平成16年4月 徳永治夫・楠橋孝博 「しまなみ登山隊」記 
4月3日 雲早山ー焼山寺山 (徳島)
4月10日 甚吉森ー湯桶丸
 (徳島)
4/16 高森 (愛媛、西条)
4/18 稲叢山、岩躑躅山、(高知)
4/20 なすび平ー 冠山  (愛媛・高知)
4/22 なすび平 (愛媛)
4/25 鰻轟山ー千羽海崖
 (徳島)
4月29日 稲叢山 (高知)
4月29日 伊予富士・東黒森山 (陽気妃ヨーヨ、山アザミ・ノリピー)
5月4日  別子山 ゆらぎの森でクマガイソウを見る(あんみつ姫・トッコ)
  付録 クマガイソウ解説おまけ付
4月3日 徳島県 雲早山 くもそうやま (1,496m)にて鹿に遭遇!
     、焼山寺山(938m)  徳永・楠橋・池内・西村夫妻  5名にて

     
    雲早山(くもそうやま)、 焼山寺山(しょうざんじやま) 位置図

この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)を使用したものです。
    (承認番号 平15総使、第634号)

     
良い天気に誘われて徳島県の中央部(剣山系東部)にある雲早丸へ「しまなみ隊5名」にて登って参りました。徳永は3度目になります。登山口は雲早トンネルを抜けて剣山スーパー林道にあります。登山口から高丸山に連なる尾根まで約50分は沢の急登が続きます。

 
  雲早山 登山口             沢に沿って急坂を登る

   
 「モデル料は要らんから エサくれ〜〜」 (鹿の声) 「くれないと こうなるよ」

登山道の途中では約20mの近距離でメス鹿に遭遇。逃げるでもなくはるばる遠くからやって来た人畜無害の我々を不思議そうに見ていました。

 
尾根手前付近のコケ生(む)した岩場  尾根道にある神社の鳥居

 
尾根の鳥居を過ぎると大岩の脇を登る  山頂の祠 (一対の狛犬が鎮座している)

尾根へ出てから山頂までは15分くらいで着きます。この尾根道にはウラジロモミやブナの原生林があり、山頂は周りの潅木が切り払われ、高城山、西三子山、高取山などの展望がすばらしいものでした。この雲早山は雨乞い神を祀る小さな「雲早神社」が一対の狛犬に守られて建てられています。

      
  雲早山頂上にて 徳永、西村(桂)、西村、池内、楠橋の元気な面々

 
 雲早山より 西三子(にしみね)山    雲早山より 高取山を望む

下山は約40分で登山口へ帰り着きました。これだけで今治へ帰る「しまなみ登山隊」ではありません。次は焼山寺へ参拝の後奥の院「焼山寺山」へ登り、竜王窟を見学して参りました。
    
  焼山寺 参道の桜               奥の院への登山道   
     
 弘法大師が大蛇を封じ込めたと言われる大岩  奥の院の蔵王大権現を祭る神社

       
         焼山寺山  竜王窟にて  (楠橋撮影)

4月10日 徳島県 海部山地  甚吉森(1,423m)、湯桶丸(1,372m)
       徳永、楠橋、芥川、西村(桂)   4名

     
       徳島県 海部山地  甚吉森・湯桶丸 位置図
      この地図の作成にあたっては、国土塵院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000
       (地図画像)を使用したものです。(承認番号 平15総使、第634号)

今治からはまるで地の果ての様な場所にある甚吉森と湯桶丸へ出かけてまいりました。高速南国インターより国道195号線に入り大栃経由徳島県境を目指します。徳島県・木頭村より美那川キャンプ場標識より右折、南川林道へ入り甚吉森登山口まで片道約200km
登山口の吊り橋には通行禁止の立て札が! でも今更引き返せない!

