平成27年6月13日 小説風 イノシシ達の挽歌
東種子川林道終点〜串ヶ峰北尾根〜串ヶ峰〜上兜山〜下兜山〜鉄塔保線路〜東種子川林道
凡そ山歩きとはちゃんとした登山道を歩いて景色や花を楽しむってのが王道とされている。この山歩きの基本を逸脱した
ものは邪道と呼ばれる。ある種のへそ曲がりな輩は邪道と知りながらもこの禁断の藪園へ踏み込む。
この王道からすると「串ヶ峰」と言う大女の肩など登る価値は無いに等しい。
今回は崩れかけの林道で車を崖に落としそうになりながらもなお違うルートで串ヶ峰に執着する大人になれなかった老人
とそれに付き合う物好きな仲間のお話である。
東種子川から串ヶ峰〜上兜山〜下兜山周回
この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)を使用したものである
カシミールソフトを使ったGPSトラックログ図
新居浜インター北側、国道筋から見た串ヶ峰〜上兜山〜下兜山の揃い踏み
06時30分新居浜の山根公園時計台駐車場に4台の車が集合した。
最初に到着したのは先日、東種子山の林道を詰め過ぎてバックで愛車ラッシュを大方谷に落としかけた「エントツ山」だ。
新居浜の上部地区で生まれ育ち、煙突山の奥に聳える兜の様な勇壮な山、串ヶ峰に異常な執着を持つ男である。
人の出会い自体不思議な縁なのだが、山友となるともっと稀有な出会いによって成立する。
2番手で駐車場にやってきた「マーシー」はエントツ山がかつて大永山トンネル口から笹ヶ峰を経由して沓掛・黒森、傾山を
経て西条へ周回した時に偶然笹ヶ峰の山頂で出会った。
「いいえ 伊予三島の人間です」って答えが帰って来たという縁。それ以来ハチャメチャな藪歩きを共にしてきた仲である。
その次にマツダのクリーンディーゼル車から「ペーコ」が下りてきた。ペーコは残念ながら女性では無く飼い犬のぺー○○と
コー△△の頭文字をとってハンドルネームとしてしまったのだ。エントツ山と同郷新居浜の人間で、エントツ山のHP仲間
reiko さんと赤星山界隈で会って掲示板に投稿して芋づる式に親しくなった関係だ。
かつて寒風山登山口でエントツ山の車がバッテリーが上がった時と、先日の種子川林道で車を落としたときにレスキューに登場
するもどちらも成功せず徒労に終わっている。
最後に山歩きに似つかわしくない白いワゴン車で登場の「むらくも」は四国のマイナーな山域をチマチマ制覇している他の3人
と同じ匂いのする野生派である。マニアックな山域を検索するとよくこの男のブログがヒットし他の三人にとって気になる存在
であった。エントツ山が盟友「はるちゃん」の卒寿記念里山歩きを企画した際に妻の天然ピオーネと共に参加してバーチャルな
世界から現実の人間としてエントツ山の前に登場した。
それぞれに挨拶を済ませるがマーシーとむらくもは初対面ではある。マーシーはエントツ山の登山記で本人の意思とは関係なく
肖像権を放棄させられた為面が割れており既に旧知の間柄の様である。案内役は最近この界隈を徘徊して土地勘のあるペーコが
担当する様だ。
マーシー エントツ山 ペーコ むらくも
串ヶ峰: 東種子川〜北尾根ルート
旧道を狭い「川口十字路」から種子川へと入る。高速道路の橋げた辺りでこの国領川の支流「種子(たね)川」は西と東に分
かれる。
今回は左手の「東種子川」林道へ先日車を崖に落としかけた縁起の悪いエントツ山のラッシュと運転で問答無用とガタガタ揺れ
ながら突き進む。途中で民家か別荘の様な建物が道ぶちにあるが誰も住む様子もなく荒れている。
林道は最終部で種子川山の尾根へ出る道と、四電の鉄塔保線路まで左へ切れ上がる道に分かれる。ここは左の四電鉄塔保線路方
向へ進み、すぐに少し広めの場所に車を停めた。これ以上進むと林道が崩れており車をバックせざるを得ない状況になるのであ
る。
この4人は揃いも揃って登山の基本である登山口での準備体操も整理体操(クールダウン)も一切無縁のスタイルをしつこく続
けている。岩崎元郎(もとお)に言わせるとこの4人共「登山不適格者」のレッテルを張られる事は間違いない。
テニスやラグビー、陸上競技みたいにいきなり激しく筋肉を使う場合はストレッチが非常に重要だが、ダラダラと歩く山歩きな
