平成26年11月29日 さぬき里山忘年会歩き「青山連山綾歌三山

綾歌森林公園〜城山〜高丸山〜猫山〜小高見峰〜大高見峰〜丸河


プロローグ

レオマワールドの南側に独特の山並みがあり西から城山〜猫山〜小高見峰〜大高見峰のピークが連なって一つの
連山となっている。この城山〜猫山〜大高見峰は通常「綾歌三山」と呼ばれているが、どうもここを「青山連山
とも言うらしい。青山連山の名は縦走路の看板に見られるがその謂れもはっきりせず認知度も低い。

地理的にはこの連山の西側に流れる土器川から奥へ大川山の麓を抜けて三頭越を経由して阿波の国へ抜ける重要な
場所でり、この山の南側一体が「長尾」という地名である。


以前、台風被害の後にこの近辺を歩き崩壊地に出会ったり、イノシシに出会ったりと興味深い場所で、南側の竜王山、
高丸山を周回して金剛院へ帰ろうとして崩壊地に行き詰まり仕方なく畦田へ下りてタクシーを呼んだ苦い思い出が
ある。



                飯野山から南側、綾歌三山を見る  奥は阿讃山脈


平成26年の里山忘年会参加の知らせがreiko さんからメールで寄せられる。今まで仕事などで予定が立たないので
kazashi
さん同様、忘年会夜の部懇親会にだけ出席していた。

定年退職した事だし、たまには一緒に里山を歩かにゃ義理が立たんやろと言う事で今年は参加する事にした。

里山忘年会はReikoさん  keitannさん  真っ黒ちゃんなどが核になり花繋がりでやまももさんや用心棒的なえ〜ちゃん、
kamatamaさんも加わって賑やかになってきた。今回はkeitann さんのアイデアもあり懐かしい猫山界隈って事で個人的
に喜ぶ。


今回はネットで仲良くなったむらくもさん・ピオーネご夫婦も出席との事で、むらくもさんとは初対面なのでどんな
人か興味もあった。


平成26年11月29日 里山忘年会昼の部ルート

綾歌森林公園〜城山〜高丸山〜猫山〜小高見峰〜大高見峰〜丸河〜(デポした車で元に帰る)


この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)を使用したものである 
カシミールソフトを利用したGPSトラックログ図

参加者
keitannさん、 reikoさん、 やまももパパ・ママ、え〜ちゃん、 kamatamaさん、むらくもさん & ピオーネさん
エントツ山 の9名となる


08時30分森林公園集合って事で土地勘が無いので早めにカーナビ頼りに現地へ出かける。
集合場所へ着くとkeitannさんが駐車場でサンドイッチを豪快に食べながら待っている。次第に人数が増えて来て慌ただしく
挨拶を済ませ車を下山口へデポするとの事でやまももパパさんの先導で大高見峰の北側「丸河」へ出発する。ここに2台を
デポして集合場所へ帰る。


綾歌森林公園P〜城山 (約1時間)

09時過ぎに綾歌森林公園駐車場から裏手に進んで城山へ向かう。山に入る前にみんなで記念写真を撮影し、登山道へ入っ
ていく。天気はあまり良くないが里山歩きなので気が楽だし、紅葉も里山まで下りて来てそこそこ美しい。

雑木林の間に続く細い道をやまももパパさん、え〜ちゃんの先導で上がって行く。規模は小さいが植林もされている場所や
広い登山道などもある。09時35分東屋で休憩となりさっそく女性陣から飴玉が配られ、ここを過ぎると少し雨が降り出
して傘を差す。紅葉の尾根筋に出ると讃岐平野と讃岐富士が煙って見える。



左からkamatamaさん,reikoさん、ピオーネさん、ヤマモモママ、え〜ちゃん、keitannさん、やまももパパ、エントツ山、むらくもさん,

  
  雑木林を縫って付けられた登山道へ入る                    結構快適な登山道だ

  
  目指す「城山」(しろやま)が霞んでいる                         里山独特のハゼが鮮やかに

  
      09時35分 東屋で少し休憩                   コル部で雨になりカッパや傘を出す

途中、舗装道路を2度ほど横切ってやはり雑木林の中に付けられて細い登山道を進むと09時57分三角点のある城山に着
いた。ここからは善通寺、琴平、土器川、丸亀が見渡され実に中讃の要の感がある。


