口がわかり難いのでここにも標識を置いてい
る。兜岩から上部鉄道への下りも結構長いが、この大岩分岐から一本松への下りもワイルドで長い。このルートのチェックポイント
は大岩と鉄塔跡の2か所となる。


少し刈り込んだスズタケの細尾根の九傾斜を下ると15時50分大岩が現れ、この左を巻いて下る。時間があれば天然ヒノキを伝っ
てこの大岩へ上がれば吊り尾根方面への展望が良くて気持ちがいい。アケボノツツジのシーズンにはピンクが色を染める。
尚も道は
細尾根を下ったり左へ少しトラバースしたりして続き16時04分鉄塔跡を通過する。この鉄塔残骸は兜岩コースの途中にも有り、
かつてここに住友共電の鉄塔と電線が牛車道に沿って敷設されていたのだろう。


  
左手の一本松への分岐標識                        直進方向(大岩へ進む)に取り付けている標識

  
一応ルートがわかる範囲で笹刈りをしている              15時50分 大岩の左を巻いて下がる

  
リョウブやアセビなどの灌木が多い                    16時04踏ん 鉄塔跡を通過 


鉄塔跡のすぐ下に以前から気になる分岐が尾根の左側に続いていたので皆を尾根道へ行って貰いマーシーさんと二人でこの道を下っ
てみる事にした。かつての鉄塔帆線路と思われる道は残念ながら途中から南側へ振って定かでは無くなったので牛車道を辿って皆の
待つ一本松停車場跡に引き返し16時27分合流する。


  
16時06分尾根から分かれた道に出会う ここで皆と別れて左へ進む    最初は綺麗な道(恐らく旧鉄塔保線路だろう)

  
左へ振り過ぎたので元の尾根方面へ進むと石垣があった      これが上部鉄道の上側にある幻の牛車道だ

  
牛車道を辿って尾根に復帰し一本松停車場へと急ぐ         16時27分 一本松停車場跡に・・・お待たせ〜〜〜

後は一般道を東平へ下って第三広場から16時56分東平駐車場へ着く。するとそこにはピオーネさんがサプライズ登場して冷たい
飲み物の接待を受ける。
どうも皆さんの足を引っ張ったら迷惑がかかると思い一人だけで東平から西赤石へ来られた様だった。道理
でむらくもさんが時々誰かと電話をしていたのがこの事だったのか〜〜


  
  第三広場へ16時45分 無事到着する               アンジーパパさんのスマホアプリでは34,716歩を表示していた


   16時56分 東平駐車場へとうちゃこ〜〜  


 ピオーネさん わざわざのお出迎えと冷たい飲み物の差し入れありがとうございました〜〜 無事むらくもの旦那をお返し致します〜

この後、出発点の山根運動公園へ帰って解散する。何かペーコちゃんから残された宿題を済ませた様な安堵感を持って新居浜の実家
にエントツ山2号と帰還する。
今回参加の皆さん ありがとうございました。おかげで楽しく歩く事が出来ました。


参考GPSログ図
エントツ山が平成28年3月26日 西谷川造林道チェックに歩いた時のGPSログ図  (青線)

    
    カシミールソフトを利用したGPSトラックログ図 (山根運動公園〜西谷川道〜西赤石〜石ヶ山丈〜山根運動公園)


 * むらくもさんの山根公園〜種子川造林道〜西赤石〜東平のレポは    ここ    



   
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