ぞ最初のダラダラ歩きが即ち準備運動だ〜〜ってのが彼らの勝手な共通概念であるらしい。要は面倒くさいだけなのだ。
06時47分潮が満ちる様に準備運動とか言った儀式もなく何となく出発する。
山の車ラッシュ受難の地を「何てヘマな事を・・・」と思いながら4人は横目で見て通り過ぎる。
06時50分 東種子川林道最終地点から歩く 直ぐにラッシュ受難の地を過ぎる
数日前の悪夢の出来事を思い出す 林道を上流へと進む
東種子川の上流に向かって延びる道は最初が林道、直ぐに荒れた林道、更に歩くと沢筋の草深い作業道となる。先頭に立つエン
トツ山は蛇払いと称して一人だけ暑いのにスパッツを着けている。何せこの男、威勢のいい割にはヘビやトカゲにからっきし弱
い男なのだ。
やがて左手に地図表示・標高422m付近の二俣が現れて、左右に裂かれた中央部から急斜面が鋭く立ち上がり岩も見えている。
07時25分二俣をやり過ごしてすぐに渡渉ポイントのテープがある。この二俣から右手に延びる沢は水量が少ないので雨後で
も渡渉は問題が無い。
が起こりそうにないのであっさりと通過する。
少しの間沢沿いを歩く場所がある (テープあり) 沢沿いの植林地帯を進む
すぐ横の沢沿いから二俣分岐を見る 正面の壁に向かって上る 07時25分 渡渉部に差し掛かる (テープあり)
西側の沢は水量が少なめで渡渉は問題ない マーシー ハプニングは起こりそうにないよ
二つの谷の合流部によって挟まれた山塊の正面は厳しい岩崖となっているので作業道は左側をトラバースして付けられている。
トラバースと言っても結局は上部の尾根へ向かうので相当な角度の上りである。
いる。この時期、虫やマダニが心配で長袖を着るのが山の常識なのだが、ペーコにとってはこのリスクより汗対策が大事なのだ。
どんな急傾斜にも驚く程の労力によって杉が植林されている。20分ほど急坂を喘ぐと上部の細尾根へ出た。
四人共既に60歳を超えているが、むらくもはこの中では最長老にあたり当然心肺機能が他の3人より多少老化しているのでち
ょっと苦しそうだ。ペーコは以前上りに弱くてマーシー・エントツ山の後塵を拝していたが、最近はチャリンコ修行にあけくれ
て減量に成功しタフガイに変貌した。マーシーは最近岩トレにのめり込み山歩きのパワーが落ちたと嘆くが、この男の言葉は信
用出来ない。
いきなりの急登 向かいの三角点「赤松」への尾根も急じゃとて
尾根筋が見える あ〜〜しんど ( 07時45分)
そこからも尾根は岩と樹木で歩けないので作業道は少しだけ左側へ避けて続く。このトラバース道は岩が多いせいで植林が少な
く
08時00分2度目の稜線部に這い上がると境界割出しのテープが崖の様な急斜面に付けられている。この境界割出道は沢まで
続いている様で、下側からは滝の水音が聞こえる。
エントツ山は既に現地調達のダブルストックを手にしている。山での忘れ物が多いこの男、藪尾根を歩く時は既成のストックは
車に置いて必ず落ちている枝を吟味しながら歩くのを習慣にしている。最初の植林地帯では気に入る物は少なく湾曲して手元が
太くて先が細い不格好な杉の間伐枝で我慢している様だ。
を持っていない。ペーコはいつも愛用の太めのストックを一本持っている。
この2つ目の稜線から再び尾根の左側に続く小さな雑木の緑に覆われた植林帯をトラバース道は延びている。
な道を進むと今度は尾根部を少し右側へ回り込む。するとそこに明確な作業道が左右に分岐している。ここから右手へ下る道は
先日エントツ山が歩いて沢まで確認済みだ。マーシーも数年前にここを下りて串ヶ峰登山口の林道へ這い上がった事があると言
う。
第一尾根からは岩っぽいトラバース道だ 最後は植林の急登を喘ぐと08時00運第二尾根部に着く
第二尾根部の向こう側は切れ落ちてるが境界割出もある 第二尾根部から左手のゆるやかなトラバース路を進む
第二尾根部から5分程で尾根を回りこむ すぐに作業道が分岐しているがこれを左へ上がる
二俣作業道分岐は迷わず左手の尾根方面へと向かう。しかしながらこの尾根は南東方面へ延びて串ヶ峰北尾根に合流するのであ
るが、作業道は尾根を無視して北側を真東に進む。従ってもしこの作業道が不明であれば実にやっかいな事になるだろう。