  
       2度程舗装道路を横切る                        細いがしっかりした登山道が整備されている

  
 09時57分 城山広場に到着                          西側の展望が開けるが残念ながら雨に煙る
  城山三角点=四等三角点「新古」


城山(しろやま)の歴史

城山はその名の通り中世の山城があった場所で、お城の名前は「讃岐・西長尾城」と呼ばれている。現在も山頂部や稜線を
削って造った郭(くるわ)、土塁、井戸、櫓(やぐら)などの跡が残っている。讃岐の国は室町幕府の管領・細川氏の守護
領であったが、南北朝時代には細川頼之(よりゆき)が守護大名でその下で中讃・西讃地方は直臣の香川氏が守護代を務め
ていた。

そんな時、頼之の従兄弟、細川清氏(きようじ)が南朝側について両者で戦ったのがいわゆる1362年の「白峰(しらみね)
合戦
」である。細川清氏の拠点、白峰(しらみね)城は五色台の白峰ではなく林田の雄山(おんやま)にあったらしい。


この白峰合戦で細川頼之(北朝方)について戦功を上げた長尾元高が1368年この山にお城を築き中讃の要所を治めた。長尾
元高と言う人は元々荘内半島、詫間の豪族で海崎氏を名乗っていたのだが、この白峰合戦の功績により城山・猫山の南側一体=
長尾地区を拝領して長尾姓を名乗った。それ故にこの城が(さぬき)西長尾城と呼ばれる事になったらしい。

詫間の豪族「海崎」氏に関しては、先日歩いた荘内半島に「海崎城跡」というのがあったぞ。


その後200年程この地は長尾氏によって治められてきたが、例によって長宗我部の四国制覇の動乱で降伏し、1580年この
城は長宗我部の直臣「国吉(くによし)」氏が城主になり「国吉城」とも呼ばれる様になった。
ところがその5年後には豊臣
秀吉の四国征伐によって長宗我部が降伏しここも廃城となるのである。


こんな遠い中世〜戦国時代の夢の地も今は平和な散歩場所となっている。

 

城山〜鷹丸山 (約 45分)

10時00分小雨の降る城山から傘を差しながら尾根を下ると「こねこ」(333m)という標識があった。おそらく地元の人が
猫山の前衛峰としてシャレで付けた名前だろう。


近くにデカいイノシシ捕獲柵があり、それを過ぎると立派な東屋が又あった。どうもこの里山隊は東屋の度に休憩しお菓子を食べ
る習性があるらしい。休憩後尾根道を歩いているとかわいらしい「ツチグリ」が数個道に転がっていた。
しばらくすると「青山連
山」の看板がありえ〜ちゃんが解説役を務めている。でも何故青山連山と呼ばれるのか誰も知らなかった。


  
  城山から尾根道を下っていく                                ん? 「こねこ」じゃと ?
  

  
    熊でも捕えるんかいな デカいぜよ                     2つ目の東屋でおやつ休憩〜

  
        ツチグリってかわいい〜〜                   紅葉が美しい  天気が良ければもっと輝いているだろう

  
      何? ここが「青山連山」ですと?              10時46分 主尾根登山道から鷹丸山へのトラバース道に入る


10時46分広い尾根道から右手に鷹丸山へのトラバース道へと入る。この辺りはやまももパパやえ〜ちゃんのテリトリーらしく
二人の船頭が先導してくれた。
黄色い大き目の葉っぱがあるのでkeitann植物女史に聞くと「ダンコウバイ」だと教えてくれた。

  
  細いがしっかりしているトラバース道                    ダンコウバイの黄色が目を引く

その辺りからスズタケの繁る斜面を尾根へ登る事になるが、先日むらくも・ピオーネコンビが偵察に来た時には相当の笹藪だった
らしい。でも我々が歩く直前に笹刈り作業が行われていたらしくそこは快適な道に変貌していた。ロープも張られている急こう配
を上ると11時17分猫山・鷹丸山分岐に着いた。
ここからは軽快で美しい尾根道となり、以前藪歩きした痕跡は無かった。
鷹丸山の手前に一か所だけちょっとした岩場があり単調な歩きのアクセントになる。


  
 トラバース道から笹藪を尾根へと進む (刈り払われていた)          猫山の紅葉と霧が美しい

  
          尾根への急登                         急傾斜にはロープも張られている


                       尾根に上がると巨木が迎えてくれる

  
           ビナンカズラの実                             雰囲気の良い尾根


11時32分鷹丸山の三角点山頂に着き、皆さんが来られる間南西方面にある尾根を暫く下ってみる。この鷹丸山の中腹にも南北
朝時代、長尾地区の豪族で南朝方の小亀氏の居城「金丸城」があったのだが、先に述べた様に1362年北朝方の細川頼之によっ
て滅ぼされた。