 
あれ〜? 通行禁止? 「ジャイアント阿部隊員がいたら先に渡ってもらうのに・・・」

  
甚吉森 登山道 杉林の急坂を登る   甚吉森より東を望む (湯桶丸が左に)

         
        甚吉森山頂にて  徳永、楠橋、西村(桂)、芥川の雄姿

   
       甚吉森から北面を望む 天狗塚から権田山まで一望のもとに

甚吉森は約2時間10分で登って参りました。下山後車で約4km林道を引き返し、湯桶谷林道分岐より約5km上り詰めると湯桶丸(ゆとうまる)登山口があります。

 
湯桶丸 自然林の中を歩く        山頂手前の稜線より三嶺・剣山方面を望む

 
湯桶丸から甚吉森を見返す     手前の谷から急な尾根を登って来ました。

       
     湯桶丸山頂にて 楠橋、西村(桂)、芥川、徳永 大満足の表情

海部(かいふ)山地の雄、湯桶丸山頂の展望はありませんでしたが、9合目まで急坂の連続で実に登り甲斐のある山でした。

編集長コメント: いや〜 「しまなみ登山隊」の皆さん 元気すぎ〜〜。徳島県の辺鄙(へんぴ)な百名山を殆ど網羅されましたね。今からは花の季節! 御活躍下さい。
4/16 高森、 4/18 稲叢山、岩躑躅山、4/20 なすび平ー 冠山
4/22 なすび平 4/25 鰻轟山ー千羽海崖
4月16日(金)「高森」 (愛媛県西条市) 徳永、楠橋、西村(桂)

    
      高森 標高1,359.3m 位置図
      地図の作成 国土地理院数値図200000 (承認番号 平15総使、第634号)

行きたかった山の一つ高森を制服してきました。国道194号線チロルの森入口から陰地(かげち)林道を12kmほど行くと菖蒲峠があり、そこでの展望を楽しみました。林道をさらに900m右に進み索道跡に駐車 (陰地峠入口より登山口駐車場まで約1時間)

        
                 菖蒲峠より 石鎚山

 
     菖蒲峠 (ここに下山してきた)         索道跡の駐車場
   
  登山口と高森             陰地林道より陰地の頭(中央)と高森(右)

登山口は伐採地と植林の間にありここから急坂を40分登ると尾根部に着きます。この道は昨年に刈り払いされたようでカヤもイバラも無く歩き安い道でした。

尾根に出ますと菖蒲峠からのしっかりした登山道と赤いテープに誘われて難なく山頂に行き着く事が出来ました。尾根の鞍部から山頂まで25分でした。山頂の展望はありませんが尾根道の所々から瓶が森、笹ヶ峰、石鎚山方面の素晴しい景色を展望する事が出来ます。

 
 高森頂手前のピークより瓶が森方面  高森山頂唯一の展望 瓶が森

 
  
  高森山頂 西村(桂)隊員と        筒上山、岩黒山方面

頂上から少し北に歩きますと樹間から黒瀬ダムも手に取るように見えます。途中の登山道からの展望が見事で、石鎚山西黒森の北面にはまだ雪が白く輝いていました。

頂上で約1時間休憩をして下山は尾根を引き返し、登って来た急坂には降りないで、尾根を直進して陰地(かげち)の頭経由菖蒲峠石仏前に下山しました。
陰地の頭は立派な形をしていますが山頂の標識などはなく地図にも山名の記入もありません。
高森から鞍部まで25分、そこから陰地の頭まで15分、菖蒲峠まで20分でした。
陰地の頭より菖蒲峠までの急な下りには2箇所ロープが取り付けられ、スズタケなども刈り払いされて快適な道でした。

      
       黒森山から笹ヶ峰、寒風山まで御馴染みの山が見渡せます

   
    山頂付近のタムシバ           登山道に咲き誇る山吹

菖蒲峠から林道を15分歩いて車に帰りつきました。林道も普通乗用車でも気をつければ大丈夫でしょう。スズタケなどが刈り払われている今年がお勧めです。山頂付近にはタムシバが咲き、いたるところで山吹が咲き誇っていました。アケボノツツジも一本だけ咲いていました。
実に気持ちの良い登山となりました。

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4月18日(日) 高知県本川村 「稲叢山」(いなむらやま)、岩躑躅山(いわつつじやま)
           徳永、しままみスラワーズ隊 合計4名

    
      稲叢山、岩躑躅山 位置図
      地図の作成 国土地理院数値図200000 (承認番号 平15総使、第634号)

     
     稲叢山山頂手前kら 石鎚、伊予富士  寒風山 笹ヶ峰方面を見る
    
「しまなみフラワーズ」を案内して高知県本川村「稲叢山」へ出かけて参りました。大橋ダムからトンネルを抜けて土佐町側の未舗装道路部分が完全舗装されていました。渓谷コースの途中にある洞窟へ上がる木製梯子が撤去されており上がる事が出来ず残念でした。