がたい事にここからの作業道は石垣などが組まれたりして予想外にしっかりしている。
藪歩きをする人間の心理は支離滅裂な面があり、そんな場所にわざわざ踏み込んでおいてそこに道が現れるとホッとしたりする。
そんな事なら最初からホッとする道を歩けよ!って言われそうだが「それではつまらいんだ」と言い張る。
08時20分沢部をやり過ごすが、この場所だけ植林は無い。
しばらく歩くと植林された平らな地形になりどちらにでも進めそうだ。こんな場所が道を迷い易いので四人共辺りを注意深く見
渡している。ここはペーコの指示で真っ直ぐ植林が開けた中央のスペースをなだらかに上がって行く。
じ間隔で植えられていたらどちらへ進むか悩む所だ。
尾根をトラバースする作業道は石垣なども見られる 基本的には植林地帯の中を歩く
一か所 小規模な沢部を通過する場所がある う〜〜ん どっちにも進めそうだが正面が正解
ゆるやかなジグザグ道が尾根部へと上がっていく 08時40分 北尾根の末端部へ来た様だ
串ヶ峰 東種子川〜北尾根ルート
カシミールソフトを使用したGPSトラックログ図
08時40分北尾根の末端部に到着した様子で4人は辺りの地形を確認している。
作業道を偵察し、残りの三人は尾根筋へと入る。すぐに斥候マーシーが左手から尾根に合流して来た。
今まで東種子川二俣で左手に分かれて東に遡る本流と並行に歩いて来たのだが、この本流もこの場所で北に切れ上がり上兜山へ
と続くのである。
串ヶ峰北尾根に入って作業道は大きく窪んで続いている。マイナーな串ヶ峰ルートの中でも尚マイナーなこの北尾根ルートが意
外にも明確な古道然とした様子にエントツ山とむらくもはホッとする。先に述べた藪歩き人間の支離滅裂な心理丸出しである。
先達のペーコはしきりに「ね?ちゃんとした道でしょ?」とどことなく得意がって念を押す。この男の記憶はアテにならないの
だが、今回は本物の様である。
この尾根歩きはおびただしい植林の中をひたすら上を目指して歩くという実に退屈なものとなる。山歩きであまり歓迎されない
スタイルは登山口、或いは下山口までの長い林道歩きとこの単調な植林の中をひたすら歩く事であろう。
しで退屈を凌げるが、単独の場合は黙々と、時々大声を上げたり独り言を呟く怪しい人物となる。
でいる場所がバラバラの集団の場合、話題は脱線しながらもバカ話が続いている様だ。
09時25分北尾根で唯一と思われる尾根の重なる場所に到着した。作業道は正面のザレた急傾斜を避けて右に巻く。真っ直ぐ
進めば結構簡単なルートなのだが作業道がややこしい迂回をする。
道がある所はそれを歩いてGPSの軌跡を確認したいエントツ山は右手に迂回し、むらくももペーコもそれに追従する。
尾根を回り込んでも一向に迂回ルートが標高を上げない。地図上の破線は上部で尾根道と合流する筈なのだが結局痺れを切らし
て尾根へと3人共這い上がる。こういうのを臨機応変と呼ぶか我慢が出来ない性格かニュアンスは180度変わる。
この尾根が交差するピークへ上がって明確な北尾根に乗りマーシーと合流する。
北尾根に入ると意外にも掘れこんだ道が続く 傾斜は急で岩も沢山転がっている
09時25分ザレた急斜面が現れる 作業道は右へトラバースしている
相変わらず岩屑が多い急傾斜の植林地帯が続く。山歩きに於いて休憩は1時間歩いて10分休むとか良く言われている。
ツ山はそんなセオリーを無視してめったに休憩を取らない。と言うか休憩を取ると動き出すのが面倒になるのと、早く先に進み
たいというせっかちな性格らしい。
むらくもはおっとりした性格なので休憩をゆったりと腰を下ろして取るスタイルらしくて、この二人が一緒に歩くと一方は「休
ませろ〜」と嘆き他方は「さあ出発だよん」とせかす事が多くなる様だ。そんな光景を他の二人は笑いながら見物する。
兄貴 そろそろ出発ですぜ あれ? 又休むのね
現地調達ストックを持つ男たち
10時を過ぎた頃から植林の中に雑木の緑が俄然増えて来て、細尾根にはリョウブやアセビ、シャクナゲなどが現れる。
やがて尾根に大岩が立ち並ぶ風景になると大ぶりな一本のブナが立っている。西赤石から東赤石にかけては地質の影響か県境尾
根に比べてブナが極端に少ない。天然杉や天然ヒノキ、モミ、ツガ、赤松など山を歩いていると見上げるような大木に遭遇する。