  
 讃岐の里山に多い安山岩のザレ場                     以前は藪の中だったんだけどなあ・・・


                       鷹丸山三角点 = 四等三角点「高丸山」


山頂に帰ると女性陣は例によって「お腹が空いては女の戦いが出来ないわよ」と食糧補給を行っている。う〜ん もっと皮下脂肪
を燃やせば良いものを・・・


  
   いや〜 立派な道が出来てましたねえ                          reiko さんの手弁当


鷹丸山〜猫山 ( 約1時間)


          象頭山         我拝師山                       城山

11時40分過ぎに鷹丸山を出発して先ほど来た城山分岐を過ぎて下り坂となる。マユミの実は五剣山の源氏ヶ峰尾根でも見たが、
里山のこんな場所でも見られる。
当然の事ながら猫山への尾根はコルを過ぎると急になる。「久しぶりの急登だわ」って声も聞か
れるがどおって事もない時間と高低差だ。


  
         岩場を下る                              趣のある尾根を北に進む

  
      マユミの実がある                               猫山への急登を喘ぐ里山隊

  
        猫山直下 ロープも張られている                カゴノキ大木の緑に覆われた猫山の山頂


12時37分カゴノキの大木に覆われた懐かしい猫山に着き、少し城山への尾根道を下りて見る。こちらも急傾斜にはロープなど張
られている様だ。この猫山で大休憩の昼食になる。
猫山はこの細長い山塊の中央部に尖った三角錐の形が印象的なピークである。
「猫山」という名前の由来は良くわからないが、ひょっとするとこの辺りの穀倉地帯の農民がお米を食い荒らすネズミを封じる為の
信仰的な要素があったのかも知れない。



               「猫山」山頂  四等三角点「猫山」 標高 467.62M


猫山〜阿弥陀越〜小高見峰〜大高見峰 (約 2時間)

30分程休憩の後、阿弥陀越に向かって急な傾斜をジグザグに下る。やまももパパを先頭にロープが付けられて整備させている。枯葉で滑りそうな急坂を下ると金山神社の裏手に出る。泉保さんが本の中でアラジンのランプと紹介した手水鉢がある。そこから境内の石段を更に下ると道路に出た。少し左手に進むと12時26分阿弥陀越えの重複交差点に到着。以前の印象とは全く違い明るく開けた場所になっていた。すこし上側にある阿弥陀地蔵にお参りを済ませて大高見峰への尾根道へと進む。


   
  猫山からの下山道も急だ                       泉保さんがアラジンランプと呼んだ金山神社の手水鉢

  
   後続も金山神社横に下りてくる                     道路に出てまた下りの石段がある

  
   石段をおりて左へ回り込むと阿弥陀越へ至る               旅人を見守ってきた阿弥陀地蔵


               13時27分 阿弥陀越 スクランブル交差点を渡って高見峰方面へ


以前苦労した竹林は多少荒れてはいるが登山道は問題なく歩く事が出来た。13時43分小高見峰へ下るピークに「駒ヶ岳」
(422m)の大それた標識がある。子猫(こねこ)と同じく地元の愛好家がシャレで付けたんだろう


  
  以前はこの竹藪に苦労したのだが今は快適な道になっている         駒ヶ岳って言われてもねえ


ここからコルに向けて下って行き、又上り返す。途中ツツジの狂い咲きが季節外れの花を付けていた。小高見峰への稜線からは
猫山、象頭山や讃岐富士が見える。
小高見峰は五色台の様に変哲のない灌木に囲まれた丸いピークでやまももパパの案内がなけ
ればテープを探し回る事になりそうだ。登山道へ帰り紅葉の美しい尾根道を歩く


  
大高見峰             小高見峰                    里山もアップダウンがあるから運動になる

  
        猫山        象頭山                              讃岐富士(飯野山)

  
     小高見峰はこっちの方です                       平らなピーク 小高見峰

  
    まあ 一応山頂を踏んだ事に                        又 やまももパパを先頭に下りて行く


   坂出方面が見渡せる    飯野山    聖通寺山   瀬戸大橋     常山           金山      城山(きやま)

ここは四電・坂出幹線の鉄塔保線路になっており最後の上り坂を汗をかきながら歩くと14時35分平らな地形の広場に出て大
高見峰の三角点に着いた。


 
       紅葉が美しいコル部を大高見峰へ向かう            鉄塔保線路と交差する登山道


            14時26分 大高見峰にて    二等三角点「鷹見坊山」    もう後は下るだけやで

大高見峰 (504.1m)