  
  稲叢ダムから見上げる          渓谷コース大岩の上から見たダム湖

       
        「しまなみフラワーズ」に囲まれてますます若返った徳永総帥

        
              瀬戸川渓谷のアケボノツツジ

稲叢山はアケボノツツジでも有名ですが、蕾をたくさんつけた木々が見られました。岩躑躅山では「ひらお橋」から5.2kmで鎖のゲートがあり登山口まで15分歩きました。平日であれば作業中でゲートは開いていますので上の登山口までいけるでしょう。

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4月20日(火) ナスビ平ー冠山(1,732m)高知県本川村・愛媛県別子山村(新居浜市)
          メンバー 徳永、楠橋、西村夫婦  計4名

        
                   ナスビ平のカタクリ

インターネットのHPカタクリ花情報の誘われてナスビ平冠山へ登って参りました。フォレスターハウス管理人は風評通りの人物で朝のかかりに少し気が滅入りましたが、気分を切り替えて林道を歩き、終点から上の登山道を通りナスビ平を経由「一の谷越」を目指しました。

朝の天気が良くなかったので先に冠山へ登り、帰りにカタクリを鑑賞することにしました。登山口よりナスビ平まで1時間45分、そこから一の谷越まで50分、峠より冠山まで40分でしたから登山口から冠山まで3時間15分となります。

 
冠の岩壁を背景に快適に歩くしまなみ隊 山頂よりチチ山方面は雲がかかる

  
 天気が回復し寒風山(左)笹ヶ峰(中)   山頂より平家平を望む

峠から笹原に出て快適な足取りで難なく冠山頂上へ到着しました。山頂で約1時間食事休憩の後、ナスビ平に引き返し下の登山道を歩きました。

      
      徳永さん 3度目の冠山で楠橋さん、西村さん御夫婦と記念写真

ナスビ平は話には聞いていましたがこんなにカタクリの群生地があるとは思いもよらずその見事さは大圧巻でした。カタクリの群生はまだ蕾もたくさんありここ一週間は賑わうことでしょう

   
     4月20日のカタクリ

4月22日 満開のカタクリを見たくて楠橋徳丸池内の3名でナスビ平を目指しました。その時のカタクリ写真をお送り致します。

      
              4月22日 カタクリ

  
  白いカタクリ                  白いカタクリ

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4月25日 徳島県 鰻轟山(うなぎとどろきやま) 1,046m
        徳永、楠橋、芥川、阿部、岡、白石、滝本、古川、山内  合計 9名

        
          鰻轟山 位置図  徳島県海南町、上那賀町
         地図の作成 国土地理院数値図200000 (承認番号 平15総使、第634号)

しまなみ隊は随分遠い所まで遠征しますが、この鰻轟山(うなぎとどろきやま)という面白い名を持つ徳島の山へは今治から南国まで高速を利用して、四足トンネルー海川経由、登山口まで208.5km 3時間20分かかりました。

 
 霧越峠の林道開通記念碑  霧越峠より左が請ヶ峰、右が鰻轟山からの縦走路ピーク

07時45分登山口出発 主尾根まで約35分 そこから山頂までは20分で着きました。
山頂は展望はありませんでしたが尾根道からは太平洋を望む事が出来、下山時は西尾根から吉野丸へのトラバース道に出て石立山、剣山、雲早山などの展望を楽しみながら下山しました。

 
 
  主尾根より太平洋を望む        山頂手前の最後の急坂を登る

      
          しまなみ登山隊 鰻轟山 山頂での雄姿

 
  登山道途中からの剣山方面     下山道から見える石立山(奥)

下山後、車で21km移動して名瀑「轟の滝」を見物して国道193号に引き返し、ヤレヤレ峠を経由して国道55号線、日和佐町から南阿波サンラインに入り千羽海崖に登り付近を散策しました。

       
           千羽海崖 位置図  徳島県日和佐町
        地図の作成 国土地理院数値図50000 (承認番号 平15総使、第634号)