しかしブナの大木程山の風景に馴染みその腕を広げた柔らかさに登山者が魅了されものは無い。
ブナと別れて暫く細尾根を進むと尾根が岩と灌木で覆われて少し左手をトラバースしながら上昇する。マーシーはこんな場所が
大好きと見えて取り付ける岩に這い上がり遊んでいる。
尾根の風景で美しく思えるのは笹尾根にブナなどの樹木の立った場所もあるが、こんな岩の細尾根に幹が曲がった樹木が立ち並ぶ
景色も自然の厳しさを感じて魅力的だ。
尾根にリョウブやシャクナゲが現れる ドデカい岩も多い
10時10分 殺風景な植林尾根にブナが現れ喜ぶ
イノシシもおだてりゃ岩登る 岩尾根を左にトラバースしてルートが続く
相変わらずマーシーは岩尾根で遊んでいる
10時28分足元に笹が見え出しそれが4人の酔狂人に串ヶ峰の山頂が近づいた予感を与える。この辺りからも岩と灌木の景色が
続き、最後は各自適当に斜面を這い上がると10時57分西尾根からの草刈り登山道に合流した。確かに急登ではあったが比較的
ルートが明確だった。
ここからはあっさり5分で殺風景な串ヶ峰に到着する。
10時30分 足元に笹が現れる 植林にウンザリしていたので喜ばしい風景だ
10時57分 北尾根の笹刈り道に合流 あとは少し快適な笹刈り道を進むだけ
11時02分 串ヶ峰に2番手ペーコが到着 それにしても狭い山頂だこと
大女の肩 「串ヶ峰」 (標高約1,530m)
エントツ山の母校 新居浜市立角野中学校から南側の風景 この山を見ながら育ったのだ
「串ヶ峰」の名前は伊藤玉男さんの「赤石の四季」 巻末赤石山系ガイドマップで知る
串ヶ峰は新居浜の上部地区から見るとまるで独立峰に見えるが、実はここまで這い上がってみると赤石山系の物住ノ頭から延びる
枝尾根の肩部である事が分かる。50歳なって山歩きを始めたエントツ山がこの故郷新居浜から聳える「三角形の山」へわいわい
さんのHPを参考にやって来る訳である。山名は伊藤玉男さんの著書で「串ヶ峰」という事を知り
毎年数回この標識メンテナンスに登る様になった。
それ以来、事ある毎に「串ヶ峰」の名を自分のHPで宣伝しある程度新居浜の山歩きをする人を中心に認知度が高まってきた様で
ある。しかし依然マイナーな場所である事に変わりは無い。
串ヶ峰は四人が登って来た「北尾根」と今まで知られた「西尾根」がほぼ左右対称にピークの肩から新居浜へ落ちているので秀麗
な独立峰の様相を呈するのだ。東側の展望は藪が深いのでほぼ無いが西側は中々のものである。
西赤石、兜岩、石ヶ山丈の向こうに、チチ山・笹ヶ峰と沓掛・黒森の吊り尾根があり、その間に西黒森・瓶ヶ森が覗いている。串
ヶ峰からもこの景色が見える事は即ちこの藪山もれっきとした赤石山系の山である証拠である。山頂標識は年に2度ほどエントツ
山によってペンキが塗られているが、そろそろ代え時が近い。
ようこそ 串ヶ峰へ マーシー ぺーコ むらくも
「さあ〜出発〜」20分も休んだのでエントツ山の号令で小休止の腰を上げる。植物の生命力には驚かされるが、この時期踏み
跡のスペースが延びた雑木の枝でほぼ藪に帰っている。
串ヶ峰山頂から藪の踏み跡を少し入るとオオヤマレンゲの木が2本ある。数年前にこれを見つけた時は沢山の蔦が絡まり樹勢が
衰えて藪の中で厳しい状況だった。絡まり付いた周りの蔦を払ってやると翌年には少し元気になっていた。例年6月末に咲くの
だが今年はどこも花期が早いので串ヶ峰の主、エントツ山は期待しながら近づくが蕾と咲き終わったのが2輪でがっかりする。
今年はやはりどこもそうだが花の数が少ない様だ。
藪尾根にも所々に岩尾根があり、そこからの展望が期待出来る。串ヶ峰の場合も上兜の尖がり頭と物住ノ頭の間に前赤石の前衛
峰と本峰の鋭角な姿が見える。
串ヶ峰から10分程で下兜への分岐に着く。以前は標識など無くシャクナゲの辺りから適当に左へ曲がったものだが2年前に船
木の親子と上兜山で会った時に息子さんの方が分岐に私設標識を取り付けていた。しかしブリキ板にマジックで書いた標識は2
年も経つと文字は確実に消えていた。今は立派な鉄製の分岐標識が置かれている。
今回初めて上兜山と下兜山を繋いで歩くむらくもの為に一旦上兜山まで笹藪をかき分けて進み、最後の急登を這い上がる。HP