古くは鷹見坊、高見望ともよばれ地元では「たかんぽさん」と天狗伝説と共に親しまれているとの事。記念写真を撮った後、東
側の高見峰神社にお参りをして横の休憩所でコーヒーを頂く。
女性と一緒に来る山歩きの役得である。ここまで来ると東側の我
が国分寺のおむすび山群が見渡す事が出来る。

讃岐の天狗伝説によると有名な天狗が四人(?)四匹(?)四像(?)四体(?)とにかく四つおり、八栗寺の五剣山中将坊、
白峰寺の白峰山相模坊、金刀比羅宮の象頭山金剛坊、それとここの大高見峰(鷹峰)の大高見坊と言われている。

ランキング的にやはりトップは相模大山(神奈川県)からはるばる崇徳上皇の霊を慰めるために移り住んで来た「白峰相模坊」
じゃろね。この天狗は「保元物語」「雨月物語」「源平盛衰記」などにも登場するそうだから知名度的に優位を保つ。

二番手は金毘羅大権現の化身、象頭山「金剛坊」だろうか。この天狗は金毘羅別当寺・松尾寺の4代別当「金剛坊・宥盛」という
偉いお坊さんが死後に天狗となってこの世を救うと宣言して天狗に祀られたとの伝説がある。

さて、三番手は八栗寺の五剣山「中将坊」だろうか。こっそり五剣山の岩山を歩いて八栗寺境内に下りた場所にあるお堂の主で
いつもお世話になっている。この天狗は下駄(げた)が好きで奉納された下駄を履いてウロウロ徘徊する趣味があるらしい。

大高見坊については麓の福成寺に現れて修行の邪魔をするので腕を切り落とされたとかロクな伝説がない。古くから長尾地区の金剛
寺(金剛院)を拠点にして大高見峰界隈で修験者集団が活躍をしており、そのリーダーが大高見坊とされる。

いづれにしても日本各地に残る「天狗伝説」は修験道との関わりが深く、厳しい山岳で修行を積み霊験を感得し民から畏怖の敬を
抱かされたり、病気などから救ったり修験者の願う究極の姿なのかも知れない。
る。


  
   整備中なのか樹木が伐採されて広くなった大高見峰               天狗伝説の高見峰神社


                   大高見峰からは国分寺、高松方面が広がる


大高見峰〜丸河  (約25分)

15時00分藪っぽい下山道へやまももパパさんの後を着いて行く。ここも又急な傾斜でロープなどが張られている。正面に見
える景色を眺めながら下っていると左手に役行者の石像があった。ここも修験の山なのだ。


下りに従い左手には植林もされている様で15時21分鳥居を潜る。振り返ると鳥居には「高見坊」と記されていた。15時25
分、大きな看板の横を抜けると車をデポした林道に着いた。ここから一旦綾歌森林公園へ引き返した後、畔田へ皆で向かい温泉
「湯舟道」で汗を流す。湯舟道はこの辺りでは人気の温泉だが、脱衣場は狭い。


  
  大高見峰から急な下りとなる                       修験の山らしく役行者の石像が岩にくりこまれている

  
   坂出方面を眺めながら下る                               左手に植林が見られる

  
     列車の線路みたいな階段を下る                    15時20分灯篭と鳥居に到着

  
   鳥居には高見坊とある                             15時25分 デポした車に辿り着く


この後、忘年会に突入 @「海鮮うまいもんや浜街道」多度津

温泉に入ってサッパリとした後、ちょっとした手違いで少し遠いが多度津へ向かう。ここで昼の部に出席出来なかった KAZASHI
さんや坊主さんが合流。この会場は物凄く繁盛しており満員のお客さんと従業員の高ボリュームアナウンスで近くの仲間としか会話
が聞こえずじっくりと話が出来なかったが、まあそれなりに盛り上がった。

坊主さんもサッパリした姿で現れイメージが違ってたし、むらくもさんもあのハチャメチャなブログコメントからは想像出来ない
マトモな人物だった。 kazashi さんはいつも仕事帰りに合流するので背広をパリッと決めてかっこいい。

  

 
        カンパ〜〜イ                今年もお疲れさ〜〜ん  来年も宜しく


                     宴会集合写真


reiko さんの里山忘年会記録は   ここ   

ピオーネさんの里山忘年会記録は  ここ  



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