         
           登山道より千羽岳の切り立つ海崖を望む

 
 千羽海崖(ロープウェイ駅跡が見える) 展望所より千羽海崖と牟岐大島を望む

早朝に今治を出て帰り着くまで 533km 延べ時間12時間の旅でしたが、晴天に恵まれて気の合った仲間同士の楽しい旅となりました。

4月29日 稲叢山(いなむらやま)高知県 徳永・楠橋・滝本・山内 4名

今年も白いアケボノツツジを見たさに「東三森山」へ意気揚々と出かけました。ところが車窓から見る景色にピンクの色が見当たりません。逆光で見えないのかとも思い大田尾越えまでいきましたがガッカリ。今年は異常気象でアケボノツツジはさっぱりですねえ。
仕方なく方向転換、早明浦ダム経由「稲叢山」へと繰り出すことに。でもこの道に前面通行止めの看板あり。結局引き返して、新居浜ー西条経由で稲叢山へ走りました。

     
           稲叢山登山中に見えるパノラマ景色

ここもアケボノツツジは4月26−27日の風雨で花は落ち、蕾は傷み無残な状態でした。 少々時間はかかりますが登山道に滝や洞窟があり変化に富んだ渓谷コースを登りました。

 
 稲叢ダム(山頂東下展望所より)   アケボノも花が少なく枝が透けています

 
  第三の滝            岩峰の岩場より山頂と5洞窟を望む

 
たくさんの人で賑わう山頂        山頂の標識と2等3角点

    
           滝本  山内  楠橋    徳永  しまなみ隊

今年は五葉ツツジの花やシャクナゲも望めないかのしれません。アケボノツツジの花には恵まれませんでしたが、頂上近くで土本ご夫婦にもお会い出来ましたし、天気は最高、山頂の展望を充分楽しんで来ました。

高嶺フラワーズ隊は行く
4月29日 伊予富士・東黒森山 (陽気妃ヨーヨ、山アザミ・ノリピー)
5月4日  別子山 ゆらぎの森でクマガイソウを見る(あんみつ姫・トッコ)
  付録 クマガイソウ解説おまけ付
4月29日 伊予富士・東黒森山 (陽気妃ヨーヨ、山アザミ・ノリピー)

   
    伊予富士・東黒森山位置図  この地図の作成に当たっては国土地理院長の承認を得て、
      同院が発行する数値地図50000(地図画像)を使用したものです(承認番号 平15総使、第634号)

じゃ〜ん 高嶺フラワーズ 陽気妃ヨーヨどぇ〜す! 山アザミ・ノリピーざます!
寒峰・福寿草レポート以来久々に登場!伊予富士に出かけて参りました。エントツ山隊長のもと去年の5月4日にこの界隈と岩黒山のアケボノツツジ登山良かった〜〜。あの感動をもう一度!
この伊予富士には去年の11月にもナーコ隊員と来てるし、ベンツでひとっ走りすればもうわたくし達の庭みたいなもの。(ビッツでしょ!=隊長) 去年5月の連休はこのあたりはアケボノツツジがいっぱいでした。今年はどうかしら?

朝のお化粧に手間取りエントツ山近くを11時に二人で出発 (遅〜い=隊長)
途中伊予富士近くの谷側にある私達のような可憐なアケボノツツジを・・・・ あれ〜? どうした事なの? 今年はどうも花の付きが悪く寒波の霜でやられてしまったようです。残念・・・

 
 今年のアケボノ 4月29日       去年の同じ所 5月4日

仕方ないから瓶ヶ森林道の「伊予富士駐車場」(3−4台の路肩スペース)で昼食!花より団子ですものね。(登山の前にもう昼食かよ?=隊長) さて登山口からすぐガレ場を左に渡って東黒森山の尾根に向かって登っていきます。 間違っても良い中年登山者の皆さんはエントツ山隊長みたいにここから右へ道なき道を伊予富士山頂まで直登したらダメですよ。

 
登山道からベンツが見える!      伊予富士登山道

やはり山歩きは晴天に限るわねえ。雨女や雨男と一緒に来なくて良かったわ。
すばらしい景色に見とれて歩いているとあっという間に伊予富士頂上に着きました。所要時間は一時間弱。こんなに気楽に登山気分を味わえるなんて何て贅沢な場所なんでしょう!? 山頂には入れ替わり立ち替わり6−7人程の人で、岡山県の高梁市から始発電車で来られた方もいました。どちらかと言うと桑瀬峠から登ってくる登山者の方が多かったようです。

    
        伊予富士山頂  高度感 あります

  
 伊予富士東斜面の急坂                伊予富士山頂

伊予富士は本当に高度感があり、東側は桑瀬峠からの尾根道が眼下に一望出来ます。寒風山・笹ヶ峰・ちち山・冠山・平家平・赤石山系まできれいに見えました。ダウンロード・ミーボ隊員が何度も倒れながら登ってきた急坂からこの日も同じ運命の人が喘ぎながら登って来るのが見えました。 西側には石鎚山系がずら〜と連なっています。壮観!