で登山記を作成する者にとってはキッチリしたログを取るのが大事なのだ。地図を見ないで山歩きをする人には理解できないだ
ろうが、地図を頼りに山を歩く者は地図上の自分や他人が歩いた奇跡を重要視し、そこから反省や参考にするものだ。
11年目を迎えた串ヶ峰山頂標識 串ヶ峰のオオヤマレンゲ
一輪のオオヤマレンゲを追う 蕾は少しある
この時期になると少し藪化している 岩場に出ると南側が開ける
上兜山と物住ノ頭の間には前赤石のダブルピークが顔を出す
下兜山への分岐標識 11時40分 上兜山に到着 ここにも分岐標識が
上兜山 (標高1,561m)
上兜山は物住ノ頭から串ヶ峰へ延びる枝尾根の途中にあるピークで、新居浜の東にある船木地区からピョコンと飛び出た姿を見る
事が出来る。山名が付けられる程のサイズとは思えないのだが古くから麓にある船木村では特徴的な尾根にある突起「下兜山」
(ここが元祖「冑山」)が雨乞いの山として「冑権現」を祀って親しまれてきたが、その尾根の更に最上部にある同じく尖がった
ピークを「上兜山」と呼んだのだろう。
エントツ山が十数年前に山歩きを始めた頃、松山のわいわいさんが串ヶ峰経由で上兜山を目指してこの山頂に到着した。ここには
既に錆びついて全く字も読めなくなった丸い鉄製の標識らしき物があり、その下に目印のしゃもじをぶら下げた。
エントツ山はここに最初の銅板標識を置いてからメンテナンスの為に何度も訪れる事を運命付けられている。昨年このわいわいし
ゃもじが無くなっている事に気づいたが、先日他のメンバーとここを訪れた時にペーコがこのしゃもじのかけらを偶然発見して何
とかぶら下げていた。
むらくもは2年前にかけさこの尾を伝って下兜山に登って以来、上兜と下兜を繋ぎたいと言う小さな野望を密かに持っていた。先
日もアンジーパパ、佐々連、ペーコ、エントツ山と西赤石への途中でここに寄った時に、東外れの断崖絶壁の上から見える下兜山
を眺めて益々この思いを強くしていた。
このA地点とB地点の未踏ルート間を繋ぎたいという心理は4人に共通しており、この間にたまたま藪などの障害があるケースが
多いので「藪好き」のレッテルを貼られたりしているのだ。
むらくもは狭い山頂部横の窪みにどっかりと腰を下ろして「上りに休憩も満足に取らずにバカ歩きするこの3人にはヘキヘキだが
これからは下り一辺倒だからまあいいっか」と思いながら行動食と紙パックジュースを流し込む。
新居浜の東方面から見た上兜山と下兜山
東側の鏡平付近から見た上兜山
単なる尾根のピーク「上兜山」
上兜山でくつろぐ4人 ペーコちゃんが掛け直してくれたわいわいしゃもじ
又エントツ山の「さあ〜出発〜」というせからしい号令と「今からはむらくもさんが先頭でっせ」と言う声に促されてしぶしぶ
先頭に立つ。初めて歩く仲間に先頭を切って貰うという山歩きの流儀・配慮はひょっとしたら過剰サービスかも知れない。
ぽい尾根を再び下って11時57分下兜分岐を右手の「かけさこの尾」に進む。尾根の分岐というものは明確なピークから分れ
ル場合もあるが、このかけさこ分岐の様にしら〜〜っと何気なく分かれている場所もあるので注意が必要である。これは黒森山
直下の「シャクナゲの尾分岐」にも言える。
別に先頭を譲ってくれなくてもいいんだけどなあ・・・ 11時57分 下兜分岐を通過してかけさこの尾に進む
最初シャクナゲの薄暗い急斜面を抜けるがここには以前から錆びた草刈り機が置かれており誰かが整備していた様である。やがて
背丈が低い笹原と灌木の明るい緩やかな傾斜になるが踏み跡はしっかりしている。ここには小振りだがブナも数本立ち並んでいる。
魔の1,414mピーク
カシミールソフトを使用したGPSトラックログ図 1,414mピークのch気鋭
12時16分縦走路に住友の石柱があり井桁マークや番号を確認する。実はここが1,414mピークのターニングポイントだっ
たのだが、4人共そのまま北の緩やかな尾根を下って行った。暫くして最後尾にいたマーシーから「道はこっちみたいですよ〜」
と声がする。なるほど地図で2か所枝尾根が北に向かっているのを知っていたのだが、複数で歩いている場合こんな事がよくある。