      
     伊予富士から西側 手前から東黒森ー自念子の頭ー子持ち権現
      後ろ側 筒上山 −岩黒山 −二の森ー石鎚山

       
       エントツ山HP読者に遭遇 記念写真を撮らせて頂く

伊予富士頂上で嬉しい出来事が! なんとエントツ山登山隊のHP読者にお会いしました。「陽気妃ヨーヨさんじゃありませんか」?とお声を掛けて頂きもうびっくり。記念写真を撮らせてもらいました。 愛車ベンツの事も実体がバレちゃった見たい
( なっ 何じゃとて 貴重なお方じゃぞ そそうはなかったやろねえ こんどから読者用のプレゼント粗品用意しなくっちゃ〜〜=編集長)

半時間くらい山頂ですがすがしい空気を胸いっぱい吸ったあと、尾根を西に引き返し東黒森山へ向かいました。岩の手前で山アザミ・ノリピーがこのあたりでゆっくりしたいと言うので陽気妃ヨーヨが単独で東黒森山に寄ってきました。懐かしい岩にもご対面し、山頂にてセルフタイマーで記念写真に収まってきました。

     
           東黒森山の岩場から伊予富士を見る図

 
  東黒森山頂                無事 伊予富士登山口に到着

帰りも二人で思いっきり尾根の景色を楽しみ1600時登山口に下りてきました。本当にお天気が良くて爽やかな一日でした。
(ハイ お疲れさん 今度から山へ行く時は朝9時頃には出発して下さいよ=隊長)

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5月4日 「ゆらぎの森」ちょこっとレポート BY あんみつ姫・トッコ

皆さん おじゃましま〜す。別子山村(現・新居浜市)森林公園「ゆらぎの森」へ雨の中親孝行を兼ねて出かけて参りました。二つ岳登山口、肉淵の対岸にあるこの「ゆらぎの森」は「自然と親しむ」をコンセプトに椎茸園や山野荘園、花畑,作楽工房、ゆらぎ館などが設備されています。

    
      近藤さんちのクマガイソウ  (ラン科の多年草)
    
  
 見れば見るほど不思議な形をしています。  パーゴラの前で親孝行

     
     ゆらぎの森にある直径45mの藤棚(パーゴラ) 息子 RYOMA

このあたりには静かな宿泊施設があり、家族連れや赤石山系登山の基地としておいでて下さい。 あんみつ姫の別子山村情報でした。
筏津山荘:駐車場30台 月曜日は休業 電話 0897−64−2018
       宿泊(山荘)¥6,300 〜  要予約
筏津キャビン:宿泊料金¥9,000 〜  要予約 (連絡は筏津山荘)

ゆらぎ館:駐車場100台 水曜日は休業 電話 0897−64−2220
         宿泊 ¥5,000  食事 朝、夕¥3,800 要予約
余暇センター:駐車場50台 金曜日は休業 電話 0897−64−2152
         宿泊料金¥3,000 (素泊まり)  要予約

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編集長追記   「平家物語」から解説せにゃならん
        クマガイソウ と アツモリソウ

ゆらぎの森近くにある近藤さんが栽培されているクマガイソウについて、この名の由来は「祇園精舎の鐘の音(こえ)、諸行無常の響きあり」で有名な平家物語にさかのぼります。
トッコのレポートにあったクマガイソウは漢字では熊谷草と書き、源氏の武将熊谷直実(くまがい なおざね)の背負った指し物「母衣」(ほろ)の形からきています。
これに対して同じラン科でアツモリソウというのがあり漢字では敦盛草となります。

 
 アツモリソウ (ラン科)              アツモリソウ

双方とも同じラン科で日本での野生ランとしては最大と言われています。花唇は厚く良く似た形をしていますね。この形が武者が矢除けに使った「母衣」(ほろ)に似ているというのです。 
源氏の武将 熊谷直実の母衣(ほろ)をもって名づけられたのが「クマガイソウ」
(女優の熊谷真美くまがい・まみとは全く関係ございませんぞ)
平氏の公達若武将 平の敦盛の母衣になぞって名づけられたのが「アツモリソウ」