尾根のピークは三角形になっている場合が断然多く、この場所の様に真っ直ぐ進むと別な尾根に導かれる道迷いのケースが多発す
る。
単独で歩く場合は要所要所でGPSと地図で現在地を確認するのだが、これが複数登山の弱点である。成り行き上先頭を歩かされ
たむらくもは自分のコース取りの間違いに恐縮するが、全員のチェックミスである。
一旦斜面をトラバースして正規のルートに帰るが、こんな場合どこで間違ったか確認するのが大切な作業だ。ルート上を元に引き
返して間違ったポイントに出るとちょうど先ほどの石柱に至った。注意深く辺りを見るとテープも見受けられた。まあこんな間違
いは下りの尾根歩きの宿命なのだが、早めに修正すれば済む事でロスは10分程である。
最初は薄暗いシャクナゲの急傾斜 それを過ぎると背丈の低い笹になる
小振りながらブナもある 12時16分 住友井桁マークの石柱 (1,414mピーク)
20分程歩くと少し急な下りの植林地帯になり岩が沢山見受けられる。それを下るとまた平坦な灌木地帯となるが、基本的には左
斜面が植林、右が自然林でその東側が切れ落ちた斜面となっている。
12時52分縦走路に先ほどと同じ住友の石柱を通り過ぎるが、やはり左が植林、右手が自然林の様相が続いている。すると前方
が岩と灌木の細尾根になり、何となく尾根を直登するが途中で左からの縦走路と合流し、これを伝う。マーシーだけは無理やり岩
の藪尾根を突き進んでいる。もう彼の習性を知っている3人は驚きもせず「好きやなあ〜」と呟きながら急登に置かれたロープを
手繰る。
エントツ山やペーコはマニアックな場所も好むが、山仲間が集まりそうなノーマルな山にも未練を持っている。むらくもも花好き
の妻ピオーネの存在がかろうじてノーマル路線の手札にしている。マーシーだけは「そんな一般道を歩いて何が楽しいん?」って
どうしようもない男だ。
13時09分倒木に分岐標識が差し込まれていた。最近銅山峰付近の新居浜の山で良く見られる様になった綺麗な標識で上兜山と
船木・ゴルフ場と上下のルートが記されている。この同じ材質の標識が先ほど4人が歩いて来た上兜山や下兜分岐だけに留まらず、
黒森山直下のシャクナゲ尾根分岐にも立てられているのを見たエントツ山とペーコは驚いた物だ。
赤テープは時によりうざい存在になるが、こんな分岐標識は大歓迎されるだろう。
12時28分 石柱から仕切り直して右へ進む 植林の急傾斜を下りる まばらに岩が現れる
自然林の平坦な場所を歩く ルートは比較的明瞭 12時52分 尾根に又石柱が現れる
基本的には左が植林、右が自然林のパターンだ 下兜山の直下に入った様だ
急な傾斜が続く 13時10分 下兜山の分岐標識に上がる
「かけさこの尾」のでべそ 下兜山(冑山) 標高約1,240m
兜山の由来は古く、鎌倉時代の弘安の役(1281年)に船木の住人で河野家の家来である甲曽(高祖)五郎が蒙古軍撃退の功により
将軍源時宗より賜った甲(兜)の形に似ていた事により名づけられたと言われている。
角野、泉川、川東地区から部落ごとに往復約一日かけてこの下兜山へ雨乞いに参拝していたらしい。
て太鼓のバチ音に合わせて踊る素朴な「かぶと踊り」が保存会で受け継がれている。
昔この辺りを治めていた西条藩が江戸時代の後期に編纂した「西条誌」の中に船木村に関して以下の記述がみられる
冑(かぶと)権現 : 客谷の上の峰にあり。山高く、風強ければ、わずか一尺三寸の小祠を建て、吹き飛ばされぬように、鎖にて
つなぎ、不動仏を安置す。少し下に、壱丈四方の通夜堂あり。この権現、雨を祈れば、必ず応験ありという。修験楽成院これを司る。
この辺りの地区では下兜山の不動尊を古くから崇拝していて毎年旧暦6月1日が例祭日で、ある時は雨乞い、またある時はその年の雨
に感謝をして兜山へ参拝していた。そして下兜山から下山して思い思いの姿で踊ったのが「かぶと踊り」となった。室町時代から
徳川中期にかけて完成されたこの雨乞い踊りは、太鼓のリズムに合わせて腰を前かがみにして手足を動かし、それを繰り返す単純・
素朴な踊りで、その踊りやお囃子の意味する所は「長照りの天気よ去れ、向こうへ行け、お願いよ、雨神の雷様、どんどん雨を降ら
せておくれ」との事らしい。この「かぶと踊り」は昭和30年頃一旦途絶えたが、昭和63年に保存会を設立、現在校区の住民運動会
や盆踊り大会などで有志により披露されたり、船木小、中学校の児童・生徒への伝承活動が続けられていると言う。
西条誌の船木編に出てくる絵師「国平」の描いた兜山
(「注釈 西条誌」 矢野益治著より 船木図書館蔵)
東赤石山方面から下兜山のデベソを眺めるの図
4人は13時12分奥に進み冑権現に柏手を打った後休憩する。むらくもが急に「やっと昼飯が食えるぞ〜〜」と雄たけびを上げ
る。え? 昼食は上兜山で終わった筈と思っていたエントツ山はむらくもの悦びの声を聴きあっけにとられる。
ノキ等に囲まれた狭い山頂に祠と石像が2体置かれている。不思議な事にこの石像は船木方面では無く逆の南側を向いて置かれて
いる。
ここでむらくもからピオーネの差し入れ、パイナップルとトマトが配給される。律儀なむらくもは急な上りにも長いここまでの道
のりも喘ぎながら、この絶妙の配給タイミングに備えてザックに忍ばせて辛抱して来たのだろう。不憫な男よのう
路を持ったマーシーとペーコはこんな思索を想い巡らす事もなく素直に出された赤と黄色を感謝しながらパクつく。
山頂の西側が少し開けており今から4人が下る鉄塔尾根が見えるが、船木や瀬戸内海はガスに覆われて良く見えない。鉄塔の場所が
随分遠いので「あそこまで下るん?」というエントツ山の質問に「そうじゃろねえ」とペーコの頼りなさそうな返事が返ってきた。
上兜山から下兜山を繋いで喜ぶむらくもとお供の3人組
冑権現 石仏は右を向いている 船木・新居浜地区を眺めると尾根に鉄塔が2本見える
え? むらくも太郎のお供はきびだんごじゃないの? あらまあ トマトまで・・・ピオーネさんありがとう
「さあ〜 出発〜〜」と又エントツ山の冷酷な号令が兜山に響く。初めて15分以上の休憩に差し入れ配給を無事済ませたむらくも
が素直に従う。
ント泊はしないから、恐らくこの平地は前述の西条誌の中にある通夜堂のあった所で、今でも船木の人が集まって雨乞い神事を行っ
たのだろう。
細尾根を少し進むと四等三角点「甲」(かぶと)がある。ここは獅子舞の鼻同様丸い金属がコンクリートで埋め込まれた三角点に変
わっており古い花崗岩製の三角点が無造作に転がされていた。三角点は地上に出ている部分は四分の一なので地上に引きずり出され
た三角点はやけに長い。針でもスマホでも役目を終えた物は丁重に供養されるのが日本流と思うのだが、ここの古い祠や三角点は捨
て置かれる運命にある様だ。
下兜山から崖の様な急傾斜を下る 13時37分 三角点柱が転がっている
三角点「兜」は花崗岩の標柱からコンクリート製に代えられ、古いのが無造作に転がされている
三角点を過ぎると単調な植林地帯に入る。左手は急な崖の様相をしており、右手は比較的なだらかな斜面に植林されており薄暗い。
下兜へは3本程枝尾根伝いのルートがある為に右手に分岐が現れるが、今回は尾根鉄塔に向けて左手を進む。
一か所急な下り傾斜になり右手に掘れこんだ道らしき痕跡があるので3人はこれを下り、マーシーは真っ直ぐに尾根伝いを調べる。
1,006m小ピーク手前のコルで4人は合流する。今度は右手に続く道をエントツ山が下り他の3人は尾根伝いを進む。
確な登山道は尾根には復帰しそうになく、逆に右手へ向かう様なので急傾斜を這い上がって3人に合流する。
四等三角点「赤松」 標高 957.65m
又4人一緒に尾根伝いの踏み跡をむらくもを先頭に進む。初めてここを歩くむらくもに敬意を払っての事なのだが、むらくもにとっ
ては少し迷惑な話だ。途中からマーシーが右手の尾根筋を歩いている。「お〜い」と声を掛けると「尾根を歩かにゃ三角点を見逃し
ますよ」と言う。エントツ山の記憶では三角点赤松は左手から延びる尾根とのコルにあったのでこの先の尾根合流部と考えていたの
だが、意外にも上から「三角点がありましたよ〜」とマーシーから声が掛かる。
14時38分四等三角点「赤松」に到着する。ここには角が取れて辺が丸みを帯びた三角点と辺が角ばった△マークが彫られた石柱
が並んでいる。
う事を知り少し拍子抜けをした様だ。
立派な赤松と自然林が左の急傾斜に沿って存在する 植林地帯を下る