何?こんな歴史上人物の名前知らない?  あ〜辛(つら)!  子供のときに読んだでしょう「平家物語」 あの一の谷の合戦を思い出して下さいよ 都を追われた平氏は屋島に本拠地をおいた後、後ろは絶壁、前は海の有利な場所、神戸の須磨「一の谷」に強固な要塞を築きここで源氏と一戦を交え戦線の巻き返しを図りました。まだ思い出しませんか? じゃあもう少し。

 兄、源頼朝の命を受けた義経は手勢(3千人といわれている)を率いてこの難攻不落の要塞を後ろに迫る絶壁から急襲し膠着状態の戦線を一気に源氏方の勝利に導いたのです。これが「ひよどり越えの坂落とし」というくだりで義経がこの50mあまりの絶壁まで来て、皆が無理と思った時、案内人に「馬は下りれるか」と聞いたところ「馬は無理ですが鹿は下っているのを見たことがあります」と答え「馬も鹿も同じ4本足!鹿にできて馬に出来ないという馬鹿な話しは余の辞書にはないのだ!我に続け〜〜」と転げ落ちていった話し。 そう思い出したでしょう。

で・・ 平氏はこの義経軍の急襲で総崩れになり沖合いの小船へ逃げて行きましたが、平の敦盛という美形の若武者(まあ役者で言うとキムタクでしょうか)が逃げ遅れて馬で海に入って行くところを源氏の荒くれ武将「熊谷直実」(役者でいうと蟹江敬三でしょうか)が身分が高そうな敵の武将が逃げていくのを手柄にしようと追いかけて「武士が背中を見せるのは卑怯なり!勝負せい! 」みたいな自尊心をくすぐるような呼びかけをして、よせばいいのいにこの弱冠16−17歳の美少年がこんな荒くれ男と一騎打ちとなった。

       
        左が熊谷直実で 引き返してくる武将が平の敦盛(16歳)

上の絵馬でわかるように背中にしょっているのが「母衣」(ほろ)です。
       
   
   母衣(ほろ)の骨組み          赤母衣組リーダー前田利家

要するに竹であんだ籠のようなものを布で包(くる)んで後ろから飛んでくる弓矢をそのクッションで傷を最小限に食い止めるというもの。実用性はどうでしたかねえ?こんなものしょって闘えないような気もしますが。まあ自分の活躍を高見の見物をしている殿様から良く見えるようにアピールする為もあったのでしょうか。 後の織田信長の時代になると装飾的な意味合いが強く伝令などがこの母衣を着けて戦場を駆け回りました。
信長の母衣(ほろ)衆で「赤母衣組」の長は前田利家で「黒母衣組」長は佐々成政だったのですよ。

         
源氏の武将 熊谷直実           平氏の美少年 平敦盛
      くまがいなおざね                 たいらのあつもり

さて話は平家物語に帰りますが、荒くれ武将「クマガイソウ」の挑発に乗って引き返してきたプライドが高い「アツモリソウ」は一騎打ちとなります。百戦錬磨の蟹江敬三クマガイソウに弱冠16歳のキムタク・アツモリソウはかなうべくもなく、組み伏せられ悪役クマガイが首を落とそうと兜をとると、何と自分の子供と同い年の紅顔の美少年にさすがの蟹江敬三も躊躇します。観念したキムタクに首を落とせと言われても一瞬逃がしてやろうと思いますが、後ろから味方の兵がやってくる。どうせ他の者の手にかかるのなら自分の手で・・と泣く泣く首をはねた「クマガイソウ」はキムタクに腰に下げてある笛を見て(青葉の笛)、昨夜美しい笛の音が聞こえていたのはこの「アツモリソウ」が奏でていたのか・・・とその戦場での風流心にも涙するという話しです。

で・・・ 葉が大きくちょっと頑丈そうな蟹江敬三のほうが「熊谷草」クマガイソウ
葉がちょっと細くて優雅なキムタクのほうを「敦盛草」アツモリソウと名づけられたのですよ。 ちっとこれでクマガイソウの花を見るとき、遠く源平の歴史に思いをはせてくださいね。
ちなみにヨーロッパでは「女性のスリッパ」と呼ばれているようです。そう言えばふかふかのスリッパのようにも見えます。でも日本人には平家物語までさかのぼったロマンのある花の名がいいですよねえ

どちらの花も現在植物版レッドリスト絶滅危惧II類になっている貴重な花です



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