14時14分 右手に道があったので調べに歩いてみるが 尾根で3人に合流して進
尾根に復帰しそうにないので急斜面を這がって合流する
14時38分 三角点「赤松」に到着 三角点の横にもう一つ角ばった石柱がある
四等三角点「赤松」 標高 957.65m
ここから鉄塔までは明確な植林地帯の尾根が続く。15分ほど下ると左手にスフィンクスを崩した様な大岩が現れ尾根道は右側をト
ラバースする。相変わらずマーシーはこのスフィンクスに取り付いて岩を楽しんでいる様だ。
この辺りの左手は鋭角に切れ込んだ崖の様な地形になっているのだが、そんな厳しい場所にもびっしりと植林されているので4人共
「どれだけ〜〜」と日本人の勤勉さに呆れる。
15時05分前方のコル部に四電西条線15番鉄塔があり尾根の広場に出る。そこから一見道が切れているので3人は三様に分かれ
てルートを探す。そんな3人の様子をゆったりと目をやり、むらくもは笑いながら「三人共何(なん)をウロウロしよんな」とどっ
かり腰を下ろして呆れながら眺めている。
エントツ山が愛媛から香川県へ来た頃、「何(なん)が出来よんな」というキレのない讃岐弁が嫌いだった。そんな挨拶をされよう
ものなら即座に「ほっといていた」とやり返したものだった。40年も讃岐で暮らすと讃岐の風土に慣れてのんびりした里山や小川
の風景や讃岐言葉、隙あらば腰を下ろす讃岐人にも寛容になったのだ。
又 急な下りを鉄塔へと進む 14時52分 スフィンクス?エリマキトカゲ?岩があり、マーシーがそれを登る
左手の急な崖にもびっしり植林されている 15時05分 四電西条線 15番鉄塔
四電鉄塔保線路を伝って東種子川へ帰る
鉄塔は送電線を繋ぐ中継タワーなのだが、日本にはこの鉄塔と電柱がやけに多い。発電所から変電所などを中継して電気を送る為に
大切な設備なのだが、登山者にとってもこの鉄塔保線路は安全な登山道を提供してくれる誠にありがたい存在である。まあ考えてみ
れば我々の電気代でこの維持費用はまかなわれているのではあるが、歩かせて貰っている、利用させて貰っているという基本的な感
謝の気持ちは、山の持ち主に対すると同じ様に持つ方が良い。
四国電力西条線15番鉄塔でしばらくむらくも長老休憩に付き合った後、次の鉄塔へは荒れた尾根は進まず右へトラバースするが、
ここも斜面は倒木が多く荒れている。次の鉄塔へ上がる地点が分岐になっており、右手へ登山道が続いてる。15時25分四電四国
中央中幹線102番鉄塔へ至る。ここから左手の整備された鉄塔保線路を東種子川へ向かって下りて行く最後の行程となる。
四電ご用達の立派な保線鉄橋を3つ越えると15時50分鉄塔101番に着く。鉄塔の右手から廻り込み、植林の中に濃い緑の葉っ
ぱに覆われた花柴か榊の様な木々の間を進むと直ぐに四電西条線17番鉄塔へ進む保線路に乗り換える。
ここはペーコが事前チェックのルートで四国中央中幹線の保線路を選ぶと遠回りになるらしい。
今日の山行に誘った様な物で、ペーコの記憶もつい最近のものなので信頼に値する質を保っていた様だ。
鉄塔西条線から四国中央中幹線へは尾根を右手に迂回して進む 鉄塔尾根への分岐には右手へ登山道が続いている
四国中央中幹線 102番鉄塔 ここから広めの保線路に入る 前方に鉄塔が見える
四電の保線路鉄橋は立派だ (これを3つ渡る) 岩場の横を抜ける
岩壁から水がしみ出して来ている 15時50分四国中央中幹線101番鉄塔にに着く
右手から廻り込んでシキビ、花柴の生えた植林内を進む 西条線16番から17番への保線路に乗り換える
結構傾斜が急な植林帯を気長に下りるとがて沢の音が近づき16時06分沢部へ下り着く。しかしながらこれは東種子川の支沢
だったので右岸を暫く進む。沢に沿って5〜6分下ると本流部に合流し滝の様な落差で水量が急に増える。
植林の急傾斜を下る 沢に魚でもいるのかな
東種子川の本流と合流 立派な鉄塔保線橋を渡る
東種子川の水量 16時15分 出発点に帰る
完全退職した男が二人、ほぼ退職した男が一人、気楽な窓際現役男が一人、こんな老人が集まって一日無料で面白く遊ばせて
くれる山っていいもんだと思いながら集合場所からぞれぞれの生活区へと満足感を手にして帰って行った。
むらくもさんのレポは ここ